食べると未来が見えるようになるアポロチョコを長瀬香が手放した理由

シラサキケージロウ

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ひと粒目 出会い

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「あなたって、もしかして幽霊とかだったりしないよね?」

 突拍子もない質問をぶつけられた窪塚馨(くぼづかかおる)は呆然とした。というのも、質問者であるその女性の方こそ、「幽霊とかだったりしないか」と訊ねたくなるような見た目をしていたゆえである。黒のデニムパンツにボーダー柄の赤いカットソー、の組み合わせはいいとして、髪の毛からつま先まで全身ずぶ濡れ。おまけとばかりにショートボブに切った髪は顔にべったりと張り付いており、これでは井戸から出てくるタイプの悪霊にしか見えない。

 にも関わらず、馨がその場から逃げ出さなかったのは、ずぶ濡れの彼女が一目でそれとわかるほどの美人だったから。どこか物憂げな二重の眼。ツンと高い小さな鼻。薄い唇。細い肩。

 今年で十七歳になる健康優良男子である馨は、世間一般における男子高校生の例に漏れず美人に弱い。

 季節は夏、七月二十三日の午後三時。無差別爆撃みたいな豪雨が屋根に弾ける音ばかりが聞こえる中、シャツがべったり身体に張り付いたせいであらわになった彼女のボディーラインにドキドキする一方、馨は彼女に声をかけたことを後悔しつつあった。

 苦いコーヒーの香りと人工的な苺の甘い香りのふたつが、ふたりを柔らかく包んでいる。





 時刻はほんの数分前にさかのぼる。『しまうま』という個人経営の喫茶店で働く馨は、乾いた白タオルで食器を磨いていた。最大収容人数二四名の広いとは言えない店内に客はひとりもいないが、駅からも大通りからもやや離れた住宅街の中にあるこの店では、昼時はともかく平日の中途半端な時間帯では閑古鳥が鳴くことは珍しくない。

 カウンターに肘を突き、「ヒマだ」とやたら低い声で呟きながら、神経質そうな細面にたっぷり蓄えたあご髭を手のひらでジョリジョリと撫でたのは、店のマスターである室藤。馨は『しまうま』で働き始めて半年近くになるが、マスター室藤が無駄に喋る姿をほとんど見たことがない。おかげで日々の雑談など皆無に等しいが、彼の静かな雰囲気を馨はわりと気に入っている。

「ヒマですね」とだけ答えた馨は、再び黙って食器を磨く。店内ではつい三十分ほど前から降り始めた雨が窓や屋根をやかましく叩く音が響くばかりだ。音楽が流れていないのは、マスターが高校生の頃から大事に使っていたレコードプレーヤーが修理に出されているため。いつもならば、彼が好むスタンダードジャズが店内のBGMとなっている。

 馨がステンレス製のスプーンを鏡の代わりに使えるくらい入念に拭き終えたころ。ふいに「そうだ」と呟いたマスターが、店の奥に引っ込んで、何かを片手に戻ってきた。見れば、彼が持っているのはアポロチョコの箱である。

「これ、好きだったろう?」とマスターはその長方形の小さな箱をカウンターの上に置く。彼の言う通り、馨にとってアポロチョコとは無くてはならない物である。一日に一箱消費する……なんてレベルの中毒者(ジャンキー)ではないが、物心つく前から母の影響で食べ始め、今日までの人生で千箱を優に超える数を消費していることは間違いない。

「たしかに毎日食べてますけど……どうしたんですか、急に」
「お客さんから貰ったんだ。あげるよ」

 くれると言うならば貰わないわけにもいかない。「ありがとうございます」とそれを受け取ると、「食べてもいいよ」と彼に言われたので、馨はならばと箱の封を破って一粒取り出し、口に放り込んだ。慣れ親しんだ甘く、人工的な苺の香りが口内に広がった時のこと、マスターがふいに不安そうな顔をした。

「室藤さん、どうしたんですか」

 マスター室藤は黙って窓の外を指した。見ると、大雨の中を傘も持たずに歩く人の姿がある。

「こんな雨なのに、大変そうですね」

「だね」と答えたマスターは依然としてその人から目を離さない。彼は雨の中を濡れながら歩くその人を心配しながらも、生来の寡黙な性格が災いしてその場に立ち尽くすばかりであった。

 短い付き合いながらもマスターの性格を理解していた馨は、チョコの箱をエプロンのポケットにしまいつつ「あの」と彼へ提案した。

「俺、あの人に傘貸して来ましょうか」
「いいのかい、窪塚くん」
「ええ。任せてください」
「なら、お願いするよ」

 マスター室藤からの正式な依頼を受けた馨は、傘立てに挿してあるビニール傘を二本持って、そのうち一本を自らの頭上で開きつつ外へ出る。急ぎ彼女へ歩み寄り、「よろしければ、使ってください」と使っていない方を差し出すと、「ああ、いいや」とあっけなく断った彼女はまた歩き出した。

「あのお店で雨宿りする予定だったから、平気なの」

 彼女の言う「あの店」とは紛れもなく『しまうま』のことであり、つまりは馨の職場だ。
彼女の物言いがまるで、雨に降られるところから『しまうま』で休憩するところまですべて計算づくであるかのように聞こえた馨は「なんだか妙だな」と思ったが、店の扉を開けて中へと踏み入っていく彼女を見て「まあいいか」と切り替え、その後を追った。

 すでに入り口付近の席に腰かけ、紙ナプキンで髪を拭いていた彼女は、傘を畳みつつ店の扉を開けた馨を見るや否や、ぎょっとした顔で「なんで?」と呟いた。

「……なんでって、そりゃ俺がこの店の店員だからですけど」

 すると彼女は首を傾げつつ腰を浮かし、後ろポケットからなにかを取り出す。見れば、長方形のそれはアポロチョコの箱である。

 手のひらにチョコを一粒乗せた彼女はそれを頬張った後、怪訝そうな顔を馨へ向けてこう言い放った。

「あなたって、もしかして幽霊とかだったりしない?」
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