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十二粒目 泣く男とキザ女

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 時刻は午後の六時五十分。馨はといえば、『しまうま』での経験を存分に活かし、わたあめ販売店の売り子として活躍している最中であった。中池袋公園で屋台を開いてもう三十分ほどになるが、販売数は四十三本。昨日までのことを考えれば、まさに飛ぶように売れていると評しても言い過ぎではない。

「いやいや。大盛況、大盛況」と嬉しそうに微笑む強面の大岩男――島津剛は、屋台の厨房で直径1メートル以上はある金メッキ張りの派手なわたあめ製造機と向かい合う。

 金タライの中央部に穴が空いたようなドーナツ型の機械。通常のわたあめ製造機と違い、周囲をプラスチックカバーに覆われていない造り。足元にあるペダルを島津が踏めば、中央の穴からは絶えず雪のような白い粒子が噴き出してくる。その光景はさながらスノーボールをひっくり返した時のようでなんとも神秘的だ。白い粒子を長い割り箸で器用に捉えていけば、間も無くして雪だるまのようなわたあめが出来上がる。

 すでに何度か見た光景に関わらず、馨は「相変わらずすごい職人技ですね」と思わず舌を巻いた。

「よければやってみるかい? 出力を間違えると、一面雪景色みたいになるけど」
「い、いえ。遠慮しておきます。雪景色は勘弁です」
「そうして貰えると助かるよ。もし挑戦されて普通に作られたんじゃ、俺の立場がないから」

 よほど機嫌がいいのか、豪快に笑った島津はさらに続ける。

「でも、どうして窪塚くんが売り子になっただけで、俺のわたあめがこんなに売れるようになったんだろうな」

 ふと呟かれた疑問に真実で返すわけにもいかず、馨は少し考えた後、「宣伝不足じゃないですかね」と適当なことを言った。

「宣伝不足?」
「そうです。この世界はいいモノが売れるわけじゃなくて、いい宣伝をしたものが売れるんです。売れ続けるために必要なのが実力で、売れ始めるために必要なのが宣伝ってわけですよ」

「なるほどなあ、宣伝かあ」と島津は納得した様子である。我ながらナイスな言い訳を考えたものだとホッとした馨は、来店したカップルに四十四、五本目のわたあめを売り、「ありがとうございました」と笑顔で一礼した。

「島津さん、いい感じのキャッチコピーでも考えたらどうですか? そうすれば売れ始めると思うので、忙しくなる前に売り子を雇う。これで完璧ですよ」
「キャッチコピー……」

 島津は難しい顔で腕を組む。

「じゃあ、〝おそろしくよくできたわたあめ〟とか、どうかな?」
「似たようなのがありますね、すでに」
「じゃあ、〝お口の恋人〟とか」
「それもありますね」
「〝白い恋人〟は――」
「あります。商品名ですが。というか、わざとやってます?」
「だめだな。どうやら俺には愚直に味の追求くらいしかできないらしい」

「だったら、味の追求以外が出来る人を雇うべきですね」と、馨が店員を雇い入れるべきだと再度強く提言したその時、大きなため息が聞こえてきた。見れば、屋台の近くに設置してあるベンチに男性がひとり腰掛け、糸の切れた操り人形の如くうなだれてぼろぼろ涙をこぼしている。周囲10メートルに負のオーラをまき散らす感があり、見ているこっちまで気が滅入りそうだと思った馨は、その男性の顔にどこか見覚えのあることに気が付いた。ラーメン屋『一徳』ですれ違ったパジャマ男である。

 奇妙な縁もあるものだなと男を横目に見ていると、島津が声を掛けてきた。

「窪塚くん、ちょっと。あの人、どうにかなんないかな?」
「どうにか、というのは?」
「ほら。どっかに行ってもらうとかさ。そういうこと」
「いいじゃないですか、別に。ここ、公園ですよ」
「でもさ。ああいうちょっとおかしな人が近くにいると、せっかく来るようになってくれたお客さんが離れていきそうじゃない?」
「まあそうですけど……でもそれなら、島津さんが声を掛けてきてくださいよ」
「ヤダよ。怖いだろう」
「なにを言ってるんだこの強面が」と馨は内心思ったが、乗り掛かった船である。「わかりましたよ」と請け負った彼はパジャマの男性に歩み寄り、営業スマイルを浮かべながら声を掛けた。
「あの、申し訳ありません。ここ、お店出してるんですよ」

 パジャマの袖で涙を拭いつつ「すいません」と答えた彼は、ポケットから財布を取り出し、そこからわたあめ代の四百円を抜いて馨へ渡した。

「買わなくちゃですね。ひとつください」

 こうなると、臨時ながらも店員である馨としては「お買い上げ、ありがとうございます」と言うしかない。代金を片手に屋台へ戻れば、島津がひどくうろたえていた。

「だ、だめじゃないか! 注文を受けたら!」
「仕方ないじゃないですか。注文拒否なんてできませんよ」

 言いながら馨が小銭を屋台に置けば、島津は渋々といった表情でわたあめを用意した。商品を受け取った馨は再びパジャマ男の元へと戻り、「お待たせしました」と彼にそれを提供する。

 彼はわたあめを軽くかじると、青天の霹靂の出会いを果たしたかのようにハッと目を丸くした。

「……甘い。それに、雪のように冷たい」

 感想を述べたかと思えば、またメソメソと泣き出す。あっちこっちに感情が忙しい人だ。馨もさすがにわたあめを食べて泣かれるとは思っていなかったものだから、「ど、どうされたんですか急に」とやや動揺しつつ訊ねると、彼は「ごめん、ごめんよぉ」と嗚咽まじりに謝って鼻水をすすった。

「彼女にフラれたことを、思い出したもんだからさ」





 同時刻。香は先ほどの泣き女――今泉由紀と、喫茶店から近所の焼き肉屋に場所を変えて顔を突き合わせていた。と言っても、交わされる言葉はもはや〝会話〟とは呼べず、ワイドショーでよく見られる互いの主張の押し付け合いと呼ぶに近い。

 今泉の方は、〝ヒカルくん〟が突然家を出て行ったことには何か大きな理由があるのではないかと語る。香の方は彼が家を出て行った原因を浮気だと譲らない。すると今泉が彼の思い出を語り、「そんな人じゃない」と言い張る。香は「誰にだって裏があるもんだからねぇ」と笑う。ふたりの議論と平行線を比べれば、まだ後者の方が交わる確率が高い。

 店に入ってまだ三十分。ハイボールは互いに既に三杯目。ホルモンを焼く白煙がふたりを包む中、ほろ酔い状態の今泉は対面に座る香へ頭をぶつける勢いでテーブルに乗り出した。

「だからぁ、ヒカルくんは悪くないの!」

「いや悪いの。だから今泉さんのところから逃げたんじゃない」と答える香もわりと酔っており、『本日中に涙を流す』という己の本懐を半ば忘れている。

「逃げてない! 家を出ただけだから!」
「それを逃げたって言うんでしょ。あー、イヤだイヤだ。恋は盲目ってヤツ?」
「長瀬さん! さっきから思ってたけど、あなた、人を好きになったことないでしょ?!」
「ないよ。運命の人に会ったことないから」
「やっぱり! やけに冷たいと思った!」
「冷たいんじゃなくて、リアリストなの」
「リアリストが運命の人なんて言わないでしょ!」

「いいでしょ。別に言うくらいなら」と、香が矛盾点の指摘を力技でねじ伏せたその時、ふたりの座っていた卓に相席してくる人がいた。

「ふらりとひとりで入った店に、まさか見知った顔がふたつもあるとはね」

 妙にキザっぽい喋り方。見れば、ふたりのカオルが昼間、映画を見る直前に出会った背丈の小さな女性がいた。「ヒカルちゃんだ!」と今泉が声を上げたところを見るに、ふたりは知り合いらしい。

「あら。あなた、さっきの」と香が軽く言えば、彼女は「どうも」とこれまた軽く答えて手を挙げる。

 彼女の登場にテンションが上がったらしいのは今泉である。今泉は目をキラキラ輝かせながら、抱きつかんばかりの勢いで彼女の手を取った。

「ヒカルちゃん、聞いてよぉ! この人ったらさあ――」
「待ちたまえ。由紀。まずは私に言うことがあるはずだぞ?」

 すると、今泉の目からは見る見るうちに輝きが失せ、それと同時に顔が青ざめていく。

「ご、ごめん! いま思い出した! 全部思い出した! 待たせた?! 待たせちゃったよね?!」
「いいさ。君はおっちょこちょいだが律儀な人だ。よほどの事情があったんだろう?」

 くすりと微笑んだ彼女は今泉の頭をそっと撫でた。今泉は「ありがとう」と言ってふにゃりと溶けた笑顔を見せる。これに驚いたのは香だ。やけに仲良さげなふたりを見つつハイボールのグラスを呷り、それから「ちょっと」と待ったをかけた。

「わたしはこの状況がわからないんだけど。とりあえず、あなたの名前がヒカルってことは、つまりこの人が今泉さんの恋人?」

「面白い冗談だね。私達の間には、どうやら対話が必要であるらしい」

 彼女はメニューを手に取りながら言った。

「さて、まずはビールでも貰おうか?」
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