涙色ミルキーウェイ

保桜さやか

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【番外編】彦星の受難

3、壇之浦古戦場跡

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『セイ!』

 こちらの姿を見つけると、ぎこちなく頬を緩める。
 長い髪を風に揺らし、近づいてくるその姿を見るだけで今は十分だった。
 とにかく彼女はよく目立つ。
 たまにマミちゃんの目撃情報があってギクッとしたことはあったけど、誰にも言わずに木曜日の大切なひとときのことは守り抜いたつもりだ。
 高校生になってから一気にみんな背伸びをし始め、好きだの愛だの恋人だのと言い出したけど、どれだけ女子たちから呼び出されることが増えても、いつも遠くを見ている女の子のことが脳裏をよぎり、気持ちに応じることはできなかった。
 窮屈な毎日だったけど、彼女の隣に座ると少しずつ浄化されていく。そんな気がしたんだ。

「セイ、聞いてる?」

「聞いてる。続けて」

「うん、それでね……」

 大丈夫だと自分に言い聞かせて努めて笑顔を作ると、彼女は安心したようにまたおしゃべりを始める。
 口数が多くない方だと思っていたのはどうやら間違えだったようだ。
 マミちゃんは徐々に話すようになり、今では自分が見たり聞いたり、興味を示したものをなんでも報告
してくれるようになった。
 これだけ話すのが好きな子なのだ。
 学校でも本当はもっと話したいのだろうなと思うことはある。
 マミちゃんはいつもひとりだと言っていたけど、まわりには彼女と話したい子もいるのだと思う。彼女
は家庭環境の影響で自分を過小評価するところがあって自虐的だけど、マミちゃんがあまりにも美人だから近づきにくいのだろうなとは想像はつく。
 話せばとてもいい子なのにと思う反面、誰かに自分と同じように呼び出されている姿を想像すると複雑な心境が何度も矛盾を繰り返して心の奥でぐるぐると回っていた。

「セイって絶対に賢いよね」

「普通だよ」

「ノートが賢い人の書き方だよ」

 中身のない漠然とした話はするけど深いことは聞いてこない。
 一緒に過ごすうえで、なんとなくマミちゃんの独自のルールがわかる気がした。
 人との距離感を、彼女なりに見極めているのだ。
 ギリギリのところまで踏み込まないように。
 こんなにも近くにいるのに、彼女と俺の間には凄く大きな溝があった。
 木曜日はだいたい四時半頃にみもすそ川公園の近くに到着するとベンチに腰掛けたマミちゃんが立ち上がって近づいてくる。
 壇ノ浦の戦いの跡地であるこの場所は、かつて源氏と平家の争いによって血の色に染まったはずだ。そんな決戦の地だったというのに、マミちゃんという女の子がそこにいるだけでぱっと景色が明るくなり、大きな花が咲いたように見える。歴史は移ろい、新しい時代の訪れを感じる、などと自分でも頭のおかしなことを考えることが増えたくらいだ。
最初のころはほんの少し会話をするくらいだったけど、少しずつ時間が伸びていき、気づいたら関門トンネルが閉鎖されるギリギリの時間まで彼女と過ごすことが増えた。



 リミットは午後十時。他愛もない会話をして、少し離れたコンビニまで夕食を買いに行ったり、それぞれの課題をしたり。日が落ちてしまうと真っ暗になってしまうため大半は話していることが多かったけど、長いようであっという間に時間は過ぎていった。
 好きになるのは難しいかもしれないけど、下関での暮らしが少しでも過ごしやすいものになるようこの街のあれやこれやをここぞとばかりに口にすると、嫌がる様子もなく、むしろ興味深そうに聞き入るマミちゃんの姿があって、『そうなの?』『すごいね!』と言われるたび、自分のことでもないのに自然と口元が緩んだ。
 下関市から九州にある門司港に続く関門トンネルを通って俺が住む門司港レトロ地区に向かう間の数分間、その日の余韻に浸ったりもするけど、山口県から福岡県に続く県境の表記が見えてくると少しずつ冷静になっていく自分がいた。
 もちろん彼女と会っていない日はほとんど部活動に専念している。
 本当は木曜日以外も自転車を使い、関門トンネルを通って(トンネル内は下車して歩くのだけど)みもすそ川公園付近から学校まで向かっている。
 でも、このことは話していない。
 一度雨の日に行き違いがあったため、連絡先も教えたしマミちゃんからも聞いてはいるけど、彼女が連絡先を交換するうえで一瞬戸惑いを見せたため連絡はしていない。

 この関係は木曜日という枠から、絶対にはみ出してはいけないのだ。




「七夕の日も今日くらい晴れたらいいのに」

 空を眺めて口角を上げる彼女に、いつしか自然に笑うようになったなと思う。
 しかしながら、天は見方をしてくれない。
 予報ではしばらく傘のマークが揺れていた。

「セイの言うとおりずっと雨模様のままだったね」

 木曜日は試合の日と同じくらい天気予報をチェックしている。
 ちょうど木曜日は七夕の前日であるため、例外ではない。

「大丈夫。てるてる坊主を作っておくから」

「セイは大丈夫しか言わない」

 そう言いながら少しずつここではないどこかを眺めるマミちゃんの姿が目に入り、口をつぐむ。
 いつも現実的な話し方をするマミちゃんが珍しく神話を口にするのは、七夕の物語のように遠く離れた東京の先輩のことでも思い出したのだろうか。

「遠くへ行きたい」

「うん」

 天の川を渡って、ここではないどこかへ。
そう聞こえた気がした。

「涼しくなったら門司港に遊びに行ってみようかな」

「……え?」

「きらきらしてて、すっごくきれい」

 マミちゃんの瞳は、いつの間にか海の向こうでぼんやり光る明かりをとらえていた。

「わたしは電車でしか行けないけど」

 ちらっと関門トンネルに視線を向け、苦笑するマミちゃん。

 初めて俺についてトンネルの中まで見に来たとき、狭いところが苦手だと怖がっていたのを思い出す。

「だ……」

 言っている意味をしっかり理解してはっとなる。

「大丈夫。門司駅で一回乗り換えはあるけど、下関駅から三十分くらいで着くから」

 マミちゃんにとっての乗車時間の三十分はどんな感覚なのかわからないけど、ここ最近何度か関門トンネルの最終時間に間に合わず、やむを得ず下関駅に移動して電車で帰ることが続いたため、意外と行きやすい距離にあるということを伝えたかった。

「あ、唐戸市場から船も出てるけど」

「そうなの?」

「俺は自転車じゃない日は船でこっちまで来てるよ」

「ええ、そうなの? すごい!」

 瞳をきらきらとさせるマミちゃん。
 思ったよりも今日は歩み寄って来てくれているようで嬉しい。

「雨や風の影響で運航が左右されるけど」

「船に乗るのが身近なのってなんだかすごいのね」

 瞳に光を宿しているマミちゃんは今まで見た彼女と少し違って見えた。

「案内するよ」

「え?」

「あ、マミちゃんがよかったら、だけど」

 距離感を間違えていないか心配にはなったけど、思わず口にしてしまったため仕方がない。彼女に断る選択肢を与えることも忘れない。

「門司港は庭みたいなものだし」

 不自然なほど早口になりそうなのをぐっと抑え、笑顔を作る。断られたら、また適当に流せば……

「いいの?」

「え、あっ……もちろん」

「わぁ、ありがとう!」

「う、うん」

 心強い!と口角を上げるマミちゃんに、あまりにも予想していなかった反応に驚きながらもできるだけ平静を装うよう努力する。
 一歩……少しずつだけどまた一歩だけ、彼女が自身の殻を破って前に進んでいるように感じられた。

「マミちゃんが遊びに来たい日は、教えて。迎えにくるから」

 セイの木曜日が都合いいのよね、と自身のスマホを眺める彼女に思わず声を荒げてしまった。

「ちゃんとここまで迎えにくるから」

「うん! 楽しみ」

 マミちゃんは驚いたように大きく瞳を見開いてから、花が咲いたように笑った。つられて俺も笑って、小さくガッツポーズをした。
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