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「甲板やマストはどうだった?」

「甲板はともかくマストはかなり危ない状態でしたので、
 魔力を注いでおきましたよ」

真っ暗な海の中をほのかに光る帆船が進むという御伽噺のような状況の中、お兄様がボトルシップのチェックを終えて戻ってこられました。とても頑丈なボトルシップですが連日の荒波の影響をゼロには出来ず、更には潜航モード起動時に受けた壁のような大波の所為でボトルシップはあちこちに深刻なダメージを負ってしまいました。

「沈没せずに無事に潜航モードに入れたのだから、とりあえず良しとしよう」

潜航後、前向きな発言をされたウィルさんですが、船が受けたダメージは無視できるほど軽微ではなく……。先程からお兄様とギルさんが、あちらこちらで魔樹の自己修復能力を促す為に魔力を注いでおられるのです。そのままでも魔樹は自己修復を始めるそうなのですが、それを高速で行う為に魔力を少し入れてあげて能力の発動を誘発するのだそうです。


そんなお兄様たちを横目に、私はぐったりと椅子に座り込んでしまっていました。

「海の中の方が穏やかだなんて……」

ぽつりと零した言葉は安堵と疲労にまみれていて、我ながら少し情けなくなってしまいます。私の魔力はまだまだ残っているので、そういう意味での疲労はありませんが、精神的な疲労が酷くて立ち上がる気力が湧いてこないのです。

視界に映る真っ暗な海は地上ほどは荒れていませんが、それでもうねるような水の流れに船がユラーユラーと揺さぶられてしまいます。とはいえケット・シー猫妖精の寝床で制御できる程度の揺れなので、揺さぶられ過ぎて常に地面が揺れているかのような錯覚に陥っていた私も、揺れない床にようやく落ち着いてきました。

「これを飲んで、横になって眠ると良い」

そう言ってアンディさんから手渡された物は、温かい湯気が優しく立ちのぼるマグカップでした。中にはホットミルクが入っていたのですが、どうやらお酒ブランデーが少量加えられているようで微かにアルコールの匂いがします。

「甘くしてあるから良く眠れると思うぞ」

「でもみなさんが忙しくしておられるのに、私だけ眠る訳には……」

そう言いながら何とか足に力を籠めて立ち上がります。操船などの難しい事はできませんが、魔樹に魔力を少し注ぐぐらいなら私にもできます。

「いや、リアは寝ておいたほうが良いな。それでも何かしたいというのなら、
 眠る前に俺達が身につけている結界と浄化の宝石に力を補充してくれ。
 後は眠って体力と魔力を少しでも回復させるんだ。
 常に最大量の魔力を維持する事が、リアに課せられた一番大事な仕事だぞ?」

「そうですよ、リア。
 あなたの能力は魔王討伐の一番の要なんですから
 私達の為にもしっかりと休みなさい」

「そうそう、リアにはリアにしか出来ない事がある。役割分担は大事だよ。
 それに幸いな事に海の中だから部屋全体が薄暗くなっているし、
 ゆっくり眠れるんじゃないかな?」

ウィルさん、お兄様、ギルさんが立て続けに「眠りなさい」と私を諭しにきて、最後の手段とばかりにファフナーまでもがモフッと私の腕の中に飛び込んできます。

「解りました。でも何かありましたら、必ず起こしてくださいね」

譲れないラインだけはしっかりと伝えて、操舵室の片隅へと移動します。そこにあるロープと大きな布で仕切られたスペースは私の為のスペースで、そこで眠ったり着替えたりするのです。お父様やお兄様は何とかケット・シーの寝床を設置した個室を用意して私の部屋としたかったようなのですが、一つの乗り物に複数のケット・シーの寝床を設置すると魔力が干渉し合って思いがけない反応を起こす事があるらしく……。それに何よりここまで高性能なケット・シーの寝床を作り上げるにはかなりの日数が必要となる為、断念せざるを得ませんでした。ただ正直な気持ちを言えば、殿下たちやお兄様に雑魚寝をさせておきながら私だけ個室なんて事態は避けたかったので、ホッとしたのは内緒の話しです。

それにしても……
王国に居た頃の思い出に良いものなんて数える程しかありませんが、「寝ていても何をしていても結界を維持する」訓練を受けていた事には感謝しかありません。万が一にも寝ている最中にモンスターの突撃を喰らって結界が壊れたら……なんて事を考えると血の気が引いてしまいます。本当に良かった……。




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交代で休憩を取りつつ海中を進みますが、予想はしていたものの魔力の消費量はかなりのものでした。今までは使用量より回復量の方が圧倒的に上回っていたのに、今では使用量の方が若干上回ってしまっています。お兄様や皇子殿下がたの魔力量が多い為に暫くは大丈夫でしょうが、このバランスのままではいずれ魔力切れを起こす事は明白ですし、溟海めいかいの魔王の居城の深度次第では「いずれ」なんて呑気な事も言えなくなります。

「まずいな……、早急に魔王に辿り着かないと」

魔王戦で全員が全魔力を使い切っても海面に浮上するまでの間に必要となる魔力は常に船に残してあるのですが、それでも不安になる気持ちは抑える事ができません。

「えぇ。それに帰路の事も考えると食料の残量も不安です」

様々な物資を大量に積み込んできましたが、特に食料は5人+ファフナーの分とは思えない程の量を積み込んできました。ですが当初想定していたよりも進みが悪く……。水は海水から魔法で作り出す事が出来ますが、食料はそういう訳にはいきません。普通の海ならば魚を釣ればどうにかなるのかもしれませんが、溟海の魚なんて食べたら瘴気に侵されてしまいそうですし、そもそもモンスターがひっきりなしに現れる状況下で、釣り糸を垂らしても魚が釣れるとは到底思えません。

「方向は間違えていないんだが、海流の所為で速度がかなり落ちている。
 おそらく魔王はこの辺り、そして俺達がいるのはこの辺りだ」

操舵室の真ん中にある大きなテーブルの上に広げられた海図の上で、ファフナーは飛び跳ねたり翼でペシペシと叩いたりして現在地を教えてくれます。

「早ければ2日、潮流の流れに逆らい続ける事を考えても5~6日以内には
 辿り着けると思う。勿論トラブルが何もなければ……だが」

そのファフナーの言葉に、お兄様たち全員の纏う空気がピリッと引き締まりました。

「後は文献通りである事を祈るばかりですね……」

「そうだな。ただ、もしそうでなければ即座に引き返す。
 これは第2皇子としての命令だから拒否は許さない。
 この決断により樹海をモディストス王国に占有されてしまう可能性が高まるが、
 俺にとってはみんなの命の方が大切だ。
 責任は俺がとるから、絶対に無理に突撃するような事はやめてくれ」

お兄様がファフナーが示した魔王のいると思われる地点を指でトントンと叩きながら思案気に呟き、その言葉を受けてウィルさんが皇子としてと前置いてから宣言しました。その命令に皆は「はっ!」と言いながら右手を左胸に当てて臣下としての礼で応えます。

蛇足ですがアスティオス皇国では、左胸に当てた右手が握りこぶしの場合は「今からいう言葉に嘘偽りはなく、命をかけた言葉です」という宣誓の意味になり、平手の場合は「命令や指示を余さず承ります」という了承の意味になります。

そんな躊躇いなく臣下の礼を取ったお兄様の姿を見て

「自分を犠牲にする事は尊い行為のように思えるが、
 残された者からすれば一生痛み続ける傷を負うに等しい」

と言われた事を思い出してしまいます。だから行き過ぎた自己犠牲はしてくれるなと、お兄様だけでなくお父様やお母様からも事ある事に言われ続けてきました。
私とて家族を悲しませたい訳では無いので気を付けるようにはしているのですが、王国で自己犠牲を当然の事として育ってきた期間が長い為、どうしても言動にそういったモノが滲み出てしまって……。


そして文献というのは皇国に古くから伝わる様々な歴史書の中の一つで、溟海の魔王の宮殿に偶然にも乗り込んだ冒険者の手記の事です。明確なサイクルは解らないのですが、十数年に1度、真冬の満月の日の夜に海上に浮かび上がる大きな城は、普段は海底に沈んでいるらしいと記されていました。

その冒険者は船旅の途中で偶然にも浮かび上がっていた城を発見し、上陸して探索しました。そのままその城で夜を明かし、翌日の日の出と共に沈んでいく城を船の中から観察し続けました。当時の溟海は今ほど瘴気が濃くなかった為に可能だった行動ですが、それによると今の私達が乗っているボトルシップと同じように、大きな膜に包まれて沈んでいったそうです。つまりその膜の中にさえ入ってしまえば呼吸は可能ですし、地上とほぼ同じ行動ができるはずです。

ただ文献に書かれた頃とは違い、現在の膜の中は高濃度の瘴気が充満していると考えられます。何せ溟海中に氾濫寸前の大量の瘴気を放出しているぐらいなのですから、その中心部なんて結界がなければすぐに変質してしまう程の瘴気が漂っているはずです。なので念の為に結界と浄化の力を込めた宝石を複数個、皆さんには身につけてもらっています。

ただ問題は私です。私自身を結界で包む事は出来ないので、出発前に開かれた作戦会議では私は船に残ってここから浄化の力を飛ばす事になっていました。ただ、それが可能かどうかはその時になってみないと解りません。

次善の策として決まっているのは、まずはお兄様たちが乗り込んで結界の宝石ムーンストーンを設置すると同時に浄化の宝石サンストーンも設置して、その後に私が周辺の瘴気を浄化しながら城へ乗り込むという策です。

何方の策を取るにしても実際にその城を見てみないと判断できない為、最終的にはその時のウィルさんの判断次第という事になっています。

「ファフナー、魔王は俺達が近付いてきている事を察知していると思うか?」

「俺の経験上、察知はしていると思う。
 だが心身が引き裂かれているのではないかと錯覚するほどの苦痛に
 それどころではなく、人間が数人近づいて来たところで意に介さないだろう」

そう言うファフナーも、あの時私達が近くまで来ていた事に気付いていたんだそうです。ただ身体がミシミシと音を上げて変質していき、自分の心がどんどんと狂気に染まっていく苦痛と絶望を味わっていた魔王ファフナーは、人間が近付いてくるなんて些事は気にしていられなかったんだとか。またあの時、魔王から攻撃されたと私達は思っていましたが、あれも魔王視点だと単に苦しくて暴れたらたまたま岩やら木がそちらに向かって飛んでいったという程度の認識だったそうです。

溟海の魔王はファフナーよりも狂化が進んでいると思われるので、なおさら近付いてくる人間の事なんて気にしないだろうという事でした。ただその分、暴れ方もファフナーの比では無い可能性が高く、注意に注意を重ねた方が良いだろうという話しで作戦会議は終わりました。

そもそも作戦会議とは銘打っていますが、魔王の浄化なんてファフナー以前には誰もやった事がなく、更には溟海の海の底に潜るなんてことも前代未聞なので、その場に立ってみないと解らない事ばかりです。なのでこの会議も適度な緊張を維持し、認識や情報を全員で共有する為のモノという意味合いが大きく、特別な何かがある訳ではありません。

「無事に全てが終わりますように……」

毎日のように……
そして一日に何度も願うように、今日もそう願わずにはいられませんでした。




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太陽や月といった星々の動きが全く見えない所為で日付の感覚が狂ってしまいそうになりますが、お兄様やウィルさんが持っている魔力で何年も寸分違わず時間を刻む魔力式時計によれば4日後の早朝のこと。この日は何時もとは全く違う起床となりました。

「リア! 起きろ!!」

ファフナーが私の耳元でジャンプを繰り返しながら声を上げています。

「急げ! 魔王の……溟海の城だ!!」

その言葉と同時に私の結界に何かが当たる感覚があり、強い衝撃を感じてしまいます。巨大なサメ型モンスターが結界に突撃を繰り返してきた時ですら、こんな衝撃を伝えてきた事はありません。そしてその衝撃と一緒にガラス同士を擦り合わせたような耳障りな音が辺りに響き渡りました。

「今、行きます!!」

そう返事をすると同時に、枕元に置いてあったカバンを掴んでカーテンを開けて皆の元へと向かいました。このカバンは何時でも直ぐに対応ができるようにと、結界などの力を込めた宝石や様々な道具が入れてあるのです。

私が駆け寄ると同時に、お兄様が

「リア、貴女の結界の位置を少し下げてください!
 まずは私が接続を試みます!」

と言うや否や舵の中央の宝石に手を乗せて集中しはじめました。それに合わせて私も集中してボトルシップの膜よりも外側にあった結界の位置を、膜の内側まで下げます。途端にお兄様の口から苦し気な声が漏れ出るのを、私は祈るようにして応援する事しかできません。

「上手く接続できると良いんだけど……」

ギルさんがいう接続というのは、ボトルシップを包む膜と溟海の城を包む膜を接続する事を指します。それはとても難しい魔力調整が必要になる行為です。お兄様の説明によれば相手の魔法を乗っ取るに等しい行為で、相手の膜を自分たちの膜と同じ魔力紋に変えて結合させるのだとか……。そしてそれが出来るのは、今ここに居るメンバーの中ではお兄様しかいません。四属性をもつお兄様だからこそ、どのような魔力紋であってもその波動を捉えて合わせる事ができるのです。ですがそれは危険な行為でもあり、魔力紋を合わせる事に失敗すればお兄様にその反動が襲ってきて無事では済みません。

(どうか……、どうか上手くいきますように……。
 お兄様が怪我を負うような事がありませんように……)

私は胸の前で手を組んで目を瞑り、猛き男神のアスティオス神と浄き女神のノーヴァ神に祈りを捧げる事しかできません。そうしているとすぐ横にいたアンディさんやウィルさんが息を飲んだような気配が伝わってきました。何かが起こったようなのですが、怖くて目を開けられません。

「これは……。いや、これなら上手くいきそうだ……」

お兄様の苦し気ながらも希望を感じる声にそっと目を開けてみれば、私の周囲に発生した金色や銀色の粒子がお兄様の方へと流れて行き、お兄様の周囲でキラキラと輝いています。樹海で魔王ファフナーを浄化した時にも金と銀の光の粒が発生しましたが、その後どれ程再現しようとしても再現できなかったのです。ところが今、再び現れました。

そんな私とお兄様を見ていたギルさんは、信じられないといった表情で何か小声で呟いていましたが聞き取れず。その事を尋ねようとした途端

「良し! 接続出来た!!!
 リア、再び結界の範囲を広げる事はできますか?」

というお兄様の声に話しかける切っ掛けを失ってしまいました。ですが優先順位は私事ではなく、みんなの命を守る結界の方が当然ながら上です。

「はい、少しお待ちください」

そう言って目を瞑ると、再び結界を膜の外へと広げる為に魔力を自分の中でグルグルと回転させます。慣れ親しんだ行為ではありますが、今回の膜は船を包む膜ではなく溟海の城全てを包む膜です。それでも王国全土を包んでいた時に比べれば小さなものです。海の底という環境の違いに少し手間取ってしまいましたが、それでも無事に溟海の城全域に広げる事ができました。

「終わりました。
 これで外から無尽蔵にモンスターが入ってくる事は無いと思います。
 ですが中の瘴気濃度は今まで感じた事がない程に濃く、
 私が船に残ったままでは魔王の浄化は無理かと……」

結界を広げていく際に感じた抵抗は未だかつてない程のモノでした。

「ならば次善の策だな。
 まずは俺達が結界の宝石を設置してリアの負担を出来る限り減らし、
 その後にリアの周囲を浄化の宝石で保護しつつ進む事にする」

ウィルさんの方針説明に全員が頷き、まずは前もって決めてあった通りにギルさんが表へと出ました。みんなで一緒に外へ出ないのは、万が一にも全員が同時に瘴気によって変質してしまえば対処ができなくなるからです。その為に両耳のイヤーカフや腕輪、指輪と全身のいたるところに結界と浄化の宝石をつけたギルさんが、様子見でまずは1人外に出る事になっていました。万が一の際には腰に結えた紐を引っ張り、船へ引き戻すという算段です。

この人選も色々と揉めましたが、パーティリーダーであるウィルさんが向かうのは論外で、守りの要のアンディさんも不可、そして魔法伯家の後継者であるお兄様もできれば却下となった時、残ったのはギルさんだけだったのです。

私は名前すら上げてもらえず、ファフナーは魔王時代の瘴気の浄化が済んだばかりで、もし溟海の魔王の瘴気と融和性が高い場合、一気に瘴気に飲み込まれてしまう可能性があり、その危険性を考えると却下となりました。


恐る恐る船の外へと出たギルさんとその姿を背後から見守る私達でしたが、どうやら瘴気の影響は宝石類に籠められた能力で抑え込めているようで、少し安堵した表情のギルさんは振り返ると、「大丈夫」というハンドサインを送ってきました。

その事にホッとした私達でしたが次の瞬間、形容しがたい絶叫が衝撃を伴って全身を襲いました。今まで聞いた事の無い不気味な絶叫に全身がガタガタと震え、膝から力が抜け落ちてしまいそうになります。

「ど、どうして……」

確かに恐ろしい声でしたが、それだけで恐怖に飲まれて身動きができなくなるなんてありえません。震える腕でファフナーを抱きしめて心を落ち着かせようとするのですが、全く効果が無く。ガチガチと歯の根が合わない状態で周囲を見れば、お兄様やウィルさんまでもが真っ青な顔をしていました。

「精神攻撃です!!」

「聞いた者を恐慌状態にする悲嘆の叫喚だ!!」

その時、恐怖のあまり零れ落ちそうになる涙を何とか堪えていた私の耳に、ギルさんとファフナーの声が同時に聞こえてきたのでした。
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