未来樹 -Mirage-

詠月初香

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1章

1歳 -水の陽月6-

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不自然と言えば良いのか、不気味と言えば良いのか……。

叔父上たちが戻ってきてから10日程が経ちました。その間、座り心地の悪いモゾモゾとした思いをしつつも、私は今までと変わらない日常を送っています。勿論それは良い事ではあるのですが、山吹が戻ってきた事で絶対に一騒動あると気構えていたので、少し拍子抜けしてしまいました。

いや、母上たちを偽物だと思い込む想定外の一騒動はあったけども……。

確かに穏やかな日常ではあるのですが、「この穏やかな日常は嵐の前の静けさなのかもしれない」という思いが頭の隅に存在し続け、結果として今日もモヤモヤした気持ちのまま過ごしています。


それに変わらない日常とは言っても、叔父上たちが戻ってきた事で必然的に変わった事もあります。母上たちもそうでしたが、叔父上たちも三太郎さんにお願いして作ってもらった施設や設備に戸惑ってしまうようで……。

確かにこの世界の基準や常識からしたら少しズレていたり、大きく外れていたりする物ばかりなので仕方がないとは思います。叔父上たちも寝心地や居心地が良すぎて、逆にそれが違和感となって落ち着かない様子なのです。そんな叔父上たちに少しでも早く此処に慣れてもらい、出稼ぎや旅の疲れが癒えるように母上たちと一緒にフォローする毎日です。

特に食事に関しては戸惑いが強いようです。例えばお米を粉にする事やその粉で作るうどんにも驚かれましたし、今までのお米を蒸しただけの調理法ではなく吸水してから炊く柔らかいご飯にも驚かれ、

「姉上、やはりどこかお加減が!?」

と叔父上や山吹が慌てたりもしました。この世界では柔らかいご飯は、離乳食や病人食という扱いなので仕方がないかもしれません。ですが固いご飯よりも今のご飯の方が消化に良いので、叔父上たちにも柔らかいご飯に慣れてもらいたいなと思います。

消化が良いという理由の他にも、美味しいご飯の為に羽釜を金さんにお願いして作ってもらっているので、それを無駄にしたくないという理由もあります。

母上たちと此処に住み始めた頃、普通の鍋でもどうにか出来るんじゃないかと思って色々と試してみたのですが、素直に羽釜を作った方が早く・美味しいご飯が食べられるという結論にすぐ辿り着きました。そして羽釜を作ってもらうのと同時に水車小屋の臼を使ってしっかり精米をして、糠を極力落とす作業も追加したことにより更に消化に良く、美味しいご飯が食べられるようになりました。

実際、この方式のご飯に切り替えてからつるばみは食後の胃もたれが無くなったようで、「流石は精霊様がお勧めになる調理法です!」と絶賛し、少し偏食気味だった兄上も、母上が驚くぐらいにご飯を食べてくれるようになりました。




そんな兄上の日常が、家族の中で一番大きく変わったかもしれません。
水の陽月9日に兄上は誕生日を迎えて4歳になりました。この世界では4歳になると様々な勉強が始まるのだそうです。勿論最初は簡単な文字の読み書きや、計算。それに体力づくりといった、元の世界で言うところの幼稚園でやるような事が殆どなのですが、そちらに時間を取られるために一緒に遊ぶ時間はかなり減ってしまいました。毎日のように母上や橡が読み書きを、叔父上や山吹が計算や体力づくりを交代で教えているようです。教えるといっても、みっちり教えているというよりは、遊びながら学ぶような感じなので、そんなところも幼稚園に近い感じです。

私も一緒に教えてほしいなと思ったのですが、母上に

「櫻はもう少し大きくなってからね」

と笑顔で言われてしまいました。ちなみに私は昨日、水の陽月13日が誕生日らしいです。いつの間にか決まっていたのですが、恐らく叔父上が私を拾った日なんだと思います。そんな訳で、まだ1歳になったばかりの私に「勉強はまだ早い」という母上の言葉は当然ではあります。橡にも

「お坊ちゃまの邪魔をしてはいけませんよ」

と優しく諭されては、これ以上ごねるのは我儘に思えてスッパリと諦めました。それに私一人なら実験小屋に籠る事ができます。まぁ、私一人といっても必ず三太郎さんのうちの誰か、或は全員と一緒に居るんですが……。ただその大前提が母上たちにも浸透したようで、一言「櫻と一緒に小屋に行く」とだけ三太郎さんから母上に伝えてもらえれば、母上もすんなりと「いってらっしゃいませ」と送り出してくれるようになりました。




さて、色々と試したい事や修繕しなくてはならない事が山積みなので、この時間を有効活用してどんどんと試作や実験を進めていきたいと思います。林檎から作ったお酒の蒸留は、蒸留回数を変えてアルコール度数が違うモノを幾つか試したいですし、冷蔵・冷凍庫も応急処置はしてありますが本格的な移築も進めたい。他にも無香料の石鹸に香りを付ける為の素材も探したいですし、まだまだ優先順位の関係で後回しにしたモノがいくつもあります。

今日、一緒に実験小屋に来てくれたのは金さんと桃さんです。というのもこの二人は今でも毎日琺瑯ほうろう容器を作ってくれているので、実験小屋には日参しているんです。最近では寸胴鍋タイプだけでなく、琺瑯ほうろう製のビーカーやケトルやマグカップといった様々な形状のモノを作ってくれています。今も目の前で試作品のスプーンとフォークを作ってくれました。数も以前なら一つだけだったのですが、今は2~3個は余裕をもって作れるようになり、食器のような小さい物ならその倍は作れるようになりました。

この世界、食器にもお国柄というものがあります。ミズホ国やその流れをくむ人々は漆器、ヒノモト国やその流れをくむ人々は磁器、そしてヤマト国やその流れをくむ人々は陶器をメインに使います。天都の帝家では各国に気をつかって、それら三種類の食器をバランス良く使っているんだそうです。他にも外交の時や華族が賓客を招く時には、相手国の食器を程よく混ぜて使うとか色々と細かいルールがあるんだとか。

まぁ、ここではそんな各国なんてものに気をつかう必要はないので、綺麗で丈夫なら良いじゃない!の精神で琺瑯ほうろうの食器を試し中なのです。


金さんと桃さんが一段落したところで、私の用件を切り出します。色々とやりたい事がありますが、その中に時期的に今しかできないモノがあった事を思い出したのは水の陽月に入る直前でした。それから慌てて浦さんと一緒に下準備を終わらせ、今日これから本格始動です。

<金さん、桃さん。少し山を下りて竹を取ってきたいんだけど、
 一緒に行ってもらえない?>

必要な材料は竹。そして塩なんだけど……塩は叔父上たちが買って帰ってきてくれた物しかありません。無駄遣いは当然できないのですが、どうしても使いたいので先日、三太郎さんを通して母上たちと相談してもらいました。

ここで作った油を売って、塩を追加で買ってもらえないかという事を。

基本的に、ここで作ったモノは門外不出という約束で三太郎さんに色々と無茶をお願いしている訳です。ですが、油やお酒やお酢といったものはこの世界にも元々あるものです。原材料が忌み嫌われているだけで……。

なのでそれらを売って塩を買いたい事を相談したら、三太郎さんたちも悩んだ末に「油なら良い」という事になりました。この世界には蒸留という概念がないので、お酒は山を下ろせないそうです。


まぁ、そういった相談を経て塩をある程度までは自由に使う事ができるようになしました。

「竹? 竹炭ならまだあるぜ??」

そう言って首を傾げる桃さんですが、作りたいのは竹炭じゃありません。

「先日から作っていた奇妙なアレと関係があるのか?」

金さんがいうアレとは水の陽月に入ったばかりの頃に、浦さんと一緒に作ったとあるモノです。成功するかどうかギャンブルのような気持ちでしたが、その賭けに勝った事が確定したのが昨日でした。アレは叔父上からもらった組紐の髪飾りと並ぶ、最高の誕生日プレゼントでした。まぁ、髪飾りの方は私の髪の毛の量がまだまだ少なすぎて、つけれないんだけども……。

<うん。あれね。前の世界では麹菌って呼ばれていたカビの一種なんだけど、
 炊いたご飯に木灰を混ぜて、麹菌だけが繁殖できるような環境を作ったの。
 幾つかの違う種類の木の灰で試したうちの一つが無事に成功したから、
 ようやく次の段階へ行ける!>

そう握りこぶし付きで力説したら、桃さんがゲンナリとした表情をしました。

「げぇぇ、あのカビだらけのメシを何に使うっていうんだよ。
 俺様は絶対に食べたくねぇぇ」

まぁ、アレだけを見れば、そして麹菌が作り出すものを知らなければそう思っても仕方がありません、

<でもね桃さん。時々ご飯の時に出てくる味噌だって、
 同じ菌から作られているんだよ?>

「は??」

思わずといった感じでぽかーんとした表情になる桃さん。桃さんにとって味噌は煮豆を潰して塩と混ぜたモノだったようです。まぁ大きくは間違ってはいません、それを発酵させれば味噌になりますから。ただ、その発酵に菌が必要だって事が抜け落ちていただけで……。

「つまり味噌が作りたいという事か?」

そう尋ねる金さんに首を横に振って「違うよ」と答えます。まぁ味噌も作りた物の一つではあります。お味噌汁はやっぱり毎日飲みたいですから。この世界、塩と酢は比較的手に入りやすいお値段らしいんですが、味噌はちょっと値がはるので1旬間に1~2回ぐらいしか使えないんですよね……。

それにせっかく作ってもらえるようになった米粉うどんが塩味なのも残念なのですよ。極稀に味噌味の事もありますが、前世でいう味噌煮込みうどんといった感じではなく、味噌汁におうどんが入っている感じなんですよね。干し野菜や塩蔵してある肉や魚が具として少しは入っているので、それらの旨味が加わり決して不味くはありません。不味くないどころか美味しいとすら思います。でも、やはりアレが欲しいのです。

<まだこの世界の誰も知らない調味料を作りたいの。
 大豆は入手が難しいから、竹を使ってね>

「竹の調味料だぁ?!」

桃さんが驚きの声をあげ、金さんは声こそあげなかったものの、まだこの世界に無い新しい調味料という部分が金さんの琴線に触れたのか、表情が楽しそうなモノに変わります。

<まぁ、また試作と実験を繰り返さないとダメだけどね。
 前世ではあったんだよ、竹醤という調味料が>

それはテレビのクイズ番組か旅行番組だったと思うのですが、中国のとある地方では伝統的に竹を発酵させた竹醤と呼ばれるお醤油が作られているんだそうです。

この拠点付近だと大豆を入手する事は大変だけど、竹なら幾らでも手に入ります。そして塩の使用許可を取付け、麹菌の繁殖にも成功しました。ここまで条件が揃って、それでも醤油を作らないなんていう選択肢は私にはありません。

「たけとり いくーー!」

そう声高らかに号令を出した私を金さんが抱き上げて意気揚々と歩き出し、その後ろを桃さんが少し嫌そうな顔をしてついてきてくれます。

ふふふ……桃さんも後で思い知る事になるでしょう。醤油の凄さをっ!

美味しいもの大好きな桃さんに、アレを作ろうコレも作ろうと考えながら竹を取りに行く私です。甘葛煎があるから、みたらし団子やお肉の照り焼きといった甘辛い味付けもいけるなぁ……なんて考えていたら、あっという間に岩屋付近にある竹林まで来ました。

「竹を使うとは言うが、竹のどの部分を使うのだ?
 大きい方が良いのか??」

金さんがそう言いつつも私を地面に下ろしてくれます。

<ううん、使うのは竹は竹でもタケノコ。
 まだ地表に頭を出してないぐらいの若いのが欲しい。
 あっ、でも念のために少しずつ成長具合が違うモノでも試したいから
 少し成長したのと、ある程度成長したのも欲しいかも>

そうお願いし、地表から20cmぐらい出てしまっている物を10個と、私の身長を超えてしまっているようなサイズのも10個……というより10本。そして土の中に埋まっているタケノコを20個程手に入れてから実験小屋へと戻りました。タケノコだけ多いのはサイズの問題と、普通にタケノコとしてそのまま食べても良いかなと思ったからです。食いしん坊だらけですからね、我が家は。

小屋に戻った後はそのタケノコの皮をむいて、切って、煮て……。煮あがったタケノコを取り出して人肌になった頃合いを見て麹菌と塩をまぶして混ぜます。それを3つの寸胴鍋タイプの琺瑯ほうろう容器に分けて入れ、冷ました煮汁も戻します。

同じことを少し育ったタケノコと、かなり育ったタケノコというか竹一歩手前の物でも繰り返し、後は条件を変える為にあちこち場所を変えて保存します。1ヵ所目は5度で固定の冷蔵庫、二カ所目は常温の資材小屋、最後の三カ所目は温度が上がりやすい台所のかまどの近くと決め、そこに「タケノコ」「竹(小)」「竹(大)」と書いた竹簡に紐を付けた物を、鍋の取っ手にぶら下げて今日の作業は完了です。

後は最初の10日弱は毎日、10日後ぐらいからは時々かき混ぜて発酵を促しながら完成を待つだけです。テレビでは2~3ヶ月で完成と言っていたように思うので、火の陽月に入った頃に出来上がる予定です。合計9個の琺瑯ほうろう容器を見ながら、せめて一つぐらいは成功してほしいと願わずにはいられません。

そうそう、この竹醤の良い所は原料の竹が入手しやすいという事以外に、もう一つあります。それがメンマです。

発酵が終われば布で絞って濾す事になりますが、その搾りかすのタケノコを干して加工した物がメンマになります。私、ラーメンのトッピングの中でも煮玉子と並んで好きなのがメンマだったんですよね。今から楽しみで仕方がありません。

竹醤を本格的に量産するのは来年になってしまうのがツライところですが、いきなり大量に作って失敗したら目も当てられません。仕方のない工程なのだと自分を納得させました。




そんな楽しみに……、心から楽しみに待っていた火の陽月。
その前にあんなことが起きるなんて、思いもしませんでした。
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