未来樹 -Mirage-

詠月初香

文字の大きさ
上 下
135 / 183
3章

16歳 -火の極日5-

しおりを挟む
手のひらには嫌な汗が滲み、心臓はバックンバックンと激しく波打って、その激しさのあまり痛みを感じるほどです。しかも静まり返った部屋の所為で自分の心臓の音だけが耳に届いて、時間が経てば経つほどに緊張が増していきます。

「大丈夫?」

横に座っていた兄上が心配そうに私に聞いてきてくれますが、それに答える前に一度深呼吸が必要なぐらい大丈夫じゃありません。ですが此処で大丈夫じゃないと言ったところでどうしようもないので、

「うん、大丈夫。ちょっと緊張してるだけだから」

と返しておきます。叔父上から貰ったヴェールを着けているおかげで私の顔色や目の下のクマには気付かれていないと思いますが、実際にはここ数日間の超が付くレベルの睡眠不足とも相まって、吐き気や頭痛まで引き起こしていて最悪のコンディションです。

でも、この面会さえ乗り切れば後は……いや、殿下と一緒に行く明日の夜の小火宴しょうかえんがあったわ……。

えぇと、コレとソレさえ乗り切れば、後はさっさとこの地を後にして、大型船まで戻ればたっぷりのお湯でお風呂に入れるし、冷たいスポドリやジュース飲んで、母上やつるばみの作ってくれた美味しい料理を食べて、そして寝心地抜群の寝具でたっぷりと寝れる! だから頑張れ、私!!

ほんと、ここ数日。前世の受験勉強の時だってもう少し睡眠時間確保してたよと思う程に眠っていません。それというのも全て緋桐殿下の無茶振りの所為で……。火の陽月40日まるまるとまでは言わないから、せめて半分の20日、いや15日でも良いからもう少し時間があれば、こんな体調にはならなかったのにと恨めしい気持ちになってしまいます。

そうやって小火宴に提出したい商品の選定や軽食の試行錯誤をしていた時、ふと、10年ぐらい前にも同じような事で悩んだ事を思い出しました。あの時は茴香ういきょう殿下と蒔蘿じら殿下からの無茶振りで、急遽牡丹様にお出しするデザートを考えなくてはならなくなり……。しかも色々と条件があった所為で、かなり頭を悩ませた覚えがあります。

なんなの、殿下って付く人はみんな無茶振りするものなの?

あらゆる世界に居ると思われる殿下からツッコミが入りそうな事を思いながら今回も試行錯誤をしていた訳ですが、前回と今回では明確な違いがありました。それは先程も言ったように条件があった事。条件があったおかげで色々と制約があった訳ですが、制約=絞り込みとも言えるわけで……。今回のように一切の制約が無い状態だと絞り込みから始めないといけないんですよね。

それに一緒に居るのが、叔父上じゃなくて兄上という違いもあります。勿論兄上が頼りないって事は絶対に無いのですが、叔父上と比べたら年の分だけ叔父上の方が頼りがいがあります。

そして一番の違いが茴香・蒔蘿殿下と緋桐殿下の違いです。茴香・蒔蘿殿下は幼い頃からの叔父上の友人で、叔父上にとってみれば気心の知れた相手です。無茶振りする事もありますが、逆に守ってくれる人でもあります。そんなヤマト国の王子たちに比べると緋桐殿下はまだ関係が浅く、今一つ信用と言えば良いのか信頼と言えば良いのか、ともかく安心を築くだけの時間がまだ足りません。悪い人だとは全く思っていませんが、まだ無条件で信頼できるほどでもないといった感じです。



その緋桐殿下はといえば、先程までは一緒に居たのですが国王陛下からの「王城に戻ってきた時ぐらい自分で報告に来い!」という内容をオブラートに3重ぐらいに包んだ命令が届き、「すぐに戻る」と言い残して部屋を出て行ってしまいました。

「僕じゃなくて叔父上が来られれば良かったんだけど……」

私は皐月姫殿下から直接指名を受けているので来ざるを得なかったのですが、兄上は指名されてはいません。同行者は1名のみ可とのことだったので、当初は叔父上か山吹と一緒に来る予定だったのですが、商人座の方で少々揉めていて当主である叔父上はそちらに向かわなくてはならず……。また念の為の護衛が必要だったために、山吹も叔父上と一緒にそちらに向かいました。どこの世界でも、またどこの国でも良くある話しなのかもしれませんが、新規参入者には色々と当たりが厳しいようです。

「そんな事言わないで?
 叔父上が一緒だと確かに安心だけど、私だってもう16歳だよ。
 叔父上に守れているだけじゃなく、兄上に助けられるだけじゃなく、
 私だって兄上や叔父上を助けられるようになりたいの。
 まぁ……腕力的な意味では助けられる気がしないけどね」

素直に本音を話した後には、恥ずかしさからちょっとだけおどけた言葉を付けたします。実際、腕力や体力といった面では兄上たちどころか母上たちの手助けすらできそうになく、こればかりは小さい頃からどうにかしようと努力を続けてきたものの、未だに成果らしい成果は出ていません。

「ははは、櫻に腕力で助けてもらおうとは思わないさ。
 適材適所っていうだろ、そういう意味では僕はもう十分櫻に助けられているよ」

兄上はそう言ってくれますが、助けになる事より絶対に迷惑かけている事の方が多いと思います。でもそう伝えても「量じゃなくて気持ちの問題だよ」って帰ってきて、それでも食い下がると今度は「櫻は今でも十分頑張っているよ」と返されました。そんな兄上の言葉に、私は嬉しいような恥ずかしいようなモゾモゾする気持ちになってしまい、思わず黙り込んでしまいます。

そうやって二人で話していたら、いつの間にか気持ちが少しずつ落ち着いてきました。そう、頑張るしかないんです。少しでも兄上や叔父上の助けになれるように、そして遠い海上にいる母上たちにも喜んで貰えるような結果を出す為に腹を括ります。そんな決意をしたのとほぼ同時に

「皐月姫殿下がお呼びである。
 ヤマト国吉野家の槐と櫻は速やかに参じるように」

と女官が私達の待機している部屋に入ってきたかと思うと、頭を下げる事すらなく下達しました。あちらの身分は恐らく華族だと思うので、平民である私達に頭を下げる必要はないのですが、いきなり部屋に入ってくるので面食らってしまいました。

「はい、 承知仕りつかまつりまして御座います」

兄上が返事をし、二人揃って母上や叔父上仕込みの丁寧な所作で立ち上がります。そして一礼をしてからその女官の後をついて部屋を後にしました。前世だったら多重敬語だと言われそうですが、この世界では身分差があればあるほど敬語を重ねて使う習慣があるそうで、王族の使い(=王族)相手だとこれでもかと敬語を重ねなくてはいけないんだとか。

前世・今世と社会人経験の無い私にとって敬語は学校の授業でやった程度なので、面倒くさい事この上なく……。祖父母や村のおじさんおばさん達相手に使う、なんちゃって敬語で良いのなら楽なのに……。

もちろん此処はヒノモト国なので、仕事さえ絡まなければそこまで気にしなくても良いのですが、今日は仕事として来ているのでバリバリ敬語モードになるしかありません。そんな訳で皐月姫殿下の相手は基本的には兄上任せで、私は名指しされた時のみ答える事になっています。

「皐月姫殿下の御厚意により、
 そなた達の顔布は着けたままで良いという事になっていますが、
 本来ならばありえない事なのですよ。感謝なさい!」

止まる事を知らない女官のお小言を聞きながら進む廊下は、実際の距離よりも長く感じてしまいます。緋桐殿下が話しを通しておいてくれたおかげで、私は顔を全面的に、兄上も目元以外は隠したまま姫殿下に会う事が出来ます。それがいかに礼儀的にも防犯的にもありえない事なのかは、女官さんに言われるまでもなく解っています。解っていますが素顔を晒す訳にはいかないので、「ありがたい事です」とだけ兄上が返事をして、後はお小言を甘んじて受けながら歩き続けました。




「ご拝顔の栄に浴し、恐悦に存じます。
 ヤマト国吉野家の槐と、妹の櫻に御座います。
 過日の不作法、誠に申し訳ございませんでした」

不作法も何も、いきなり姫殿下がやって来て、引っ張られて抱きしめられて、何が何だかわからないうちに姫殿下が立ち去って……。ゲリラ豪雨に遭遇した気分だったのはこちらのなのですが、それをそのまま言う訳にもいきません。

「過日の事に関しては私にも非があるゆえ、気に致すな。
 ただ、このような急な申し入れは他の商人に悪いと思わぬか?
 特例を認めていては示しがつかぬわ」

基本的にヒノモトの女性はゴージャス系というか派手な顔立ちの方が多いようで、先程の女官もそうでしたが皐月姫殿下もそちら系の顔立ちです。東宮緋の妃の牡丹様はファビュラスな妹さん似でしたが、姪にあたる皐月姫殿下は年齢的な事もあってもっと溌剌とした印象のあるゴージャス系です。そんなゴージャス系がキッとこちらを睨んでくる訳ですから、ちょっと怖いと思ってしまいます。

兄上はそんな姫殿下の言葉や視線をさらりと受け流し

「えぇ、皐月姫殿下の仰せの通りに御座います。
 私どももその様に申し上げたのですが、
 緋桐殿下におかれましては、是が非でもと仰せになり……」

と「全部貴女の兄の所為ですよ」と返します。その返答に、皐月姫殿下は肺の中の空気が全部出てしまう程の深い溜息をつきました。気持ちは解ります、身内がいきなり本来ならしなくても良い仕事を増やしてくれたんですから。

ちなみにこのやり取り、ヒノモト国だからこそ許されるものだったりします。もしこれがミズホ国だったら、もっともっと婉曲的な表現で嫌味をチクチクと言われた上に、反論は絶対に許してもらえません。そういう意味でも本当にヒノモト国で良かったなぁと思います。

「まったく……兄様あにさまにも困ったものだわ」

小さく零れ落ちた姫殿下の愚痴は、腹立ち半分心配半分といった感じでした。

「確認するけれど、貴方たちから言いだした事じゃないのね?」

「えぇ、私どもとしては今年は祭事の店の列の一番端に、
 来年はもう少し中心へ。そして再来年は更に……と数年がかりで
 ヒノモト国の人々へ親しんでもらえたら良いと考えておりました」

それは叔父上たちともヒノモト国へと来る前に決めていた事です。まぁ、今は少々事情が変ってしまいましたが、それでも不要な軋轢を生みたい訳ではありません。

「はぁ……。我が兄が迷惑をかけました」

「いえ、妹の櫻を守りたいという緋桐殿下のお気持ちには
 心より感謝をしております」

微妙に含みのある兄上の言葉に皐月姫殿下は苦笑します。そしてその苦笑を浮かべたまま

「さて、時間が惜しい。早速見せてもらおうか」

「はい、どうぞご覧くださいませ」

兄上に促されて、持って来ていた荷物を広げます。手荷物検査があったので一度開封済みなのですが、それでも重箱のフタを開けた途端に良い匂いが部屋に広がります。

「小火宴で供したい軽食と甘味を数種類と、
 この度ヒノモト国アイカ町の松屋と提携して販売する事となった
 歯を綺麗にするための磨き粉に御座います」

まずは軽食を並べて、次に甘味を並べます。歯みがき粉はまだ出番じゃないので、とりあえずは包みから出しただけで脇に置いておきます。

「おぉぉ、これは……」

皐月姫殿下の目がキラキラと輝くのを見て、内心ガッツポーズを決めます。この反応を引き出す為に睡眠時間を削りに削ってきたのです、その甲斐がありました。

「肉や魚、野菜に果物と色とりどりだが、
 それらをこのような形状にするとは驚いたが同時に納得も致した」

「納得……とは?」

「ヤマト国はここ10年、あらゆる面で様々な革新が進められているが、
 その一翼を担うと言われているのがそなたたち吉野家だと聞き及んでおる。
 この軽食一つとっても、見た事も聞いた事もないモノだ」

そう言って皐月姫殿下が摘まみ上げたのは、私が試行錯誤の末に作り上げた軽食のうちの一つ、鳥肉と赤茄子トマトのピンチョスでした。




あの日、緋桐殿下にパーティの形式を聞いたら立食パーティに限りなく近いものだったので、気軽&お手軽に食べられる軽食を記憶から掘り起こしたのです。

今回用意した軽食は、肉や魚、野菜や果物を色々と組み合わせたピンチョスに、小さなサンドイッチです。もっともパンを作る際に必要な酵母を用意する時間が無かったので、パンというよりはクレープ状に焼きあげました。それで具材をくるみ、ロールサンドイッチ風に仕上げています。

甘味も同じように手軽に食べられるように一口サイズの小さなパイやタルト、それからパウンドケーキをそれぞれ数種類作りました。ヒノモト国は小麦の産地なので小麦粉は手に入りやすいですし、砂糖も他の国よりは手に入りやすいので本当に助かりました。

ただ、出来る限り地産地消を心がけはしたのですが、どうしても直ぐに手に入らない物も色々とありました。例えばピンチョスに使う串がそうで、木製にしても金属製にしてもこの国では用意が難しく……。仕方なく不寝番に向かう叔父上と一緒に船へと向かい、こっそり浦さんに顕現してもらって母上たちのいる大型船まで取りに行ってもらったりもしました。

あれ、浦さんが新しく覚えていた技能「浮力」があったおかげで何とかなりましたが、いくら水の精霊の浦さんでもあの距離を一晩で往復するのはかなりの重労働だったようで、後でしっかりお礼する事を約束させられました。




「では毒味をさせて頂きます」

そう言って先程と同じ女官が歩み寄ってくると、皐月姫殿下が一番興味を示した鳥肉と赤茄子のピンチョスを、一つを兄上の前に、一つを私の前に、そして一つを自分の前に置いてから、最後に姫殿下の前に置きました。どうやら毒味の作法的なものは、ヒノモト国でもヤマトの国でも変らないようです。

その上で覚悟を決めた表情で、鳥肉と赤茄子のピンチョスを口へと運びました。

もぐもぐもぐ……

と小さく口元が動くさまをじっと見ていた姫殿下が、「どうだ?」と感想を促しますが、その途端に女官がピタリと動きを止めて目を瞠りました。その様子に周囲が一気に剣呑な雰囲気になりざわめきます。

「まさか毒が……」
「なんということだ!」

なんて物騒な台詞が聞こえてきますが、そんな事してませんってば!!
私と兄上も慌ててしまい、

「どうしました?!」

と女官に問いかけてしまいます。一口で食べられる小さなサイズにしたとはいえ、喉に詰まらせてしまう可能性はゼロではありません。何か飲み物をっ!と机の上を見回した私の耳に

「び、美味に御座いますーーーっっ!!!」

という女官の声が響いたのでした。




かなり多めに作ってきたピンチョスやロールサンドイッチが姫殿下やそのお付きの女官たちのお腹に消え、更にはドライフルーツを使ったパウンドケーキや砂糖をたっぷり使ったリーフパイが姫殿下たちの口を楽しませていた時。急に部屋の外が騒がしくなりました。

「何事です!!」

楽しい一時を邪魔されたと感じたらしい皐月姫殿下が声を荒げ、慌てて女官の1人が確認に向かいました。ですがその為に扉を開けた瞬間

「そなたを誑かしたとかいう毒婦、しかと我が目で確かめてやる!」

「ですから兄者あにじゃ、違うと申し上げています!!」

「違うというのならば、私が確かめたところで不都合はあるまい!」

なんていう騒々しい声がすっごい速度で近付いてきます。

あぁ、これ。
あの日の夜に続く騒動パート2ですね……。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

【R-18】吉原の遊女

歴史・時代 / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:8

【完結】君のために生きる時間

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,001pt お気に入り:693

私はあなたの何番目ですか?

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:23,063pt お気に入り:3,833

貴方の子どもじゃありません

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:26,512pt お気に入り:3,762

エリザベート・ディッペルは悪役令嬢になれない

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:3,494pt お気に入り:1,664

処理中です...