2 / 96
I 演繹と仮説
002 急逝
しおりを挟む
二 急逝
平松――平松高志、わたしの恋人が死に瀕していた。
けたたましいサイレンが悪趣味なクリスマスキャロルのように近づき、救急車はかれをストレッチャーに乗せる。酒はなにをどれくらい飲んだかとか、何分ほど意識がなかったのか、蘇生術を行なったかなどを訊いて(そのほとんどを吉川が答えてくれた)、「だれかこの方のご家族か、親しい方は」と付き添いを乞うた。わたしと吉川が手を挙げ、病院まで走った。
救急車内でかれはストレッチャーに乗せられ、体が見えるよう着衣を鋏で裁断された(北欧風の腕時計もベルトを切断された)。道中、医学科の吉川は口頭であの場の状況、処置など伝達事項を救命士に話した。が、乗り心地の悪そうなシートで次第にぐったりとし、病院に着くまでに幾度か袋に嘔吐した。
上半身を露出させたかれにAEDのパットが貼られ、たびたびかれの体ががくがくと暴れる。かれの横で救命士は胸骨圧迫を施し、AEDが心電図を読み取るという旨のアナウンスのたびに、わたしに「下がってくださいね――下がって! 早く!」といい、肩で呼吸をつく。わたしはかれをじっと見る。吉川は袋を持ったまま泣き出す。機材という機材がビープ音を叫ぶ。当のかれは何事もないかのように「なに騒いでんのさ」と今にもいい出しそうだったというのに。
それにしても足が冷える。居酒屋のサンダルで出てきてしまった。ブーツもなければ、コートもない。ねえ、コートなくて寒くない? 三人とも居酒屋に忘れてきちゃったね。真冬だもんね、寒いよね、車の中。
見れば毛布のようなものは、車の端に積んであった。しかしそれを寒いからと自分へ頼むのも気が引けた。わたしはかれの顔をじっと見ていたが、寒さは変わらず自分の足の先が冷え切っているのを感じた(この時かれの体温がどれほどだったかまでは判断できなかった)。
救急病院へはすぐに着いた。
救命医、救急当直の内科研修医、そして看護師がかれに様々な器機を取り付けて、救命士からクリップボードの用紙を受け取る。ストレッチャーをがらがらと押して薄緑のカーテンの奥に消える。
わたしと吉川はかなり酔いが回っていたし、市街地を猛スピードで走る緊急車両に乗っていたし、吉川にいたっては蘇生術も施していたりしたのだ。気持ちが悪い。今にも戻しそうだった。ふたりでぐったりとして長椅子でまどろみつつあったが、看護師から問診票を書けとか、保険証はあるかなどと、事あるごとに入眠を阻害された。それに大体、わたしたちは吐瀉物まみれなのだ。
かれの死を告げられると吉川は泣き叫ぶし、かれのお母さんに電話したら電話したで半狂乱になるなど、こんな時にかれはなにをしているのだ、と内心かれを責めた。するとかれが困ったような、面目なさそうな顔をしてカーテンの奥から出てこないか、どこか期待しながらそれぞれのアパートへ戻った(靴は居酒屋のサンダルのままだった)。
涙も嘆きも呪詛も出なかった。居酒屋での食事は十分な量だったので空腹は感じなかった。
吉川は寝ているだろうか。時刻は四時半である。かの女にLINEしてみるとすぐに既読がついた。
「ヨッシー、起きてたの」
『まあ、寝られるわけないからね』
「高志、まだ帰ってこない」
『え?』
「高志、入院みたい」
『ちょっと待って、まだ飲んでんの?』
「わかんない。でも高志がいない」
『いや、待って。いや違う。待たなくていい。今からそっち行く』
「え? なんで?」
最後に送ったわたしのメッセージには既読はつかなかった。
平松――平松高志、わたしの恋人が死に瀕していた。
けたたましいサイレンが悪趣味なクリスマスキャロルのように近づき、救急車はかれをストレッチャーに乗せる。酒はなにをどれくらい飲んだかとか、何分ほど意識がなかったのか、蘇生術を行なったかなどを訊いて(そのほとんどを吉川が答えてくれた)、「だれかこの方のご家族か、親しい方は」と付き添いを乞うた。わたしと吉川が手を挙げ、病院まで走った。
救急車内でかれはストレッチャーに乗せられ、体が見えるよう着衣を鋏で裁断された(北欧風の腕時計もベルトを切断された)。道中、医学科の吉川は口頭であの場の状況、処置など伝達事項を救命士に話した。が、乗り心地の悪そうなシートで次第にぐったりとし、病院に着くまでに幾度か袋に嘔吐した。
上半身を露出させたかれにAEDのパットが貼られ、たびたびかれの体ががくがくと暴れる。かれの横で救命士は胸骨圧迫を施し、AEDが心電図を読み取るという旨のアナウンスのたびに、わたしに「下がってくださいね――下がって! 早く!」といい、肩で呼吸をつく。わたしはかれをじっと見る。吉川は袋を持ったまま泣き出す。機材という機材がビープ音を叫ぶ。当のかれは何事もないかのように「なに騒いでんのさ」と今にもいい出しそうだったというのに。
それにしても足が冷える。居酒屋のサンダルで出てきてしまった。ブーツもなければ、コートもない。ねえ、コートなくて寒くない? 三人とも居酒屋に忘れてきちゃったね。真冬だもんね、寒いよね、車の中。
見れば毛布のようなものは、車の端に積んであった。しかしそれを寒いからと自分へ頼むのも気が引けた。わたしはかれの顔をじっと見ていたが、寒さは変わらず自分の足の先が冷え切っているのを感じた(この時かれの体温がどれほどだったかまでは判断できなかった)。
救急病院へはすぐに着いた。
救命医、救急当直の内科研修医、そして看護師がかれに様々な器機を取り付けて、救命士からクリップボードの用紙を受け取る。ストレッチャーをがらがらと押して薄緑のカーテンの奥に消える。
わたしと吉川はかなり酔いが回っていたし、市街地を猛スピードで走る緊急車両に乗っていたし、吉川にいたっては蘇生術も施していたりしたのだ。気持ちが悪い。今にも戻しそうだった。ふたりでぐったりとして長椅子でまどろみつつあったが、看護師から問診票を書けとか、保険証はあるかなどと、事あるごとに入眠を阻害された。それに大体、わたしたちは吐瀉物まみれなのだ。
かれの死を告げられると吉川は泣き叫ぶし、かれのお母さんに電話したら電話したで半狂乱になるなど、こんな時にかれはなにをしているのだ、と内心かれを責めた。するとかれが困ったような、面目なさそうな顔をしてカーテンの奥から出てこないか、どこか期待しながらそれぞれのアパートへ戻った(靴は居酒屋のサンダルのままだった)。
涙も嘆きも呪詛も出なかった。居酒屋での食事は十分な量だったので空腹は感じなかった。
吉川は寝ているだろうか。時刻は四時半である。かの女にLINEしてみるとすぐに既読がついた。
「ヨッシー、起きてたの」
『まあ、寝られるわけないからね』
「高志、まだ帰ってこない」
『え?』
「高志、入院みたい」
『ちょっと待って、まだ飲んでんの?』
「わかんない。でも高志がいない」
『いや、待って。いや違う。待たなくていい。今からそっち行く』
「え? なんで?」
最後に送ったわたしのメッセージには既読はつかなかった。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる