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3、景色の記憶
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公園で朝日が昇っていくのを観察した。どれだけ動いても汗ひとつかかず、身体的な疲労も感じられない僕達は、ギリギリまで遊んで、その後川沿いのベンチで話をしていた。
朝日はみるみるうちに空高く昇り、人の姿も時々見かけるようになった。そろそろ屋上まで戻る頃合いだなと思い始めると同時に、不意に自分の家が恋しくなった。
僕の家は、誰かが片付けているのだろうか。見られて困るものは何も無い。ただ一度、家に戻ってみても良いかもしれない。話の止まらない鈴に、一瞬の間を突いて声を掛ける。
「この後、僕は家に帰るけど、鈴は?」
「え、あおっち家に帰っちゃうの?」
「うん、一回帰ろうと思う」
「また屋上に来てくれる……?」
あからさまに寂しそうな反応をされ、頷く他無い。途端、パッと顔を明るくして僕よりも先に立ち上がった鈴は、華奢な手はぶんぶん振ってきた。
「じゃあ、夜に屋上で!」
数秒だけ見せた寂しげな反応は何処へやら、元気に言い放ち走って行ってしまった。手を振り返す暇もなく、取り残された僕は苦笑いを零すと、家を目指した。
特に急ぐ必要もないので、のんびりと歩く。公園からは約1時間もすれば着くはずだ。
途中で犬の散歩をしている若い女性と目が合った。つい挨拶をしてしまったが、当然返ってこない。僕を目で追いかけてくることもなかったので、何か別のものを見ているようだった。恥ずかしさと虚しさが相まって、早足で女性から離れる。
道中に時計がないので感覚でしかないが、恐らく30分程は歩いた頃。中間地点となる高校が目に入った。あと半分歩けば家に着く。鈴は今、屋上にいるのかと見上げてみたが、それらしき姿は見えなかった。
昨日、あそこで鈴と出会ったんだよな。考えてみると、不思議な気持ちになる。もし僕が屋上に向かわなければ鈴と出会うことはなく、独りで彷徨っていたかもしれない。
グラウンドを広々と使って、野球やサッカーをしている少年達がいた。部活の練習らしく、皆真剣な表情で同じユニフォームを身につけていた。足を止めて彼らを眺め、再び家へと歩き出す。
意味がないとはいえ、道路を渡るときは左右を確認してしまう。車が来ないかを注意して道を進む。反対側から向かってきた、避ける動作の無い歩行者にも、反射的に避けてしまい、どうしようもない虚しさを実感した。
ただ公園から家に帰ってくるだけで、無駄に疲労してしまった。ようやく家に到着すると、一旦躊躇してドアを通り抜ける。通り抜けた先は、出てきたときと何も変化がなかった。
薄暗い部屋の中。いつの日からか片付けていない台所のコップも、机に散乱している参考書も、微塵も変わりがない。
誰も僕の家に来ていないようだ。母親が片付けに来ていてもおかしくはないが、まだ先なのかもしれない。心の片隅で拍子抜けした僕は、ベッドに倒れこんだ。目を瞑って、深く息を吐く。なんだか、いろいろと疲れてしまった。
鈴と会えたから良かった。気付けば透明人間で、死んだらしいけど死因すら覚えていなくて。誰に話しかけても答えてくれない。知らぬ間に消えていく記憶。独りだったら、とっくに発狂していた。
今は鈴に感謝の思いでいっぱいだ。脳裏に鈴の笑顔かぼんやりと浮かび上がる。夜、また会えるんだなと考えている間に、僕はゆっくりと夢の中に沈んでいった。
――カァ、とカラスが鳴いた。眠い目をこすって起き上がる。うっすらとした寝る前の記憶。もしかして長い夢だったんじゃないか。
疑問を持って机の時計に手を伸ばした結果、僕が透明人間になったのは夢ではなく、今でも続く現実だった。午後5時を表している時計は、僕の手を易々と飲み込んでいた。
幽霊の状態でも睡眠が取れるんだな。ぼおっとした頭で考える。寝すぎてしまった。何時頃、屋上に向かおうか。
部屋の中を見回した。薄暗い部屋が、孤独感と焦燥感を伝えてきた。ここに居たくない。早い所、屋上に行ってしまおう。鈴が居なかったとしても、待っていればいい。
家を飛び出す。なんとなく走ってみる。車通りが多く、何度か左半身を轢かれてしまった。速さに限界はあるものの、体は疲れないことを良いことに、全力で走って高校を目指す。
お陰ですぐに着いてしまった。息は乱れていないが、入り口で立ち止まった。まだ大勢の生徒が好きなことをしている。隅っこで和気あいあいと話しているグループや、サッカーボールを拾いに駆けて行った生徒もいた。
屋上に上がる。真っ先に目に入ったのは、大の字に寝っ転がっている鈴の姿だった。もういたのか、と嬉しくなった。ゆっくり、ゆっくり、慎重に近付いていく。書店で驚かされた仕返しをしてやろうという所存だ。
「…………わっ!」
「っきゃあ!?」
全身波打つように跳ね上がった鈴。それがあまりにも可笑しくて、笑いが止まらない。まさか、そんな大きく驚くとは思いもしなかった。
腹を抱えて笑う僕を、拗ねた顔で軽く押してきた。恥ずかしくて仕方ないらしく、弱い力で何度も押してくる。
「ねぇ笑いすぎ! 本当にびっくりしたんだから!」
「ごめんごめん、悪かった」
「もうっ……。それにしても、案外来るの早かったね」
「やることなくてね。確認したかったことも確認できたし」
「そうなんだ。じゃあ早速だけど、お出かけしよう!」
えっ、と声が漏れてしまった。朝帰ってきて、これからまた出掛けるとは、その元気はどこから湧いてくるのか。
有無を言わさず、鈴が僕の腕を引っ張った。楽しそうに階段を下りていく。今回は公園への道とは外れ、街中方面に行くようだ。
「何処に行くの」
「ナイショ! でも、良いところ!」
思い切りはぐらかされた。それ以上聞くことは止め、大人しく鈴の隣を歩く。しりとりをしたり、クイズをしたりと遊びながら、僕達は良いところに向かった。
*
辺りが闇に溶け込み、街の光が輝き始めた。僕達は街の端にある、高所の神社に来ていた。
街を一望できる高さがある。神社の裏から、すぐ下を見れば、遠く離れた地面が恐怖を感じさせた。しかしそれに負けないほど美しい夜の街並みが目の前には広がっていた。
「すごい……綺麗な夜景。この街でこんな景色が見られるなんて」
高層ビルのような立派な建物は無い街だが、それでも都会に劣らないであろう景色だ。白や黄色の点が黒の中に彩られ、車やバイクでさえも絵を描いているかのように見える。
「素敵でしょ。ここの景色を、あおっちに見せてあげたかったんだ」
体が反射的に動き、視線が鈴を捉えた。今何と言ったのか聞き返そうとして止めた。言葉自体ははっきり耳にできたからだ。何故ここまで過剰に反応したのか自分でも分からない。ただそこに、自慢気に微笑んでいる鈴がいる。
間違いなかった。僕はその台詞に、似た言葉を聞いたことがある。つまりここに来たことも、実は初めてじゃない。だけど誰と、いつ、どうして来たのか。分からない、思い出せなかった。
「え……。あおっち、そんなに感動した……?」
言われて気付く。左目から静かに、涙が伝っていた。不安気になってしまった鈴に対して、首を小さく横に振った。
「ちょっと、思い出せそうな気がして」
「生きていたときの記憶、を?」
「……そう。結局、何も分からないけど」
急激に襲ってくる不安と恐怖。悔しさと情けなさと、自分への怒り。いつだってどんな出来事だって、僕には大切な時間だった。僕が僕である為に、欠かせない記憶だったのに。
「大丈夫だよ。思い出そうとしたら、いつか思い出せる、絶対!」
心情を読んだかのように、明るく慰めてくれた。力強い声質と、優しい笑顔で、幾分か心が楽になった。
きっと思い出せる。忘れたままになんかしたくない。長い時間をかけても、思い出したい。勘違いかもしれない、いつかの景色が、ここからの景色にぴたりと一致した。
息をひとつ飲み込んで、僕は遠くを眺める鈴を見る。街灯の光に貫かれたその横顔から、何となく、目を離すことができなかった。
朝日はみるみるうちに空高く昇り、人の姿も時々見かけるようになった。そろそろ屋上まで戻る頃合いだなと思い始めると同時に、不意に自分の家が恋しくなった。
僕の家は、誰かが片付けているのだろうか。見られて困るものは何も無い。ただ一度、家に戻ってみても良いかもしれない。話の止まらない鈴に、一瞬の間を突いて声を掛ける。
「この後、僕は家に帰るけど、鈴は?」
「え、あおっち家に帰っちゃうの?」
「うん、一回帰ろうと思う」
「また屋上に来てくれる……?」
あからさまに寂しそうな反応をされ、頷く他無い。途端、パッと顔を明るくして僕よりも先に立ち上がった鈴は、華奢な手はぶんぶん振ってきた。
「じゃあ、夜に屋上で!」
数秒だけ見せた寂しげな反応は何処へやら、元気に言い放ち走って行ってしまった。手を振り返す暇もなく、取り残された僕は苦笑いを零すと、家を目指した。
特に急ぐ必要もないので、のんびりと歩く。公園からは約1時間もすれば着くはずだ。
途中で犬の散歩をしている若い女性と目が合った。つい挨拶をしてしまったが、当然返ってこない。僕を目で追いかけてくることもなかったので、何か別のものを見ているようだった。恥ずかしさと虚しさが相まって、早足で女性から離れる。
道中に時計がないので感覚でしかないが、恐らく30分程は歩いた頃。中間地点となる高校が目に入った。あと半分歩けば家に着く。鈴は今、屋上にいるのかと見上げてみたが、それらしき姿は見えなかった。
昨日、あそこで鈴と出会ったんだよな。考えてみると、不思議な気持ちになる。もし僕が屋上に向かわなければ鈴と出会うことはなく、独りで彷徨っていたかもしれない。
グラウンドを広々と使って、野球やサッカーをしている少年達がいた。部活の練習らしく、皆真剣な表情で同じユニフォームを身につけていた。足を止めて彼らを眺め、再び家へと歩き出す。
意味がないとはいえ、道路を渡るときは左右を確認してしまう。車が来ないかを注意して道を進む。反対側から向かってきた、避ける動作の無い歩行者にも、反射的に避けてしまい、どうしようもない虚しさを実感した。
ただ公園から家に帰ってくるだけで、無駄に疲労してしまった。ようやく家に到着すると、一旦躊躇してドアを通り抜ける。通り抜けた先は、出てきたときと何も変化がなかった。
薄暗い部屋の中。いつの日からか片付けていない台所のコップも、机に散乱している参考書も、微塵も変わりがない。
誰も僕の家に来ていないようだ。母親が片付けに来ていてもおかしくはないが、まだ先なのかもしれない。心の片隅で拍子抜けした僕は、ベッドに倒れこんだ。目を瞑って、深く息を吐く。なんだか、いろいろと疲れてしまった。
鈴と会えたから良かった。気付けば透明人間で、死んだらしいけど死因すら覚えていなくて。誰に話しかけても答えてくれない。知らぬ間に消えていく記憶。独りだったら、とっくに発狂していた。
今は鈴に感謝の思いでいっぱいだ。脳裏に鈴の笑顔かぼんやりと浮かび上がる。夜、また会えるんだなと考えている間に、僕はゆっくりと夢の中に沈んでいった。
――カァ、とカラスが鳴いた。眠い目をこすって起き上がる。うっすらとした寝る前の記憶。もしかして長い夢だったんじゃないか。
疑問を持って机の時計に手を伸ばした結果、僕が透明人間になったのは夢ではなく、今でも続く現実だった。午後5時を表している時計は、僕の手を易々と飲み込んでいた。
幽霊の状態でも睡眠が取れるんだな。ぼおっとした頭で考える。寝すぎてしまった。何時頃、屋上に向かおうか。
部屋の中を見回した。薄暗い部屋が、孤独感と焦燥感を伝えてきた。ここに居たくない。早い所、屋上に行ってしまおう。鈴が居なかったとしても、待っていればいい。
家を飛び出す。なんとなく走ってみる。車通りが多く、何度か左半身を轢かれてしまった。速さに限界はあるものの、体は疲れないことを良いことに、全力で走って高校を目指す。
お陰ですぐに着いてしまった。息は乱れていないが、入り口で立ち止まった。まだ大勢の生徒が好きなことをしている。隅っこで和気あいあいと話しているグループや、サッカーボールを拾いに駆けて行った生徒もいた。
屋上に上がる。真っ先に目に入ったのは、大の字に寝っ転がっている鈴の姿だった。もういたのか、と嬉しくなった。ゆっくり、ゆっくり、慎重に近付いていく。書店で驚かされた仕返しをしてやろうという所存だ。
「…………わっ!」
「っきゃあ!?」
全身波打つように跳ね上がった鈴。それがあまりにも可笑しくて、笑いが止まらない。まさか、そんな大きく驚くとは思いもしなかった。
腹を抱えて笑う僕を、拗ねた顔で軽く押してきた。恥ずかしくて仕方ないらしく、弱い力で何度も押してくる。
「ねぇ笑いすぎ! 本当にびっくりしたんだから!」
「ごめんごめん、悪かった」
「もうっ……。それにしても、案外来るの早かったね」
「やることなくてね。確認したかったことも確認できたし」
「そうなんだ。じゃあ早速だけど、お出かけしよう!」
えっ、と声が漏れてしまった。朝帰ってきて、これからまた出掛けるとは、その元気はどこから湧いてくるのか。
有無を言わさず、鈴が僕の腕を引っ張った。楽しそうに階段を下りていく。今回は公園への道とは外れ、街中方面に行くようだ。
「何処に行くの」
「ナイショ! でも、良いところ!」
思い切りはぐらかされた。それ以上聞くことは止め、大人しく鈴の隣を歩く。しりとりをしたり、クイズをしたりと遊びながら、僕達は良いところに向かった。
*
辺りが闇に溶け込み、街の光が輝き始めた。僕達は街の端にある、高所の神社に来ていた。
街を一望できる高さがある。神社の裏から、すぐ下を見れば、遠く離れた地面が恐怖を感じさせた。しかしそれに負けないほど美しい夜の街並みが目の前には広がっていた。
「すごい……綺麗な夜景。この街でこんな景色が見られるなんて」
高層ビルのような立派な建物は無い街だが、それでも都会に劣らないであろう景色だ。白や黄色の点が黒の中に彩られ、車やバイクでさえも絵を描いているかのように見える。
「素敵でしょ。ここの景色を、あおっちに見せてあげたかったんだ」
体が反射的に動き、視線が鈴を捉えた。今何と言ったのか聞き返そうとして止めた。言葉自体ははっきり耳にできたからだ。何故ここまで過剰に反応したのか自分でも分からない。ただそこに、自慢気に微笑んでいる鈴がいる。
間違いなかった。僕はその台詞に、似た言葉を聞いたことがある。つまりここに来たことも、実は初めてじゃない。だけど誰と、いつ、どうして来たのか。分からない、思い出せなかった。
「え……。あおっち、そんなに感動した……?」
言われて気付く。左目から静かに、涙が伝っていた。不安気になってしまった鈴に対して、首を小さく横に振った。
「ちょっと、思い出せそうな気がして」
「生きていたときの記憶、を?」
「……そう。結局、何も分からないけど」
急激に襲ってくる不安と恐怖。悔しさと情けなさと、自分への怒り。いつだってどんな出来事だって、僕には大切な時間だった。僕が僕である為に、欠かせない記憶だったのに。
「大丈夫だよ。思い出そうとしたら、いつか思い出せる、絶対!」
心情を読んだかのように、明るく慰めてくれた。力強い声質と、優しい笑顔で、幾分か心が楽になった。
きっと思い出せる。忘れたままになんかしたくない。長い時間をかけても、思い出したい。勘違いかもしれない、いつかの景色が、ここからの景色にぴたりと一致した。
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