透明人間になった僕と君と彼女と

夏川 流美

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2、AM2:00の公園

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 軽い足取りで先を行く鈴。着いた場所は、買い物と言ったらココ、の大きなデパートだった。街の中心にあり、地元で知らない人はいない。服屋、スーパーは勿論、お洒落なカフェや書店、花屋から楽器屋から何でも入っている。
 さて、ここに何をしに来たのか。真っ先に服屋に向かった様子を見ると、ただのウィンドウショッピングみたいだけれど。僕はどうしようかな。

「見て、冬の新作! もこもこで可愛い……!」
「本当だ、可愛い」
「あ、ごめんね。男の人はこういうの、つまんないかな」

 見開いて輝かせた目を、あちこちの服に向けてはしゃいでいる。横から静かに同意をすると、申し訳なさそうに眉尻を下げられた。気にせずとも、買い物に付き合うことは得意だ。僕に構わず自由にするよう伝えると、改めて、服屋の中を楽しそうに歩き出した。
 逆に鈴は、つまらなくならないのだろうか。満足げに店内を物色している様子を見ると、つまらなそうな感じは一切しない。だけど、どれだけ素敵な服があっても、僕達は手に入れることができないわけで。

 約30分が過ぎて、ようやくその店を出てきた鈴。晴れやかな表情で、早く次の店を見たくて仕方ないようだった。
 次の店では、メンズの服も売っていた。鈴と同様に、店内を物色する。それでも、すぐに飽きてしまった僕とは違って、いつまでも笑顔で服をじっと見ている鈴は尊敬のレベルに値する。
 しばらくして目を向けると、大人びた雰囲気のワンピースに足を止めていた。そんな鈴の元に近付いて話しかける。

「素敵なワンピースだね」
「あおっちもそう思う? これ良いよねぇ、着たいなぁ」
「…………あおっ……ち?」

 随分とむず痒そうな顔しているが、そんなことよりも「あおっち」ってなんだ。深刻な悩みであろう、着たい、ということよりも、真っ先に突っ込みたくなってしまった。
 言った本人は微塵も気にしていない。その呼び方が定着していたかのような、恐ろしく自然な発言だった。危うく、聞き流してしまいそうな程に。

「す、鈴さん。あおっち、とは……?」
「貴方の名前、青葉だからあおっちなの! あと、鈴って呼び捨てで呼んで!」

 半ば強引に押し切られた感はあるが、不快ではない。お言葉に甘えて呼び捨てで呼ぶと共に、可愛らしいあだ名を貰ったことに感謝をしておく。センスはともかくとして、あだ名を付けてもらうと、一気に距離が縮まったような気がして、少しだけ緊張した。

 それから、更に何件か服屋を見て回ったところで、鈴が嬉しそうに駆け寄ってきた。

「お待たせ! 私、もう大満足。付き合ってくれてありがとう!」
「そっか、それは良かった」

 服を見るだけで満足する女性の心理は、いまいち理解ができないが、鈴が満足してくれているならそれで良い。
 お詫びに、僕の行きたいところに行こうと誘われたが、遠慮した。付き合いはできても、僕自身は見るだけでは満足できない。

 デパートの壁に飾られた大きな時計に目を移す。時刻はもう15時を過ぎていて、鈴に付き合っているだけであっという間に時間が過ぎていた。予想以上に経っていた時間に、驚きを隠せない。
 鈴はまだ行きたい店があるように思えたが、僕に申し訳ないのか、勧めても行こうとはしなかった。

「そんなに気を遣わなくてもいいんだよ?」
「いいの、もういっぱい付き合ってもらったし。あおっちと一緒にもいたいし!」

 そこまで言われたら、僕は僕で無理に勧められない。気遣いが心にじんわりと染みた。
 なら折角だから、書店でも見てみよう。鈴に許可を得て、鈴を先導するように向かう。本が読めないのは分かっていても、新刊が出ているか確かめたい気持ちがある。

 エスカレーターを駆け上がり、3階の書店に辿り着いた。鈴は鈴で興味のあるものがあるらしく、入り口で一旦別れとなった。結構な広さがあるから、鈴の見たいものが終わったら、僕のいるところに来るよう伝えた。
 確かめたい新刊はひとつだけ。猫が人に恋をして旅する漫画だ。本棚に2巻まであり、冬に3巻が発売されると、どこかで聞いた気がする。これが案外、毎巻毎巻泣ける話や心温まる話が詰まっていて、中毒になるんだよ。

 漫画コーナーをぐるりと回る。新刊コーナーには飾られてなく、売っていないのかと項垂れた視線の先に、見覚えのある背表紙があった。新刊は、随分ひっそりと売られていた。
 手に取ってせめて表紙だけでも確認したい。無論、欲を言うなら中身だって全部読みたい。しかし何をしようと今の僕には不可能なことだ、諦める他なかった。

 突然、「わっ」と肩を叩かれる。

「ぉわっ! なんだよ……鈴か……」
「びっくりしたぁー?」

 くすくす、と楽しそうな笑顔で覗き込まれる。止まった筈の心臓がばくばくと言って、口から安堵の溜息が出た。

「欲しい本は見つかった?」
「一応あったよ。それより、鈴は何かあったの?」

 首を横に振った鈴。特に掘り出し物は無かったようだが、残念がってもなく、絶えず楽しそうな笑顔だった。
 ふと気になり時間を確認すると、外はもう暗い時間だった。夜になったら鈴はどうするのかと、問いかけてみる。

「夜は私、いつも屋上にいるよ。あ、でもたまに公園とか行ったりするかな!」
「夜に公園に行くの?」
「うん。最近は行ってないけどね」

 夜もデパートを歩き回る訳ではないらしい。それだったら、そろそろ戻ってもいい時間だろう。僕は自宅に帰る選択肢もあるが、屋上でゆっくり夜空を見上げるのも浪漫があって素敵だ。もうずっと、そんなことをしたことはない。
 デパートが終わるのは、数時間後。見ようと思えば他の店もまだ見ることは可能だが、幽霊になって動くことに、精神的に少しだけ疲労してしまった。

 行きとは違い、帰りは並んで一緒に帰る。会話は殆ど鈴が主導で、相槌を打つだけ。内容は全て、鈴の好き嫌いだとか、趣味だとかの話だった。
 全身を使って感情を表す鈴の話を聞いていると、あっという間に屋上に戻ってきた。黒の絵の具をべったりと塗りつけた空には、白い星がよく輝いている。

 二人座って静かに夜空を眺める。お互いに言葉を放とうとしないうちに、頭の中でゆらゆらと思考の波が揺れた。
 僕は鈴のように、何年も、何十年もこのまま幽霊で。鈴のように、記憶の全てを置き去りにして。鈴のように、いつかは独りぼっちで空を見上げるのだろうか。
 物凄く失礼で、物凄く最低なことだけど僕は、正直、鈴のようになりたくないと考えてしまった。

 綺麗だね、と急に鈴が言う。反応しきれず、言葉を返すことのできなかった僕に、鈴が繰り返し言った。

「綺麗だよ。誰かと見る夜空は、素直にそう思える」

 昼間とは打って変わって、闇の中に溶け込んでしまいそうな声だった。たったその一言が、鈴のこれまでの心の内を示していた。鈴のようになりたくないなんて、クズなことを考えていた自分を罪悪感が襲う。鈴の顔は、見られなかった。

 何の返答もしなかった僕に悪態を吐くこともせず、鈴はじっと動かなかった。僕も同じように、真っ直ぐに夜空を見つめ続ける。ゆっくりと、星が動いていった。

「ちょっと時計見てくるね!」

 どのくらいの時が過ぎたのか分からない。鈴は僕の返事を待たずに、屋上から出て行った。こんなに長い時間、空を眺めていたことなんて今までで一度も無いかもしれない。消えた記憶の中に、ある可能性は否定できないが。
 鈴は、数分もしてないであろう早さで帰ってきた。そして夜にしては元気すぎる声量で提案をした。

「ねぇあおっち、今から公園行こうよ!」
「公園? こんな夜中になんでわざわざ……」
「いいからいいから! あおっちと遊びたいの!」

 ぐいぐい押されてそれ以上は聞くことができず、仕方なく腰を上げた。一晩中ここで過ごすのも勿体無いから、なんて自分を納得させて鈴の後ろを追い掛けていく。
 随分と心が踊っている様子だ。スキップするような足取りで、僕の一歩先を歩く。近場の公園といえば、川沿いにある小さな公園だ。他にもいくつかあるが、方角的にその公園に向かっているらしかった。
 時々聞こえる鈴の鼻歌を聞きながら、数十分ほど。公園に到着すると、鈴は真っ先にブランコに向かった。

「あおっちも一緒にブランコ乗ろう!」

 ブランコに腰かけ、満面の笑みで僕を呼ぶ。幽霊がブランコなんかに乗るのかと突っ込みそうになった。渋々と隣に座る。
 すると鈴がいきなり、勢いよく漕ぎ始めた。大きく前後に揺れ出すブランコ。鎖の音がガチャガチャと響く。
 幽霊になってから物に触れられたことはないのに、それは嘘だったかと言いたくなるほど容赦なく動いている。甲高い嬉しそうな悲鳴を上げながら、鈴は御構い無しに遊んでいた。
 恐る恐る、自分もブランコを漕いでみる。ブランコに乗った記憶なんてないせいで、一瞬漕ぎ始めをどうしたら良いか分からなかった。

「すごい……ブランコは特別な存在なのか……?」
「えーなにー! あおっち、どういうことー?」
「物に触れられなくてもブランコは動くんだなっていう意味だよ」
「あはは、面白い考え方するねー!」

 恐々と、狭い範囲で漕ぐ僕。鈴は思い切り漕いでいるにも関わらず、僕の声をよく聞き取っていた。

「ブランコだけじゃないよ、今の時間だけは特別なの!」
「今だけ特別?」
「そうそう! 午前2時から4時の間は、私達も物に触れられるみたいなんだー!」

 些細な衝撃と共に、成る程、と変に納得した。この時間は霊が活発な時間なんだろう。ブランコから降りて、誰かが忘れたサッカーボールを蹴ると、確かにボールは飛んでいった。
 こういうことならつまり、何でもし放題、ってわけだよな。そんな悪魔の囁きが聞こえたような気がして、軽く頭を振った。
 好き勝手したらしたで、きっと何かしら不利になる。一般的に許される心霊現象が限界だろうな。一人遊びと、ついでに他人を多少怯えさせるくらいか。

「あおっち、いっくよー!」

 気付けば蹴ったボールの側にいた鈴が、声を張り上げてきた。片手を上げて応じると、案外強くボールを飛ばしてきた。足元で受け止めると、同じようにして鈴に返す。

「楽しいねー!」

 屈託のない笑顔。嘘のない心の底からの感情と声。僕とはまるで違い、無邪気によく遊ぶ。こうしていると、お互いに幽霊だなんてことを、うっかり忘れてしまいそうだった。
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