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前編
7 違和感の下(後)
しおりを挟む「思い出した!」
真太郎の突然の声に、二人は驚いてしまった。
「どうしたんだ? 真太郎」
真太郎は父の方へ顔を向けた。店を出ようとしていた和夫も何事かと思い振り返る。
「さっきのお客さんが持ってたカバンのこと。確か、父ちゃんも持ってたよね? 濃いグリーン色のナイロン生地みたいなやつ」
真太郎の言うそのカバンは、押入れの奥底に眠っていた。ナイロンの生地はシワシワになっていて、埃もかぶっているし少しベタベタもする。
「これこれ」
ボストンバッグではなく、ショルダータイプのものであったが、色合いやロゴは同じで、真太郎は「よくぞ思い出した」と自分の脳をほめてやった。
「懐かしいものが出てきたな」
久しぶりの再会に真司も喜々とした表情を浮かべている。けれど、和夫一人だけが渋い顔をしていることに気がついた。
「どうしたの? かずちゃん」
「なあ真太郎……お前が言ってた変なお客さんって、このカバンと一緒のボストンバッグを持ってたの?」
「うん。そうだけど……」
真太郎が「かっこつけ」と毒を吐いた奴のカバンだ。
「俺もその人と会ったよ。昨日」
和夫は、昨日の雄一とのやり取りを簡単に説明した。
そして、今度は真太郎が渋い顔をするようになり、彼は昨日の夜に出雲の駄菓子屋へ訪れた、柏木紳士のことを思い出した。
娘を探している紳士。ピンク色の小さな巾着を持っている少女。中には「目」が入っていると柏木紳士は言っていたけれど、真太郎は冗談には聞こえなかったこと。
そして、たまたまその少女を探している別の男との出会い。グリーンのボストンバッグを持ったその男が、どうして少女を探しているのか、と、考えてみた。
やっぱりピンク色の巾着袋の中には、何か秘め事があるのかしら。
「なんだか、今年の供養式は穏便に行かない気がする」
和夫の言葉に、真太郎は妙な胸騒ぎを覚えたけれど、そんな懸念はすぐに胸の奥へと無理やり仕舞い込んでしまった。
「考えたって仕方がない。別に俺たちに何の関係もないんだから」
今のところはね――。
別に少女を見つけられなかったと言って、自分たちたちに非があるわけではない。こういう切り替えは真太郎の得意技だった。自分に関係のないことは切り捨ててしまう。
「そうだけど……なんか気味が悪いんだよなぁ。ただでさえ、ここは変に空気が重たいんだからさ」
「じゃあ今夜の無事を祈ってて」
「はいよ」
和夫は渋々といった表情で、今度こそ配達の続きに行くべく店を出ようとした。
「もし、また見つけたら声かけてみるよ。どっちに歩いていったの?」
真太郎は雄一が歩いて行った方向に、無言で指を差した。
「じゃあまた今夜な。言葉通り無事を祈っとくよ」
「ほい。助かる」
バイクにまたがり、「じゃあな」と片手を上げて挨拶をすると、和夫は駄菓子屋の前を通り過ぎていった。
エンジン音が徐々に遠くなっていく。
父親である真司は、すでに二階の住まいに戻っていた。「飯だぞ」との呼びかけに、「はーい」と小さな返事をする。
真太郎は「昼食中」の張り紙を扉に貼ると、階段を登っていく。
誰もいなくなった出雲の駄菓子屋は閑散としていて、日の光が入っては白く幻想的に輝いている。
そして、さっき和夫が整えたはずのブリキのおもちゃが、微かではあるけれど、いつの間にかまたズレていることに、真太郎は気が付かなかった。
◯
美琴は昨日、雄一とぶつかった路地裏に来ていた。
昨日、アスファルトの固い地面でそのまま寝ていたため、片一方の腰や肩が痛む。油を差していない機械のように、動かす度にギシギシと音が鳴っている感覚だ。
頬は泥だらけになり、掻きむしった膝小僧にはかさぶたが出来ていた。せっかくの白いワンピースにも、赤いシミが出来ていた。
昨日は一日中熱海の町を歩き回ったためか、足の爪は割れて血がにじんでいて、美琴は痛みに歯を食いしばって耐えながら歩き続けた。
腹も空き、夏の暑い日光に容赦なく打たれ、小さなその体は満身創痍であった。
美琴はその路地裏の隅から隅まで探してみた。ピンク色の小さな巾着袋を。
だが、何度その路地裏を往復しても、文字通り血眼のごとく両目が充血するまで探してみても、どこにも見つからない。
当たり前の事。今、美琴の探している命よりも大切なそれは、たまたま熱海に旅行でやってきた雄一が持っているのだから。
そんなことはつゆ知らず、美琴は限界を超えた肉体を酷使し続ける。雑草を分けた手には細かな傷ができ、乾いた土の地面には、彼女の頬を伝って落ちた汗がシミになっていく。
そこに、休憩中の一人の従業員が、煙草をくわえて勝手口から出てきた。まさに火をつけようとしたその時、彼は泥だらけになりながらも、何かを懸命に探している少女を発見する。
「どうしたんだい? あらら……手が切れているじゃないか」
彼は、心の底からの良心で美琴を心配してやった。よく見ると服も汚れている。大きな瞳は真っ赤に充血していて、ワンピースから伸びた腕や足にも、血の赤色が所々に目立っいた。
だが、親切に呼びかけたつもりが、少女に睨みつけられて、さっさと路地裏から去っていってしまった。
片足が痛むのか、ぎこちない歩き方になっている。
従業員の男は、ただ彼女の後姿を呆然と見つめていた。頬は痩せこけていて、綺麗な形をした瞳には光が宿っていない。クマも出来ていた。
彼はそんな少女に睨み付けられた時、こう思った。
(何かに憑りつかれているみたいだ)
蝉の鳴き声が降り注ぐ、熱海の暑い真昼の出来事であった。
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