出雲の駄菓子屋日誌

にぎた

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前編

9 乱入する者たち(後)

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 真太郎がまず手にしたのは、昨夜、大西から預かった掛け軸であった。

 いくら捨てても自分で取り戻してしまうという掛け軸。
 轟轟とうめき声をあげる炎を見て、「これでお終いだよ」と心の中で手を合わせた。

 その時であった。突然、人混みの中から大きな悲鳴が聞こえてきた。

 もう少しで放り込もうとしていた手を止め、真太郎は悲鳴の聞こえた方を見た。
 隣でお経を読んでいる小太り僧侶も、口は動かしたまま、何事かと、同じ方に目を向ける。

 悲鳴や怒声が相次いで聞こえてくる。
 誰かが人混みを押し分けているのだ。
 それは、徐々に真太郎のいる場所へと近づいてきている。

 そして、観客たちを押しのけ、ついに真太郎の前に現れたのは、なんと、掛け軸の持ち主であった大西隆俊であった。

「返せ」

 真太郎は驚きのあまり硬直してしまった。大西の目は焦点が合っておらず、開いた口からは涎が出ているではないか。

――今年の供養式は穏便に行かない気がする。
 和夫の声が真太郎の頭に響き渡る。

 別人となった大西を目の前にして、真太郎は何も返事をすることが出来なかった。

 会場は氷漬けのように静まり返った。

 目の前の光景にただ釘付けになって、皆思考が追いついていない。櫓に立つ小太り僧侶も、ついにはお経を止めてしまって、一触即発の空気に緊張している様子だ。

 先に痺れを切らしたのは大西の方であった。

「返せって言ってるだろ!」

 叫びながらつかみかかろうとする大西。真太郎は寸でのところで回避すると、大西は勢い余ってドラム缶へ倒れかかってしまった。
 思わぬ衝撃に、勢いよく倒れてしまったドラム缶は、激しい炎を携えたまま、人混みに向かって転がり始めたではないか。

 熱海は坂が多い。会場はまさにパニックだ。

 さっきより大きな悲鳴があちこちで響き渡る。ドラム缶から逃げる人々で、会場はごった返しになってしまった。



 その騒ぎの中でも、美琴は、その男から目を離さなかった。

(もう少し、あともう少し後ろに下がってくれ)

 その祈りが届いたのだろうか。ボストンバックを持った男は、後ろ足で美琴に近づいていく。
 そしてついに、雄一のボストンバッグに美琴の手が届いた。

「やった……」

 雄一のカバンを勢いよく奪い取ると、人混みの中に飛び込んで行った。
 お経ももう聞こえない。探し物もついに手に入った!

「ま、待ってくれ!」

 後ろから声がしたけれど、気にしない。
 追いかけてくるけれど、気にしない。
 やっと取り戻せたのだ! 



 グリーンのボストンバッグを抱えた少女。
 柏木紳士は逃げ惑う群衆の中で、確かにそれを見た。

「美琴!」

 やっと見つけた愛娘。彼は人混みの流れに逆らいながらも、なんとかして美琴の方へ突き進んでいった。



 真太郎は、大西の二発目、三発目の攻撃を精一杯に避けていた。

「返せ。かえせ。カエセ!」

 大西はその言葉を繰り返すだけで、ただ闇雲に真太郎に掴みかかろうとしている。彼の意志はない。見えない糸の付いた操り人形だ。

「真太郎!」

 父の必死な叫び声が聞こえた気がした。

(父さん? どこ? かずちゃんも)

 真太郎、大西、美琴、柏木紳士、そして、雄一。
 それぞれの「運命」が交錯し、熱海の町は渦を巻いていた。 

 雄一と柏木は美琴を追いかけ、大西は掛け軸を取り戻すために真太郎と対峙する。
 左右の区別がない混乱した会場で、二人と三人は近づきつつあった。

 再び、一陣の強い風が吹く。

 真太郎が大西の掴みかかる腕を避けると、ちょうどのタイミングでボストンバッグを抱えた美琴にぶつかってしまい、二人はその場に倒れてしまった。
 この隙を逃すまいと、大西と柏木、そして雄一の三人は倒れた二人に飛び掛かる。

 五つの絡み合った運命の糸は、やがて一か所へと収束していく。

 目と目が合う真太郎と美琴――その瞬間、凄まじい轟音と共に、五人は眩い光に包まれていった。



(「中編」へ続く――)

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