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中編
12 生首(前)
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バタバタバタ……。
三人は今、店内で息を潜めている。雄一は店の奥にある陳列棚の影に、柏木と真太郎はカウンターの下にノートを持ったまま潜り込んでいた。息を潜め、気配を消す。緊張感――体を動かさないでいるほうが、体力は消耗してしまう。
今、店先には例の老婆が居る。仁王立ちで店内を睨みつけているのだ。
少し前。
真太郎が出雲の駄菓子屋日誌を読み、自分たちを襲った不可解な怪現象の原因究明と、このノートが現実世界とリンクしていることについて熱弁を振るっているときに遡る。
「ここに破片が一つ落ちてたよ」
真太郎から駄菓子を一つ貰った雄一が、口をもぐもぐさせながら、陳列棚の下に落ちていた破片を拾いあげた。
「見逃したのかな……」
真太郎は相変わらずカウンターに深く腰を掛け、二つ目の駄菓子に手を伸ばした。
「このノートだけでなく、このお店も……他にもあるかもですが、現実世界とリンクしてるのかも知れませんね」
ぼりぼりと音を立てながら、真太郎は考察を続ける。そんなのんきな二人に対して、柏木は店の中央に立ったまま、骨董品が並ぶ陳列棚を見つめていた。供養式を見ていた時と同じ。本来ならこの棚には、家族を悩まし、美琴を惑わした巾着袋が置かれているはずなのだと、柏木紳士は眉間にしわを寄せる。
どこで間違った。
知らない間にボタンを掛け違えた。それは決して彼自身の責任ではない。もし、雄一が最初から美琴を追いかけて落とし物を預けていれば? 供養式を混乱させた大西が同じタイミングで熱海に来なければ。そもそもまだ何の改善の確証も無いはずなのに、どうして熱海に……出雲の駄菓子屋を頼ろうと思ってしまったのか。
今、こうして得体の知れない状況で身をもがき泳ぎ続けるよりも、もっとマシな未来があったのではないだろうか。柏木は自分の感知できない場所で運命が動き、動かされていることにも気が付いていないのだ。
ひとりぼっちじゃ運命なんて変えられない。
柏木は雄一の言葉を思い出した。おそらく同世代のこの男の顔は、自分と違いこの世界を楽しんでいるようにさえ思える。
よく言うと、愛想の良い顔。しかしそんな顔は万人には認められない。どこか気取っているような雰囲気の雄一を、柏木は「カッコつけ」と評価した。
真太郎と雄一はまだこの世界のことにつて、非現実的な、笑い話にでもなり得る話をバカ真面目に繰り広げている。
「ちょっといいかな?」柏木の声に真太郎と雄一は口を止める。
「どうして君はそんなにも落ち着いていられるの?」
それは真太郎に向けたセリフだった。自分の歳の半分もない青年が、どうしてここまでの怪現象に対してこうも落ち着いて、さも当たり前の日常のように振る舞うことができるのか。日々からいわくつきの物に触れているから? 日誌の謎を見つけても、驚きの顔一つもしなかった青年に、柏木は様々な憶測を立てた。
この青年がフィクサーなのでは?
果たして、青年はどう対応するのか。しかし、彼はひとつも動揺しないで、三つ目の駄菓子の袋を開けた。
「知らないよりも、知らなかったのほうが怖い……。昔読んだ絵本に書いてあったんです」
その本も、初期の方に依頼者から預かったいわくつきの絵本なのだと、眠たそうに呟いた。
「慣れ親しんだはずの町なのに、初めてきた町のような気がするときがある」
――見たこともないその表情は、まるで鬼の顔でして。
「ふとした瞬間……例えば、夕映えの公園だとか。いつもは賑わっている通学路を一人で歩いているときとか」
寂しい気持ちというよりも、裏切られた気持ちになるのだと真太郎は言った。
「故郷という言葉の魔力に騙されて、きっと良い場所なのだと信じ切っている。体も心も委ね過ぎてしまっているからこそ、いざ知らない景色を見た時に裏切られたと思ってしまう」
青年の鋭い目に光が反射している。どこの光だろうか? もしかしたら彼の内側からくる生命力の光かもしれない。
柏木はその青年の瞳から、彼の心に潜む「何か」を静かに感じた。
「特にこの町は観光地です。人の出入りが激しい。俺がいつも歩く道には、いつも違う人たちが歩いていました」
鬱陶しく思っていた時もありました。
「よそ者のくせに。とか、ここは俺の町なんだぞ、てな具合で……独占欲とでも言うんですかね。難しくて分かりませんけど」
――尖った角で、心をチクチクつつくのです。
「知らないことの方が多いはずなのに、勝手にすべてを知った気になって自分の物にしてしまう。他人に土足で上がられるのを極端に嫌がっては、自分の中の常識を植え込んでいくんです。常識なんて人の数ほどあるはずなのに」
知らなかったの方が、怖い。
「だから俺は何も知らない。答え合わせが怖いから」
青年の言葉を、雄一も呑気に微笑みながら聞いていた。
「まるでソクラテスたね」
「そこまでひねくれてませんよ」
そっちの方が順応もしやすいんです、と青年は最後にそう付け加えた。
なるほど。
しかし、青年の話を聞いても、柏木の内側には得体の知れない疑心がまだ残っている。お化けや幽霊は気が楽だ。何かしらの恨みや後悔を残しているだけ。でも生きている人間――駄菓子屋の青年やカッコつけのこの男もそうだけれど――は複雑だ。
「確かに君の言う通りかもしれないね」
柏木は皮肉るように笑って見せた。青年の話は要するに「何も信用するな。そうすれば変化に対応できる」だ。なら私もそうしよう。君たちのことは信用しないよ。
「となると、私たちは邪魔者だ」
柏木は近くにあった駄菓子を少しだけ、ほんの少しだけ乱暴に取り上げると、口の中に放り投げた。
「そうなりますね」
柏木の目は明らかに好戦的であった。歳のわりに艶のある綺麗な黒髪には、白髪の一つもない。少しだけ額が広いけれど、実年齢よりもずっと若く見える端正な顔立ちは、中年男の憧れの顔なのかもしれない。
真太郎も柏木の熱視線を受け取ると、眠たそうな目をさらに細めて、面倒臭そうにため息をひとつして見せた。
「ま、まあお二人さん。ここは力を合わせて……」
さすがの雄一も、ひんやりとした空気を読んでなだめにかかる。
どうか穏便に――その一言は喉の奥でこだましただけで口から外には出なかった。窓の外から微かに聞こえる音が、彼の口を閉めてしまったのだ。
バタバタバタ……。
「あの音……」
真太郎もすぐに気が付いた。2人が顔を合わせる。残された柏木は、何事かと様子を窺った。抜きかけた刀を鞘に戻したのだ。
「あいつは?」
異変に気が付いたのは真太郎だった。生首がいない。
「まさか……」真太郎がそうこぼした時には、すでに遅かった。
誘導だ。生首が何も言わずに三人についてきたのは、きっと三人の居場所を知らせるためだ。
「バカなことをした」真太郎がぽろりと一言こぼすと、店の外から生首が満面の笑みを浮かべてこちらを覗いているではないか。
バタバタバタ、と窓や戸が閉まる音が近づいてきている。柏木は向かい家の窓が、ひとりでに閉まるところを見たのだ。
「か、隠れて!」
青年の言葉にいち早く反応したのは雄一だ。同じ目に遭うものかと、我先に彼は骨董品が並ぶ商品棚の下に潜って身を隠す。柏木も、真太郎に腕を引っ張られ、彼と一緒にカウンターの下に身を隠した。二人で身を寄せ合い、お互いの鼻息が聞こえる。
音を立てるな。呼吸の音。心臓の音さへも。
窓が閉まる音はもう聞こえない。なぜなら老婆はすでに生首の誘導もあって、出雲の駄菓子屋の前に到着したのだから。
三人は今、店内で息を潜めている。雄一は店の奥にある陳列棚の影に、柏木と真太郎はカウンターの下にノートを持ったまま潜り込んでいた。息を潜め、気配を消す。緊張感――体を動かさないでいるほうが、体力は消耗してしまう。
今、店先には例の老婆が居る。仁王立ちで店内を睨みつけているのだ。
少し前。
真太郎が出雲の駄菓子屋日誌を読み、自分たちを襲った不可解な怪現象の原因究明と、このノートが現実世界とリンクしていることについて熱弁を振るっているときに遡る。
「ここに破片が一つ落ちてたよ」
真太郎から駄菓子を一つ貰った雄一が、口をもぐもぐさせながら、陳列棚の下に落ちていた破片を拾いあげた。
「見逃したのかな……」
真太郎は相変わらずカウンターに深く腰を掛け、二つ目の駄菓子に手を伸ばした。
「このノートだけでなく、このお店も……他にもあるかもですが、現実世界とリンクしてるのかも知れませんね」
ぼりぼりと音を立てながら、真太郎は考察を続ける。そんなのんきな二人に対して、柏木は店の中央に立ったまま、骨董品が並ぶ陳列棚を見つめていた。供養式を見ていた時と同じ。本来ならこの棚には、家族を悩まし、美琴を惑わした巾着袋が置かれているはずなのだと、柏木紳士は眉間にしわを寄せる。
どこで間違った。
知らない間にボタンを掛け違えた。それは決して彼自身の責任ではない。もし、雄一が最初から美琴を追いかけて落とし物を預けていれば? 供養式を混乱させた大西が同じタイミングで熱海に来なければ。そもそもまだ何の改善の確証も無いはずなのに、どうして熱海に……出雲の駄菓子屋を頼ろうと思ってしまったのか。
今、こうして得体の知れない状況で身をもがき泳ぎ続けるよりも、もっとマシな未来があったのではないだろうか。柏木は自分の感知できない場所で運命が動き、動かされていることにも気が付いていないのだ。
ひとりぼっちじゃ運命なんて変えられない。
柏木は雄一の言葉を思い出した。おそらく同世代のこの男の顔は、自分と違いこの世界を楽しんでいるようにさえ思える。
よく言うと、愛想の良い顔。しかしそんな顔は万人には認められない。どこか気取っているような雰囲気の雄一を、柏木は「カッコつけ」と評価した。
真太郎と雄一はまだこの世界のことにつて、非現実的な、笑い話にでもなり得る話をバカ真面目に繰り広げている。
「ちょっといいかな?」柏木の声に真太郎と雄一は口を止める。
「どうして君はそんなにも落ち着いていられるの?」
それは真太郎に向けたセリフだった。自分の歳の半分もない青年が、どうしてここまでの怪現象に対してこうも落ち着いて、さも当たり前の日常のように振る舞うことができるのか。日々からいわくつきの物に触れているから? 日誌の謎を見つけても、驚きの顔一つもしなかった青年に、柏木は様々な憶測を立てた。
この青年がフィクサーなのでは?
果たして、青年はどう対応するのか。しかし、彼はひとつも動揺しないで、三つ目の駄菓子の袋を開けた。
「知らないよりも、知らなかったのほうが怖い……。昔読んだ絵本に書いてあったんです」
その本も、初期の方に依頼者から預かったいわくつきの絵本なのだと、眠たそうに呟いた。
「慣れ親しんだはずの町なのに、初めてきた町のような気がするときがある」
――見たこともないその表情は、まるで鬼の顔でして。
「ふとした瞬間……例えば、夕映えの公園だとか。いつもは賑わっている通学路を一人で歩いているときとか」
寂しい気持ちというよりも、裏切られた気持ちになるのだと真太郎は言った。
「故郷という言葉の魔力に騙されて、きっと良い場所なのだと信じ切っている。体も心も委ね過ぎてしまっているからこそ、いざ知らない景色を見た時に裏切られたと思ってしまう」
青年の鋭い目に光が反射している。どこの光だろうか? もしかしたら彼の内側からくる生命力の光かもしれない。
柏木はその青年の瞳から、彼の心に潜む「何か」を静かに感じた。
「特にこの町は観光地です。人の出入りが激しい。俺がいつも歩く道には、いつも違う人たちが歩いていました」
鬱陶しく思っていた時もありました。
「よそ者のくせに。とか、ここは俺の町なんだぞ、てな具合で……独占欲とでも言うんですかね。難しくて分かりませんけど」
――尖った角で、心をチクチクつつくのです。
「知らないことの方が多いはずなのに、勝手にすべてを知った気になって自分の物にしてしまう。他人に土足で上がられるのを極端に嫌がっては、自分の中の常識を植え込んでいくんです。常識なんて人の数ほどあるはずなのに」
知らなかったの方が、怖い。
「だから俺は何も知らない。答え合わせが怖いから」
青年の言葉を、雄一も呑気に微笑みながら聞いていた。
「まるでソクラテスたね」
「そこまでひねくれてませんよ」
そっちの方が順応もしやすいんです、と青年は最後にそう付け加えた。
なるほど。
しかし、青年の話を聞いても、柏木の内側には得体の知れない疑心がまだ残っている。お化けや幽霊は気が楽だ。何かしらの恨みや後悔を残しているだけ。でも生きている人間――駄菓子屋の青年やカッコつけのこの男もそうだけれど――は複雑だ。
「確かに君の言う通りかもしれないね」
柏木は皮肉るように笑って見せた。青年の話は要するに「何も信用するな。そうすれば変化に対応できる」だ。なら私もそうしよう。君たちのことは信用しないよ。
「となると、私たちは邪魔者だ」
柏木は近くにあった駄菓子を少しだけ、ほんの少しだけ乱暴に取り上げると、口の中に放り投げた。
「そうなりますね」
柏木の目は明らかに好戦的であった。歳のわりに艶のある綺麗な黒髪には、白髪の一つもない。少しだけ額が広いけれど、実年齢よりもずっと若く見える端正な顔立ちは、中年男の憧れの顔なのかもしれない。
真太郎も柏木の熱視線を受け取ると、眠たそうな目をさらに細めて、面倒臭そうにため息をひとつして見せた。
「ま、まあお二人さん。ここは力を合わせて……」
さすがの雄一も、ひんやりとした空気を読んでなだめにかかる。
どうか穏便に――その一言は喉の奥でこだましただけで口から外には出なかった。窓の外から微かに聞こえる音が、彼の口を閉めてしまったのだ。
バタバタバタ……。
「あの音……」
真太郎もすぐに気が付いた。2人が顔を合わせる。残された柏木は、何事かと様子を窺った。抜きかけた刀を鞘に戻したのだ。
「あいつは?」
異変に気が付いたのは真太郎だった。生首がいない。
「まさか……」真太郎がそうこぼした時には、すでに遅かった。
誘導だ。生首が何も言わずに三人についてきたのは、きっと三人の居場所を知らせるためだ。
「バカなことをした」真太郎がぽろりと一言こぼすと、店の外から生首が満面の笑みを浮かべてこちらを覗いているではないか。
バタバタバタ、と窓や戸が閉まる音が近づいてきている。柏木は向かい家の窓が、ひとりでに閉まるところを見たのだ。
「か、隠れて!」
青年の言葉にいち早く反応したのは雄一だ。同じ目に遭うものかと、我先に彼は骨董品が並ぶ商品棚の下に潜って身を隠す。柏木も、真太郎に腕を引っ張られ、彼と一緒にカウンターの下に身を隠した。二人で身を寄せ合い、お互いの鼻息が聞こえる。
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