出雲の駄菓子屋日誌

にぎた

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後編

6 夢現

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 愛子が警察に連れていかれた。

 電報を受け取った大作は、その日、県外へと私用で外出していたのだ。
 すぐに車を捕まえ、駅へ向かわせた。今からだと、どれだけ早くても熱海に着くのは夜中になる。
 汽車に乗っても、大作の心は落ち着かない。彼は東京に居た。愛子との婚約指輪を受け取るために。

 熱海に着くころには、すっかり日が暮れていて、秋の涼しい風が大作を通り過ぎていった。
 駅を出るなり、再び車を捕まえる。いつもは居心地の良い熱海の夜は、今夜ばかりは凍てつく冬よりも強烈に恐ろしいものであった。

 いつしか感じた水平線の魔物。あいつがついに上陸したような気持ちであった。

 署に着くと、そこには坂田が待っていた。悲しい表情で大作を発見すると、坂田は、彼の肩を叩いてやった。

「気をしっかり」

 声は大作の片耳から入って、すぐに反対側から抜けていく。

 愛子が自害した――濡れ衣を着せられ、ストレスで完全に視力を失ったのだ。

 冷たく、寂しい留置所。熱海の喧しい窓辺の家とは違い、どんな音も聞こえない狭いところにいたのだ。大作は、しばらく無人になった留置所の前にいた。そこに坂田がやってきた。

「これを……」

 坂田がくれた三通目の手紙は、愛子からのものだった。
 遺書。目の見えない愛子が書いた手紙の文字は乱れ、そして震えていた。

「大作さんへ――申し訳ございません。私は光を失ってしましました。

 大作さんが志にしておられた美しい熱海。それを共に見たい。大作さんのそのお言葉に、私は真に嬉しく、なんとか私に残された微かな光に縋っておりました。

 そしてその夢を壊してしまいました。きっと罰なのでしょう。光に頼り、神様の創られた運命を曲げて怒りをかったのでしょう。

 私は後悔しておりません。短い間でしたが、大作さんと共に過ごせた時間は、私の財産です。冥土の土産には充分すぎるものでございます。

 来世では必ず、熱海の美しい町を見ることを約束いたします。人の道から反れることを、どうかお許しくださいませ――愛子」

 大作が帰宅することには、東の地平線から日が昇り始めていた。薄暗い夜の闇が照らされ、海岸沿いには海から帰ってきた漁師たちが、まだ眠っている町の中で、ひときわ大きな声を上げていた。
 鳥や虫たちも眠っている。大作の心も深く眠り、目を閉ざしたままであった。

 大作は声をかけるお栄たちを無視して寝室に入った。

 彼が調達した荷物とは、愛子との婚約指輪の調達であったのだ。

 愛子の居ない世界。彼の中は混沌だ。若葉生い茂る森の赤い滝。青く高い空に紫の雲。双頭の黄色い蜥蜴に、二つ足の毒蜘蛛。

 大作の心に住まう常識は、無残に食い破られ、そして闇に落ちていく。
 夢現ゆめうつつ。ああ、これが夢であったならば。
 大作は婚約指輪を取り出して、自分の指にはめてみせた。



 夕方。籠り切りだった大作を呼ぶため、お栄が仕事の隙間を見つけて、寝室のドアを叩いた。

「旦那様。お夕食が出来ております」
「……」
「こちらで召し上がられますか?」
「……」
「旦那様……勝手ながら、開けますよ?」

 扉を開けて見たもの。お栄は「ぎゃっ!」と叫ぶ。部屋の中には、父の浴衣の帯で首を吊った、大作の亡骸がぶら下がっていたのだ。



 
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