仏の顔も六百六十六回まで ~聖女の許しが尽きた日、義母と婚約者と神殿の“借り物の幸運”が消えたので、法廷で断罪します~

他力本願寺

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第9話「大法廷開廷――聖女を食い潰した者たち」



 ——審判の刻、六日目。

 宮廷法院の最深部に位置する「大法廷」。
 そこは、王族や大貴族の反逆罪、あるいは国家を揺るがす重大犯罪のみを裁くために作られた、荘厳にして冷酷な空間である。
 高い天窓から差し込む朝の光が、大理石の床と、法廷を取り囲むように設けられた巨大な傍聴席を照らし出していた。

 今日の傍聴席は、異様な熱気とざわめきに包まれていた。
 無理もない。かつて「聖女」と持て囃された少女が、自分の家族と婚約者、そしてあろうことかロゼッタ神殿のトップを法廷に引きずり出したのだ。
 王都中の貴族たちが、この前代未聞の醜聞を一目見ようと押し寄せていた。

「……あそこに並んでいるのが、被告人たちね」

 ルナリアは、カイルの後ろに付き従うようにして法廷に入り、原告席に立った。
 視線の先、一段低い場所に設けられた被告人席には、見慣れた、しかしまったく様変わりした者たちが一列に座らされている。

 父、ハインリヒ・フォン・アストレア侯爵は、かつての威厳など見る影もなく、蒼白な顔で細かく震えながら俯いていた。
 その隣には、分厚い黒の喪服とヴェールで全身を隠した義母ベアトリーチェ。
 彼女はヴェールの下から覗く、干からびた老婆のような自分の手を、狂ったように擦り合わせている。

 さらにその隣。
 首から右腕を吊り、苛立ちを隠せない様子で舌打ちをしているのは、婚約者レオンハルト・フォン・グリュンヴァルト。
 そして、怯えた小鳥のように肩をすくめる義妹エルザ。

 最後に、彼らとは少し距離を置くように座っているのが、ロゼッタ神殿の最高権力者、神官長ディルクだった。
 ディルクだけは、この絶望的な状況下にあっても、まるで散歩の途中で一休みしているかのような、穏やかで柔和な笑みを顔に貼り付けている。

 (余裕を装っているのね。でも、その仮面も今日で剥がれ落ちるわ)
 ルナリアは薄紫の瞳を細め、静かに彼らを睨み据えた。

「――ヴィクトル首席判事、入廷!」

 廷吏の鋭い声が響き、法廷内のざわめきが水を打ったように消え去った。
 法廷の最上段、黒檀の巨大な裁判官席に姿を現したのは、白髪をオールバックに撫で付けた初老の男。
 宮廷法院の生ける伝説、ヴィクトル首席判事である。
 感情に流されず、ただ証拠と法のみで対象を裁断するその冷徹な眼差しは、被告人たちを文字通り「罪人」として見下ろしていた。

 カンッ、と木槌の音が一度だけ、空気を切り裂くように鳴り響いた。

「これより、原告ルナリア・フォン・アストレアによる、被告人ハインリヒら五名に対する裁判を開廷する。……法務調査官、冒頭陳述を」
「はっ」

 カイル・ヴェルナーが、凛とした動作で立ち上がった。
 彼の濃紺の髪と鋼色の瞳は、いつにも増して鋭い知性を放っている。
 傍聴席の貴族たちが固唾を呑んで見守る中、カイルは被告人たちを一瞥し、よく通る声で宣言した。

「本件は、単なる貴族間の揉め事でも、神殿の教義論争でもありません。極めて悪質かつ組織的な、重大犯罪です」
 カイルは手元の分厚い書類――若き神官から得た裏帳簿の写し――を高く掲げた。

「被告人らは共謀し、前聖女エレノア、および現聖女ルナリアの精神と肉体を拘束。二世代にわたり、彼女たちの『加護』を私物化し続けました。本法廷において、我々はこれを『六百六十六回の加護詐取事件』として告発いたします」

 六百六十六回の加護詐取。
 その強烈な事件名が宣告された瞬間、傍聴席から「おお……」とどよめきが上がった。
 貴族たちも噂には聞いていたのだ。「聖女の加護には限界があるのではないか」と。
 それが明確な数字と「詐取」という犯罪名で定義された衝撃は計り知れない。

「ふざけるなッ!!」
 静寂を破ったのは、ヒステリックな絶叫だった。
 黒いヴェールを被ったベアトリーチェが、椅子から立ち上がり、手すりをバンバンと叩きながら喚き散らす。

「詐取だなんて言いがかりよ! わたくしは侯爵夫人として正当な恩恵を受けていただけ! ルナリアが勝手に許したから、わたくしが美しくなっただけでしょう!? こんな茶番、今すぐやめさせなさい!!」
「……異議あり。私は自分の血の滲むような努力で剣術を磨いた。ルナリアの加護など借りた覚えはない!」
 レオンハルトもまた、吊った腕を押さえながらカイルを強く睨みつけた。

 見苦しい責任逃れと、事実の否認。
 だが、カイルは彼らの反論を予想していたかのように、冷たく鼻で笑った。

「努力、ですか。なるほど。ではその『自称・努力の結晶』が、加護の消失と同時に粉々に砕け散った理由を、後ほど存分に語っていただきましょう」

 カイルの皮肉に、レオンハルトは顔を真っ赤にして黙り込んだ。
 ハインリヒはただ震え、エルザは泣き出しそうに顔を伏せている。

「静粛に」
 ヴィクトル首席判事の重い声が、再び法廷を制圧した。
「本法廷は、被告人の身勝手な演説を聞く場ではない。証拠と証言の矛盾を突き、真実を炙り出す場である。……原告、ルナリア・フォン・アストレア。証言台へ」

「はい」

 ルナリアは静かに返事をし、カイルと一度だけ視線を交わした。
 「僕がついています」
 言葉はなくとも、カイルの鋼色の瞳がそう語りかけているのが分かった。
 彼の存在が、ルナリアの背骨に一本の太い鋼を通してくれる。

 ルナリアは背筋を伸ばし、大理石の床を踏みしめて、法廷の中央に設置された証言台へと進み出た。
 濃紺のドレスに包まれた彼女の姿は、以前のような「儚く弱々しい聖女」ではない。
 毅然として美しく、何者にも屈しない気高さに満ちていた。
 その堂々たる歩みに、傍聴席の貴族たちは息を呑み、静まり返った。

 証言台に立ったルナリアは、被告人席を見下ろした。
 父が「ルナリア、頼む」と口パクで懇願しているのが見える。
 だが、彼女の心に波風は立たなかった。
 もはや彼らは家族ではない。裁かれるべき罪人なのだから。

「宣誓いたします。わたくしは、ただ一つの偽りもなく、真実のみを語ることを女神と法に誓います」
 ルナリアの澄んだ声が、大法廷の隅々にまで響き渡った。

 ヴィクトル判事が、深く頷き、裁判の進行を告げる。

「よろしい。では、順に審理を開始する。――まずは、婚約者レオンハルトからだ。前へ出よ」
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