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第一部

第四章 大神官 デュア・シュセリ

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 三人で二人を見送った。
 二人共やはり背が高い。髪も昨日と同じように頭の上に高く結い上げている。アイルが持った籠をアイロが手伝おうと手を伸ばすが、アイルがいやというように体を捻る。
 笑い声が聞こえ……姿が見えなくなった。

「バサル」
「はい」

 デュアが二人が消えた方を見ながら顔を顰める。

「子供を怖がらせるな」
「……はい」

 注意され、バサルが頭を下げる。デュアはこれ以上、バサルが何かを言う前に二人を帰したのだ。バサルが口にすることが一々危ない事なのだろう。

 二人の女性の従者を『子供』という『子供』がいる。

「……あの二人はあまり知らないんですね?」
「私が戻ってから選ばれた者達だ」
「二人で一人分でいいと言って来た」
 ソロが顎髭を撫でながら言う。それはとバサルもソロを見た。

「二人分の賃金を払ってないんですか?」
「衣食住、全てここで揃う。それにあの二人には外に出る自由はない。金は親元に行くと聞いておる」

 自由もないのか。バサルが改めて二人が消えた方を見た。なら、きっと、昨日の神職選びが、久しぶりの外だったのだろう。だが、それも……神殿の中の大広間だ。
 窮屈だとは……思わないのだろうか。

「……元々、窮屈な暮らしをしていたらしい。親の為に神殿に来たと言っておった。だが、神職選びで同じ職種につけないと気が付いて、儂に頼んできた」
「え……じゃあ、あの二人は神官ではない?」
「奉公人扱いじゃな」
「……奉公人」

 そうなのかとバサルが呟くと、そうじゃとソロがバサルを見上げた。

「おぬしも、もう、神官ではないぞ」
「え?」
「神から役目がある。それが最優先じゃ」
「あ……」

 そうかとバサルが頭を押さえる。だが、てっきり、自分は神官のまま、その役目に就くのだろうと思っていた。

「……国益をもたらすモノが来るんでしたっけ」
「……そうだ」

 国益をもたらすモノなら……喜ばしい事ではないのだろうか。
 昨日も思ったが、どうも、二人共嬉しそうに見えない。いや、デュアもソロも渋い顔だ。

「おいおい話す。外に出よう」

 デュアが暗い場所でする話ではないと首を振った。

 ◇

 石造りの建物から出ると、気持ちのいい日差しが差し込んでいた。何かがひらひらと動いている。何かと見れば、神殿の横に洗濯物が干してある。

 さすがに絶句する。表の神殿では考えられない光景だ。

「あそこが一番日当たりがいいんだ」

 デュアが肩を竦める。その時、ふと気が付いた。口調が変わった?

「もしかして、そちらが素ですか」
「うむ」

 デュアが神殿の裏に回りながら頷く。アイル達の前ではあえて幼いデュアを演じているのだろう。

「外見がこれで、中身が年寄だと、あの二人もどう接していいかわからんだろ」

 それに、実際の老婆 マヌーサもいる。なら、あのマヌーサも奉公人なんだろう。最初からローブは身に着けていない。

「マヌーサは長そうですね」
「あれは最古老だ」

 最古老と言われ、思わず吹き出しそうになる。だが、確かに隣を歩くソロよりも年寄だろう。

「なら、前のデュア様とも?」
「ああ。世話になっている」

 世話になっているという言葉に、やはり記憶があるのかと思う。

「……バサル」
「はい」
「その先は聞くな。聞いてはならぬ」
「……はい」

 バサルが考えていたことを、ぴしりと止められる。そう、バサルは見えない存在を聞こうとしていた。

 本当に、神がいるのか、と。

 最早、初代デュア・シュセリは伝説の人物になっている。
 山の上で神託を受け、羊を一匹連れて王を探す旅に出た。
 長い年月をかけて王を見つけ出し、連れた羊を差し出しこう言った。

「山に登れ。お前がオルゲニアの王となる」

 オルゲニアの王はその神託を受け入れ、デュアが神託を受けた山に登り、そこで羊を神に捧げた。
 その羊の血がオルゲニア国の礎となり、王国旗には金色の羊が刺繍されている。

 初代 デュア・シュセリはオルゲニア国王が即位した日に、私は再び現れると言い残し亡くなられた。
 その十一年後、二代目 デュア・シュセリは神託を受けた山に神殿を建てるように王に告げに行き、自分がデュアであると名乗った。一匹の羊を連れて。

 王は再び、山を登り、羊を神に差し出してこの山に神殿を作ると約束した。
 その羊の血が神殿の礎となった。神殿の紋章にも羊が描かれている。

 その羊を捧げた山が、この奥神殿の裏にある山なのだろう。

「神殿が……二つあるとは知らなかったが……」
 
 その山を挟んで神殿を二つ作ったのだろう。だが、こちらには、いろんな場所に不思議な場所がある。表の神殿ではまじないがかけられている場所など、バサルは知らない。いや……あるのだろうか。

「こちらが先だ」

 デュアが神殿を見上げながら言う。バサルよりも褐色の肌に大きな目。柔らかい髪は栗色で、緩やかにうねっている。山の民だったと聞く。そういえば、先程ソロもデュアが山から初めて下りてきた時、神殿に駆け込んだと言っていたか。

「神から神託を受け取る場所が必要だった……」

 神託と考えて、そう言えば昨日の神職選びも一種の神託かと気が付く。
 デュアは視界を塞がれていた。それなのに、人々の間を渡り、職種を授け、逃げようとした神官をとっ捕まえた。

「……ずっと……デュア様なのですか」

 それは一体どういう気持ちなのだろうか。繰り返し、繰り返しデュアとして生まれ変わる。違う名前……その生まれたままの場所で、生まれたままの名前で暮らしてみたいとは思わなかったのだろうか。

「神からの神託は一種の力だ。流れ込んでくる」

 デュアがどう言えば伝わるかと小さな肩を竦める。

「器は小さいのに、神の力は変わらん。流れ込んできた力は出さねば、こちらが壊れる」
「壊れる?」
「体がもたない」

 そうかとバサルが考え込む。物心ついた時にはもうデュアだったと言った。神官しか知らない聖伝も記憶していたとも言った。
 そうやって、今まで生きてきたデュアを繰り返しながら今のデュアになるのだろう。
 
 転生者として。

 だが、とデュアが渋い顔をした。今回はちと、ひどかったと口を尖らせる。

「山の民は、子が生まれた時に、嫁ぎ先を決めてしまう」
「え?」
「生まれた時にはもう、誰と結婚させると決められているんだ」
「え?!」

 初めて聞いた山の民の風習にバサルも驚く。生まれた時に?!

「町に下りたのも、相手に顔を見せに行くためだ。冗談じゃないと慌てるだけ慌てて、神殿に飛び込んだんだ」

 それは……また。いや、いきなり神殿に飛び込んでいった娘に親も驚いただろうが……。

「御無事で……なにより」
「うむ」

 渋い顔をしたデュアに、バサルもそう言うしかなかった。

 ◇

  神殿の裏手に出た。そして、だろうなと思っていた通り、そこには山向こうの神殿と繋がっている通路などなかった。
 なら、やはりあの祭壇に、まじないがかけられているのだろう。
 神殿の裏は剥き出しの岩山だ。ちょうど神殿の反対側に昨夜バサルが飛び込んだ池があるように見える。遠すぎてよく見えないが。

 だが、それよりも……バサルは岩山に掘られた穴が気になった。

「でかい……」

 大きい。バサルが見上げるほどだ。山の真ん中にこんなに大きい穴を掘っても大丈夫なのだろうか。いや、そもそもどうやって、こんな穴を掘ったのだろうか。
 バサルが岩を手でさする。粘土質でもない。柔らかい岩でもない。硬い岩だ。

「……中に?」
「ああ」

 デュアが掘られた穴の奥を軽く睨む。ソロも同じように見ている。

「この中に、モノが来る」
「……ここにですか?」

 バサルがもう一度、穴を見て神殿を見た。

「祭壇とかではなく?」
「表の神殿と、こちらの神殿のちょうど真ん中になるのじゃろう。そこに来る」

 来る。

 先程から、いや、この話が出てから、二人はずっと『来る』という言葉を使う。
 だが、どうやって、こんな岩山の真ん中に『来る』というのだろうか。

「天井に穴でも開いているんですか?」

 頂上から穴でも開けているのだろうか。だが、バサルの言葉に、デュアが軽く目を見開いた。

「すごいな。当たりだ」
「え」

 ソロがその通りだと頷く。

「初めての国益は『火』だった」
「火?」
「そう、消えない火だ。今はどの神殿にもあるが、昔はなかった」
「……あの祭壇の火ですか?」

 バサルが思わず顎に手をかけながら聞く。祭壇の真ん中には確かに火が灯され続けている。確かに消えない火だと聞いたことはあるが、バサルはそれは人の手によってだろうと思っていた。

 それが本当に消えない火だった?

「山の頂上に雷が落ちた」
「雷……」
「その雷で縦穴が開いて、ここも吹っ飛んだ」
「……吹っ飛ぶ」

 それは……吹っ飛んだだろう。だがとバサルがもう一度、神殿を見る。それなら、この神殿も吹っ飛んだだろう。

「なにがなんだかわからん。ようやく真ん中に行けた時に、国益をもたらすモノが『火』だったのかと分かった」

 なら、その『火』は雷が落ちた後、何も……燃える物がなくても燃え続けたのだろうか。

「それは……確かに国益ですね」

 今はどの神殿でもある。どの家も火種を神殿にもらいに行く。そのためのランプがある。騎士団でも野営の時は必ず神殿に寄り、火種をもらっていた。

 そう考えれば、どうやって火を起こすのか……。バサルはそれを知らないことに気が付く。
 それほど、もう、『火』は身近なものだ。

 確かに……国益だ。

「すごい……」

 すごいとしか、言いようがない。だが、ソロはさらに渋い顔をする。

「『来る』と言われて神官達は山の上で待っていたそうだ」
「え」
「神からの届け物だからな。『来る』と言われれば、待つしかあるまい」

 デュアとソロが渋い顔で山を見上げる。
 山で……神官達が待っていたところに……雷が落ちたのか。

「皆は……」
「死んだ」

 あっさりとデュアが言う。もしかしてとバサルが目を向けると、デュアが頷く。

「そこにいた。吹っ飛んだな」

 目を見開くしかない。確かに……そうだろうが……。

「国益をもたらすモノが来る」
「だが、何が来るかは……わからん」

 雷など……想定外もいい所だろう。しかも岩山を吹き飛ばすほどの威力。

 言葉が出ないバサルが、あることを思い出し、思わず口を押えた。

「その……世話をするって、言いましたよね?」

 国益をもたらすモノの世話をする役目。

 さすがにバサルも唖然と山を見上げた。

 ◇

 なぜ、デュア達が『国益をもたらすモノが来る』と聞いて、あまり嬉しそうじゃないのかわかった。

 何が来るのか分からなければ、恐ろしくて仕方がない。

「はあぁぁ」

 調理場で小麦粉をこねながら溜息を吐く。デュアがパンがあるのにと不思議そうな顔だ。

「そっちはどんなふうだ?」

 バサルが調理場の真ん中にあるテーブルを振り返る。そして、見なければよかったと粉に向き直る。
 アイルが真剣な顔で水牛の乳からできるチーズを切ろうとしている。どこから刃物を出したのだろう。

「アイル、刃物は駄目だ」
「……なぜです」

 声がガチガチになっている。余計な事を言えば怪我をさせそうだが、近寄るのも怖い。

「手でちぎった方が、味が染みるからだ」

 危なっかしいと言えば、無理でもしたがる。義理の弟がそうだったと思い出しながら、真面目に言うと、味に関わるのならと刃物を置いた。

「デュア、頼む」
「ちぎるぐらいできるでしょう?」

 いや、おそらくアイルはわからないと思う。バサルが親指大な、と自分の親指を見せ、デュアが分かったと真面目に頷く。

「これくらい」
「これくらいでございますか」

 デュアの手元を見ながらアイルが真面目にチーズを千切る。だが、チーズの伸びが良すぎて歪な形になる。これは失敗かと青ざめる始末だ。

「料理に失敗はない。味付けさえ旨けりゃ、どうにでもなる」

 こねた生地を粉をふった台で伸ばしていく。火の上にはトマトソースだ。

「アイル、塩」

 急に呼ばれ、アイルがすっ飛んでいく。籠を取りに走ったのを見て、違うと自分の側の台を指さす。朝、よく使う調味料はこちらに出したのだ。

「まず、これを味見する。熱いぞ」
「……はい」

 くつくつと音を立てながら煮えているトマトソースにスプーンをちょんとつけ、バサルがこうすると味見の仕方を教える。手の甲に落とす。少し熱かったが、バサルは気にしない。アイルが恐る恐る手を出してきたので、少し冷ましてからちょんと落とす。

「絶対に鍋から出して、すぐはするな。火傷するからな」
「はい!」

 几帳面に返事をし、アイルもぺろとソースを舐めた。舐めて顔を顰める。

「すっぱい……ですか?」

 いまいち、自分の味覚に自信がないのだろう。すっぱいとバサルも頷いてやり、塩を小匙半分すくう。

「絶対に、これから」
「匙……ですか」
「体が覚えるまで、勘に頼るな。絶対に、調味料は計る」
「はい!」

 アイルがテーブルの上に置いてあるメモに走る。それを確認して、バサルがトマトソースに塩を入れる。
 トマト、香りが良い油、炒めると香ばしい香りがする野菜をいくつか。そして、また、干し肉。
 調理場に素晴らしい香りが拡がる。デュアがくんと鼻を鳴らし、嬉しそうにバサルを見る。

「それをどうするの?」
「生地に乗せて焼く。まぁ、パンにつけてもうまいが、せっかく水牛のチーズがあるしな」
「チーズを焼くんですねぇ」

 いい匂いにつられたのか、アイロが現れた。どうやら無事に石の通路を開けて来たらしい。
 向こうからは男の神官三人がかりで扉を開いたが、こちらからだと、アイロ一人で十分らしい。
 ソロが神殿に戻った。しきりに昼食まで食べていきたいと言っていたが、もともと、忙しい身だ。
 だが、そのうちまた来るだろう。

「デュア、オーブンは?」
「薪、よけたわ。良いわよ」

 よし、とバサルが笑う。やはり、デュアはかまどの使い方もうまい。ただ、薪をオーブンの中で燃やしたせいで、真っ白だった壁に煤がついた。

「ま、マヌーサはあまり喜ばないかも」
「だろうなぁ」

 神殿を汚すなとあれほど厳しくいう。この煤汚れを見たら……なんというか。

「ま、かまどはあるんだ。使っちゃ悪いということはなかろう」
「ま、ね」

 バサルとデュアが顔を見合わせ、にっと笑う。よし、焼くぞ!とバサルがいい、アイル達が歓声を上げた。

 ◇

 焼き始めたら早い。

 どんどんできる焼きたてのピザに、調理場が静まり返る。バサルもかまどの前で立って食べる。

「……うまい」

 しみじみと思う。冷めてない物を食べるということが、どんなに贅沢だか、町の人間は知らないのだ。くそぉ……とさえ思う。

 三年、なんのために、我慢したんだ?

 いや、家の為ではあったのだろうが、結局、神官を辞めることになった。そのうち、家の方にも伝えなければならないだろうが、結局、ここにいるのは変わらないから、言わなくてもいいかとも思う。
 元から家とは絶縁状態だ。義理の弟が結局、騎士団に入ったかどうかも知らせはない。

「バサル……これ次、焼いて」
「お。うまそう」

 調理場中をひっくり返して、ピザにあうものを探した。デュアはチーズだけ焼いて、甘味料のはちみつをかけて食べるらしい。

「甘じょっぱくて、おいしいのよ」
「チーズにはちみつは鉄板だな」

 焼かなくてもうまい組み合わせだ。アイロとアイルは次は何にする?とテーブルの上を眺めている。

「バサル様」
「バサルでいい」
「この野菜を乗せる場合は……どうします?」

 どうやらアイロはピザに葉物野菜を乗せたいらしい。なら、とバサルがトマトソースだけを乗せた生地を焼いてやる。

「ま、朝のパンと似たようなもんだな」
「あ、そうでございますね」

 焼いた生地に野菜を乗せ……こうした方が食べやすいかもとアイルに言われ、ぱたんと二つに折り畳んだ。

「なるほど」
「それなら、手が汚れないわ」
「あ、おいし」

 だろうな、とバサルも考え、今度は最初から生地にチーズを挟み、畳んで焼いてみる。
 平に伸ばした生地よりも少し、時間がかかるがひっくり返しながら焼いてみる。

「……どう?」

 どうと言われても……食べてみない事には。

「あ」

 急にアイロが声を上げた。なんだと視線をそちらに向けると、どこかを掃除してきたのか、真っ白だったワンピースに黒い汚れをつけたマヌーサが入り口に立っていた。

 顔がもう、明らかに渋い。

「マ、マヌーサ……」

 デュアがバサルに一歩寄る。アイル達も席を立つ。
 気が付けば、調理場はすごい有様だ。

「……片付ける」

 こつこつと近寄ってきたマヌーサに、バサルもやや怯えながらはっきりと言う。

「煤汚れは、難しいが、他の物はきちんと片付ける」
「あの、池のっ!池の水があれば、大丈夫よ!マヌーサ」

 そうだ!あの池の水があれば大丈夫だ!バサルがそうだ!と頷きながら、自分が持っていた中にチーズを挟んで畳んだ物を差し出す。

「うまかった」

 いや、これは食べてないが、きっとうまい。

 真面目な顔で頷く四人に、マヌーサはふんと鼻を鳴らし、バサルの手から折り畳まれたピザを取り上げた。

 
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