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第一部

第八章 迷子保護団

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 食堂には夕食の支度が出来ていた。ソロがしてくれたらしい。

「……すごい、な」

 バサルが驚きの声を上げる。バサルの肩から下りたデュアの目も丸くなっている。ソロはほほとなぜか誇らしげだ。

「まあ、切って並べただけじゃがな」
「でも……こうやって、並べると本当に綺麗」

 テーブルの上には豪華なサラダがあった。葉野菜で周りを縁どり、その中にトマト、キュウリ、朝の残りのゆで卵を切った物。干し肉。

「羊飼いのサラダって私の所では言ったわ」
「儂の所では、コブサラダと言います」

 へえ、とバサルが二人を見る。デュアは山の民、ソロは海の民だ。それなのに同じサラダを作る。名前が違う。

「これと、パンでよろしいか?」

 ソロがデュアに足りますか?と聞くので慌ててバサルが調理場に走る。昼、野菜のスープを作っていたのを忘れていた。弱い火でことことと煮ていたが、綺麗に忘れていた。
 
 焦げたか?!
 
 だが、鍋が脇によけてあった。中身が無事なのを確かめて、ほうと息を吐く。焦げなくてよかったのレベルではない。火事になる。

「マヌーサか……」
「気を付けな」

 うおっと振り返るとしかめっ面のマヌーサがいた。久しぶりに見たマヌーサにバサルが目を丸くする。

「そ、そのスカート……どうした」

 いつも真っ白な服を着ていたはずなのに、今着ている服はスカート部分が黒だ。
 黒の生地を使っているようには見えない。白い生地が黒く変色しているように見える。

「最近、汚れが目立つ。ただえさえ、煤がひどいのに、火事でも出されたらたまらん」

 ぶつぶつ言いながら、杖を突き、調理場から出て行こうとする。バサルが鍋を慌てて置き、追いかけようとするが……。鍋を見て、溜息を吐く。

 しっかりしろ。

 ん、と鍋を持ち直し、食堂に向かった。

 ◇

 スープとサラダとパン。
 献立はシンプルだが、内容が豪華だ。皆で揃って食べる。マヌーサは途中でひょいと顔だけ出したが、すぐにいなくなった。皆が、マヌーサのスカートを見て、驚いた顔をする。

「どうしたんでしょう」
「洗濯できないのか?」
「一枚しかないのですか?」
「……掃除しても、掃除しても追い付かないのかもしれない」

 思い当たることがないわけじゃない。バサルが、んーと調理場の煤やら、かまどの汚れを思い浮かべて頭を掻く。だが、以前、マヌーサは気にしなくていいと言ったのだが。

「まあ、元気みたいだし。いいんじゃない?久しぶりに顔、見れて安心した?」

 デュアの言葉にバサルがきょとんとする。今の言い方だと、まるでバサルが心配しているから出てきたみたいだ。

「別に……」

 別に心配していた……。くそと顔を顰める。心配して、神殿中歩き回ったのはバレている。

「……ん」

 よかったと頷けば、デュアがそれは良かったと、肩を竦めた。

 ◇

 夕食後、皆でお茶を飲みながら、これからの事を話す。

「あと、十日だな」

 日を確認して、デュアが頷く。

「あの裏山の中に、何かが来る」

 国益になるモノだが、物か、人か。

「物ならまあ、いいとしよう。動物、鳥類……まぁ、獣はどうしようもないが」

 そうねとデュアが呟く。

「植物、岩石、……これは一体なんだったんでしょうか」

 アイルが黒の革表紙の中の一つを指す。皆がそれを見て……首を傾げる。

「……箱?なんか、蓋があるわ。戸棚?」
「戸棚みたいですね。でも、上がひどく小さくないですか?もっと、大きくすればいいのに」
「……戸棚が国益になるのか?」
「……何かの戸棚だったんでしょうけど」

 デュアがそう言えば、あったわねぇと顎に手を当てながら思い出そうとする。

「小さいのに、やたら重たいの。上の棚は特になんか造りが頑丈で」
「で?」
「で、使い方がわからなくて、今、どこにあるのかしら?」

 ん?となったデュアにそう言えばとバサルが黒の革表紙の本を見て聞く。

「そう言う場合は……なんか、起こったりするのか?」
「ん?」

 デュアが意味が分からないと言う顔でバサルを見る。バサルも今のは自分の言い方が悪かったと、考えて言い直す。

「この本の中は、結局、こちらに届けられても、どんな国益かわからずじまいだったモノ達だろう?」
「ああ。そうね」
「そう言う場合、その神とやらは、なんか言ってくるのか?」

 バサルの言葉にようやくデュアがわかったと頷いて、首を横に振る。

「いいえ。別に言ってこないわ。罰もない」
「……なら、本当に落として終わりなんだな」

 なんつぅ、勝手な。

 ぶすくれたバサルにだって、神だもんとデュアが肩を竦める。ソロが新しいお茶を淹れようとして、アイルがしますと立ち上がる。

「まだ、動かない物や、死なないものならいいんじゃがな。動物、鳥、植物は、それはそれで世話がいる」

 そうかと皆が唸る。だが、とバサルが『コブ』を思い出しながら話す。

「動物は、やはり、騎士団の騎獣係を呼んだ方が良いだろう。……それとも、農園の家畜が多い所か?」
「来たモノを見て決めた方が良いわね。鳥、見せられても、騎獣係も困るわよ」

 くすくすとアイロが笑う。そりゃそうだ。騎士団の騎獣係は主に厩にいる馬などの世話をしている。そこに鳥を連れて行っても困るだけだろう。

「植物は?」
「神殿の薬草園で預かることが多い」
「あ、そうなんですか」

 アイロがなら、よかったと言うが、ソロは顔を顰めている。

「草だけが来てもな。それが何の役に立つかなんぞ、さっぱりじゃ」
「……そうですねぇ」

 結構、持て余し気味だ。うーんとバサルも頭を掻きながら唸る。

「薬草園で似たような物みたいなのはあるんじゃないのか?」
「ない事もないが、土が合わなかったり、水の加減が分からんかったりする。そうなれば、もう、枯れるだけじゃ」
「まあ、枯らしても、文句は言わないけどね。植物は」

 と、なると、と皆が顔を上げてデュアを見る。

「文句を言う奴は、人間だけと言う事になるか?」
「そういうことになるかしらね」

 まあ、動物もなにか文句は言っているのかもしれないが、そればかりはどうしようもない。

「今まで、人間が来た時はどうしてたんだ?」
「外で待って、中に入って、会う」
「いや……そうじゃなくて、いや、来たってわかるのか?」
「だいたい、騒ぐ」
「あー……」

 そりゃそうか。いきなり、洞穴に落とされりゃ、ここはどこだとなるのか。だが、とバサルがデュアを見る。

「マヌーサが上からは出られないと言った。裏もか?」

 岩山の洞穴からも出られないのだろうか。

「さあ……。今まで、自分から出てきたのはいないわ。迎えに行って、連れ出すっていう感じかしら」
「迎えに行けば、出れるんだな」
「でも……もう、出ることも怖がる子もいたわ」

 デュアがしょぼんと肩を落とす。先程ソロが言っていた子供の事だろう。
 バサルがアイロと顔を見合わせ、デュアを見る。

「そういう事が、ないようにしよう」
「そうです。デュア様、私達もお手伝いしても大丈夫でしょうか」

 え?とバサルとデュアがアイロを見る。アイロは何か一生懸命考えている。

「……私、思うんですけど」

 アイルがアイロを見て首を傾げる。アイルにも分からないのだろう。

「そういう状態の子供って……迷子って言いませんか?」
「あ」

 迷子。

「迷子……ここに連れてこられたと言えばそうじゃが、儂らが呼んだわけじゃない……」
「どこから来たのかもわからないわけですし」
「いや、大人でも、ここはどこだ?っていう状態は迷子だ」

 バサルがなるほどと頷く。

「迷子だな」

 でも……とデュアが苦い顔をする。

「迷子なら帰してあげたいけど……帰せないのよ」
「まぁ、そこが問題っちゃあ、問題なんだがなぁ」

 それでも。

「そこは追々、分かってもらうしかない事ではあるが、とにかく最初は迷子だろう」
「……そうね」

 今度はデュアも頷いた。確かに迷子だ。

「国益の事は脇に置いといて、とりあえずは、迷子保護……っうのはどうだ?」
「迷子保護……」
「国益だとか、神からのお届け物って考えちゃうと、私達もどうしたらって思いますが、迷子なら助けられますよね?」
「俺の役目も、ちょっとどけといてな」
「世話はしてよ」
「だから、届けモノの世話って考えるんじゃなくて、迷子の世話から始めた方がいいってんだろ」
「神様が別に文句を言ってくるような事もないようでございますし」

 アイルが自分とアイロを指さす。

「子供なら、私達が」
「もし、男なら……俺か?」
「儂もいる」
「女性でも……アイ達がいいわね。いきなりバサルが行っても怯えるだけかも」

 なあとバサルが頭を掻きながらどこかを見上げて言う。

「皆で出迎えたらいいんじゃないか?」

 どうせ、ここでしばらくは暮らすことになるだろう。それなら、ここにいる皆で出迎えに行って、よさそうな人間が「どうしたの?」と声を掛ける。

「どうしたの……か」
「迷子に、よくいらっしゃいましたって言わないですものね」
「そりゃ、攫われたと気が付く」

 バサルがそうだろうとデュアを見ると、なぜか、デュアとソロが渋い顔をしている。

「どうした」
「……いや、んー」

 ソロが何と言えばいいのやらと言う顔をしている。その顔を見て、アイルがもしかしてと口に手を当てる。

「……いらっしゃいませと?」
「だって、来たんだもん」

 あー、とバサルが呻く。そうか、デュア達は来ると分かっているから、いらっしゃいましたと言うしかない。だが、いきなりそう言われれば、言われた相手は、なんの策略かと思うだろう。

「そりゃ、警戒されるわな」
「迷子だなんて思いつかなかったもの」

 そりゃそうだ。バサルも思いつかなかった。思いついたアイロに視線が集まる。お茶を口にしていたアイロが顔を上げ、自分に視線が集まっていることに驚き、真っ赤になる。

「でかした」
「ありがとね」

 真っ赤になったまま顔を上げられなくなったアイロの肩をアイルが優しく叩いた。

 ◇

 慌ただしくなった。
 アイル達はもし、人間が来た時の為に部屋を整え始めた。ソロは植物が来た時の為に、柔らかい土を表の神殿の薬草園から持ってこさせた。
 バサルは……。

「よっ、と」

 小屋の中の物を外に出した。考えてみれば、穴の中に獣が来た時、ここに取りに来れるはずがない。穴の外に出しておくのが正解だろう。

「バサル!」

 デュアが駆けてくる。どうした?と顔を向ければ、後ろにマヌーサがいる。やはり、スカートが黒い。

「マヌーサが今まで来たモノの保管場所があるって」
「は?」
「だから、ほら、来たけど、何に使うか分からなかったモノ。私、向こうの神殿に運んだんじゃないかしらって思ってたんだけど、マヌーサがあのガラクタならこっちだって」

 ガラクタ……。一応、神からの贈り物をガラクタ。

「捨てるわけにもいきませんから」
「まぁ、そうだな」

 できる事なら、処分したかったと言う顔だ。もしかして、そのガラクタを引っ張り出したりしてたから、スカートが汚れたのだろうか。

「マヌーサ」

 並んで歩きながら、隣の老婆を見下ろす。

「力仕事なら、俺がするから……。あまり、無理すんな」
「ふん」

 年寄扱いするんじゃないよと言いう顔だが……どこか疲れたように見え、バサルは不安になった。

 ◇

 祭壇の間の隣に隠し部屋があった。
 デュアも知らなかったと言う顔で、部屋に入る。

「これらは外……異界から来たモノだと私は思っておりました」
「……異界」

 マヌーサの言葉をデュアが繰り返す。バサルもそうだなと頷く。おそらく、そう考えた方がいい。

「何に使えばいいか分かるならまだしも、それすら分からんものを放置するのは恐ろしです」
「……そうね」

 バサルが部屋の中に積まれたものをゆっくりと見て回る。

 石。枯れた草。何かの骨。少し、独特な匂いまでする。

「あ」

 デュアがこれ、とバサルを見て指さした。バサルが見覚えがある棚に近寄る。

「木でできてるの?」
「いや……外は木だが……中は違う」

 さすがに分からない物に触るのは怖いが、恐る恐る上の扉を開けてみる。開けると一枚の皿が入っていた。

「お皿?」
「ああ」

 だが……バサルが棚の中が狭い事に気が付く。違う。厚みがある?それに、戸棚の中は木ではない?
 薄い……なんだ?バサルが掌で撫でて驚く。

「鋼……みたいだ。外で見なきゃ分からんが……」
「戸棚に鋼を貼ってどうするの?」
「俺が、知るか」

 下の戸棚も似たような造りだ。外は木だが、中は見たこともない金属で覆われている。

「何を入れるんだと思う?」

 デュアが不思議そうに聞く。バサルが分かるわけではないが……。重厚な造りなのは確かだ。戸棚自体、貴族の屋敷にあってもおかしくはない調度品に見える。

「大事な物とかじゃないか?」
「……なんか、そんなのよね」

 これが国益と言われても……。バサルもうーんと唸るしかなかった。

 ◇

 そして、あっという間にその日が来た。

「新月って言ってたから、夜するのかと思っていたがな」
「だって、こっちが夜でも、向こうはどうか知らないもの」

 それはそうか。

 アイル達が洞穴の前に祭壇を作る。ソロは石の通路の入り口の前で、屈強な神官達にここで待つようにと指示をしている。

 儀式が始まる。

 洞穴の中からマヌーサが祭壇にあった火を運んでくる。

 最初の国益。消えない火。

 マヌーサがそれを洞穴の前の祭壇に置く。そして、デュアに頭を下げる。アイルがデュアの神官服に赤い襟を着ける。アイロがあの神殿の紋章が入った筒を被せる。

「……苦しくないのか?」
「息苦しっちゃ、息苦しいけど……もう、慣れたわ」

 すぽりと筒を被せられたデュア、大神官は……なぜか、人形みたいだ。

 神の操り人形。

「デュア」
「何?」
「……いや。何でもない」

 アイロがデュアの左手を取る。アイルが右手を取る。デュアが深く息を吸った。

「バサル」
「ん?」
「躊躇わないで。私なんて、餌にしていいんだから」
「……あほう」
「そうですよ。デュア様が餌になるんだったら、私も餌です」

 アイロがおかしなことを言う。アイルは足が速いから逃げ切りますけどねと笑っている。
 バサルは腰にぶら下げた剣をかちりと鳴らす。久しぶりに腰から下げた。その剣の柄を握り頷く。

「誰も、餌になんかしない。お前らはとにかく逃げろ」

 もし、獣が来たならば。

「逃げて、石の通路から神殿に逃げるんだ。約束したな?」
「そんで、あんたも逃げてくるのよ」
「……ああ」

 分かっている。デュアと嫌と言うほど約束した。約束させられた。

 ぴくとマヌーサが洞穴の奥を見た。バサルも何かに気が付き穴の奥を見る。

「なんだ?」
「来る」

 デュアが祭壇の前に立つ。アイル達がデュアから離れ、バサルの隣に並ぶ。

「きっと、迷子です」

 アイロが小さな声で言った。迷子。それならいいと……バサルには言えない。いっその事、獣だったらいいとさえ思う。それならば、すぐに処分できる。殺してしまえる。

 迷子なら。

「……大丈夫です。私達がどうしたのって聞いて、バサル様が、美味しい物を食べさせてあげるんです」
「美味しい物を食べたら、きっと安心してくれます。ほっとしてくれます」
「だって、私達も嬉しかったもの」

 バサルが笑う。もう、何も言いようがない。この二人はバサルを安心させようとしている。勇気づけようとしている。

 バサルが怖がっているのも、おそらく気が付いている。バサルがすうっと息を吸い大きく吐く。

「皆で、どうしたって聞くんだ」
「どこから来たのって」
「お腹空いていない?って」

「神の僕であるデュア・シュセリが扉を開く!神の元から来せりしモノよ!いざ、我の前へ!」

 デュアの声ではない。誰の声だと顔を上げるが、目の前には筒を被った子供しかしない。

 大神官 デュア・シュセリ。

「国益をもたらすモノよ!いざ、我の前へ!」

 昼間だと言うのに、空が暗くなる。まさか雷かと、アイル達の肩を石の通路の方に押しやる。

「行け!」
「いやです!」
「駄目です!」

 マヌーサがふいにバサル達の前に立った。杖を突き、三人を背にデュアとの間に立つ。

「マヌーサ!下がれ!」
「マヌーサ!」

 アイルとアイロがバサルに押しやがれながら、マヌーサに手を伸ばす。強い風が吹く。風が草木を揺らし、千切る。
 デュアの小さな体が揺れる。その手が空に向けられ伸びる。

「前へ!」

 しん、とした。

 何かが、いきなり止まった。風も、音も、何もかも止まった。

 バサル達も三人で固まったまま、動けない。強い風に、煽られるだけ煽られたアイル達の髪は乱れるだけ乱れた。デュアの頭の筒も風に飛ばされ、地面に落ちた。

 デュアが洞穴の奥を睨む。見えない洞穴の奥を見ようと睨みつける。

 来たのか?

 何も音がしない。音がしないと言う事は……動かないモノか?

「……」

 デュアが飛び上がった。バサル達も思わずデュアの側に走り寄る。

「来た、か?」
「音が」
「何かいます……」

 アイルが目を細めて中を見ようとする。アイロがデュアの服から、赤い襟を外す。ソロが現れる。さすがに緊張の面持ちだ。

「……マヌーサ、火を戻してくるわ」
「デュア、俺が持つ」
「お姉様!」

 え、と振り返った時は、アイルが先に立っていた。アイロが口元に手を当て、青ざめる。あの馬鹿っ!とバサルが後を追う。

 アイルは足が速い。デュアとアイロが慌てて駆けだす。

「アイル!」
「待ちなさい!アイル!」
「お姉様っ!」

 アイロの声はもう悲鳴だ。悲鳴が洞穴に反響する。

 広場に出た時、アイルが立ち止まっていた。アイルの体の向こうに、なぜか荷車らしきものが見える。

 荷車?

 あまり見たことがない形だ。馬が引くタイプのものではない。なんだ?

「……だ、大丈夫よ」

 アイルの声が震えている。荷車の他に何かいるのか。バサルが慌ててアイルの側に行こうとして、さすがに目を見開く。

 子供。

 またか!と強く歯を噛みしめる。だが、それどころじゃないと気が付いた。その子供の手に光るモノ。

 短剣?!

「アイル……下がれ」

 なるべく、音を立てないようにアイルに近寄り、その肩に手を置く。アイルは子供の手の短剣から目を離せなくなっている。

 男?男の子か?

 変わった格好をしていた。シャツにしてはおかしい。巻いてある。それと、ズボンらしいがそれも見たことがない。
 髪は黒。長めの髪を頭のてっぺんで結んである。

 落ち着いている。

 ふと、そう思った。短剣を持つ手が震えていない。伸びた前髪の間から見える目も落ち着いている。

 子供……じゃないのか?

「マヌーサ」

 後ろにいるはずの老婆を呼ぶ。老婆は当たり前のようにバサルの隣に立った。その老婆にバサルは自分の腰にぶら下げていた剣を抜いて渡す。

「出ろ」

 こちらは丸腰だと分からせる。マヌーサは何も言わないまま、剣を持って後ろに下がった。

「アイル、下がれ」

 バサルが強くアイルの肩を掴み、やや無理矢理に後ろにやる。ふらついたアイルの体をアイロが抱きとめる。

「デュア……」

 荷車。少年。これは……どちらだ?荷車の上には何か枯れた植物の束が乗せられている。いや、藁を編んだ物か。
 バサルの隣にデュアが立った。バサルがデュアの肩に手を置く。

「……何も……しないわ」

 デュアがさすがに掠れた声で話しかける。バサルも冷や汗を背に浮かべながら、動こうとしない少年に話しかける。

「ここに住んでる者だ。お前は、どこから来た」

 少年の顔が微かに動いた。ん?という顔をし、口を開こうとしてやめる。

「怪我はない?」

 バサルの後ろでアイロがアイルを抱きしめたまま、必死に声を掛ける。

「強い風が吹いたから、見に来たの。そうしたら、あなたがいて」

 今度ははっきりと少年の顔が歪んだ。一体、なんだこれはと言う顔で、耳をさすっている。目が泳ぐ。
 言葉が分かるのが不思議なのだ。なら、畳みかける。こちらのペースに巻き込む。

「どこかに行く途中だったのか?山から落ちたんだろう?」

 山?と聞いて少年は上を見た。そして、ぽかんと口を開く。
 それはそうだ。山から落ちたにしても程がある。この山の頂上ははるかに高い。

「ん?」

 少年が慌てて荷車を振り返る。そして、もう一度上を見る。
 バサル達が固唾を飲んで少年の動きを見守る。デュアが、一歩、少年に寄る。

「お兄ちゃん……迷子?」

 ん?と言う顔を少年はしたが、しばらくデュアの顔を見て……首を傾げながらも、手にしていた短剣を筒にゆっくりと戻した。

 
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