4 / 18
1.競馬ジャーナリストの縁談レポート
1-3 先輩と取材
しおりを挟むクロムウェル=リボーは婚約者の父の名だ。
エルの父とは旧友にあたる。
昔々、しょうもない話の流れで子どもたちの婚約を決めてしまったらしいと聞いている。
言わなければいいのに、父は若気の至りだったと母に漏らしたと聞く。
その母もなぜわたしにそれを伝えたのか、今は亡き母への唯一の不満だ。
「先輩、わたし、あの人、苦手なんです」
婚約破棄の話を通してきたのは当たり前のように、クロムウェル=リボーだ。
父からははっきりと聞いていないが、間違いないだろう。
結局、エルは先輩を盾にリボー家の屋敷まで来てしまった。
複数の庭師によって手入れされているローズガーデンで二人は待たされた。
「あのオジサン、女の人が働くことをすごい嫌がるんです。女は長い髪で家を守れとかっていうタイプです」
「古いタイプのおじさんだな、俺は家事もやるぜ」
先輩の話はいいです、とエルは小声で続ける。
「だから、わたしは髪を切ってからは会ってません。わたしが髪を切ったこと、知らないと思います。だから顔、わからないと思う。でも……」
この仕事を始めた時に、豊かな長い髪をばっさりと切ったことはヘクター先輩も知るところだ。
とはいえ、出社一日目にはもうショートのエル=プリメロ記者だったから、実際には先輩に長い髪のフローラ=ブランドフォードを見せたことはない。
「ああ、わかったよ、みなまでいうな。俺が先頭立ってやるから、助手ってことにしとく」
そこは年上の余裕なのか、先輩は俺の後ろにいるだけでいいと言い放つ。
「……ありがとう、ございます……」
今だけはその言葉にエルは感謝した。
つぶやくほどの小さな声で。
が、慰めようとしてなのか、さりげなく先輩はエルの肩を抱こうとしてきたのでのけぞって避ける。
感謝の気持ちはすぐに霧散した。
やがて、初老の男の豪快な笑い声が聞こえてきた。
手練れな庭師に庭の状態を案内されて、ご機嫌なようだ。
先輩が派手な動作で頭を下げて、ようやく視界にとらえた様子だ。
クロムウェルの隣に気の弱そうな、しかし、ハンサムな青年が感情なく佇んでいた。
エルは必要以上に頭を下げて、表情を隠した。
いつもの鳥打帽をいつも以上に深くかぶる。
「おお、新聞屋か。わしの馬のことを取材しにきたんだったな」
「この度は下賤な我々にご機会をいただき、ありがとうございます。我が社の誉れと存じます」
「よいよい、わしは競馬が好きでなあ……ん、後ろにいるのは新人かね、女か少年か。女か、足なんぞ出して。新聞も客寄せに女を使う時代がきたか」
品の無い笑い声があたりに響く。
顔を上げずに心の耳をふさぐ。
「閣下にお話を拝聴できる良い機会と思いまして、新人教育も兼ねて……」
先輩が適当に話を合わせる。この人の得意技だ。
「そうかそうか。女の記者に競馬がわかるかどうかいささか疑問だが、まあ今日は機嫌がよい。なにせ息子は出世するわ、良い縁談があるわで我が家は安泰だわ、はっはっは」
「閣下。そのようなお話、わたくしどもはこれでも新聞記者。なにを書くかわかりませんよ」
親切を装って、先輩はいやらしい視線を向ける。
そういえば先輩はゴシップ紙出身だったっけ、とどうでもいい情報を思い出す。
「ほっほう、おぬし言うではないか、そうだったな。わしとしたことが迂闊だった。そうだそうだ、馬の話だろ。わしは逃げ馬が好きでなあ。どんな馬も逃げさせるんだ。強くても弱くても見せ場をつくってくれる……」
先輩の機転に少しほっとしながら、メモをとるフリをして、エルはいつまでも顔をあげなかった。
それでも、もう一人から視線を感じていたのはわかった。
先輩の取材が最後の質問を迎え、義理の父になるはずだった男は上機嫌にその場をあとにしていった。
だが、一人青年だけが残った。
先輩の横をすり抜けて、エルの正面まで来た。
エルは顔をあげなかった。
真っ白のメモばかりみていた。
そうしていると、しばらくして足元に見えていた男の靴が消えた。
「行ったぞ」
はあっとため息をついて、先輩は呆れていた。
エルについてか、男についてかはわからない。
「お前の正体に触れなかっただけでもえらいかもな」
エルは唇を噛んだ。
「単なる日和見なの、あの人」
吐き捨てるように。
「わたしはここにいなかったことの方が都合がいいんでしょ」
目をつむれば、あの時のことを思い出す。
フローラ=ブランドフォードが、エル=プリメロとしてもう少し仕事をさせてほしいと深々と頭を下げた時だ。
婚約の延期を直接本人に告げた。
穏やかに受け入れて、責任をもって父と話すと言ってくれた。
今にして思えば、彼は受け入れてもいないし、延期の話もしていないのだろう。
どうせ、そんな気がしてたけど。
結果的にはこれでよかったはずなのに、捨て台詞みたいに心の中で毒づいた。
「先輩の方が、よっぽどかっこいいですよ」
俺を比較に出すなよ、またカミさんに叱られる。
と、先輩はげんなりしていた。
「わたしもいつか頼れる先輩になれますかね……」
先輩はエルの言葉に逡巡し、背中を優しく叩いた。
「すぐなれるだろ。エリシオを迎えてやれって、俺はそいつのこと知らないけど、きっといろいろあって困ってたり、悩んでたりしてるんじゃないか? 力になってやれよ、先輩としてな」
わたしだって、いろいろあるのに。
不満はある。自分のことで精一杯のなのに、と。
「先輩って時々いいこと言いますよね。わたしがエリシオの先輩になるのかあ」
自信無さそうなわりに生意気な主張をする前髪の長い金髪の青年の顔にがみがみと指導する、自分の姿を妄想して、なんだかにやけて恥ずかしくなって頬が紅潮してしまう。
それでは一緒に暮らしていた時と変わらないじゃないか。
「……照れてるのか」
「そんなわけないですよ!」
今度はエルが先輩の背中を笑いながら叩いてみた。
婚約者相手に、照れたこと、笑ったこと、そういえばなかったなと、ふと思い出した。
まあ、もう関係ないけど。
0
あなたにおすすめの小説
私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました
放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。
だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。
「彼女は可哀想なんだ」
「この子を跡取りにする」
そして人前で、平然と言い放つ。
――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」
その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。
「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」
王子様への置き手紙
あおき華
恋愛
フィオナは王太子ジェラルドの婚約者。王宮で暮らしながら王太子妃教育を受けていた。そんなある日、ジェラルドと侯爵家令嬢のマデリーンがキスをする所を目撃してしまう。ショックを受けたフィオナは自ら修道院に行くことを決意し、護衛騎士のエルマーとともに王宮を逃げ出した。置き手紙を読んだ皇太子が追いかけてくるとは思いもせずに⋯⋯
小説家になろうにも掲載しています。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
さようならの定型文~身勝手なあなたへ
宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」
――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。
額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。
涙すら出なかった。
なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。
……よりによって、元・男の人生を。
夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。
「さようなら」
だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。
慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。
別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。
だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい?
「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」
はい、あります。盛りだくさんで。
元・男、今・女。
“白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。
-----『白い結婚の行方』シリーズ -----
『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる