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3.見習ジャーナリストの妄想レポート
3-1 謎の尾行者
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「エル、止まって!」
急にエリシオに強い力で肩を掴まれ、よろけるほどだ。
「なに、急に」
エリシオは口元に人差し指をあてる。
静かにしろのサインだが……。まったく意図が読めない。
「……誰かに尾行されている気がする」
「誰もいないと思うけど」
いい加減、面倒くさくなって、ジト目でエリシオの表情を伺うと思いのほか、険しい。
「エルは僕の話を信じてくれていると思っている」
真面目に言われても困るが、そこまで言うならとエルは首を縦に振る。
「合図したら、あっち向かって走ろう」
エリシオの指さす方向に眼だけで追う。
状況が腑に落ちないが、エルはちいさく頷く。
たとえ妄想でも、今はそれに付き合ってあげてもいいかもしれない。
なんでもありませんでしたーというなら、それはそれで笑いあってしまえばいい。
エリシオのせーのっというか、控えめな掛け声で二人は駆けだした。
路地の石階段を駆け上がる。
石畳を蹴り上げる靴の音と荒っぽい息遣いが夜の闇に響いた。
街灯が点々と灯りをともしている。背の高い若い男と小柄な女性のシルエットが影となって落ちた。
そのしばらくあと、鳥打帽にジャケット姿の男のシルエットが路地に落ちた。二人、三人と複数の男だ。
同じように階段を駆け上がってきており、石畳を叩く靴音がこだました。
エルはちらりと後ろを振り向く。エリシオの言った通り、男たちが追っかけてくる。本気で走っているから、かなり強い意志をもっているのがよくわかる。エルの心臓が急に高鳴った。これが身の危険か、内臓と心が体を飛び出しそうだ。
「こっちだ」
エリシオが長い足を活かして先行するが、エルは息を切らしてついていくのが精いっぱい。
でも、さすがに止まることは怖くて無理だった。
「いたぞ」
ついに声まで聞こえてきた。
その声に恐怖が増幅され、足元の植木鉢に気づかず一緒になってひっくり返る。
「っ、いった~い!」
エリシオはすぐに引き返し、エルの手を引き、立ち上がらせる。
その手を離さないとばかりにエリシオは手首をぎゅっと握っていた。少し痛かったが、そんなことを言ってる場合じゃない。
足をもつらせないように全力でエリシオについていく。
体力は負けるつもりはない。
路地裏からやっとの思いで大通りに出て、噴水広場までたどりついた。
昼間は公園の中心にある池の噴水が訪れるものを癒すだろうが、今は噴水は止まっており、わずかな風に池の水面が揺れていた。
これでも有名な噴水らしい。
エルは腰の高さ整地された石に腰かけて、はあはあと息を整えるが、後からその石が噴水を説明する碑であることに気づき、慌てて降りた。
自身の行儀の良さを自嘲した。
エリシオはようやく手を放し、ふたりで肩で息をした。
「……久しぶりに走った。足、痛いよ。一体なんなの」
乾いた口元で唾を飲みこみ、軽口を叩く。
「わからない」
エリシオの声が低かった、まだ警戒しているのだろう。
「通り魔ではないと思う。明らかに僕らを追いかけてた」
暗がりで目が合い、二人して思わず逸らしてしまった。
「……ここからだと、会社の方が近いからいったん会社戻ろうか」
エリシオの真面目な提案に汗をぬぐいながら、うんうんとうなずいた。
あの会社は仕事柄、夜中でも平気で残っている人がいる。
逃げ込むには間違いない場所だ。
目抜き通りを経て、突き当たるこの噴水広場を右手に大手新聞社、左手に官庁街。
そう、この噴水広場は働く人の憩いの場なのだ。小さな鐘楼がとりつけられ、水の力だけで全自動機械式の噴水が備わっている。仕組みは知らない。オンオフは係員によるものとは聞いている。
この噴水は夜は止まっているはずだった。
しかし、その止まっている噴水から、勢いよく水が噴き出した。
周囲の街灯も順々に灯りがともっていく。
まるでここにいる二人を演出するように。
「止め忘れたのかな」
エルは呑気に感想を述べてしまった。
「いや、さっきは止まっていたから、きっと意味がある。誰かに見られているかも」
エリシオがまた険しい顔に戻る。
どうやら仕込みではないようだ。
では、逆に今度は危険が身に迫っている、とも思えてしまい、身震いする。
「失敗したかな」
エリシオの零した言葉を証明するように、広場を囲む木々の裏からわらわらと男たちが姿を現した。
噴水を背中にするのをやめて、石畳の床をそろりそろりと目抜き通りの方へ向かった。
しかし、男たちは一歩ずつ間合いを詰めてくる。
彼らの右手から月明かりが反射した。刃物だ。
背中に冷や汗がどっと噴き出て、生唾を飲み込み、エリシオの腕をつかんでしまった。
「エル、僕が時間を稼ぐ。会社に向かって全力で走ってくれ」
なぜ会社に?
いや、簡単だった。
助けを求めろということだ。
「うん、わかった」
返事をするしかなかった。上ずった声が自身の緊張を如実に表していた。
「一人で逃げろっていうわけじゃないならそうする」
緊張の汗が手のひらに滲む。エリシオの小刻みに震える手を軽く握る。
それで、決意を固める。
「すぐ、帰ってくるから」
エリシオだって緊張している。
エルはエリシオをいつものように見上げた。
月明かりの逆光であまりよく見えなかった。
妙に悲しい気持ちになってくるが、そんな感傷に浸っている間にエリシオはエルの前に出てしまった。
盾のつもりで、時間を稼ぐということだ。
彼は声を張って叫ぶ。
「僕は君たちを知っている、そして目的も」
ぶっ、とエルは吹き出しそうになった。
どう見ても怪しい男たちを前にどうして演説が始まるの!! と思わず可笑しくて笑いそうになったが口元を抑えて我慢した。
笑っている場合ではない。
「………見たまえ、僕たちの味方があちらからくるぞ」
宮殿の方へ指をさす。
そこには宵闇の虚空が広がっていた。
空いている逆の手でエリシオはエルの腰を叩いた。
行け、とばかりに。
馬じゃないだから、と反論したいところだが、その指示に従って、エルは駆けだした。
後ろは振り向かず。
エリシオが何やら叫んでいるが、不思議と相手の男たちは耳を貸しているようだ。延々とエリシオのよくわからない言説が聞こえてくる。
その間、エルは全力で走った。骨が折れても、腱が切れても、筋肉痛になっても、今は関係ない。
レンガづくりの建物が見えてきて、灯りがついているのも確認できた。あの位置なら、政治部だろうか。話もしやすい。
やった、待っててエリシオ。
心の中で拍手を送りたいが、まだ油断は出来ない。
車寄せもある立派な正面玄関は真っ暗だ、当たり前のように施錠されているだろう。
裏の通用口なら、と振り返った。
その時だった。
石畳を叩く、蹄鉄の音と車輪の音が近づいてくるのに気づいた。
政治部の明かりと見比べて、一瞬の判断。
エルは馬車に向かって駆け出した。
急にエリシオに強い力で肩を掴まれ、よろけるほどだ。
「なに、急に」
エリシオは口元に人差し指をあてる。
静かにしろのサインだが……。まったく意図が読めない。
「……誰かに尾行されている気がする」
「誰もいないと思うけど」
いい加減、面倒くさくなって、ジト目でエリシオの表情を伺うと思いのほか、険しい。
「エルは僕の話を信じてくれていると思っている」
真面目に言われても困るが、そこまで言うならとエルは首を縦に振る。
「合図したら、あっち向かって走ろう」
エリシオの指さす方向に眼だけで追う。
状況が腑に落ちないが、エルはちいさく頷く。
たとえ妄想でも、今はそれに付き合ってあげてもいいかもしれない。
なんでもありませんでしたーというなら、それはそれで笑いあってしまえばいい。
エリシオのせーのっというか、控えめな掛け声で二人は駆けだした。
路地の石階段を駆け上がる。
石畳を蹴り上げる靴の音と荒っぽい息遣いが夜の闇に響いた。
街灯が点々と灯りをともしている。背の高い若い男と小柄な女性のシルエットが影となって落ちた。
そのしばらくあと、鳥打帽にジャケット姿の男のシルエットが路地に落ちた。二人、三人と複数の男だ。
同じように階段を駆け上がってきており、石畳を叩く靴音がこだました。
エルはちらりと後ろを振り向く。エリシオの言った通り、男たちが追っかけてくる。本気で走っているから、かなり強い意志をもっているのがよくわかる。エルの心臓が急に高鳴った。これが身の危険か、内臓と心が体を飛び出しそうだ。
「こっちだ」
エリシオが長い足を活かして先行するが、エルは息を切らしてついていくのが精いっぱい。
でも、さすがに止まることは怖くて無理だった。
「いたぞ」
ついに声まで聞こえてきた。
その声に恐怖が増幅され、足元の植木鉢に気づかず一緒になってひっくり返る。
「っ、いった~い!」
エリシオはすぐに引き返し、エルの手を引き、立ち上がらせる。
その手を離さないとばかりにエリシオは手首をぎゅっと握っていた。少し痛かったが、そんなことを言ってる場合じゃない。
足をもつらせないように全力でエリシオについていく。
体力は負けるつもりはない。
路地裏からやっとの思いで大通りに出て、噴水広場までたどりついた。
昼間は公園の中心にある池の噴水が訪れるものを癒すだろうが、今は噴水は止まっており、わずかな風に池の水面が揺れていた。
これでも有名な噴水らしい。
エルは腰の高さ整地された石に腰かけて、はあはあと息を整えるが、後からその石が噴水を説明する碑であることに気づき、慌てて降りた。
自身の行儀の良さを自嘲した。
エリシオはようやく手を放し、ふたりで肩で息をした。
「……久しぶりに走った。足、痛いよ。一体なんなの」
乾いた口元で唾を飲みこみ、軽口を叩く。
「わからない」
エリシオの声が低かった、まだ警戒しているのだろう。
「通り魔ではないと思う。明らかに僕らを追いかけてた」
暗がりで目が合い、二人して思わず逸らしてしまった。
「……ここからだと、会社の方が近いからいったん会社戻ろうか」
エリシオの真面目な提案に汗をぬぐいながら、うんうんとうなずいた。
あの会社は仕事柄、夜中でも平気で残っている人がいる。
逃げ込むには間違いない場所だ。
目抜き通りを経て、突き当たるこの噴水広場を右手に大手新聞社、左手に官庁街。
そう、この噴水広場は働く人の憩いの場なのだ。小さな鐘楼がとりつけられ、水の力だけで全自動機械式の噴水が備わっている。仕組みは知らない。オンオフは係員によるものとは聞いている。
この噴水は夜は止まっているはずだった。
しかし、その止まっている噴水から、勢いよく水が噴き出した。
周囲の街灯も順々に灯りがともっていく。
まるでここにいる二人を演出するように。
「止め忘れたのかな」
エルは呑気に感想を述べてしまった。
「いや、さっきは止まっていたから、きっと意味がある。誰かに見られているかも」
エリシオがまた険しい顔に戻る。
どうやら仕込みではないようだ。
では、逆に今度は危険が身に迫っている、とも思えてしまい、身震いする。
「失敗したかな」
エリシオの零した言葉を証明するように、広場を囲む木々の裏からわらわらと男たちが姿を現した。
噴水を背中にするのをやめて、石畳の床をそろりそろりと目抜き通りの方へ向かった。
しかし、男たちは一歩ずつ間合いを詰めてくる。
彼らの右手から月明かりが反射した。刃物だ。
背中に冷や汗がどっと噴き出て、生唾を飲み込み、エリシオの腕をつかんでしまった。
「エル、僕が時間を稼ぐ。会社に向かって全力で走ってくれ」
なぜ会社に?
いや、簡単だった。
助けを求めろということだ。
「うん、わかった」
返事をするしかなかった。上ずった声が自身の緊張を如実に表していた。
「一人で逃げろっていうわけじゃないならそうする」
緊張の汗が手のひらに滲む。エリシオの小刻みに震える手を軽く握る。
それで、決意を固める。
「すぐ、帰ってくるから」
エリシオだって緊張している。
エルはエリシオをいつものように見上げた。
月明かりの逆光であまりよく見えなかった。
妙に悲しい気持ちになってくるが、そんな感傷に浸っている間にエリシオはエルの前に出てしまった。
盾のつもりで、時間を稼ぐということだ。
彼は声を張って叫ぶ。
「僕は君たちを知っている、そして目的も」
ぶっ、とエルは吹き出しそうになった。
どう見ても怪しい男たちを前にどうして演説が始まるの!! と思わず可笑しくて笑いそうになったが口元を抑えて我慢した。
笑っている場合ではない。
「………見たまえ、僕たちの味方があちらからくるぞ」
宮殿の方へ指をさす。
そこには宵闇の虚空が広がっていた。
空いている逆の手でエリシオはエルの腰を叩いた。
行け、とばかりに。
馬じゃないだから、と反論したいところだが、その指示に従って、エルは駆けだした。
後ろは振り向かず。
エリシオが何やら叫んでいるが、不思議と相手の男たちは耳を貸しているようだ。延々とエリシオのよくわからない言説が聞こえてくる。
その間、エルは全力で走った。骨が折れても、腱が切れても、筋肉痛になっても、今は関係ない。
レンガづくりの建物が見えてきて、灯りがついているのも確認できた。あの位置なら、政治部だろうか。話もしやすい。
やった、待っててエリシオ。
心の中で拍手を送りたいが、まだ油断は出来ない。
車寄せもある立派な正面玄関は真っ暗だ、当たり前のように施錠されているだろう。
裏の通用口なら、と振り返った。
その時だった。
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