称号は神を土下座させた男。

春志乃

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本編 2

第四十七話 苦悩する男

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 雪乃は寝室の暖炉の前の安楽椅子に座って、マフラーを編んでいた。
 寝つきの良いミアと双子たちはそれぞれすでに眠っている。ポチとタマもベッドで猫のように丸くなっていて、雪乃の傍らには暖炉で温まるテディがいる。夫はジョンとレオンハルトにねだられて、彼らの寝室にいる。真尋が王国風にアレンジした日本の童話が聞きたいらしい。
 今日の昼間、ミアと一緒に選んだ毛糸でまず初めにミアのマフラーを編んでいる。娘が選んだのは、可愛らしい濃い目の桃色の毛糸で、夫の好みでピンクの服を着ているのだと思ったが、ミア自身もこの色が好きなようだ。瞳が綺麗な珊瑚色なので、このマフラーもよく映えるだろう。
 マフラー自体はアラン模様で編んで、ミアにはかぎ針編みでお花のモチーフを幾つか作ってそれぞれ両端に飾ったら可愛いだろう。サヴィラはお年頃なのでシンプルなものがよいだろうから、フリンジをつけるだけだ。
 ゆらゆらと揺れながら雪乃は手を動かす。子どもたちのマフラーを編み終えたら、双子たちには毛糸の帽子を編むつもりだ。可愛いだろうから、ポンポンをつけてあげようかしら、あら、でもそれだったらミアとサヴィラにも作ったら可愛いわね、とあれこれ想像するとわくわくする。

「テディも何か編んであげましょうか?」

「ぐー?」

 テディは不思議そうに首を傾げた。
 彼の頭も体もとても大きいので、マフラーでも帽子でも作るには毛糸が大量に必要そうだ。
 ガチャリ、とドアが開いて真尋が戻ってきた。

「おかえりなさい。……なかなか寝なかったの?」

 時計を見れば一時間は彼らに話をしていたことになる。
 真尋はもう一脚の安楽椅子に腰を下ろす。

「いや、ジョンとレオンは割とすぐに寝た。サヴィラと今日買った本について話していたんだ」

「そうなの」

 夫の無表情がふわふわしているので、楽しい話ができたのだろう。
 雪乃も勉強は好きだったし、真尋先生は優秀だったので良い成績を収めていた。だが真尋とは頭の良さの土台が違うので、夫の小難しい学問関連の話はさっぱり分からないときのほうが多い。さっぱりわからないが、話している時の真尋がはしゃいでいて可愛いので、雪乃はいつも耳を傾けるのだ。

「お茶でも淹れましょうか?」

「まだ起きていたからヴァイパーに頼んできた」

 雪乃の問いに真尋が応えるとほぼ同時にノックの音がして、真尋が応える。
 ヴァイパーがトレンチを片手に部屋に入ってきた。
 失礼します、とヴァイパーが雪乃のそばの丸テーブルにガラス製のティーカップを置く。

「あら、いい香り。ハーブ?」

「はい。シケット村のすぐそばの森には上質なハーブが自生しているんです。眠る前ですので、安眠効果のあるハーブティーをご用意させていただきました」

「ありがとう。ハーブティーも好きなの、嬉しいわ」

「それは良かったです」

「ヴァイパー、ここでの仕事はやっていけそうか?」

 ヴァイパーからティーカップを受け取りながら、真尋が尋ねる。

「はい。ミツルさんは、素晴らしい先輩で、とても勉強になります。失敗してしまうこともあるのですが、それも学びの一つだと言っていただけて、ますます頑張ろうと思えます。村での仕事も嫌いではありませんでしたが、家のあれこれをしているほうがやはり性に合います」

「そうか。なら良かった。末永くよろしく頼むぞ」

「はい。こちらこそよろしくお願いいたします」

「では、眠る前にありがとう。カップは自分たちで片づけるから、もう休むといい」

「ありがとうございます。では、おやすみなさいませ」

 ヴァイパーは格段にきれいになったお辞儀をして、部屋を出て行った。充の指導が上手なのだろう。

「良い方に巡り合えたわね」

「ああ。本当に……うまいな」

「ええ、とてもリラックスできるわ。香りが瑞々しくて、澄んでいるの。本当に良いハーブなのね。シケット村はそんなに自然豊かなところなの?」

「いずれ、一緒に行くか。ポチがいればすぐだしな」

「ふふっ、楽しみだわ」

 日本にいたころから、雪乃と真尋は、眠る前にこうして夫婦で過ごす時間を設けていた。
 他愛のない話を取り留めもなくしたり、お互いに本を読んだり、編み物をしたりしてのんびりと好きに過ごすのだ。お互いの気配がそばにあるだけで、心地よい空間になる。

「マフラーか?」

「ええ。みんなでお揃いにするのよ。私の可愛い赤ちゃんたちはまだマフラーは巻けないから、毛糸の帽子にするの」

 カップをおいて、再び手を動かす。
 カチカチと編み棒がぶつかる小さな音と真尋が本のページをめくる紙の乾いた音が心地よい夫婦の沈黙に優しく寄り添う。

「……そういえば、キースは大丈夫だったか?」

 真尋が思い出したように問いかけてくる。
 今日の午後、ナルキーサスが彼女の夫を庭へと蹴り出したのは、記憶に新しい。

「そうねえ、ぶち切れていたけれど、双子を吸って自分を落ち着けていたわ。赤ちゃんの匂いって、なんであんなにいい匂いなのかしらね」

「…………そうか」

 雪乃は、夫が十一年前も、そして今もこっそり双子のお腹に顔を埋めて吸っていることくらい知っている。それに雪乃もついついやってしまうが、赤ちゃんは本当に甘くて柔らかくて、幸せな匂いがするのだ。

「キース先生は、きっとまだレベリオ様のことが好きなのね」

「……だろうな。……前に、彼女の懺悔を聞いたんだ。エルフ族の里に向かう道中でのことだ」

 夫の言葉に雪乃はちらりと彼に視線を向ける。

「息子を喪って、子どもも産めない自分は、子爵である彼にとってふさわしくない、と」

 雪乃は、なんとなく彼女の気持ちがわかる気がした。
 日本にいたころ、真尋の妻にふさわしくない、と言われるのは日常茶飯事だった。病弱で子どもも産めず、かといって夫のために社交をすることもままならない。お金に余裕のある彼らにしてみれば、雪乃が真尋してあげられることは金で雇える家政婦がすることと変わりないとまで言われたものだ。
 真尋からの愛を信じていたし、雪乃はそれくらいでは基本へこまないが、人間、疲れてしまうときだってある。
 彼に内緒で涙した夜だって、ほんのちょっとだけあるのだ。
 それを言われたことよりも、自分の無力さが許せなかった。

「それなら、なおさら……好きな人に今の自分を否定されるのは、辛いでしょうね」

「そうだな。キースは、息子を喪って悲しんで、それでも顔を上げて今を生きている。だが、レベリオはまだ息子の死の隣に座りこんだままなんだ。立ち上がって、彼女を追いかけないと、彼女を呼ぶだけでは距離は広がるばかりだろうな」

「追いかけるのがきっと、怖いのね」

「怖くてもやらなければ、本当に大事なものは手に入らないんだ」

「そうね……でも原因は割とはっきりしているキース先生夫婦はともかく、問題はアマーリア様たちよねぇ」

「……そうだな。ジークはアマーリア様や子どもたちに愛情がないわけではないみたいだ。アマーリア様が危険な目にあって我が家に避難したと言ったら血相を変えていたしな……ツンデレってやつか?」

「あら、そんな言葉、どこで覚えたの? ふふっ」

 夫の口から出てくるには珍しい言葉に思わず笑いがこぼれる。真尋は「一路がレイのことをそういってたんだ」と教えてくれた。
 なるほど、確かにぶっきらぼうだが優しいレイは「ツンデレ」に分類されるだろう。

「でもジーク様は、ツンしかないからだめねぇ」

「俺は君にはデレしかないがな」

「あらあら」

 くすくすと雪乃は笑う。
 夫のこういうところがたまらなく可愛いと思う。

「でも、真尋さんは二人の不仲について心当たりはないの?」

「……あくまで仮定で、俺が見ていて思っただけだが……まず前提としてジークが口下手で不器用なのが問題をややこしくしているんだろう。ジークはたぶん、アマーリア様と子どもたちを辺境伯家の問題から遠ざけておきたいんだ」

「ちらっと聞いただけですけど、なんだか危ないものねぇ」

「ああ。不仲であれば狙われないと考えているのかもしれない。俺にとって君が弱点であるように、ジークは妻子を弱点だと思われたくなかったのかもな。大事だから、遠ざけたのかもしれないが……やり方がへたくそすぎるし、そういうのは根底に厚い信頼がなければ、今回のことのようにしかならん」

「そうね。……例えば、真尋さんが急に何も言わずに私や子どもたちと距離を置き始めたら、私たちを守るために何かしているんだろうって思うけれど、それは私とあなたの間に信頼関係があるからだものね」

「それを作らず、その上、何も言わないから拗れているんだろうな。困ったものだ」

 はぁ、と真尋が溜息を一つこぼす。
 雪乃は「困ったわね」と苦笑いをしながら、ハーブティーを飲み干す。雪乃に倣うように真尋もカップを空にして、本をおいて立ち上がった。

「片づけて来よう」

「置いてくるだけでいいのよ? 洗おうなんて思わなくていいから、流しに置いてくるだけでいいの」

 子どもに言い聞かせるように告げれば、夫は少し拗ねた顔で頷き、カップを手に部屋を出て行った。すぐに戻ってきたところをみるに、雪乃のいう通りにしてくれたのだろう。
 雪乃が編みかけのマフラーをしまっている間に、真尋が暖炉の始末をつける。
 そして二人そろって、ベビーベッドをのぞき込み、双子に毛布をかけなおす。二人ともぐっすりと眠っている。
 ベッドに上がり、真尋が雪乃にキスをしてから、反対側へ回りミアの隣の定位置へと寝ころんだ。雪乃もミアの隣に寝ころぶ。

「おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

 ささやきあうように挨拶を交わし、真尋がろうそくの火を消して、穏やかな夜に身をゆだねるのだった。
 






「色々あった……いや、色々ありすぎではないですか?」

 昨日も来たばかりのカフェの個室で、昨日よりはしゃっきりしているレベリオが大分端折った真尋の説明に頬を引きつらせた。

「すごい、ケーキいっぱい。この三つは絶対食べるとして、これとこれはティナが好きそうだから、一緒に来た時の楽しみにしよ!」

「兄ちゃんと半分こするか? そうすればもっといっぱい食べられるぞ」

「やったぁ! 兄ちゃん大好き!」

「俺も!!」

 最近、塩対応だった弟の久々の大好きに海斗の顔に満面の笑みが浮かんでいる。
 海斗にいいように丸め込まれることの多い一路だが、なんだかんだ一路も一路でいいように兄を丸め込んでいるので、この兄弟は仲良く成り立っているのだと思う。
 レベリオがそんな兄弟を横目に再度口を開く。

「色々あって弟さんが赤ちゃんになった上、色々あって神父様の怪我が治ったって……その色々の部分を説明していただけませんか?」

「……レベリオ殿、俺は久々の休暇を楽しみたいんだ」

「は、はぁ」

「レベリオ殿が余計な詮索をせず、閣下に『神父様は療養継続がいいでしょう。なかなか魔獣につけられた傷は治りが遅いようですから』と報告していただきたい」

 レベリオが何とも言えない顔をしている。
 多忙な彼としては、元気になったのならブランレトゥに戻ってきてほしいに違いない。そうすれば真尋一家の主治術師になったナルキーサスも自動的にブランレトゥに帰ることにもなるからだ。

「こちらとしては収穫祭が控えているので、できればお戻りいただいて、ご助力願いたいのですが」

「帰ってもいいですよ。ただし……あちらに帰るということは、私は今後一切絶対に貴方とナルキーサスの仲を取り持ちませんが」

 真尋はかすかな笑みを口端に乗せて告げた。
 レベリオが雷に打たれたような顔になる。

「私は申し上げたはずです。『グラウ』で『一度だけ』と。でも今は貴方が下手を打ったので面会はとてもできる状態ではありません。ですが、早急にブランレトゥに帰るということは、グラウでとの約束ですから、あちらでは果たされないということになります」

「し、神父様……!!」

「そう、私は神父ですから、約束は守らないと。それに可愛い子どもたちの父親としても、やっぱり嘘はいけませんよね。父親としてお手本でいなければ」

 好きなように注文したケーキを食べながら一路と海斗が「神父って書いて詐欺師」「ほぼほぼ脅迫」とかなんとか言っている。こいつらには絶対、領主を連れ戻すという大役を押し付けようと真尋は決意した。あれこれこき使って悪いかな、と一応、なけなしの良心が訴えていたのだが、そんなものこの瞬間、綺麗さっぱりなくなった。

「う……ぐぅ……っ!」

 レベリオの心がが、私欲と使命感の間で揺れ動いているのが伝わってくる。
 ナルキーサスは、折り紙付きの魔導士だ。それがレベリオと離縁をしても、たとえ仕事をセーブしても魔導院院長のまま籍は残し、真尋一家の主治術師として領都を離れないのであれば、領主家もそれ以上のことを求めはしないだろうと予測している。この件に関しては、すでにジークフリートと交渉を始めている。離縁されて困るのは、レベリオだけなのだ。

「で、ですが、確実に離縁しないようにしてくれるわけではないですよね?」

「それは貴方の頑張り次第です」

「あまりに私が不利ではないですか? 私は離縁をしたくないんです!」

「……うちの海斗は、法律に非常に強く、弁が立ちます。今後、教会運営の法務部門は彼に一任するつもりですから。離縁届無効の訴えを出して争ってもかまいませんが、こちらは彼を弁護人として立てます。夫婦関係が破綻していることが公然の事実である以上、貴方の要求は棄却され、裁定人によって離縁が認められると思いますよ」

 レベリオが海斗を見た。
 海斗はにっこり笑って手を振った。

「それに私がブランレトゥに帰るということは、領主家のごくごく私的な夫婦間の問題も片付かない、ということです。アマーリア様は聡明な女性ですから、戻れと言われれば、すべてを飲み込んで領主家に戻るでしょう。ですが夫婦間のゆがみは、いずれ大きなひび割れになって、せっかく綺麗に掃除された家の中を真っ二つにしてしまうかもしれませんけど…………別に、いいんですよ?」

 真尋は煙草を取り出し、火をつける。
 レベリオが真尋の言葉の先を警戒するように身構えた。

「そうやって内側から壊れてしまったら、私がその座について、この地を治めたって……別に、いいんですよ?」

 ふーっと吐き出した紫煙の陰で口端に笑みを浮かべた。

「神父様は……っ」

「神父様は?」

「怪我の治りが遅く、まだグラウでの療養が必要と判断しました……っ!」

 レベリオがテーブルに突っ伏すようにして叫んだ。

「ありがとうございます。キースに書いてもらった診断書です」

 真尋は懐から取り出したそれをテーブルの上に置いた。レベリオが「なんて人だ……っ」と嘆きながら、それを受け取り懐にしまった。

「やってることがただの脅迫」

「しかも、有言実行でやりかねないから怖いよねぇ」

「お前ら今夜から領主探しな」

「えっ、嫌だ! まだ帰ってきて一週間も経ってないのに! もっとチビたちと遊びたい!」

「真尋くんは優しいなぁ!! 僕、真尋くん以上に優しい人なんて知らないよ!!」

 ぎゃあぎゃあ騒ぎ出した兄弟を無視して、真尋は再び紫煙を吐き出した。

「閣下からの手紙にもありましたが、領主家のあれこれは片付いたということでよろしいですか?」

「はい。それはもうきれいさっぱり……ダフネ護衛騎士扮する夫人が家に戻って二日後には襲撃されました。こちらも万全でしたので、返り討ちの上、全員捕縛することができました」

「そういえば結局、カロリーナ小隊長はこちらにいましたね」

 最初、護衛騎士役をカロリーナがするという話が上がっていたはずだが、カロリーナはグラウにいる。昨日も鍛錬にしれっと混ざっていた。

「……ええまあ、その、少々、彼女は領主夫人の護衛騎士にするにも、あの、がさつ、ではなく、その、お転婆、といいましょうか」

「言いたいことはわかりました」

 大股開いて座る癖が治らなかったんだろう。アマーリアはもとより、アイリスとダフネもそんな恰好で座りはしない。

「彼女は貴婦人には向いていませんが、実力は素晴らしいものですから、夫人の護衛をしていてもらおうということになったんです」

「なるほど。とはいえ、何はともあれ解決したのならばよかったです」

 短くなった煙草に火をつけて燃やしきる。

「一路、海斗、今日中に領主を探しに行きたくなかったら、あとは頼んだ」

 立ち上がった真尋にレベリオが「え?」と首を傾げる。

「か、帰るんですか?」

「ミルクの時間なんです」

「大丈夫だよ、真尋くんがいなくても、雪ちゃんとサヴィとアマーリア様とジルコンさんにマイカさんにティナにキース先生、みんなで誰かどうかミルクはあげてくれるし、おむつも替えてくれるから」

「そうそう。それに途中で帰ると、雪乃に怒られるぞ」

「…………」

 真尋はしぶしぶ、上げかけた腰を下ろす。
 そうなのだ。双子はとびきり可愛いので、みんなで奪い合うようにミルクをあげている。とくにジルコンとマイカは、家にいる場合、絶対にその権利を人に譲ろうとしない。両親である真尋と雪乃にさえだ。ちなみにリックは怖がってなかなか抱こうとしないが、アゼルみたいな大家族出身だというエドワードは、上手だ。今日も真尋たちが出かけてしまうため、リックとエドワードは家に残ってもらっている。

「可愛いよなぁ、一生懸命、ミルク吸ってる姿も起きて動いてる姿も、寝てても可愛い」

「わかる。僕もティナもメロメロだもん」

 この兄弟も隙あらばミルクの権利を横取りしてくるのである。
 大勢の人から愛されるのはいいことだ。いいことだと頭では分かっているが、いや、分かっているからこそ奪い合いなのである。
 
「では、とりあえず手短にお話をしましょう」

 真尋の不機嫌を敏感に察知したレベリオが言った。
 どうしてこの敏感さがナルキーサスには発揮されないのか、甚だ疑問だ。
 それからシケット村のこと、領主家のこと、収穫祭のあれこれと話し合えば、結局、時間がかかってしまった。

「世界樹のあるエルフ族の里ではなく、シケット村のほうが被害が甚大というのは想定外でしたね」

 テーブルの上に広げられた書類を片付けながらレベリオが言った。

「魔獣の群れが出たからね。がむしゃらに退治をしたものだから、毒の被害が広まってしまっていたんだよ」

 それに海斗が答える。

「そうだ、シケット村で思い出した。真尋くん、僕、あの村のレーズンをなんとか定期的に食べたいんだけど」

「お前ひとりじゃ勝手にしろというが、雪乃があれをいたく気に入っていてな。今回のもミアと一緒においしそうに食べているんだ」

「だって、シケット村のレーズンは、実が大きくて、すごい甘くてジューシーで美味しいんだもん。僕、ブランレトゥに帰ったら、絶対にリックさんの実家のパン屋さんでレーズンパンを作ってもらうんだ」

「ワインも美味いが、お前たちはレーズン派だよな。……ふむ、だが確かにあれがもともとの特産品であるワインの陰に隠れているのはもったいないな。少し考えてみるか」

 やったぁ、と一路が嬉しそうに顔を綻ばせ、海斗がそれを満足そうに見ている。

「色々あって赤ん坊になったという双子さん、とても小さかったですが何カ月なんですか?」

 紅茶に口をつけながらレベリオが問いかけてくる。

「二カ月くらいです」

「双子で二カ月というと大変でしょう?」

「ええ、まあ。でもサヴィとミアもよく面倒をみてくれますし、何より可愛がりたい大人が大勢いて、ミルクなんかは争奪戦ですよ。十一年前の時は私と母と家政婦しかいなかったので、それこそ戦争のような忙しさだったので、人手の多さのありがたみを痛感しています」

「……私もシャマールが産まれた際、本当に大変でした。キースが意識不明で、もともとエルフ族自体は乳母を雇う習慣がないんです。あまりに想定外のことで……ミルクバターは嫌がって飲まず、たまたま使用人に子どもを産んだばかりの人がいて、乳がたくさん出ていたので飲ませましょうかと申し出てくれたのですが、息子が母親のもの以外を嫌がって。結局、意識がない彼女をメイドが支えて、なんとか乳をくれていたんです」

「それは大変だったでしょう?」

「ええ……でも、キースは目覚めてくれました。私の泣き顔を見て、第一声『不細工だな』と笑っていましたが」

 レベリオは懐かしそうに目を伏せた。

「…………エルフ族の里から帰ってから、色々と思い出すんです。彼女のこと、シャマールのこと。前に神父様とリック騎士が言っていた通り、心を落ち着けて思いだすと……あの子は、いつだって笑っているんです。あの子も、キースも」

「レベリオ殿、貴方やキースは私たちの何倍も永い時間を生きます」

 レベリオは不思議そうに真尋を見た。

「喧嘩して十二年なんて、人族である私たちにとったら長すぎて修復は難しいでしょう。でも、貴方たちには時間がある。それを活かすのも強みになるはずです。今日明日修復できなくても、また十年後には違った形があるかもしれないでしょう?」

「そう、でしょうか」

「……レベリオ殿、絶対にウィルフレッド閣下に私はまだ寝たきりだったと報告してくれるなら、良い事を一つ教えてあげましょう」

「エルフ族は、約束を違えませんよ」

「でしたら……一つだけ。……キースが、貴方と別れたいのは、貴方のためです」

「私の、ため?」

 レベリオにとって、それは予想外すぎたのだろう。虚を突かれた顔で首を傾げた。
 ナルキーサスがいないと生きていけない彼にとって、自分のために離れようとするナルキーサスの心が分からないのだろう。

「これ以上は私の口からは言えません。……それがどうしてか、考えてみてください。誰かに聞いてみるのも、書物を読み漁るのもいいでしょう。ただ……私が貴方に少しでも協力するのは、私が愛情深いティーンクトゥス神を祀る教会の神父だからで、間違っていたかもしれないけれど貴方のナルキーサスへの愛情を確かに感じたからです」

 そう告げて真尋は立ち上がる。

「では、お先に失礼。愛しい妻と可愛い子どもたちが待っていますので」

「あ、待ってよ。僕らも帰る!」

「俺も帰ろ。レベリオさん、またね」

 バタバタと、たらふくケーキを食べた兄弟が後についてくる。
 レベリオは思案顔で「ええ、また」とだけ言ったが立ち上がる気配がなかったので、彼をおいて部屋を出る。
 会計を済ませて、店の外へ出る。大分長いこと中にいたようで、陽が陰っていた。

「丸く収まるといいねぇ」

 一路が言った。

「俺はよく知らないんだけど、息子さんがいるのか?」

「正確に言えば、いた、だ。七つの頃に病気でな。それ以来、夫婦の仲がぎくしゃくしているんだ」

「子はかすがいって言うしな」

「……ところで真尋くん、今夜から領主探しに行けとは言わないよね??」

「言ってほしいのか?」

「嫌だ!」

「じゃあ、まだ先で構わん。お前たちも帰ってきたばかりだしな……ただ、キース夫妻はともかく、こっちは仲直りしてくれないと困るんだ。今後の俺の快適な生活は、ジークにどれだけ貸しを作り、弱みをいかに握れるかにかかってるんだ」

「……お前、本当に神父????」

「神父だが?」

 真顔で確認してきた海斗に真尋も真顔で返した。

「あ、パパ!」

 可愛い娘の声に顔を向ければ、門の鉄柵の向こうでミアがぴょんぴょんしている。
 門を開けて中へ入れば「おかえり!」と飛びついてきた娘を、ひょいと抱き上げる。

「もう薄暗いのに外にいたのか?」

「パパがかえってくるかなって、みにきたの! みっちゃんとテディとポチちゃんもいっしょよ」

 娘しか見ていなかったのだが、その言葉通り、園田とテディとポチがいた。

「おかえりなさいませ、真尋様、海斗様、一路様」

「ああ、ただいま。変わりないか」

「はい。お手紙がいくつか届いております」

 家へと歩きながら園田の報告を聞く。

「どこからだ」

「ジョシュア様、ウィルフレッド団長様、領主様、冒険者ギルドマスター、孤児院からの定期報告書、あと……こちらはすぐに確認したいかと」

 園田が懐から取り出した手紙をミアが受け取る。

「ええっと……く、ろーど。クロードおじちゃんからよ!」

 最近、少しずつ文字が読めるようになったミアが教えてくれる。うちの子は可愛くて天才だ。
 ミアが持つ手紙を開けて中身を取り出す。

「……ふむ、準備が出来次第、近々来てくれるそうだ」

「じゅんび? クロードおじちゃん、なにしにくるの?」

「ママたちのギルドカードを作るんだ。ミアも作っただろ」

「うん。ママもつくるの?」

「ああ。ママと双子と海斗と園田が作るんだ。ないと色々と不便だからな。……ああ、そうだ。海斗、園田、お前たちはどうする? 俺と一路は冒険者登録して、ギルドカード自体の発行は冒険者ギルドなんだ」

「俺も冒険者ギルドがいいかな。せっかく狩りに行くんじゃ、利益が出るほうがいいし」

 海斗が言った。
 彼はイギリスで、祖父とともによく狩りに出かけていたのだ。一路は絶対にいかなかったが。

「私はどうしましょうか」

「お前は……どうなんだろうな。クロードに相談してみよう」

「はい。真尋様のお役に立てるところでカードを作りたいです」

「勤勉なことだ。あとヴァイパーの雇用契約も見てもらおうと思っているんだ。その辺の資料もそろえておいてくれ」

「かしこまりました」

 玄関に着き、園田がドアを開けてくれて中へと入る。
 リビングのほうがにぎやかだったが、まずは洗面室に行って手洗いうがいを済ませる。雪乃と赤ん坊がいるので、大事なことだ。

「あら、あなた、海斗くんと一くんも。おかえりなさい」

「おかえり。結構時間がかかったね」

 雪乃とサヴィラに返事をしながら、真尋はミアを抱えたまま雪乃の隣に座る。
 大人たちはソファに座っているが、子どもたちはテーブルをどかして、絨毯の上にいる。彼らの目の前にはマス目の書かれた大きな紙が広げられていて、コインやどんぐりが置かれていた。

「……何をしてるんだ?」

「すごろく。ミツルが作ってくれたんだ」

 よくよく見れば、マス目には『三つすすむ』とか『好物を言う』とか『一回休み』とか書かれている。どうやらコインやどんぐりは、彼らのコマだったようだ。
 今度、人生ゲームでも作ってやろうと決める。一路の家にあって、遊んだことがあった。

「ミアがすごく強くて……一発で上がったんだよ」

「僕、もう五回は一度、ゴールに行ったんだけど、ぴったりの数字が出ないんだ」

 どうやらゴールするには、ゴールまでのぴったりの数字を出さないといけないルールのようだ。
 レオンハルトが木製のサイコロを振った、出た数字は五でゴールに到達するも、三マス戻る。するとそこには「一回休み」と書かれていた。

「うー、まただ!」

「次は僕ね! えい! 三! 三だよ! さ、あぁぁあ、六ぅ……!」

「七マスもどれ、ですわ!」

「なかなか手厳しいな」

 子どもたちがにぎやかに遊ぶのを真尋は眺める。一路と海斗が自分のコマを用意して参戦する。なかなかゴールができないので、いい勝負になるかもしれない。ミアが真尋から降りて、サヴィラの隣に座ってシルヴィアを応援し始めた。
 ちなみに双子はティナとアマーリアの腕の中にいた。ジルコンとマイカは、姿が見えないので出かけているか、温泉に入っているかのどちらかだろう。

「お話、ちゃんとしてきたの?」

 雪乃が首を傾げる。

「ああ。色々と報告を兼ねてな……それとまあ、少しだけアドバイスをしてきた」

 ちらりと雪乃がレオンハルトの隣に座り、彼の代わりにサイコロを投げたナルキーサスへ視線を向けた。残念ながらゴールはできなかったようだ。

「……答えを見つけられるといいわねぇ」

 小さく微笑んだ雪乃に「そうだな」と頷き、園田に手紙や報告書を持ってくるように頼む。
 思ったより分厚い束に辟易しながら目を通す。ジョシュアからの手紙は、中にジョン宛のものもあったので、一回休みになってしまった彼に渡しておく。
 他は大体が、滞りなく通常通りという報告書だったが、孤児院からの報告書は真尋宛にお見舞いのカードがたくさん入っていた。どうりで分厚いわけだ、と頬が緩む。
 文字が書ける子は「お大事に」とか「早く良くなりますように」とメッセージを書いてくれ、字が書けない幼い子たちは、真尋の似顔絵を描いてくれていた。

「ふふっ、可愛らしいカードね。みんな、本当に良い子たちだわ」

「ああ」

 横からカードをのぞき込んで雪乃が微笑む。真尋は一つ一つ丁寧に目を通し、アイテムボックスにしまった。
 孤児院の子どもたちへのお土産は何にしようか、と悩むと同時に、停止している養子縁組をいつ再開させるかも悩みどころだ。だが、子どもたちはあっという間に大きくなってしまうし、とくに乳児はなおのことだ。

「ところで、今夜の夕飯は?」

「煮込みハンバーグよ。子どもたちと午後、作ったの」

「それは楽しみだ」

 他愛のない話をしながら、真尋は報告書に目を通しつつ、夕食までの穏やかなひと時を過ごすのだった。

 
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