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Scene 3
3-2
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通知を受け取ってから一日、また一日と時間は流れていった。
雪音は変わらず『ムーンリバー』で働き、いつもの日々を過ごした。いや、いつもどおりとは言えなかった。雪音自身も自分がそわそわしていることを自覚していた。
休みの日も可能な限り、家の中から離れることはなかった。
この店で働いていることも通知されていると綺羅から聞いていたので店にやってくるかもしれないとも思っていた。
店のドアが開くたびに亮介がやってきたのではないかと思わず目を見開いてドアを見たが、似た面影を持つ人物さえ店を訪れることはなかった。
「お客さんが来てため息をつくのは困るなぁ」
マスターの高橋の声でハッとなり振り向くと、高橋は怒っている様子はなく苦笑していた。
「あっすいません! いや、その。そんなつもりじゃなくて……」
「いやいやいや、こっちこそからかってごめんよ。まぁ無理もない」
慌てふためく雪音に高橋がにっこりと微笑む。
「雪音ちゃんは本当にずっと待ってるんだねぇ」
この日もカウンター席に来ている伊沢が頬杖をつきながら言った。
「こんなに長い間、すごいものだね」
「こんなに長い間、私なんかをからかい続けてる伊沢さんもすごいですけどね……」
雪音の言葉に「一回もからかってなんていないけどなぁ」と伊沢は笑った。
「いっそ……『こんなに待ってるんだ!』って旦那に言いに行ってみるかい?」
「ええ!?」
伊沢の言葉に雪音は驚きの声をあげた。
「別におかしな話じゃないだろう? この国では先に来たものが待ち続けていなきゃいけないなんて決まりはないだろ? ねぇマスター?」
伊沢が話を振ると高橋は「そうだな」と頷く。
「まぁ……この国だって時代は変わっていくもんだろう。待つことだけが美徳だって時代は終わってもいいのかもしれん」
「ほら、歴史の先輩であるマスターも言ってるわけだし。いっそこっちから『オマエ、どういうつもりなんだ!』って行くのもありだよ」
「え、いや、でも、いまどこにいるのかさえ分からないのに……」
「そこはさ、ほら、ねぇ?」
と伊沢が後ろを振り返る。
そこにはテーブル席で本を読んでいる綺羅がいた。彼女の右太ももの上で猫のゆんがじゃれていた。
「え、なんですか急に」
「綺羅ちゃんだってこっちの話を聞いてたんだろ?」
「何を根拠に!」
「だってさっきから1ページも進んでないだろ、その本」
「う……」
図星だった。綺羅はずっと会話を聞いていた。
しかし、伊沢の質問は実は「カマかけ」だった。伊沢は背後の様子などわかるはずもなく、綺羅ならば聞き耳を立てていると思っていたので言ってみただけだった。
「わ、私に何をしろと?」
「綺羅ちゃんなら雪音ちゃんの旦那がこの国のどこに住んでるかなんて簡単に調べられるだろ?」
「えーっ! いや……そういうことやってバレたら私の立場が……」
「だって友達の雪音ちゃんが恋焦がれて悩んでるんだよ。動いてあげないのかい?」
「うーん……バレないようにやるしか……えーと……」
「ちょっ、ちょっと! 綺羅ちゃんに悪事させてまで住所割り出さなくていいですから! そんなの私が望んでません! 私は……待ちますから!」
困惑する綺羅と微笑む伊沢の間に慌てて雪音が割り込んだ。伊沢は微笑む。
「こんなに待っても来ないのに?」
「……でも、待ちます」
「これからも来ない可能性はあるのに?」
「亮介さんには……亮介さんの考えがあると思います。もし、私を選ばなくても、一人の道を選んだとしても、私じゃない人を選んだとしても、それでもいいんです!」
「えっ……」
驚きの声をあげたのは綺羅だった。伊沢は表情を崩さず、黙って聞いていた。
「もし雪音ちゃんじゃない人を選んでたら……悲しいことだよね?」
「悲しいことですけど……現世で亮介さんは自分を犠牲にして、やりたかった研究も諦めて、娘を育ててくれたんです。本当なら私がすべきこと、私がしてあげたかったことをやってくれたんです! 私は……感謝することはあっても、彼を恨むことはないです。だから……私から追いかけるなんてできません」
意志の強そうな瞳が伊沢を見た。その強さは横目で見ていた綺羅もたじろぐものがあった。
その瞳を向けられた伊沢自身はフッと微笑みを浮かべたまま「そうか」と言った。
「雪音ちゃんの中から彼を消すことはできないということがよくわかったよ」
「……伊沢、さん?」
「どうしても……オレのものにはならないんだってこともよくわかったよ。それなら……」
その言葉の続きを雪音は待ったが、伊沢は何も言わなかった。伊沢はコーヒーの代金を置いて、『ムーンリバー』を出ていった。
「ちょっと伊沢さんが寂しそうでしたね……」
伊沢がいなくなったカウンターを見たまま綺羅が言った。
高橋は「さてね」と空になったコーヒーカップを片付けはじめた。
綺羅の元は離れたゆんが雪音のもとへと近づいてきた。雪音はゆんを抱き上げ、明日、伊沢に何を言おうとしたのか聞いてみよう、と考えた。
しかし、その翌日、伊沢は『ムーンリバー』へやってくることはなかった。
雪音は変わらず『ムーンリバー』で働き、いつもの日々を過ごした。いや、いつもどおりとは言えなかった。雪音自身も自分がそわそわしていることを自覚していた。
休みの日も可能な限り、家の中から離れることはなかった。
この店で働いていることも通知されていると綺羅から聞いていたので店にやってくるかもしれないとも思っていた。
店のドアが開くたびに亮介がやってきたのではないかと思わず目を見開いてドアを見たが、似た面影を持つ人物さえ店を訪れることはなかった。
「お客さんが来てため息をつくのは困るなぁ」
マスターの高橋の声でハッとなり振り向くと、高橋は怒っている様子はなく苦笑していた。
「あっすいません! いや、その。そんなつもりじゃなくて……」
「いやいやいや、こっちこそからかってごめんよ。まぁ無理もない」
慌てふためく雪音に高橋がにっこりと微笑む。
「雪音ちゃんは本当にずっと待ってるんだねぇ」
この日もカウンター席に来ている伊沢が頬杖をつきながら言った。
「こんなに長い間、すごいものだね」
「こんなに長い間、私なんかをからかい続けてる伊沢さんもすごいですけどね……」
雪音の言葉に「一回もからかってなんていないけどなぁ」と伊沢は笑った。
「いっそ……『こんなに待ってるんだ!』って旦那に言いに行ってみるかい?」
「ええ!?」
伊沢の言葉に雪音は驚きの声をあげた。
「別におかしな話じゃないだろう? この国では先に来たものが待ち続けていなきゃいけないなんて決まりはないだろ? ねぇマスター?」
伊沢が話を振ると高橋は「そうだな」と頷く。
「まぁ……この国だって時代は変わっていくもんだろう。待つことだけが美徳だって時代は終わってもいいのかもしれん」
「ほら、歴史の先輩であるマスターも言ってるわけだし。いっそこっちから『オマエ、どういうつもりなんだ!』って行くのもありだよ」
「え、いや、でも、いまどこにいるのかさえ分からないのに……」
「そこはさ、ほら、ねぇ?」
と伊沢が後ろを振り返る。
そこにはテーブル席で本を読んでいる綺羅がいた。彼女の右太ももの上で猫のゆんがじゃれていた。
「え、なんですか急に」
「綺羅ちゃんだってこっちの話を聞いてたんだろ?」
「何を根拠に!」
「だってさっきから1ページも進んでないだろ、その本」
「う……」
図星だった。綺羅はずっと会話を聞いていた。
しかし、伊沢の質問は実は「カマかけ」だった。伊沢は背後の様子などわかるはずもなく、綺羅ならば聞き耳を立てていると思っていたので言ってみただけだった。
「わ、私に何をしろと?」
「綺羅ちゃんなら雪音ちゃんの旦那がこの国のどこに住んでるかなんて簡単に調べられるだろ?」
「えーっ! いや……そういうことやってバレたら私の立場が……」
「だって友達の雪音ちゃんが恋焦がれて悩んでるんだよ。動いてあげないのかい?」
「うーん……バレないようにやるしか……えーと……」
「ちょっ、ちょっと! 綺羅ちゃんに悪事させてまで住所割り出さなくていいですから! そんなの私が望んでません! 私は……待ちますから!」
困惑する綺羅と微笑む伊沢の間に慌てて雪音が割り込んだ。伊沢は微笑む。
「こんなに待っても来ないのに?」
「……でも、待ちます」
「これからも来ない可能性はあるのに?」
「亮介さんには……亮介さんの考えがあると思います。もし、私を選ばなくても、一人の道を選んだとしても、私じゃない人を選んだとしても、それでもいいんです!」
「えっ……」
驚きの声をあげたのは綺羅だった。伊沢は表情を崩さず、黙って聞いていた。
「もし雪音ちゃんじゃない人を選んでたら……悲しいことだよね?」
「悲しいことですけど……現世で亮介さんは自分を犠牲にして、やりたかった研究も諦めて、娘を育ててくれたんです。本当なら私がすべきこと、私がしてあげたかったことをやってくれたんです! 私は……感謝することはあっても、彼を恨むことはないです。だから……私から追いかけるなんてできません」
意志の強そうな瞳が伊沢を見た。その強さは横目で見ていた綺羅もたじろぐものがあった。
その瞳を向けられた伊沢自身はフッと微笑みを浮かべたまま「そうか」と言った。
「雪音ちゃんの中から彼を消すことはできないということがよくわかったよ」
「……伊沢、さん?」
「どうしても……オレのものにはならないんだってこともよくわかったよ。それなら……」
その言葉の続きを雪音は待ったが、伊沢は何も言わなかった。伊沢はコーヒーの代金を置いて、『ムーンリバー』を出ていった。
「ちょっと伊沢さんが寂しそうでしたね……」
伊沢がいなくなったカウンターを見たまま綺羅が言った。
高橋は「さてね」と空になったコーヒーカップを片付けはじめた。
綺羅の元は離れたゆんが雪音のもとへと近づいてきた。雪音はゆんを抱き上げ、明日、伊沢に何を言おうとしたのか聞いてみよう、と考えた。
しかし、その翌日、伊沢は『ムーンリバー』へやってくることはなかった。
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