抱擁レインドロップ

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二話 疑うとか、信じるとか

03

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 そうして適当に過ごしていたら12時を過ぎたので、食堂に向かってみる。
 広いせいかさすがに廊下まで匂いはしなかったが、襖を開けるとほんのりと香ばしい香りがした。

「……チーズ?」

 和食一辺倒を想像していただけに、まさかの洋食オーラを不思議に思う。
 とはいえ和食一辺倒は絶対に飽きるし、とおるの様子からして外食に行くのも簡単ではなさそうなので、森田のレパートリーが広いのなら助かるのは事実だった。

 食堂は自室として宛がわれた部屋と同じくらいに見えたが、確か地図では倍ぐらいあったはず。
 調理場とは反対側は襖になっているので、そこを開け放てば大広間として使えるという構造のようだ。
 六人くらいは座れそうな座卓があるものの、とおると森田と泉の三人を想定していたならもっと小さくても良かったのではないかと思った。
 割烹着姿の森田はなぜか台所ではなく座卓のそばに置いた座布団に腰を下ろして読書をしており、泉に気付くと栞を挟み込みながら顔を上げる。

「あら、泉様」
「こんにちは。あの、様付けはやめて頂けたら……」

 さっき誰かさんと同じやりとりをしたような。
 確かに森田からすれば、とおるの妻になるかもしれない泉は目上にあたるのだろう。
 だが自認が小娘である泉からすれば、倍以上は生きていそうな森田を下に見るなんて出来ない。

「それでしたら、泉さん。今日のお昼はシーフードドリアなのですが、お嫌いではありませんか」
「いえ、全然。むしろ好きなくらいです。てっきり和食しか出て来ないと思ってたからびっくりしました。……森田さんは、焼き上がり待ちですか?」

 呼び方を改めて貰えたので安堵する。
 それになんだか森田の態度が昨日より柔らかいような気がした。
 淡い笑顔を浮かべ、まるで母親のような目で泉を見つめてくる。

「ええ、ドリアはオーブンに入れたらほったらかしで済みますし。サラダとスープも出来ておりますので、30分に合わせて少しスープを温め直すだけですね。和洋中、それなりにお作り出来ますのでご安心ください」

 存外俗っぽいことを言うのだなと、少し親近感が湧いた。
 鬼の居ぬ間になんとやらではないが、とおるについていろいろ尋ねる機会かもしれないと思い森田の隣に腰を下ろす。

「あの、とおるさん含めて謎だらけなのでいろいろお尋ねしたいんですが」
「そうでしょうね……泉さんからすれば、ご不安だらけですよね。私で良ければご相談に乗れますが、お答え出来ないものもありますので、そこはご了承ください」

 やはりか。
 口止めされているのかなんなのか。
 少なくとも『とおるが泉を娶りたがっている理由』は森田からも聞けないと思って良さそうだ。

「えーと……では。このお屋敷、森田さんがひとりでお手入れしているんですか?」

 さすがにこれは答えてくれるだろう。
 YESと言われたら、正直森田も人間の範疇を超えていると感じてしまう。
 妙齢の女はくすりと笑うと、控えめに口許に手を遣った。

「いいえ、まさか。住み込みでお勤めしているのは私だけで、お掃除はいわゆるパートタイマーの方が雇われています」
「そうでしたか、良かった……まさか森田さん一人で全部やってるなんて言われたら森田さんまで掃除の神様かなにかかと思っちゃうところでした」
「ふふ、そうなれるのも素敵ですね。昔はもっと住み込みが居たのですが、泉さんを娶りたいとご決断されてから泉さんが委縮してしまわれないようにと私一人に絞られました。……どうでしょう、とおる様とは上手くやっていけそうでしょうか」

 随分ド直球に聞いてくれる。
 それが解ったら悩んだりしないし尋ねようともしないと、察せそうなものなのに。
 そもそも『泉を娶りたいと決断してから住み込み人数を絞った』も相当引っかかる。
 いつの話だ? 『昔は』と言うからには、母に連絡が来た半年前より前だろう。

「とおるさんとどうこうより、とおるさんが私を嫁にどうこうって、いつから――」

 そう尋ねた瞬間、静かに襖が開かれた。
 とおるが入ってきたのを見て、タイミングの悪い人だなと思う。
 いや神だけど。

「おや、泉さんは先にいらしていたのですね。……この香りはドリアでしょうか」
「ええ、せっかくですしとおる様のお好きなものをお作りしようと思いまして。もう焼き上がるところですので、少々お待ちくださいね」

 スープも温めて参りますから、と言ってそっと本をポケットに仕舞うと森田は台所へと消えていく。
 また人間濃度が下がった!
 さらに追い討ちの如く、とおるはいそいそと泉の隣、先程まで森田が座っていたほうと反対側に腰を降ろす。
 普段座るの絶対そこじゃないだろう。

「意外ですね……とおるさん、ドリア好きなんですか」
「はい、チーズが伸びるのが面白くて……」

 にこにこしながら答える龍神。
 泉はとりあえず雑談で場を繋ぎつつ、とおるの人物像を自分なりに解釈していこうと思った。

「神様でも食事が必要なのも意外でした。なんだかこう、気? とか吸ってるイメージが」
「そうですね、昔は似たようなものでしたが……人の姿を取るようになってからは、性質が人間に近付いたようです」

 また突っ込みどころの発生だ。
 『人の姿を取るようになった』とはどういうことなんだ。

「どのぐらいこういう生活をしてるんですか?」
「ええと……30年と少し……35年くらい、でしょうか」
「34年ですよ」

 お待たせしました、と森田がトレイに料理を載せて運んでくる。
 グラタン皿にはこんがりと焼き目の付いたシーフードドリア。
 サラダにはトマトとゆで卵が添えられ、スープはコンソメベースの野菜スープのようだ。
 デザートにはオレンジが剝かれていて、皮と種は丁寧に取り除かれている。

「そうです、34年前からこう……ですね。わあ、いつもながら美味しそうです」
「ふふ、泉さんの分も今お持ち致しますね」
「あ、ありがとうございます……」

 ドリアの完成で掘り下げるタイミングを見失ってしまった。
 しかも、辛いことに森田の作ったドリアはとんでもなく美味しそうである。
 チーズに覆われているが少なくとも海老やホタテ、イカらしきものが確認でき、家庭料理の域を超えていた。
 泉も母が仕事を始めて多忙になってから食事を作ることは多々あったが、だからこそこれだけ手の込んだ料理を作れてしまうことの凄まじさが解る。
 しかもレパートリーが広いなら、少なくとも食事に関しては大満足で過ごせそうだ。

「では、頂きましょう」

 結局突っ込みどきを見失ったまま、三人分の食事が運ばれて全員で手を合わせることとなった。
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