ネイルの残像

有森崎あたる

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3. 落としたタバコとワインレッドのネイル

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「ヤベー、もう入場始まってる」

駅からまっすぐ歩いて、人だかりが多いコンビニの角を曲がると、さらに人が集まっている一角があった。

今日訪れるところのライブハウスだ。

お揃いのTシャツを着たグループ、キャッキャッと騒がしい女子大生らしき女の子同士、明らかに高校生とわかる顔つきの学生連れ、ロックグループの1人のファンである髪型を真似て、赤く染め上げた髪をなびかせる男子や女子たち。いろんな人種がカオスのごとく群がっていた。

「今から言う整理番号から入場してくださーい!」

ロックバンドの名前のロゴが入った黒いTシャツを着、耳にイヤモニを付けた若い男性スタッフが、ひと際大きな声を張り上げながら、群がる人々の間を器用にすり抜けてゆく。

すると、どうだろう。今までバラバラに無造作に散らばっていた人々が、互いのチケットに書かれた整理番号を確認しながら、個々に並んでゆく。ゆっくりではあるが、それはまるで蟻の行列かのように、秩序よく整列し出した。

「俺たちも並ぼうぜ」

健人と近藤2人、150、151と書かれた整理番号の順序の場所を探し、列に収まった。

普段の平日、会社と家との行き来の環境からは出会うことのない人種がここに集まり、小さくて四角いライブハウスの入り口へと吸い込まれるように入っていく。これから同じ箱の中に収まろうとしている状況に、健人は、自身の奥深く沈めていたハイな感情がゾワゾワとせりあがり、トリップしそうな予感から、

「ハハ、久しぶりにハメはずしそう…」

ボソッと呟いたつもりだったが、混沌とした雑音の多いこの場所で近藤にも聞こえたのか?聞こえなかったのか?

「明日は休みだし、今日は弾けようぜぇ!」

と、健人に答えるかのように言うと、笑った。

2人がライブハウスのロビーにたどり着いた頃には、グッズを買い漁るファンで中はごった返していて、ホールへの行く手を阻むかのように、人々が無秩序に入り乱れている。

「健人、ドリンクもらってくるわ」

入場した時、入り口で購入したワンドリンク用のチケットを握りしめ、近藤が気を利かす。

「俺、ミネラルウォーターで」

と、言った健人の言葉が耳に届いたのか?その声は周りの雑音に消されるかのようで、ドリンクカウンターの方に向かって行った近藤は、一度も振り返ることなく、その背中は人混みに揉まれるように見えなくなった。

人々が行き交う狭いロビー。ライブハウスの冷たいコンクリートの壁際に人が1人佇むくらいの空間がポッとできたのを、咄嗟に視界に入れた健人は、そのスラリとした細い体を滑らし、人波をくぐり抜けて何とかその空間にたどり着いた。

(ここで近藤さんが戻るのを待つか…)

ガヤガヤと騒がしく、淀んだ空気が滞留するかのようなホールの片隅で、健人はスマホを取り出し、メールやメッセージをチェックし出した。

(やべー、まだ返事返してなかった…)

スマホの画面に指を滑らし、友達からの連絡を返信し出す。

無意識に、手慣れた手つきでポケットからタバコを出そうとして、

(あ、ここ、禁煙だわ…)

と、思い出したかのように取り出したタバコの手をクッと止めた。

ハァァァー…

と、大きくため息をつくと、

(外で一服しとけば、よかったな…)

宙を見上げては、また、フゥ…と煙を吐くかのように、深呼吸した。その拍子に、

コトッ…

タバコを床に落としてしまった健人は、拾おうと腰を屈め、タバコに手を伸ばそうとしたその瞬間、

サッと横から誰かの手が伸びてきた。

ライブハウスのホールの薄暗い照明の下、青白く浮き上がって見えたその手の指先には、ワインレッドのネイルがねっとり濡れたように光って見えた。

(え?女?)

視界に入ってきたネイルに、健人は思わず視線を奪われる。

床に落ちたタバコを掴むその指先は、タバコの青いパッケージにワインレッドのカラーが鮮やかに浮かび上がり、健人の目に焼き付く。

「はい」

透き通るような声。

健人は屈めていた体を起こし、声の主の方に顔を向けると、そこには、肌の色が白く、茶髪の髪を肩まで伸ばした端正な顔つきの人物が立っていた。
くっきりとした二重に、切れ長ながら魅力的なアーモンドアイのその瞳は憂いを含み、薄ピンク色の艶やかな口元。長めの髪は、ふんわりとゆるくカーブを描き、あでやかで美しく、その人物は、ニコッと微笑んだ。

ドキッ!

健人は、不意に向けられた笑顔に、1つ心拍数が上がるのを感じる。

(き、綺麗…な人…)

目の前に立つその人物は、健人に一歩歩み寄ると、まるで光の輪に包まれたように周りの人ごみからポワッと輝くように浮き立って見え、真っ白いシャツを纏っている胸元は、スラリと平坦で、少しはだけた襟元からは、ほのかな甘い香りが漂っていた。

(え?え?男?)

その胸元に視線を送ったが、再度、その人物の顔に視線を戻すと、どこで線引きしてよいものか、はっきりしない性別に、健人はすぐに言葉が出てこなかった。

普段は物怖じすることなく、人付き合いもよい健人であるが、目の前の人物の、人を強烈に惹きつける美しさを前に気後れしてしまい、

「…あ、ど、どうも…」

と、素っ気ない短い言葉を発し、タバコを受け取ると、スッと軽く指先が触れた。

健人は、差し出された指の品よくオーバルに整えられたネイルに魅了され、目が釘付けになっていると、

ブッブッー、ブッブッー!

突然、手にしていたスマホが振動し、ハッと我に返る。スマホの画面を見ると、近藤からの着信。慌てて、応答をタップし、電話に出る。

「近藤さん?」

「あ、健人?今どこ?」

「え、あっ、あの…壁側です、壁側!左奥の!」

「左奥?」

「ここです、ここ!」

と、スマホでしゃべりながら、健人は大きく手を上げて振ってみせた。

「おおー!」

ホールの壁際に立っている健人に気づいた近藤が、人混みをかき分けて近づいてきた。

(あっ!さっきの…!)

と、声にならない息を漏らして、健人が左右に視線を振ると、そこにはもう、あの白いシャツの人物がいなくなっていた。

「どうした?健人?」

買ってきたばかりのミネラルウォーターを手に持ち、近藤が尋ねる。

「え、あ…いや…さっき…」

健人は少し言葉に詰まり、

「…あ、いや、なんでもないっす…」

と、手渡されたミネラルウォーターを受け取った。

「冷てぇ…」

冷えたペットボトルを掴んだ指が、思いのほか熱を持っていたことに健人は気付き、ふと、あのネイルが脳裏によぎる。

「ワインレッド…」

小さく呟くと、視線を落とし、さっき触れた自分の指先を見つめた。

「なに?」

近藤の問いかけに、健人は気持ちを入れ替えたかのように、サッと笑顔を向けると、

「いや…、ライブ楽しみっすね」

「おぅ!・・・中に行こうぜ」

近藤が健人を促すと、2人はぞろぞろと吸い込まれていく人波に溶け込むように、ホールへと入っていった。
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