ネイルの残像

有森崎あたる

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12. 忘れた支払いと従兄弟

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「あれ?健人?」

健人の席にやってきた近藤は、そこに座っているはずの健人がいないのを確認すると、おもむろにオフィスの壁にかけられたスケジュールボードの前に立った。
腕組みをし、じっとボードを見つめる近藤は、首を傾げた。
長谷と貼られたマグネットの横に、マジックで書かれた、

『16:00~外回り~直帰』

の文字。

「こんな時間から?外回り?どこに?」

近藤は、くるっと顔を振り、空席の健人のデスクに視線をやると、むむむ…と眉をゆがめた。





健人は、またしても、あのカフェにやってきていた。

カフェの自動ドアを通り、慣れた足取りで、レジカウンターでコーヒーを注文する。
しばらくして、出されたコーヒーを片手に、周りをキョロキョロしながら、空いてる席を探す。
通りに面したガラス張りの大きな窓側の席に、空きを見つけると、健人は腰掛けた。

コーヒーを啜りながら、お目当ての彼を探す。

千春だ。

店内にも、レジカウンターにもいない。

(流石に、6時半からだと、この時間はまだ、こないか…)

と、腕時計に目をやると、針は、ちょうど5時15分を指していた。

ひと口、またひと口、コーヒーを飲みながら、手元のスマホをいじり、時間を潰す。

たまに、ガラス越しに見える、外の通りの風景に視線を投げる。

家路に急ぐ人、楽しそうに会話しながら肩を並べるカップルたち、いろんな人が行き交う通りの向こうには、途切れることのない、流れるように走る車。

ゆっくりとした時間の流れの中で、店内は、カフェタイムから、バータイムへとシフトチェンジし出す。
スタッフが、テーブル1つ1つにガラス玉のキャンドルを置いてゆく。
そして、天井からの照明も、ひとつ暗くトーンが下げられた。

スマホの画面に夢中になっていた健人は、ゆらめくキャンドルの炎で、バータイムになったことに気付いた。

慌てて、近くのスタッフに尋ねた。

「あの、すみません、千春さんは?」

「ちはる…?あ、ああ、八坂さんですか?今日は、定休日ですよ」

「え?」

思わず、固まる健人。

「何か御用でしたら、伝言預かりましょうか?」

ニコッと微笑むショートヘアがよく似合う女性スタッフが、親切に健人に言ってきた。

健人は、気まずそうにしながらも、

「あの、実は先日こちらにきた時に、会計をし忘れてまして、今日はそれを払いに…」

「え…と、お会計忘れですか?ちょ、ちょっと待ってください」

スタッフは、慌てて裏の事務所の方へ歩いていくと、しばらくして健人の方へ戻ってきた。

「あのぉ、マネージャーにも確認したんですけど、そういうお忘れは、ないとのことなんですが…」

「え?確かですか?ほんとうに?」

「そんなことがあったら、たぶん、えっと…たぶんですよ、大ごとになっちゃいますし…今のところ、そんなことはないので、お客様の勘違いかと…」

と、そう告げると、もういいですか、と言いたげな態度がありありとわかり、新しく入ってきたお客をちらっと見ると、それでは、と小さく言うと、そちらのお客の方へと立ち去った。

健人は、しばらく呆然と考え込んで、

(きっと、千春が立て替えてくれたんだ…)

そう思うと、ますます健人は、いてもたっても居られなくなり、

「あ、あの…」

さっきのスタッフをまた捕まえては、

「八坂さんの、八坂さんの連絡先、教えて欲しいんですが…」

ええ?と驚き、困惑気味のスタッフは、

「も、申し訳ございませんが、スタッフの個人情報はお教えできません!」

「そ、そうですよね…」

わかり切ったこととはいえ、シュンとする健人。

ここへきて、千春の連絡先も何も知らないことを痛感する。

(こんなことになるなら、連絡先聞いておけばよかった…まさか、こっちから会いにいくなんて思ってもみなかったし…また明日、ここに来るしかないか…)

諦めモードで、出口に向かおうとする健人に、1人の男が声をかけた。

「あの、千春に御用ですか?」

「はい?」

振り向くと、そこに、スーツを着、メガネをかけた男が立っていた。

見知らぬその男性に、健人は尋ねた。

「あのぉ…あなたは…?」

「これは失礼。私はここのオーナーで、上代かみしろと申します。千春は、私の従兄弟でして」

上品に仕立てられたグレーのスーツに、ピシっとシワひとつないワイシャツを着こなし、足元は磨き上げられたウイングチップの革靴。
腕には、ひと目で高級と分かる腕時計をスーツの袖から覗かせていた。

「もしかして…」

上代は一言呟き、ふむと顎に手を当てながら、マジマジと健人を値踏みするかのように観察し出した。

(黒々とした短めの前髪に、綺麗に整えられ襟足。細めで切れ長の目だが、人懐っこい物腰の柔らかさ。スラリとした体つき…この方が…千春が言っていた人…ですかねぇ?)

「失礼ですが、さきほどの会話聞かせていただいました。お代のことなら、きっと千春が払ったんでしょう」

指でメガネを押し上げながら、話す上代。

「あの、それは申し訳ないです、飲んだのは俺だし、俺が払います、いくらですか?」

「そうは言われても、もう済んだお代をこちらが今更過剰にいただくわけにもいかないので、今日のところはお引き取りください」

冷静に話す上代の言葉は、落ち着き払ってながらも、内から発する有無を言わせない圧に、健人は後退りしながらも、

「で、でも、それは俺的には、納得いかなくて…」

それでも食い下がる健人に、ふむ…と一瞬の沈黙の後、上代は、

「それでは、本人に確認してみてください。多分、いらないと言うと思いますがね…」

含みを持たせる言い方をすると、テーブルに置いてあるペーパーナプキンを1枚抜き取り、スーツのポケットから取り出したボールペンで何かを書き出した。

黙ったまま、立ち尽くす健人は、書いている上代を見つめるだけで、やがて、

「ここへ」

上代が差し出したペーパーナプキンには、カタカナである名前が書かれていた。

「千春は、今ここできっとネイルをしています、彼はいつも毎月この週に、このネイルサロンに通っているので、今から行ってみるといいでしょう、きっと会えますよ」

ここで初めて、上代はニコッと笑ってみせた。

「あ、ありがとうございます!」

ぺこっとおじきをして、健人は急いで店をでた。

「うまくいくといいんですが…」

ボソッと呟く上代に、

「え?オーナー?」

隣にいたスタッフが思わず、上代に聞き返すと、

「初恋は、儚いものですが、実るものであってほしいです」

「はっ?」

「さあー!今日も稼ぎますよ!」

と、スタッフの肩を押した。
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