ネイルの残像

有森崎あたる

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16. カクテル言葉

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「やあ、また、お会いしましたね」

背後で急にかけられた言葉に、一瞬ビクッと肩を揺らしながら、健人が振り返ると、淡いグレーのスーツ姿の出立ちで、上代がニコリと微笑み、立っていた。

「こ、こんばんは…」

小さな声で挨拶する健人は、微笑みながらもメガネの向こうの上代の瞳が笑っていないことに気づくと、少し奇妙さを感じ、後退りした。

「また、千春に御用ですか?」

仕事終わりにふらっと向かったバーの店先で、健人は、上代と偶然出会った。

「きょ、今日は、その、ちょっと一杯飲みに…」

「そうですか、そう言うことなら、中へどうぞ、どうぞ、いらっしゃいませ」

お腹に手を添えて、深々とお辞儀する上代は、店内へと健人を案内した。

「千春はまだ来てないですけど、カウンターへ」

前に千春と話した、あの席に案内すると、上代はスーツのジャケットを脱ぎ、カウンターの中へ入った。

言われるがままに、健人は腰掛けると、真向かいに立った上代が、

「カクテル、何がよろしいですか?」

「えっ?」

「私から一杯ごちそうさせていただきますよ」

(…怒りますかね…まあ、いいでしょう…)

ふと、千春のむくれた顔が上代の脳裏を横切ったが、健人をチラリと見ると続けて話す。

「本当は千春に会いに来たんでしょう?」

「え…いや…その…」

上代の言葉に、口籠もる健人。

「千春が来るまでの時間潰しです、あ、でもこのことは千春には内緒でお願いします」

「え?内緒?」

なんで?という顔つきで上代を見る健人に、

「まあ、面倒くさいことが苦手なんですよ、私」

???とますます、困惑しながら愛想笑いする健人。

上代は、クスッと笑うと、メガネを外し、シャツの袖を捲り上げ、シェイカーを取り出すと、何になさいます?と催促するように健人を見つめた。

「あ…ありがとうございます…えっとぉ…あの、おすすめは…」

「おすすめ…ですね…ふむ…承知しました」

しばらく考え込んでから、上代は目を細めると、シェーカーを取り出し、いくつも並んでいるボトルから1本を取り出し、メジャーに注ぎ出した。
慣れた手つきで、グラスに氷を入れる。
滑るように動く指先。

「お酒作れるんですか?」

上代の手慣れた様子に見惚れて、健人が尋ねると、柔らかく落ち着いた口調で、

「昔です、昔。学生時代にバーでアルバイトしてましてね、それがこの業界に足を突っ込んだ始まりですよ」

曲線を描くように、滑らかな手付きでシェーカーを両手に持つと、シャカシャカシャカっと、シェーカーを振り出した。

(へぇ…すごいなぁ…バーテンダーやってたのか)

背筋をピンと伸ばし、持ち上げた腕を上下にリズミカルに振る上代の動作は、華麗で人を惹きつけるショーを見ているようだった。

氷で冷えたグラスに、振り終えたシェーカーの口を傾けると、微かに白く透き通ったカクテルがなみなみと注がれる。

カクテルグラスの足を2本の指で挟んで、カウンターの上をすっと滑らせ、健人の目の前で、カクテルをピタッと止めた。

「どうぞ」

ニコリと細める上代の瞳は、今度は微笑んでいて、落ち着き払っていたときとは、打って変わって、まるで少年のようにキラキラしているように見えた。

そんな上代に思わず驚いて、カクテルと上代を交互に視線を交える健人は、

「こ、このカクテル、なんていうんですか?」

テーブルを拭きながら、尋ねられた問いに、一呼吸置いて、上代はゆっくり答えた。

「ライラ」

復唱するかのように、健人もライラ…と呟き、

「素敵な名前ですね」

上代が、嬉しそうに頬を緩めると、

「千春が好きなカクテルです。ウォッカがベースなんで、キツければ、ゆっくり味わってください」

一口、口に含むと、ライムの味が甘酸っぱくも、ウォッカの辛さが喉にくるのか、健人は、一瞬クッとした顔つきをするが、少しずつ嗜むようにグラスを傾けた。

「千春さんと従兄弟同士なんですね…」

健人が尋ねる。

「ええ、父親同士が兄弟でして。昔から仲がいいんですよ」

なるほど…と思った健人は、上代に続けて話しかける。

「お店、経営されてるんですね、すごいです」

「先ほども話したように、学生時代にバーでアルバイトして、それから大学を卒業して、飲食関係に就職したんですが、自分の力でやってみたくて、独立したんですよ」

「へぇ…」

「他に、もう1軒バーとレストランも…よかったら、今度他のお店にもいらしてください」

と、ニコリと微笑む上代。

カクテルを一口含み、健人は、

「千春さんは、ここでアルバイトを?」

「ええ、始めたばかりの私の店を、彼が高校性の時に手伝ってもらったのが始まりでして…」

上代はテーブルを丁寧に拭きながら、

「彼、ご覧のとおり、美形でしょ。目立ちますし、オーラを放っているというか、華があるというか…なので、経営者からの立場からすると、大変助かる存在でね」

「まあ、わかります…」

と、頷く健人。

「高校を卒業してからは、フラフラしてましてね、彼。やりたいことが見つからないとか言って…、だったらうちで働かきませんかって誘ったんです」

「……」

健人はカクテルグラスを揺らし、グラスの中でゆっくりと円を描くカクテルを見つめながら、唐突に質問した。

「…あの…千春さん、音楽とか…好きなんですか?」

「え?」

思いもよらない健人の質問に、上代は目を見開いて、

「…音楽?」

「あ、いや、別に…知ってるかなって思って…好きなアーティストとか…」

「さあ…」

上代はシェーカーを水道水で洗いながら、

「千春と音楽の話はあまりしませんね…」

と言いかけて上代は思い出したかのように、

「ああ!」

と驚いた風に声を発すると、

「…もしかして…」

と、意味深に言いかけた言葉を、一瞬飲み込んで、上代は続けた。

「もしかして、ライブハウスですか?」

その言葉に、過敏に反応した健人は、まっすぐに視線を向け、上代の瞳を捉えた。

「あなたを拝見しましたよ」

「え?僕を?」

上代はニヤッと口元を緩ませると、

「あのライブハウス…あそこに私もいたんですよ、千春と一緒に」

「え?」

驚く健人は、すぐに尋ねた。

「あ、あそこに?いたんですか?」

(え?まさか?見られてた?」

焦る健人は、もしかしてライブのあの出来事を知っているのか?と思い、顔がみるみる紅潮してくる。

「実は、あのライブハウスには、ケータリングで出入りしてましてね」

「ケータ?リング?」

一瞬、上代の言う言葉が理解できずに、健人はえ…っと、と考えを巡らせている。

「あのライブハウスによく食事を運んでいるんですよ、私のお店のお得意様で」

「あぁ…そういうことですか」

ほっと胸をなでおろし、理解した健人に、上代は、きっと健人が聞きたいことだろうと、嬉しそうな顔つきで、話し出した。

「あの日も食事を運んでいましてね、そしたら、突然、千春がライブを見たいと言い出して…」

「え?!…ライブ…」

と言いかけて、健人は口をつぐんだ。そんな健人を見逃さず、すかさず上代は、

「何か、気になることでも?」

「…いや」

はぐらかす健人。

「あなたが気になってること、当ててみましょうか?」

上代の唐突の言葉に、ドキッと戸惑いながら、健人は、

「千春のことですよね」

「…!」

驚きを隠せないでいる健人は、グラスのカクテルを喉に流し込むと、上代は、意地悪そうに尋ねた。

「好きなんですか?千春のこと」

「…んぐっ…!」

上代の質問に、健人は口に含んでいたカクテルを吹き出しそうになり、喉に詰まらせた。

「ゴボッゴボッ…」

咳き込む健人は、みるみる頬を紅潮させる。

「す、好きって、だって、千春さんは、お、男だし…」

しどろもどろの健人。

「君は、ノーマルですか」

「は?」

さっきまでの微笑みは消え、冷静さを伴った上代は、続けて、

「千春は、お察しのとおり、恋愛対象が男性でして…」

ゴクッ

健人は、思わず唾を飲み込んだ。
大きく響くその音が、上代まで聞こえたのか?聞こえなかったのか?チラリと健人を一瞥すると、

「私もね、そうなんですよ」

「へっ?」

上代の口元がふっと緩むと、

「私も恋愛対象が男性でして」

「……」

捲り上げてたシャツの裾を下ろし、ボタンをかけ始めると、キュキュっと少し歪んだネクタイを整え、

「今の時代、恋愛に男も女もないでしょう、好き同士ならば」

(好き同士ならば…)

健人の耳に、上代の言葉が響く。
神妙な面持ちの健人に、上代は尋ねた。

「男性は無理ですか?」

健人は、しばらくの沈黙の後、

「…ん…前は…でも今は…なんていうか…わからない…っていうか…」

と、曖昧に答えた。

「あなたは正直ですね…どうやら、私はあなたのことが嫌いではないようです」

と、上代は親しみを込めて、話し出す。

「あのライラ」

「へ?」

健人は、何の脈絡のなく、突然出たカクテルの名前に、妙な声をあげた。

「アラビア語でセレナーデという意味でね」

「はあぁ…」

戸惑う健人に、上代は穏やかな口調で、説明を始めた。

「カクテルには、『カクテル言葉』というものがあります。素敵でしょう、カクテルひとつひとつに秘められた想いと意味があるんです」

で健人の耳元に近寄ると囁いた。

「ライラのカクテル言葉は…『今、君を想う』…私には、どちらのことを意味しているかまでは測りかねますがね」

意味深に呟く上代の言葉に、健人は頬をさらに赤らめ、戸惑っていると、

「彰宏くんっっっ!!!」
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