ネイルの残像

有森崎あたる

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22. 今なら、まだ間に合う

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「おはようございます」

えんじ色のネクタイに、黒のスリーピースをカチッと決め、カフェバーに入ってきたのは、上代だった。

「おはようございます、オーナー」

上代を迎えたのは、この店のマネージャーを務める、梶だった。
梶は、上代の学生時代の同級生。
大学を卒業してからも仲がよかったせいもあって、上代の店で働いており、飛びぬけて何か才能が秀でているわけでもないが、とかく真面目で、上代は信頼を寄せていた。

「昨日の売り上げのチェックはどうですか?」

かけているメガネのブリッジを指で上げ、上代は事務所にスタスタと向かいながら、梶に尋ねた。

「はい、完了しております」

梶は、上代の後を追うように、続けて事務所に入ってゆく。

「スタッフの方はどうですか?皆さん、ちゃんとやっていますか?辞めそうになっていた中村はその後どうですか?」

上代は、パソコンのシフト表のフォルダを開くと、中を確認しながら、話す。

梶は、淡々とした口調で、

「中村さんとは、話し合いを重ね、何とかシフトのやりくりで、続けてもらえるよう、説得致しました」

「そう…」

梶に視線を送ると、上代は、ほっとした様子で、

「彼は、なかなか有能なバリスタですからね、そう易々と手離したくないんです」

そう言い終えると、今度は、梶が声のトーンを落として口を開いた。

「実は…」

「何ですか?」

困惑気味に、話しづらそうにしている梶に、上代は、

「どうしました?話してください、遠慮なく」

チラッと上代を見ると、梶は重い口を開いた。

「実は、数日前から、千春君が無断欠勤しています」

「え???」

驚いた上代は、梶を見つめると、すぐにパソコンのタイムカードのフォルダを開け、『八坂千春』の出勤管理を確認した。
そこには、5日前から、打刻されておらず、空白になっている千春のタイムシートが、上代の目に飛び込んできた。

「…5日前から…?」

「……報告が遅くなり、申し訳ございません」

頭を下げる梶。

「連絡は?」

鋭い眼差しで、上代が尋ねる。焦る梶は、

「スマホに何度か…ですが、全く繋がらず…」

上代は、顎に手を当てて、しばらく考え込んだ。

(…5日前というと…健人君が千春のマンションに行った日…)

ふう、と深いため息をつくと、

「梶君、私は少し店を空けます」

「何かお心当たりでも」

上代は、梶にニコッと微笑むと

「後はよろしくお願いします」

「了解しました」

梶は、快く返事すると、上代は梶の肩を力強く握り、事務所を出ていった。








千春のマンションにやってきた上代は、インターホンを鳴らすも、返事が返ってこない様子に、次はスマホを取りだし、千春の電話番号にかけてみる。

トゥルトゥル…と、鳴り続けるコール音。

「ふむ…」

しばらく考え込んで、上代は、さっとその場を離れた。

(家にいないとすると…千春が行きそうな場所…)

マンションの側に停めていた車に乗り込むと、上代は急いで車を出した。







煌めくネオンに彩られている一軒のバー。
黒く重いその扉の向こうには、何人もの人々が、お酒を、料理を、会話を楽しんでいた。
見渡す限り、そのバーにいるのは、男性ばかり。
そこは、ゲイバーで、肩を寄せ合う者や、ゲラゲラと大声で笑いながら談笑する者、一晩のお相手を探しに来ている者たちが、集まっていた。


「あれ?千春?久しぶり~!」

愛くるしい瞳を輝かせて、派手なブルゾンを着込んだ綺麗なひとりの男性が、カウンターに座っている千春に声をかけた。

「ハヤト…」

ボソッと小声で、呟くと、カランとグラスの中で氷を転がした。
千春の隣に座ると、ハヤトは、カウンターの中のマスターに、千春と同じウイスキーのロックをオーダーした。

「ここ最近、見ないから、どうしたのかって思ってたよ」

「別に…」

(1人になりたくなくて…ここにきたけど…)

そっけなく返事する千春。

「何!何ー!元気ないじゃん~!さては?お目当ての彼にお相手してもらえなかったとか?」

馴れ馴れしく、千春に抱きつきながら、話しかける。

「そんなんじゃないよ!」

(誰かの胸に頼りたくて…)

顔を赤くして突っぱねる千春。

「怒んないでよー!」

「……」

(誰かに助けてほしくて…)

不機嫌そうにお酒を飲む千春。

「機嫌悪いの?ごめんね」

「……僕に構わないでよ」

(誰かの腕にすがりつきたくて…)

拗ねた子供のように、憮然とした顔つきのままの千春。
そんな千春に、ハヤトは、耳元で囁く。

「気分が最悪なら、楽しいことしようよ」

「え?」

意味深に小悪魔のように微笑むハヤトは、

「ねえねえ、あそこに1人、壁際に立ってる男性ひとがいるでしょ?」

と、クイッと顎でその男性がいる方を指した。

そこには、短く刈り上げた髪の、ガタイのいい男が立っていた。

「彼、すごいんだって、アソコが」

「え?」

眉をひそめ、千春はハヤトを見返した。

「なんで?知ってるの?」

「ネコの友達に聞いたぁ~」

ハヤトは軽く返事すると、

「ねえ、今晩、3人でどう?」

と、ハヤトは、その男性に軽く手を振った。

「ちょ、ちょっと!勝手に呼ぶなよ!」

その男性は、ハヤトの手招きに気付くと、千春とハヤトに近づいてきた。

「やあ」

その男性は、さわやかに微笑むと、千春の隣に腰掛けた。

「こんばんわ…1人で退屈してたんだ…君たちは?」

目を潤ませて、ハヤトは答えた。

「僕たちも、今話してて…なんか楽しいことないかなぁ~て、暇を持て余してたとこ」

その言葉に、その男は、ニヤッと笑うと、

「そう、じゃあ、今から、ここ抜け出さない?」

「ええ~!ほんとに~?」

声を弾ませるハヤトとは、対照的に、黙り込む千春。

(…知らない男と…抜け出すのもいいかも…しれない…そうすれば、健人を忘れられる?…早く…)

「いいかもね…」

ハヤトは、千春の肩に手を回し、その男にウインクしてみせ、

「3人で甘い夜を過ごそうよ!」

「それじゃあ、決まりだね」

その男は、千春の手を引いて、立ち上がろうとした、

その瞬間、

「離しなさい」

3人の目の前に、颯爽と上代が現れた。

「その手を離しなさい」

キッとその男を睨み付け、千春とその男の手を叩いた。

「か…上代さん…」

上代を見るや否や、ハヤトは顔色を変えた。

「彰宏くん」

「千春、行きますよ」

強引に千春の手を引き、立ち去ろうとする上代。

「い、痛い!」

「おい、待てよ!その子は、今夜俺と…」

と言い放つその男の声を遮り、間に入ったのはハヤトだった。

「ちょっと待って」

上代は、冷ややかな目で一瞥すると、

「まだ何か?」

「いえ、何でもありません…ごめんなさい…行ってください、上代さん」

ハヤトの言葉に、ジロリと見やると、

「失礼」

短く言い放ち、千春を引き連れて、足早に店を出ていった。

残された男は、憮然として、

「何者なんだよ、あいつ」

そう尋ねる男に、ハヤトは真面目な顔で、

「この界隈で知らない人はいないよ…人脈っていうか、顔が広いっていうか、怒らせると、この辺歩きにくくなるよ」

っと、ボソッと呟いた。







駄々をこねた子供のように、ダラダラと歩く千春の手を、無理にきつくひっぱり、急かせるように歩く上代。
コインパーキングに停めた車のドアを開けると、無理矢理千春を押し込んだ。

「痛いっ!もう少しやさしくできないの?!」

「千春」

運転席に座り込む上代は、無表情で冷たい視線を千春に向けると、千春は、反抗的に言った。

「来ると思ってた」

「先に私に言うことがあるでしょう」

上代は、キッと千春を睨むと、千春はそっぽを向いた。

「ちゃんと私の話を聞きなさい」

上代は、千春の肩に触れると、

「触らないで!」

上代に負けず劣らず、千春も睨み返す。
さすがの上代も、千春のその反抗的な態度に、我慢できず、

「5日も無断で休んでおいて、その言い草ですか?何があったかはさておき、一社会人として、最低限のルールは守ってください」

「…っく…」

口をきゅっときつく結んで、ムスッとする千春。

「それに何ですか?さっきのは?好きでもない男と…また、フラフラと無益に自分の体を投げ出すのはやめなさい」

「……」

眉間に皺をよせ、体をこわばらせると、千春は、感情を抑え込むように顔を下に向けた。
それに、敏感に感じ取った上代は、次は穏やかな声で千春に問いかけた。

「健人君と、何か、あったんでしょう…」

その言葉に、堪えていたものが溢れ出たように、大粒の涙をこぼすと、千春は肩を震わせた。

「…っく…も…もうダメかも…僕の…初恋…」

溢れた涙が、頬を伝い、こぼれて、千春のシャツを濡らす。

「千春…」

思わず、千春に手を差し伸べ、抱きしめる上代。

「健人と…もう…」

声にならない声をもらし、上代の胸に顔を埋める千春。

「喧嘩でもしましたか?君は少し我儘なところがあるから…それなら、すぐに謝りなさい」

なだめるように諭すと、上代は千春の涙を指で拭った。

「謝る…?僕から拒絶したのに?出ていけって言ったのに?」

「今ならまだ間に合うでしょう?ちゃんと謝罪して、素直に話せば、彼なら、きっとわかってくれますよ」

「今なら…?」

「そう…手遅れにならないうちに…」

その言葉は、まるで自分に言い聞かせるかのように、余韻を響かせるように、上代は呟いた。

そして、

「さあ、戻りましょう」

車にエンジンをかけ、ハンドルを握る。

少し落ち着きを取り戻し、安心した居心地の面持ちで、千春は運転する上代に尋ねた。

「よく、ここがわかったね」

前を向いたまま、上代は、ハンドルを片手で回しながら、ハッと笑い、

「千春が呼んでる気がして…千春が必要なら、どこへでも飛んで行きますよ、私の可愛い従兄弟殿」

思いやりにあふれた笑顔を見せると、また前を向いて運転する上代。

千春は、ふふと小さくはにかむと囁いた。

「ありがと…」

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