居候の訳アリ女子高生アイドルに三日で恋をして、相思相愛になった件。【三月の雪】

月平遥灯

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明け易し夏 ミツキの疑惑

ファンにお別れを告げる時間を

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 姉さんの運転するミニ・クロスオーバーの車内で、ミツキはため息ばかりを吐いていた。車窓に映る青々としたどこまでも続く田んぼを見て、辟易《へきえき》しているわけではない。これから行く目的地が憂鬱なわけでもない。


「まあ、花神楽美月《はなあぐらみつき》なら、違約金が三億なんて当たり前よ。むしろ安いほうかもしれないわね」


 それくらいはした金ね、と言わんばかりにハンドルを握る姉さんは、やはり僕とは住む世界が違うのだろう。今や人気タレントとなりつつある倉山咲菜《くらやまさな》である姉さんなら、それくらいのお金を持っていても不思議ではない。ああ、ミツキにお金くれないかな——無理か。


「やはり、簡単に引退とはいかないのですね」

「僕も蓄えは少しあるけど、三億なんて足元にも及ばないよ。ごめん」

「あんたみたいな高校生がそんな大金どうにかなるはずないでしょ」

「シュン君。大丈夫……だよ」

「ミツキちゃんもくよくよしないの。復帰して稼いで辞めればいいだけよ」


 結局そういう話になる。すんなり引退をするわけにもいかず、契約を全うしてから辞めることが一番波風を立てずに済む。復帰をして、しばらく稼いだ後に引退を高々と宣言する。これが、ミツキと僕が話し合って出した答えだ。ああ、なんて理不尽な世界。


 駐車場に停めた車から砂利道を踏みしめて、少し小高い丘の上に登っていくと、墓地が見えた。道端の草は丁寧に刈り取られていて、すれ違う人と会釈をして進んでいく。お線香の香ばしい煙がところどころから立ち上っていて、鼻腔の奥が少しだけ痛くなる。すぐそこに見える山が青々と僕たちを見つめていて、山の天辺《てっぺん》に建てられた鉄塔の送電線が、山と山を繋いでいた。


「シュンは、おじいちゃんにちゃんと挨拶しなさいよ。あんた、身体のこともあるんだからさ」

「うん。分かってるよ」

「あの。わたしも御一緒させてもらって良かったのでしょうか」

「当たり前でしょ。ミツキちゃんはもう家族なんだから」


 ミツキは嬉しそうに微笑んで、アスカさん持ちます、と姉さんの両手に抱えている花束を受け取ると振り返って、僕に花の香りを嗅《か》がせた。菊とカサブランカ、そしてアイリス。リンドウにスターチスがお盆の思い出を連想させる。おじいちゃんと手を繋いで歩いた商店街。買ってくれた冷たいアイスの味と暖かい手。縁側でシャボン玉をどちらが大きく飛ばせるかを競い合った夏休み。どれも僕の中の大切な思い出だ。


「シュン君のおじいちゃんはきっと、優しい人だったんだろうね」

「うん。とてもね」

「シュンはおじいちゃん子だったからね」


 倉美月家《くらみつきけ》と書かれた墓石は、僕たちを待ち望んでいたかのように少し朝露《あさつゆ》で濡れていた。泣き虫だったあの頃の自分と同じで、おじいちゃんも泣いているのかもしれない。丁寧に花を一本一本バランスよく供えていく。

 お線香に火をつけて、未だ消えない炎を手うちわでなんとか鎮めてから手向ける。瞳を閉じた先の向こう側に向けて両手を合わせた。瞼を開いて振り返ると、ミツキは同じように手を合わせている。ミツキはお線香を手向ける行為自体が初めてだと言っていた。自分の先祖のお墓がどこにあるのかも分からないし、連れて行ってもらったこともないという。それは少し寂しいことだと思った。


「来年も来られるかな」

「ミツキ、来年どころか、来月のお彼岸にも来るよ。多分」


 ミツキは面食らったような顔をしていた。そんなにお墓参りって来るものなのね、と。しかし、とても嬉しそうで、終始ご機嫌だった。お墓参りがそこまで楽しいものではない気もするのだが、僕たちが子供のころからしている当たり前のことが、ミツキにしてみれば当たり前にできなかったのかもしれない。それは少し可哀そうなことだと思った。


「ミツキちゃん、おばあちゃん家にも行くんだけど、付き合ってもらってもいい?」

「あ、もちろんです。むしろ、ついていっちゃっていいのですか?」

「おばあちゃん喜ぶよ。人が好きな人だから」


 おばあちゃんの家は、お墓から車で五分くらい走ったところにある旧家だ。立派な瓦屋根と大きな庭は、戦時中も焼け落ちることなく生き残ったのだという。川越藩士だったご先祖様は、倉に様々なお宝を残した。例えば、赤い鞘に収められた刀は遊郭に遊びに行くときに身に着ける、いわば当時のオシャレアイテムだったらしい。その倉を見て、ミツキはおばあちゃんの家が酒屋さんだと勘違いしたくらいだ。少し前にロケで行った酒蔵に似ていた、というのが勘違いの原因だったみたいだけど、言いたいことはよく分かる。


「やっぱりめんこい子だねぇ。ミツキちゃん」

「はい。いつも倉美月家にはお世話になっています」

「春夜をよろしくね。そうだ漬物食べるかい?」

「はい、いただきます」

 窓を全開にした居間の窓際で恐縮するミツキに、姉さんは座布団を出して、気楽にして大丈夫よ、と言って笑った。おばあちゃんの差し出すキュウリとナスの漬物を食べて、おいしい、とミツキは爪楊枝を片手に、落ちてしまいそうな頬を両手で支えると、おばあちゃんは満足そうに微笑んだ。
 本当に良い子だね、と言って、ミツキを手招きする。曲がっていない腰ですたすたと歩くおばあちゃんの後ろをついていくミツキを視線で追うと、どうやらタンス部屋に連れていくようだった。


「おばあちゃん、あの感じだと相当気に入ったね」

「姉さん、一緒に行ってあげなよ。帰って来られなくなるよ」


 少し考えて、姉さんは溜息を吐くと、渋々立ち上がってミツキの後を追いかけて行った。きっと今頃、桐《きり》のタンスの中のお宝をミツキにとっかえひっかえ着せては、楽しんでいるのだろう。


 あまりにも帰って来ないみんなを待っているうちに、いつの間にかうたた寝をしてしまっていた。ダイヤルで回す昭和の扇風機の風が優しくて、汗ばんでいたシャツはいつの間にか乾いている。木の香りがする家は——自宅とはまた違い檜《ひのき》の香り——とても心地が良い。


「シュン君。シュン君ってば。どうかな」


 瞳を開けるとミツキが顔を覗き込んでいた。
 淡い桃色の牡丹《ぼたん》の柄で彩られた浴衣が白い肌を包み込んでいて、うなじから曲線を描く襟と、肩から袖にかけてのライン、そして帯からお尻にかけての線がとても美しい。大正時代の浴衣は、こうしてミツキによって甦ることができたのだから、満足しているはずだ。


「これ、おばあちゃんがくれるって」

「だろうね。だって、僕の嫁になる人にあげるんだってずっと言っているからさ」

「え。そうだったの。どうりで好きなだけもっていけって」

「まあ、沢山あるから、とっかえひっかえできるね」

「とっかえひっかえって、なんか浮気性の人みたい」


 確かに、と、二人して噴出して、久々に大笑いをした。最近、色々とありすぎてミツキはあまり笑っていなかった気がする。だから、笑顔が見れて本当に良かった。

 浴衣姿のミツキはそのまま老舗の着物屋のコマーシャルに出演してもおかしくないほど、浴衣を着こなしていた。浴衣に負けておらず、むしろ自分の身体の一部のように着こなしている。一つ一つの動作、例えば座るときや、漬物を食べるとき。袖の持ち方、全てにおいて美しい。姉さんも同じように美しい仕草で着こなすのだけれども、ミツキも同じような動きができるとは思ってもいなかった。


「ミツキちゃんもスクール通った感じだね」

「はい。どうしてもドラマのオーディションで必要だったので」


 やはり芸能人は違う、と実感した。仕草一つでこんなに印象が変わるのだから、知識は大切ということか。ミツキはことあるごとに勉強する、と言っていた。初めからなんでもできるような顔をしていて、実は陰でただならぬ努力をしている。だからこそ、トップアイドルとして君臨することができたのだろう。やはり才能だけではトップランカーの地位を維持することなど不可能だ。それを考えると、ミツキは尊敬できる人物であることは間違いない。僕には勿体なさすぎる人だ。


「おばあちゃん。浴衣大切にします。本当にありがとうございました」

「いいのよ、いいのよ。それよりも、事務所の件、がんばりなさい。本当に辛くなったらいつでも来なさいね」

「ちょっと、おばあちゃん。それはダメだって。もう。お母さんといい、おばあちゃんといい、本当に人が良すぎるんだから。かわいい子には旅をさせろ、って言っていたのは誰なの?」

「年を取ると、孫がかわいくなるものなのよ、飛鳥《あすか》。ミツキちゃんを頼んだよ」


 ミツキは大いに訝《いぶか》しんだ。なぜ事務所と引退騒動で揉めていることを知っているのか、と。それに姉さんとおばあちゃんの会話も、全く意味が分からなかったみたいで、ずっと眉根を寄せて耳を澄ましている。


「おばあちゃんってもしかして、ミツキと母さんの事務所のところなの?」


 訊ねた僕に、少しだけ瞳を閉じたおばあちゃんは、嘆息して再び瞼を開けると口を開く。そして、そうだよ、と一言だけ発した。
 僕は、その事実を知らなかった。おばあちゃんは、ある会社の会長をしているとしか聞いていなかった。人をマネジメントする会社、というくらいの知識しか持っていなかったのだ。だが、それが芸能事務所の会長だなんて、人が悪すぎる。だったら、今すぐにミツキを引退させてあげたっていいじゃないか。


「シュン。やめときなさい。言いたいことは分かっている。だけど、それをやったら、会社はね、責任を取らない人たちに潰されちゃうの」

「どういうことだよ。だって————」

「ミツキちゃんには悪いけど、一度でも契約不履行者の肩代わりをしちゃったら、あの時はこうだった、とか、あの仕事はやりたくない、と言って踏み倒す人がいっぱい出てきちゃうの。社会人になれば、責任は嫌でも背中をついて回るの。それに————」

「ミツキはまだ、まだ高校生じゃないか。両親がいなくて、一人孤独に生きているミツキをなんで苦しめるんだよッ!!」

「良く聞きなさい。ここでミツキちゃんが投げだしたら、一生、なにをやっても投げだしちゃう人になっちゃうかもしれないのよ。あんたは、それでもいいの? 確かに辛いかもしれないし、耐えられないかもしれない。それでも歯を食いしばって乗り越えることができなければ、あんたと一緒になんてなれるはずないの」

「どういう……ことだよ?」

「あんたが真面目にミツキちゃんを想っていることくらいみんな知っているの。あたしも。お母さんもね。でも、もし途中で投げ出すような子が、春夜と結婚させてください、と来たら、お母さんはどう思うの?」


 ミツキ本人を目の前にして言うことなのか。姉さんは、言わなくてはいけないことは、オブラートになんて包まず、はっきりと告げる人間だ。それは、時に人を傷つけることもあるかもしれないけれど、僕はそんな姉さんを尊敬している。だけど、今回ばかりは、譲ることができない。ミツキに三億円も払わせるなんて、絶対に間違っている。
 ミツキは、ずっと眉根を寄せていて、じっと姉さんと僕を交互に見ている。可哀そうなくらい板挟みになっていて、早く救い出してあげたかった。


「これこれ。飛鳥。もういいでしょう。春夜、ミツキちゃん。違約金なんていうのは大した金額じゃあないのよ。今すぐ払ってあげることもできるの。でもね、大切なのは心なの。ミツキちゃんを待っている人はどれくらいいると思う? その人たちの気持ちを無下《むげ》にして、突然いなくなってしまうことは、裏切り行為そのものなのよ。倒れてしまうまでがんばれとは言わないけれども、せめて、これまで応援してくれた人たちにお別れの挨拶をするくらいの時間は作ってもらわないと……ね」


 おばあちゃんは、僕とミツキに優しく語り掛けた。諭すようにゆっくりと。その声に思わずミツキは涙を流す。泣き喚《わめ》いたりしたわけでも、嗚咽《おえつ》を上げたわけでもない。ただ一筋涙が流れて、頬に跡が残った。


「わたし、心のどこかで、それは考えていたんです。シュン君の病院で看護師さんに掛けられた言葉もずっと引っ掛かっていて。ファンです。復帰したら絶対にライブ観に行きますからって。それを聞いたら、わたし、今まで応援してくれた人に申し訳なくて」

「ミツキちゃん……」


 姉さんはミツキの顔を抱きしめると、優しく髪を撫でた。姉さんはミツキにとってもお姉さんのような存在になっていて、僕に相談できないことは姉さんに必ず相談をするようになっていた。朝方、疲れた顔をして帰ってきた姉さんは、必ず朝ご飯を作ってくれて、そして、ミツキの話を聞くために起きている。学校があるときは朝ご飯を食べながら。夏休み中は、ミツキが起きるまで待っている。なんでそこまでできるのか、と思っていたが、やはりミツキを心から心配していたのかもしれない。ありがとう。姉さん。


「ミツキちゃんは強い子だね。春夜。ミツキちゃんを絶対に離さないこと。いいね」

「おばあちゃん。恥ずかしいよ」



 帰りのミニ・クロスオーバーの車内は、とてつもない臭いで充満していた。耐えられないか、と言われればそんなことないのだが、とにかく臭かった。おばあちゃんがお土産にくれた漬物の袋が、二重になっているのが嘘のように臭いが突き抜けてくる。


「シュン君のおばあちゃんが会長だったなんて。なんだか驚きすぎて逆に笑っちゃいそう」

「ごめん。僕も知らなかったんだ」

「このことは他言無用よ」

「アスカさん。教えてください。なぜわたしとシュン君の記事があのタイミングで出て来たのだと思いますか?」

 
 ミツキは身を乗り出して、姉さんの肩越しに訊ねる。それは僕も気になっていた。渋谷で撮影をしたその日に記事が現れるのは、少し不自然だと思う。なぜなら、ミツキはともかく、僕の顔がすぐに倉美月春夜と判明するには少々早すぎる。仮に、そこが突破できたとしても、ミツキノミコトは絶対に出てこない名前だ。僕の顔がミツキノミコトの顔とイコールで結ばれるのは、僕の撮影現場をあらかじめ見ていなければ不可能なはずだ。しかし、そこまでして、僕の正体を暴きたい人物なんているのだろうか。


「ミツキちゃんに復帰して欲しくない人がいると考えるのが自然よね」

「姉さん、心当たりあるの?」

「ないわ。でも、シュンまで狙われたことは気に食わないわね」

「これから、どうすればいいのでしょう」

「何食わぬ顔で堂々としていて大丈夫よ。くよくよしないで、前だけ見ていなさい。ミツキちゃんには横を向いている余裕なんてないもの。少しくらいつまずいたって、手を差し伸べてくれる人もいるでしょ」


 そうでしょうか、というミツキは、もはや四面楚歌という言葉が一番似合う。手を差し伸べてくれるような人がいればいいけれど、どう考えたって逆風が吹き荒んでいる。

 僕のやるべきことは、例の大企業が広告として使うと言っていた花神楽美月の写真をはやく納品することだ。

 きっと道が開ける……そう信じて。
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