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龍淵に潜む秋・ミツキの求婚
月下にて触れる肌と甘い吐息
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療養する時間もようやく終わり登校を許可する、という医師の診断書の指示に従うならば、今日がいよいよ最後の休暇となる。自宅に帰ってきてからは特にすることもなく、遅れていた勉強をミツキに教えてもらいながら毎日を過ごしていた。
学校を休んでいたにもかかわらず、ミツキは勉強に関しては、復学後すぐのテストで学年成績を二位で通過していて、どこで勉強しているのか甚《はなは》だ疑問である。
そして、テストも終わり、ミツキはいよいよアイドル復帰を果たした。僕の撮った写真が、あるITの大企業のイメージとして使われた。それから、ある有名メーカーの化粧品のコマーシャルのイメージキャラクターとして採用されたことを皮切りに、様々なオファーが来ているという。
ミツキはそんな多忙な毎日を送りながら、たまに学校に通っては、泥のように眠る毎日だ。そして、どんなに遅くなっても必ず帰宅をする。絶対に外泊をしないのは、僕に気を使っているのかな、なんて思う。無理せずに、宿泊してきても大丈夫だよ、と僕が声を掛けても、それはできない、の一点張り。信用しているのに。
「シュン君。十五夜にススキを飾ってお団子を供えるのって、わたし初めて」
和室の座敷に座布団を敷いて座るミツキは、正座をしたまま空を仰いでいた。月光を浴びる頬が僅《わず》かに紅潮《こうちょう》していて、唇を開いた時には、思わずそのおいしそうな肌を食べたくなった。お供えの団子よりもきめ細かいのだから仕方ない。
珍しくオフになった今夜、ミツキは十五夜をしたいと言ってススキを刈ってきた。田舎故に道から一歩踏み出せばいくらでも生えていることに、ミツキは驚愕している様子だ。
「ねえ。仕事は順調? いじめられてない?」
「いじめって。それは、苦手な人ばかりだけど。でも、そんなものでしょ」
「いや、なんとなく。ちょっと心配だからさ」
「出た。過保護のお父さんキャラ」
スキャンダルで休んでいたアイドルが復帰したら、それこそ一つや二つの嫌がらせをされてもおかしくない気がするのだけれども。僕の前だけでミツキは弱みを見せる。けれど、そのミツキからは想像がつかないくらいに花神楽美月《はなかぐらみつき》は強い。
鈴虫や松虫がそこらじゅうで秋を謳歌《おうか》していて、ぼやける満月の雲の合間から照らす光に、少しだけ侘《わび》しさを感じた。風に棚引くように揺れるススキを見ていると、儚《はかな》い、なんて感想を呟く始末。どれだけ僕はセンチメンタルなのか。正直に言えば、ミツキと会える時間が少なくて寂しいだけ。子供かよ、なんて自嘲《じちょう》せざるを得ない。だけど、決してミツキには言わない。これは、絶対に言ってはいけない台詞なのだ。
「文化祭は必ず行くから。だから、シュン君も体調に気を付けて」
「文化祭か。今月末だもんね。体調はこのままいけば大丈夫だと思うけど」
「あとね。シュン君とあまり会えないでしょ。わたしが帰ってくるころには、きっと寝ちゃっているだろうし。だからね、会える時にはいっぱいお話しして、いっぱい、くっついてもいい?」
「え? 今以上に?」
「————だめなの?」
「い、いや。全然いいんだけど。今だって十分に————」
話している途中でミツキは強引に僕の腕を引き、唇を重ねたまま後ろに倒れこむ。物理の法則に従って思わず彼女を押し倒してしまった。ミツキは背中を打っていないだろうか。ミツキの上に覆いかぶさると、彼女は、潤んだ瞳で僕から視線を外そうとしない。
…………シュン君が欲しい。
ぽつりと呟いた言葉と同時に、ミツキは僕の背中に回した腕を力強く引き寄せて、僅かに吐息を漏らす。少しずつ。ほんの少しずつミツキの呼吸が耳に伝わる。僕は思わず息を呑んだ。
「ちょ、ちょっとミツキ。楽しんでない?」
「…………可愛い。今度はシュン君ね」
「どうしたの。今日は……なんだか」
「なんだか————積極的? いやらしい? ふしだら?」
「そ、そこまで言ってないよ。ただ、色っぽいというか。なんか少し大人になったというか」
「刻《きざ》みたいの。シュン君を身体に。離れていても忘れないように」
だめ。逃がさない。
仄《ほの》かに薫《かお》る月光を纏《まと》った風が、少しだけ開いた窓から入ってきて、その光が部屋に満ちていく中、ミツキの肢体《したい》が浮かび上がる。とても綺麗で、思わず抱き寄せた。その瞳も、唇も、頬も、耳も、首も。胸も。腕も。すべて奪い去りたい。
「シュン君……大好き」
潤んだ瞳で僕を見つめるミツキの側頭部を両手で持って、その額にキスをする。甘く香ばしいストロベリーの薫りが僕の脳を満たしたときには、自制などできるはずもなく、壊れてしまうくらいに抱き締めて。そうしている内に、ミツキは狂おしいほどに咲き乱れた。
シュン君。もう無理だよ……好きすぎて死んじゃう。もっと抱きしめて。
激しく。肺の奥底から上げる咆哮《ほうこう》のように呻《うめ》いて。果てぬ気持ちをすべてミツキに浴びせて。それでも気持ちが満たされない。もっと欲しい。僕の洩れ出た魂を、彼女が受け止めるころには、月が雲に隠れ始めていた。
「…………もう。なんだろう。この気持ち。ねえ、シュン君」
「うん。ごめんね。ごめん」
「違うの」
かぶりを振るミツキの涙目で僕に送る視線が、今までに見たこともない甘く蕩《とろ》けるような優しさを帯びていて。僕はまた抱きしめた。好きとはまた違う感情。宝物を優しく撫でるような感情。そして、ミツキと一緒に一つに溶け込みたい感情。抱きしめても抱きしめても満たされない、無限に湧いてくる愛おしさ。
「なにをしても足りないの。シュン君で満たしてほしいのに、抱きしめてもキスをしても満たされないの。もっと欲しくなっちゃうの。なんだろう」
「僕と————僕と同じだ。好きだけど、それとはまた違う、もっと崇高な感じで。言葉で表せないけれど、すごくミツキを大切にしたい感情で」
————これが愛情……だよね。きっと。
今まで以上に強く。こんなに愛おしくて、辛くて、切なくて、だけど、嬉しくて。
————ミツキも同じ……なの?
だけど、この感情が僕の全身を、身体の中心にある魂を、その全身を司る脳内のシプナスを支配してしまえば、きっと僕は辛くて押しつぶされてしまう。ミツキに会えない時間は、まるで水を求める魚、空を求める鳥、そして、愛を求める恋人のように。深く、とても深い心の奥底が暗黒に支配されてしまう中、光を求めるようにミツキを求めてしまうだろう。
「辛い。こんなに辛いなんて」
「え? シュン君……?」
「ミツキに会えない時間が辛くて。押しつぶされそうに。こんなに切ないなんて」
「…………わたしもなんだ。もうずっと前からそうなの。一人で出て行ってホテルに引き篭もった頃からずっと。シュン君が見つけてくれなかったら、きっと、おかしくなっていたと思う」
「肌を重ねたからっていうわけじゃないんだけど。前からそういう気持ちは存在していたんだけど、今はそれが抑えきれないくらい強くて。大失敗だよ。テレビとかネットでミツキを見るたびに嫉妬しそう。辛くて」
「…………ごめんね。すぐにシュン君だけのものになるから」
「いや、いいんだ、大丈夫。だって、会えない時間が長ければ長いほど、会ったときに、ミツキのことが大切なんだ、って思い出せるでしょ。いつまでも恋していられるっていうか」
もう……大好き、と言って僕に再び抱きつくミツキの肌のぬくもりが温かくて。肌寒くなってきた空気と相成って、とても気持ち良かった。ミツキの髪を梳《す》いて、肩に乗せた顎が痛くないように、その位置を調整する。痛くない、って訊《き》くと、大丈夫、って。
お互いにお風呂に入った後、ベッドに横たわる僕に抱きついたまま僕の髪をいじるミツキは、どうやら寝付けないようだった。怖いの、って訊くと無言でかぶりを振って、僕の頬に額をくっつける。何を考えているのだろう。仕事のこと、僕のこと、これからのこと?
「ねえ。シュン君」
「うん? どうしたの?」
「やっぱりわたし。会えないのは辛い。どうにかならないかな」
「でも、アイドルはしばらくやらないと、お金もだし。おばあちゃんが言うように、ファンにお別れだってしないといけないでしょ」
「…………でも、会いたいの」
そうは言っても、僕が東京に行くわけにもいかないし。ミツキがアイドルをすぐに引退できるはずもないし。やはり、現状維持する他ないと思うのだけれども。感情だけでいえば、ミツキの言いたいことは痛いほど分かる。
「じゃあ、さ。ミツキが言うとおり、会っている間はできるだけお話をいっぱいして、くっついていようよ。僕も、ミツキと会うことだけを楽しみにがんばるから。ミツキも————」
四つん這《ば》いになったミツキの——僕の唇に重ねる——薄桃色の唇は、リップクリームのせいもあって僅かに吸い付いた。メイクをしていないすっぴんのミツキの肌は、化粧水がたっぷりと浸み込んでいて、僕の肌を離そうとしないのではないか、と思うほど瑞々《みずみず》しい。
「もう。ミツキ、また話の途中でキスするんだから。もう許さない」
「だって。したくなっちゃうんだもん」
ミツキの首の後ろを持って、痛くないように仰向けに寝かせると、今度は僕が四つん這いになる。ミツキの顔にかかった前髪を梳いて、そのまま両頬を手のひらで優しく包む。潤んだ硝子玉《がらすだま》の瞳を真っ直ぐに見つめると、ミツキが消え入るような声で呟く。
「シュンくん……抱きしめて」
「ミツキ……」
「ふふ。あながち間違いじゃないような。途中からは、あ、わたし襲われているんだって、思ってた」
まるで嗤《わら》うように僕をからかうミツキの口を、僕は再び塞いだ。
「今度はわたしがシュン君を……食べたい」
「え……」
ミツキに押された胸は力を込めることなく、ミツキにされるがまま、仰向けにさせられる。ミツキの唇が触れるか否か、僅かな感触が伝っていく。あまりの繊細な感触に思わず身を捻《ひね》ってしまった。
「もう。本当に可愛い。さっきのお返し。散々いじめてくれたんだから、覚悟してね」
「え。ちょっと、待っ————」
ミツキの髪の毛先が躍る太腿の上の感覚に、思わず身を屈めた。だけどミツキは、だめ、と言って身を縮めることを許してはくれない。あんまりだ。これは、拷問と言える所業である。
ミツキは、僕の身体を蕩けさせて、次第に脳は活動することをやめてしまうのではないかと思えるほど深く、僕を泥の中で溺れさせていく。研ぎ澄まされるような甘美な感触に、思わず吐息が洩れる。いや、吐息ではなく呻き声に近い。
「シュン君。どう。わたしの気持ち分かったでしょ」
「わ、わかったから。だから、もう」
「だめ。もっといじめたい」
両手の指を僕の指に激しく絡めながら、ミツキは小悪魔のような表情で再び嗤うように笑う。僕で楽しんだミツキは、舌舐めずりをして再び肌を重ねた。
やがて、満足した小悪魔は、再び僕の腕を枕代わりにして満足そうにキスをする。
「ねえ。ミツキ、これって。悪循環じゃない?」
「うん……そうなの。こうやって体温を重ねちゃうと、会えないときに発狂しそうになるかも」
「でも、発狂したミツキ、ちょっと見たいような」
「そんなこと言って。大変なんだからね。泣いて仕事にならなくなっちゃう」
「僕の前以外で泣かないんじゃなかったっけ?」
「もう。そうやって、すぐいじめるんだから」
電気を消して、というミツキは、夜が怖いはずなのに、どうしたのかと訝《いぶか》しんでいると、おもむろに立ち上がりカーテンを開いた。隙間から差す月光は、夜凪《やなぎ》のような無風の中に注がれていて、床に座り込んだミツキの顔を照らし出す。瞳を閉じた彼女の額から顎を撫でていく雲の影法師が、僅かながら揺らめいていた。神秘的。いや、耽美《たんび》でどこか儚く、まるでギリシャ神話の月の神、アルテミスのよう。ただし貞潔《ていけつ》は守れなかったけれど。
「月のある日はまだいいの。月がない夜がすごく怖いの」
「その理由を聞いてもいい?」
瞳を閉じたままのミツキは、何も答えることなく、俯き加減で月夜から顔を逸らす。ごめん、余計な事訊いちゃったね、なんていう僕の言葉は、彼女に届いていないのかもしれない。だけど、もう一度顔を上げて月光を浴びた瞳を僕に向けて横目で視線をくれた。今にも泣きそうな顔で。
「暗いから。すごく暗いから」
暗い夜にわたしは…………わたしは…………さらわれたの。
学校を休んでいたにもかかわらず、ミツキは勉強に関しては、復学後すぐのテストで学年成績を二位で通過していて、どこで勉強しているのか甚《はなは》だ疑問である。
そして、テストも終わり、ミツキはいよいよアイドル復帰を果たした。僕の撮った写真が、あるITの大企業のイメージとして使われた。それから、ある有名メーカーの化粧品のコマーシャルのイメージキャラクターとして採用されたことを皮切りに、様々なオファーが来ているという。
ミツキはそんな多忙な毎日を送りながら、たまに学校に通っては、泥のように眠る毎日だ。そして、どんなに遅くなっても必ず帰宅をする。絶対に外泊をしないのは、僕に気を使っているのかな、なんて思う。無理せずに、宿泊してきても大丈夫だよ、と僕が声を掛けても、それはできない、の一点張り。信用しているのに。
「シュン君。十五夜にススキを飾ってお団子を供えるのって、わたし初めて」
和室の座敷に座布団を敷いて座るミツキは、正座をしたまま空を仰いでいた。月光を浴びる頬が僅《わず》かに紅潮《こうちょう》していて、唇を開いた時には、思わずそのおいしそうな肌を食べたくなった。お供えの団子よりもきめ細かいのだから仕方ない。
珍しくオフになった今夜、ミツキは十五夜をしたいと言ってススキを刈ってきた。田舎故に道から一歩踏み出せばいくらでも生えていることに、ミツキは驚愕している様子だ。
「ねえ。仕事は順調? いじめられてない?」
「いじめって。それは、苦手な人ばかりだけど。でも、そんなものでしょ」
「いや、なんとなく。ちょっと心配だからさ」
「出た。過保護のお父さんキャラ」
スキャンダルで休んでいたアイドルが復帰したら、それこそ一つや二つの嫌がらせをされてもおかしくない気がするのだけれども。僕の前だけでミツキは弱みを見せる。けれど、そのミツキからは想像がつかないくらいに花神楽美月《はなかぐらみつき》は強い。
鈴虫や松虫がそこらじゅうで秋を謳歌《おうか》していて、ぼやける満月の雲の合間から照らす光に、少しだけ侘《わび》しさを感じた。風に棚引くように揺れるススキを見ていると、儚《はかな》い、なんて感想を呟く始末。どれだけ僕はセンチメンタルなのか。正直に言えば、ミツキと会える時間が少なくて寂しいだけ。子供かよ、なんて自嘲《じちょう》せざるを得ない。だけど、決してミツキには言わない。これは、絶対に言ってはいけない台詞なのだ。
「文化祭は必ず行くから。だから、シュン君も体調に気を付けて」
「文化祭か。今月末だもんね。体調はこのままいけば大丈夫だと思うけど」
「あとね。シュン君とあまり会えないでしょ。わたしが帰ってくるころには、きっと寝ちゃっているだろうし。だからね、会える時にはいっぱいお話しして、いっぱい、くっついてもいい?」
「え? 今以上に?」
「————だめなの?」
「い、いや。全然いいんだけど。今だって十分に————」
話している途中でミツキは強引に僕の腕を引き、唇を重ねたまま後ろに倒れこむ。物理の法則に従って思わず彼女を押し倒してしまった。ミツキは背中を打っていないだろうか。ミツキの上に覆いかぶさると、彼女は、潤んだ瞳で僕から視線を外そうとしない。
…………シュン君が欲しい。
ぽつりと呟いた言葉と同時に、ミツキは僕の背中に回した腕を力強く引き寄せて、僅かに吐息を漏らす。少しずつ。ほんの少しずつミツキの呼吸が耳に伝わる。僕は思わず息を呑んだ。
「ちょ、ちょっとミツキ。楽しんでない?」
「…………可愛い。今度はシュン君ね」
「どうしたの。今日は……なんだか」
「なんだか————積極的? いやらしい? ふしだら?」
「そ、そこまで言ってないよ。ただ、色っぽいというか。なんか少し大人になったというか」
「刻《きざ》みたいの。シュン君を身体に。離れていても忘れないように」
だめ。逃がさない。
仄《ほの》かに薫《かお》る月光を纏《まと》った風が、少しだけ開いた窓から入ってきて、その光が部屋に満ちていく中、ミツキの肢体《したい》が浮かび上がる。とても綺麗で、思わず抱き寄せた。その瞳も、唇も、頬も、耳も、首も。胸も。腕も。すべて奪い去りたい。
「シュン君……大好き」
潤んだ瞳で僕を見つめるミツキの側頭部を両手で持って、その額にキスをする。甘く香ばしいストロベリーの薫りが僕の脳を満たしたときには、自制などできるはずもなく、壊れてしまうくらいに抱き締めて。そうしている内に、ミツキは狂おしいほどに咲き乱れた。
シュン君。もう無理だよ……好きすぎて死んじゃう。もっと抱きしめて。
激しく。肺の奥底から上げる咆哮《ほうこう》のように呻《うめ》いて。果てぬ気持ちをすべてミツキに浴びせて。それでも気持ちが満たされない。もっと欲しい。僕の洩れ出た魂を、彼女が受け止めるころには、月が雲に隠れ始めていた。
「…………もう。なんだろう。この気持ち。ねえ、シュン君」
「うん。ごめんね。ごめん」
「違うの」
かぶりを振るミツキの涙目で僕に送る視線が、今までに見たこともない甘く蕩《とろ》けるような優しさを帯びていて。僕はまた抱きしめた。好きとはまた違う感情。宝物を優しく撫でるような感情。そして、ミツキと一緒に一つに溶け込みたい感情。抱きしめても抱きしめても満たされない、無限に湧いてくる愛おしさ。
「なにをしても足りないの。シュン君で満たしてほしいのに、抱きしめてもキスをしても満たされないの。もっと欲しくなっちゃうの。なんだろう」
「僕と————僕と同じだ。好きだけど、それとはまた違う、もっと崇高な感じで。言葉で表せないけれど、すごくミツキを大切にしたい感情で」
————これが愛情……だよね。きっと。
今まで以上に強く。こんなに愛おしくて、辛くて、切なくて、だけど、嬉しくて。
————ミツキも同じ……なの?
だけど、この感情が僕の全身を、身体の中心にある魂を、その全身を司る脳内のシプナスを支配してしまえば、きっと僕は辛くて押しつぶされてしまう。ミツキに会えない時間は、まるで水を求める魚、空を求める鳥、そして、愛を求める恋人のように。深く、とても深い心の奥底が暗黒に支配されてしまう中、光を求めるようにミツキを求めてしまうだろう。
「辛い。こんなに辛いなんて」
「え? シュン君……?」
「ミツキに会えない時間が辛くて。押しつぶされそうに。こんなに切ないなんて」
「…………わたしもなんだ。もうずっと前からそうなの。一人で出て行ってホテルに引き篭もった頃からずっと。シュン君が見つけてくれなかったら、きっと、おかしくなっていたと思う」
「肌を重ねたからっていうわけじゃないんだけど。前からそういう気持ちは存在していたんだけど、今はそれが抑えきれないくらい強くて。大失敗だよ。テレビとかネットでミツキを見るたびに嫉妬しそう。辛くて」
「…………ごめんね。すぐにシュン君だけのものになるから」
「いや、いいんだ、大丈夫。だって、会えない時間が長ければ長いほど、会ったときに、ミツキのことが大切なんだ、って思い出せるでしょ。いつまでも恋していられるっていうか」
もう……大好き、と言って僕に再び抱きつくミツキの肌のぬくもりが温かくて。肌寒くなってきた空気と相成って、とても気持ち良かった。ミツキの髪を梳《す》いて、肩に乗せた顎が痛くないように、その位置を調整する。痛くない、って訊《き》くと、大丈夫、って。
お互いにお風呂に入った後、ベッドに横たわる僕に抱きついたまま僕の髪をいじるミツキは、どうやら寝付けないようだった。怖いの、って訊くと無言でかぶりを振って、僕の頬に額をくっつける。何を考えているのだろう。仕事のこと、僕のこと、これからのこと?
「ねえ。シュン君」
「うん? どうしたの?」
「やっぱりわたし。会えないのは辛い。どうにかならないかな」
「でも、アイドルはしばらくやらないと、お金もだし。おばあちゃんが言うように、ファンにお別れだってしないといけないでしょ」
「…………でも、会いたいの」
そうは言っても、僕が東京に行くわけにもいかないし。ミツキがアイドルをすぐに引退できるはずもないし。やはり、現状維持する他ないと思うのだけれども。感情だけでいえば、ミツキの言いたいことは痛いほど分かる。
「じゃあ、さ。ミツキが言うとおり、会っている間はできるだけお話をいっぱいして、くっついていようよ。僕も、ミツキと会うことだけを楽しみにがんばるから。ミツキも————」
四つん這《ば》いになったミツキの——僕の唇に重ねる——薄桃色の唇は、リップクリームのせいもあって僅かに吸い付いた。メイクをしていないすっぴんのミツキの肌は、化粧水がたっぷりと浸み込んでいて、僕の肌を離そうとしないのではないか、と思うほど瑞々《みずみず》しい。
「もう。ミツキ、また話の途中でキスするんだから。もう許さない」
「だって。したくなっちゃうんだもん」
ミツキの首の後ろを持って、痛くないように仰向けに寝かせると、今度は僕が四つん這いになる。ミツキの顔にかかった前髪を梳いて、そのまま両頬を手のひらで優しく包む。潤んだ硝子玉《がらすだま》の瞳を真っ直ぐに見つめると、ミツキが消え入るような声で呟く。
「シュンくん……抱きしめて」
「ミツキ……」
「ふふ。あながち間違いじゃないような。途中からは、あ、わたし襲われているんだって、思ってた」
まるで嗤《わら》うように僕をからかうミツキの口を、僕は再び塞いだ。
「今度はわたしがシュン君を……食べたい」
「え……」
ミツキに押された胸は力を込めることなく、ミツキにされるがまま、仰向けにさせられる。ミツキの唇が触れるか否か、僅かな感触が伝っていく。あまりの繊細な感触に思わず身を捻《ひね》ってしまった。
「もう。本当に可愛い。さっきのお返し。散々いじめてくれたんだから、覚悟してね」
「え。ちょっと、待っ————」
ミツキの髪の毛先が躍る太腿の上の感覚に、思わず身を屈めた。だけどミツキは、だめ、と言って身を縮めることを許してはくれない。あんまりだ。これは、拷問と言える所業である。
ミツキは、僕の身体を蕩けさせて、次第に脳は活動することをやめてしまうのではないかと思えるほど深く、僕を泥の中で溺れさせていく。研ぎ澄まされるような甘美な感触に、思わず吐息が洩れる。いや、吐息ではなく呻き声に近い。
「シュン君。どう。わたしの気持ち分かったでしょ」
「わ、わかったから。だから、もう」
「だめ。もっといじめたい」
両手の指を僕の指に激しく絡めながら、ミツキは小悪魔のような表情で再び嗤うように笑う。僕で楽しんだミツキは、舌舐めずりをして再び肌を重ねた。
やがて、満足した小悪魔は、再び僕の腕を枕代わりにして満足そうにキスをする。
「ねえ。ミツキ、これって。悪循環じゃない?」
「うん……そうなの。こうやって体温を重ねちゃうと、会えないときに発狂しそうになるかも」
「でも、発狂したミツキ、ちょっと見たいような」
「そんなこと言って。大変なんだからね。泣いて仕事にならなくなっちゃう」
「僕の前以外で泣かないんじゃなかったっけ?」
「もう。そうやって、すぐいじめるんだから」
電気を消して、というミツキは、夜が怖いはずなのに、どうしたのかと訝《いぶか》しんでいると、おもむろに立ち上がりカーテンを開いた。隙間から差す月光は、夜凪《やなぎ》のような無風の中に注がれていて、床に座り込んだミツキの顔を照らし出す。瞳を閉じた彼女の額から顎を撫でていく雲の影法師が、僅かながら揺らめいていた。神秘的。いや、耽美《たんび》でどこか儚く、まるでギリシャ神話の月の神、アルテミスのよう。ただし貞潔《ていけつ》は守れなかったけれど。
「月のある日はまだいいの。月がない夜がすごく怖いの」
「その理由を聞いてもいい?」
瞳を閉じたままのミツキは、何も答えることなく、俯き加減で月夜から顔を逸らす。ごめん、余計な事訊いちゃったね、なんていう僕の言葉は、彼女に届いていないのかもしれない。だけど、もう一度顔を上げて月光を浴びた瞳を僕に向けて横目で視線をくれた。今にも泣きそうな顔で。
「暗いから。すごく暗いから」
暗い夜にわたしは…………わたしは…………さらわれたの。
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