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1巻
1-3
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「人の客に何を馬鹿な事をしているの」
奥の部屋から声がしたと思ったら、姫様が出てきた。何か作業をしていたのか長い髪を縛っているため、火傷の痕が露わになり、とても不気味である。しかし彼女はそれでも、私には大人になっても絶対に手に入れられそうにもない物を持っている。生まれ持った美貌とか、この距離でもはっきりと分かる二つの大きな胸の膨らみとか。
「動きたいのなら庭でも走るといいわ。おしゃべりをしたいなら自分の部屋でなさい」
ぎろりと睨み付けるその迫力と来たら、金色の瞳の威力もあってぞくぞくする。まだ若いのにこれ程の威厳を身につけるなど、さぞ苦労して育ったのだろう。
「ルー、よく来たね」
姫様の後ろから、背の高い男性が現れた。二十代半ばの、落ち着いた雰囲気の彼。
「ホーンっ」
共に育った『兄』の顔を見て、一瞬だけ私の気がゆるみそうになった。少し疲れているように見えるが、彼が疲れているのはいつもの事。いつも子供たちの事を考え、王宮に仕えてからは毎月こちらが心配になるほどの寄付をしてくれる人だ。
「君が来るとおばあちゃんから聞いた時は驚いたけど、立派になって……」
そりゃあ貴族に扮しているのだから。
「後で私の部屋に来なさい。久しぶりに話をしようか」
それは有り難い。久しぶりに、周りの目を気にせずに話をしたい。それに彼ならゼクセンの教育も手伝ってくれるだろう。教材になりそうな本も持っているはずだ。
「再会の邪魔をして悪いけど、先にこっちの用を済ませて。落とした模型のパーツを拾って欲しいの」
姫様が口を挟んで奥の部屋を指さした。
「模型? いいのですか、私は部外者なのに」
「ちょっと見られただけで理解されるような研究なら、とっくに誰かがやってるから、そんなもの機密ではないわ」
「なるほど。畏まりました」
私は姫様に続いて奥の部屋に入る。大きな机の上に、設計図と模型と大量のパーツが置かれていた。模型と呼ぶが、立体で作る魔法陣の一種で、パーツに呪力を込めながら組み立てる魔導具だ。これは針金のようなものを溶接して組み立てている。私は前に木製の物を作ったのだが、もう二度とやらないと心に誓った程、設計も組立も難しい。しかもこれは、覗き込んでも向こう側がほとんど見えない程細かい。私が作った物の比ではない程高度で、頭が痛くなりそうだ。確かに見ただけで理解出来る物ではない。
「下手に弄ると壊れそうだから昨日から困ってたのよ。触れずに取れるなら有り難いわ。来月使うのに、もしも崩れたりしたら間に合わないもの」
私は目をこらす。
「ど、どこに?」
「そこ」
姫君は焼けただれた指でそこそこと示すが、同色の金属は見分けにくく、見つけられなかった。悩みに悩んで、全体を少し持ち上げるように力を入れると、わずかに動く気配でようやく見つけられた。まだ出来上がっていないこれは仕上げ処理の保護加工もされていないので、脆く崩れやすい。冷や汗をかきながら引きずり出し、姫君の手に乗せた。
「極めると便利そうね。一人適合者がいるからやらせようかしら。何かコツはあるの?」
「常に使う事ですよ。食事も着替えも手を使わずに行うと慣れてきます。字を書く時に便利ですよ。腱鞘炎知らずです」
こう言ってしまうと怠けたい一心で上達したようにも取れる。悪いのは幼い頃に痛めた左足だけだから、ここまで上達する必要はなかったのだ。強迫観念に囚われて必死で能力を伸ばしていたような気がする。まあ、おかげで生きていくのに困らないだろうからいいけど。
「そういえば、あなた、なんて名前だったかしら」
「……ルーフェス・オブゼークです。ルーフェス・デュサ・オブゼーク」
家位は省略する事が多いが、王族の方になら言った方が良いのだろう。私には分からないが、貴族は名乗る時にその場の空気を読んで、家位を入れるか入れないか、つまり正式な名乗りをするかしないかを決めるそうだ。上官に名乗る時は必ず入れればとりあえず問題ないらしい。
「オブゼーク?」
しかし姫様は別の事に引っかかったらしく、家名を聞いて眉根を寄せた。
「何か?」
「いえ、ちょっと聞いた事があったから。えっと、名はなんといったかしら」
「ルーフェスですよ、姫様」
部屋の入り口に控えていたホーンが口を挟んだ。
「ルーフェス……ルーフェス」
ぶつぶつと何度も口にする。呪われているようで居心地が悪い。
「ルー、たぶん何度か名前を聞かれるけど、この方はそういう方だから気を悪くする事はないよ。あと姫様、この子も他人の名前を覚えない子だから、間違っても気になさる必要はありません」
人の名前を覚えない姫君がうちの家名を知っていた。どうやら領主様の汚点はそれ程印象深いようである。
「ルー? ルー……」
グランディナ姫はホーンが口にした私の愛称を繰り返し呟く。そういえばゼクセンも誰かが口にしたそれを聞いて、「るーちゃん」などと今の甘ったるい呼び方をするようになったのだ。
「覚えたわ」
そりゃそうだ。それを忘れられたら……さすがに悲しいかも知れない。
「ルー、私はおばあちゃんに頼まれたゼクセン用の教材を取ってくるから、しばらく姫様を手伝って差し上げてくれないか。ゼクセン、詳しく話をしたいから一緒に来てほしい」
おばあちゃんは私が頼むまでもなく、すでにゼクセンのことを頼んでいたらしい。
「あら、まだ貸してくれるの。有り難いわ」
私は別にいいんだけど、他の連中は『男』と『お姫様』が二人っきりってのはいいわけ? いいんだろうなぁ、この雰囲気だと。私はともかく姫様は信頼されてるんだろう。
姫様は見た目も趣味も不気味だが、作業を手伝いながら話してみると、とても勉強熱心で真面目だった。彼女にとっても年下でこれだけ話が通じるのは珍しいらしく、細かくて厄介なパーツの取り付けの補助をしながらも私たちは色々と話をした。
「騎士どもの中にいるのはもったいないわよ。こちらに来ればよいのに」
「申し訳ありませんが、騎士になるのは幼い頃からの夢でしたから」
本当はお姫様になりたかった、などとはまさか言えない。彼女を見ていると、お姫様でも条件によっては大変なのだと思う。火傷については聞けないから想像するしかないけど、きっと色々な苦労をしているのだろう。王族なら政略結婚をしなければならないし、まあ騎士でいいかとも思う。どうせ不可能な夢である。
でも私が言った言葉は半分嘘ではない。騎士になりたかったのはルーフェス様だ。私はルーフェス様でもあるから、完全な嘘ではない。この大胆な話を領主様が進めたのは、そんな息子の願いを叶える意味もあったのだろう。私はルーフェス様と視界を共有し、この世界を見せられる。そのためには色々と高価な魔導具を身につける必要もあるし、私の魔力も大量に消費するのであまり長くは出来ないが、彼にとっては一番の楽しみになっているらしい。
火傷をしていない方の横顔を、ルーフェス様が起きたら見せてあげたいと思う。きっとルーフェス様だって、美貌のお姫様には興味がある。
「理解出来ないわ。なぜ騎士などに」
「あまり長く生きられないと言われている身体ですので、やりたい事をやるんです」
「……生きられない?」
「身体は魔術で動かせても、病気の進行を止める事は出来ませんからね」
このように周知しておけば、突然病状が悪化して実家に帰るとなった時もそれ程疑われないだろう。姫様にとっては、目の前にいる人間が数年後には死んでいると聞かされてかなり嫌な気分だろうけど、ルーフェス様と子供たちのためだ。やり遂げなければならない。
「ここにはいい医者がいるわ」
「色々と呼びましたが、どうしようもないそうです。だから親は好きにしていいと」
「そう」
姫様はそう言うと、先程と変わらぬ作業に戻る。ペースも変わらない。
「好きな事をしているの?」
「ええ。姫様は?」
「この目と傷のおかげで、好きな事をしているわね」
「だから治さないんですか、それ」
「そうよ。どうせ完全には治らないだろうし、道具としても使われない」
完全には治らなくても、薄い化粧で誤魔化せるだろう。もしかしたら完全に治す事も出来るかも知れない。
道具とは、政略結婚の、という事だろうか。お姫様は大変だ。私なんて女としては何の価値もないから、そんな事をする必要もないのだ。
「しかし、どうしてそんな奇妙な火傷になったんですか。火の中に手を突っ込んだようにしか見えないのですが」
話の流れで、普通ならとても聞けないような事を聞いてしまった。
「本を燃やされてその中に手を入れたの。顔は髪が燃えて。本は結局半分以上ダメになって悲しかったわ。でも、偶然ホーンがいた孤児院に同じ物があったから、写しをもらったのよ。ありがたいわ」
「……そういえば以前、頼まれて写した記憶が」
ホーンが出世してここに出入りするようになったのは一年程前だから時期が合う。あの時の本か。
「へぇ、達筆なのね」
「傀儡術で書いたんですよ。手で書くよりも上手く書けます」
「そう。便利ね」
そう言って姫様は魔導具を組み立て続ける。手作業でこれだけ気の遠くなるような事が出来るのだから、この人もよほど好きなのだろう。毎日では身が持たないが、たまにこんな風に趣味に没頭する余暇を過ごすのもいい気がする。まともな趣味がある人は羨ましい。
「ルー、怪我人だ! 東に走れ!」
ある日、騎士らしさを磨くために、使いもしない、なんちゃって剣術を習得しようと奮闘していた私に、アスラル様が怒鳴りつけた。怒鳴らなくてもいいだろうに。しかも私は医者ではないのになぜ派遣されねばならないのだ。
「なぜ私に?」
「下手に動かせないから、運びながら応急手当をして欲しいそうだ」
「一体何をしたらそんな状態になるって言うんですか」
「いいから行け」
仕方なく剣をゼクセンに預け、自身を宙に浮かす。飛ぶのは魔力を消耗して疲れるから嫌いなのだが、緊急ならやっておかないと後で知られた時に責められるだろう。本当なら、風に関係する魔導具を持っていたら移動しやすいんだけど、訓練では必要がないから今は身につけていない。
私は身体を浮かせ、壁沿いに空へと駆け上がるように舞い、壁や建物の屋根を飛び越えて、おおよその方向しか分からない目的の場所を目指す。宮殿は高い建物が多いため、飛び越えるのに苦労する。中で働く人も階段の昇り降りが大変だろう。高く飛んでぐるりと見回し、それらしい場所を発見して滑空する。
「どいてくださぁい」
人が群がる上から声を掛け、空けてくれた場所に降り立ち、件の怪我人を目視して顔をしかめた。
頭からだくだくと血が流れている。口から泡を吐き、様子が明らかにおかしい。これはなかなか動かす勇気はないだろうし、治癒術の使える魔術師が来る方が正解だ。すぐに動けるのが私だったから呼ばれたのだろう。各練兵場は、いつでも連絡を取り合えるよう出来ている。上官には傀儡術と治癒術が得意だと報告してあるから、腰の重い月弓棟の魔術師や、位置的に遠く体力のない医者たちよりも、私の方が早い。きっと早く駆けつけてくれれば助かる可能性が高くなる、程度の認識で呼んだのだ。これはどう見ても命に関わる。
「誰がこんな事を……手加減知らずな」
傷を確認する。艶のない髪に、荒れた肌。手もごつごつしているから、新しく入った平民騎士だろう。
「誰か、頭部を持って傷を私の手に向けて下さい」
「こうか?」
「はい」
近くにいた青盾の騎士が固定してくれる。どんな立場の人かは分からずに手伝わせてしまったが、まあ、私は相手に関係なく、怪我人をここから担架で動かせる程度にすればいいのだ。頭に障害が残らなければいいが、しかしそうなっても私の責任ではない。
「……よし」
一番危険な部位を癒すと、念のために術で腹の中などを探って、出血している傷を癒し、残りは後で治療すれば問題ないと確信するまで続けた。
「よし。これで命に別状はありません。しかし頭だけではなく腹の中も傷ついていましたが、訓練中にどうしてこのような事になるのですか? もう、こんな重体患者の治療なんて神経削られる事はしませんからね」
念を押しておかないと、また頼られるから嫌だ。親切心で最後まで付き合っては、また利用される。こんな所には長居は無用。速やかに去るべし。
しかし立ち上がろうとしたところ、足から力が抜けてがくりと膝が落ち、そのまま尻もちをついた。
こういう作業の後は神経が過敏になり傀儡術の方の感覚が狂うため、自分の身体の操作が効かなくなる時がある。出来ない人には理解してもらえないが、本当にああいう作業はきっついのだ。私には向いていないのだ。ほんと術を使わなければ動けない人間に何をさせてくれるんだと文句を言いたい。
「そこの」
どうしようか悩みながらうずくまっていると、声を掛けられた。たぶん私の事だ。首を持ち上げ逆光に目を細める。太陽から目を逸らし、その人物を足下からゆっくりと見上げた。何と言うべきか……私の目がおかしいのか。
目をこすってから、もう一度よく見た。よく見ても、それは変わらない。
「姫様?」
思わず呟く程グランディナ姫に似た、青盾の制服を着た黒髪の男が立っていた。年頃も同じくらい。似ているが、傷は無い。美人の姫様の男版だから、とんでもない美男子。血のつながりがあるのは一目瞭然で、それはつまり、彼が王子様である可能性が高い事を意味している。美形の王子様だ。すごい、美形の王子様なんて初めて見た。王子様自体を初めて見たんだけど。
私の好きな金髪じゃない事だけが惜しいが、世の中には本の中の住人が実在するもんだ。どうしようか。ここは女らしくときめき、胸をきゅんきゅんさせるべきだろうか。いやぁ、いいみやげ話が出来た。失礼かも知れないけど、姫様じゃ、あんまり自慢話にはならないから。
「治癒術師がなぜ鎧をつけている」
その王子様が尋ねてくる。高度な治癒術が使える騎士はほぼいない。かじった程度で身につくものではないし、教えてくれるのも神殿か医療系の学校なので、騎士になるような貴族や平民は比較的身につけやすい、攻性魔術を覚えるのだ。
「先月騎士の称号を賜りました、ルーフェス・デュサ・オブゼークと申します」
昔は騎士とは王から直接頂く尊い称号だったらしいが、今ではただの職業の名前でしかなく、誰がなってもおかしくないが、慣例的にこう言う。
「オブゼーク?」
なぜか王子様まで、姫様と同じ反応をした。
「何か」
「いや、何でもない。立て」
「申し訳ありませんが、先程の術の影響でしばし動けません」
彼はむっとしたようで、力任せに私を立たせようとする。体重が軽いので簡単に持ち上げられるが、杖もないのでバランスを崩して、先程手伝ってくれた青盾の騎士に支えられた。
「殿下、この者は足を悪くしています。回復するまでしばしお待ち下さい。オブゼーク、大丈夫か? 日陰に移動しよう」
彼の肩を借り、木陰に連れられていく。そこで人目を気にしながら青盾の騎士は言った。
「あれはギルネスト殿下。あの方が犯人だ」
「まじっすか」
「さっきの奴が体力のない魔術騎士を馬鹿にしたせいだ。殿下がお怒りになるのはごもっともだが、それにしても躊躇なく殴られた。これは事故のようなものだが、お前も気をつけろ」
教育的指導であの傷とか、一瞬でもときめいた自分が愚かしい。確かに魔術師を馬鹿にして人のやる気を削ぐような体力馬鹿は使えないと私も思うし、頭を打ったのは本当に事故なんだろうけど、さすがにやり過ぎだ。自分より弱い相手に手加減できなければ、本当の強者ではない。
しかし、私はさっき何かいらん口答えをしてしまったような気がする。ああ、どうしようか。
悩んでいる間にも感覚が戻ってきて、気分も安定する。座り続けているわけにもいかないから、ゆっくりと立ち上がる。
さて、どうしようか。挨拶をすべきか、ささっと逃げるか。
思い悩んでいると、件の王子様ではなく、不吉で傷物の不気味姫ことグランディナ姫様がこちらに走ってきた。どうやら誰かが知らせてくれたらしい。親切な人有り難う。偶然耳に入っただけかも知れないけど。
「ルー、大丈夫? もう動けるの?」
「歩く程度なら」
「ギルにひどい事をされたの? 怪我はない?」
……身内から、このような評価をされる王子様か。ああ、残念な王子様。
「いえ、治癒をして、傀儡術の方が狂って身体を動かせなくなっただけです。もう大丈夫です」
「傀儡術は繊細なのね」
「さすがに頭やら腹やら癒した後では」
簡単に見えるだろうが、私本人は必死でやっていたのだ。簡単そうに見えるから、かなり損をしていると思う。
「それもそうね。動けるならついてきなさい。薬を作ったの」
「新薬の実験台は勘弁して下さい」
「試しにホーンたちにも飲んでもらったけど経過は良好よ。美味しいって言ってたわ」
人の兄に何を飲ませているんですか。こういう実験好きなところは、いかにも魔術師だ。今後は出される物には気をつけよう。
「グラ、まて」
王子様の声だ。姫様は足を止め、思い切り見下げた感じの目を向ける。
二人は似ていても何か違和感があると思ったら、瞳だ。王子様の方は瞳の色が濃いため、金色には見えない。
黒髪と、琥珀色の瞳。その目尻から少し下に、泣き黒子があり、男性なのにとてつもなくセクシーだ。姫様にもし火傷がなかったら、これを越える色気を身に纏った絶世の美女になっていた事だろう。
「兄に対して挨拶もなしか」
「声など掛けては不吉が付きまとうのでしょう」
不吉という事は、二人はどうやら双子のようだ。男女の双子というのは不吉なものだと言われている。女が男の出世を阻むとか、殺すとか言われているのだ。迷信深い家だと、今でも片方──ほとんどの場合は女の方を養子に出す。最悪の場合は殺してしまうこともある。ましてや凶兆の金の瞳を持つ双子の妹など、兄の方にとってはこの上なく不吉なモノである。仲良く育つ方が奇跡的だ。特に王族ともなると何かと陰口も囁かれただろう。最も近しいはずなのに、近くあればある程双方にとって不幸になる。
「お前がなぜそれを回収に来た」
「近くを通ったからよ」
「なぜそんな新人の騎士などと親しげに?」
彼女が楽しげにしているのが気にくわないのだろうか。やはり彼女は彼にとって汚点だと、周囲に吹き込まれているのかもしれない。
「気の合う人間とは楽しく語り合えるわ。そうでしょう」
月弓棟の人間以外で、姫様と楽しげに語り合う相手など私も今のところ見た事がないから、身内からしてもかなり珍しいのだろう。先程の私との会話だって珍しい。それが彼を不機嫌にさせていそうだ。
「新人いびりに精を出すお兄様とは、趣味が合わないから楽しい会話になりませんけれど。だいたい、サディストコンビが帰ってくるとなぜか私に苦情が来るのよ。怪我人を出さないでちょうだい」
コンビという言葉を聞いて、王子の背後に人がいるのに気付いた。こっちは金髪で、年齢は二十歳くらい、少し鋭い目つきだが、長身の美男子である。ミーハーな女性たちが小躍りしそうな二人組だ。見た目だけなら、彼らに夢中になる女性がいたとしても、何となく理解出来る。だがその実体は、妹に言われる程のサディストなのだ。気をつけよう。
「誰がサディストだ」
王子様の反発を姫様は鼻で笑う。
「部下を鞭で打つ男が何を言ってるの。遠く離れた私の所まで噂が聞こえてきたのよ。帰ってきたと思えば新人を殺しかけるし、まったくどこまで暴力的なの? ルーに何かしたら許さないわよ。この子は身体が弱いから、ギルの嗜虐心を満たすには向かないわ。どうぞ他を当たって」
姫様に手を引かれた。足の動きが悪いのでゆっくりと足を進める。
今私は、確実に睨まれてる。背中に視線が突き刺さっている。まさか、実の妹からサディストと呼ばれるような男に目を付けられる事になろうとは。一応私には傀儡術を応用した結界もあるのだけど。
自衛してもいいのだろうか? 生意気だと言われないだろうか?
「姫様、常に結界を張っている人間に、相手が勝手に手を出して怪我した場合、結界を張っていた人間は罪になりましょうか?」
結界というのは防御のための魔術だが、使い方によっては相手が傷つく事もある。壁を殴って拳を痛めるようなものだ。
「大丈夫よ。ギルは月持ちの騎士だもの。自分から結界につっこんでいったなんて他人に知られたら笑いものだわ」
「月持ち?」
「魔術が使える優れた騎士は、『月』の称号をもらうの。たまに三日月の紋章を付けている騎士がいるでしょう。魔術関係の紋章は、月が付くのよ。だから魔術師は月弓。医者は月船の紋章なの」
なるほど。つまりは、血筋だけでなく才能にも恵まれた家系って事ですか。サドがそんな能力を持っているなんて恐ろしいが、それはそれとしてさすがは姫様の兄と言える。
「でも、兄は強いから気をつけて。攻性魔術の威力だけを見れば、この国で一番って言われてるわ」
「……気をつけます」
なんて嫌な男だ。彼がどれだけ世の男たちに妬まれているか想像も付かない。それでもいい人だったら認められるのに、性格が残念だなんて最悪だ。
「一緒にいた馬鹿も他人をネチネチ虐めるから気をつけて。若手の中では一番の剣の腕を持っているらしいから」
私は少し振り返り、斜め前にいる王子様よりも背の高い、金髪の男を見た。
サディストコンビか……
「都会は怖い所ですね」
「あの二人が特殊なのよ。もうあそこまでの怪我人は出ないと思うけど、さっさと地方に行って欲しいものね。何を企んでいるかと思うと、ぞっとするわ」
防御を重要視する青盾で地方に行くという事は、第一線でバリバリ働くタイプなのだろう。ちゃんと仕事をする騎士だ。私の住んでいた地方にはほとんどいなかった。昔はいたのだけれど。
私の主である領主様は、何に代えても守らなければならなかった存在を魔物に奪われてしまったため、その後あの地方にはそれまでいたようなまともな騎士は派遣されなくなった。その事件が、領主様が落ちぶれた原因であり、私の足が悪くなった原因であり、さらにルーフェス様の病が治らなかった原因でもある。
私の足の事を知った時、領主様は謝罪してくれた。
あの方が一人の孤児に謝罪出来るような人であった事も、騎士になる事を引き受けた理由の一つだ。見下されていても引き受けただろうが、ほとんどやる気は出なかっただろう。
一ヶ月の様子見期間が終わり、私たちは白鎧の騎士団に配属される事になった。どうやらアスラル様や姫様が私の身体の事を心配して上に掛け合ってくれたらしい。おかげでゼクセンと引き離される事なく、これからも彼を守ってやる事が出来るようになった。
今日から白鎧の制服で訓練という晴れやかな朝、練兵場に行くと、嫌な男たちが待ち構えていた。
あの王子様と金髪の馬鹿……もといお供の、サディストコンビである。
例の新人半殺しの件の噂が広まっているらしく、皆はかなり警戒していた。問題の二人は、私の隣で姫様そっくりだぁと驚いているゼクセンに目を向けた。ゼクセンはあの王子様を見るのは初めてで驚くのも無理はないが、せめて声を潜めて欲しかった。
「なぜ女がいる!?」
「男ですが脱がせますか?」
いつもの反応にいつもの答えだったが。
「よし、脱がせろ」
初めての反応に、私は戸惑った。今まではすぐに止められていたのに、さすがはサディスト。
男の子の服を無理矢理脱がせる。しかも、金髪で女の子のように可愛い、私の大好きなタイプの男の子の服を脱がせる。よくよく考えてみればこのような事を体験する機会など、もう二度と無いのではないだろうか。顔を引きつらせて後ずさるゼクセンがまた可愛い。
ああ、はりきってしまう。腕が鳴る。
「こらこらこら、居たたまれないからやめなさい」
腕を振り回して怯えるゼクセンを捕まえようとする私を、白鎧の騎士団長のホーニス様が止めに入った。この方はうちの地方にも名前が聞こえてきており、さすがの私も覚えているくらいに有名な騎士様だ。野生の巨大な竜を生け捕りにして従えたという武勇伝もある。騎馬ならぬ騎竜用として育てられた竜でさえ乗りこなすのは難しく、さらには高所での恐怖が付きまとうため、竜に乗って闘う『竜騎士』は魔術騎士の『月』と同じく特別な称号であり、特別に手当てももらえるらしい。さらに野生の竜ともなれば力も強く凶暴で、それを倒した彼が有名なのは当然だ。
「殿下、彼は男の子ですよ。なあ、皆」
ホーニス様の穏やかな問いに、こくこくこくと頷く一同。シャワールームでゼクセンは全裸になるから、当然皆知っている。私が目を向けるとゼクセンは挙動不審に隠してしまうから、私は見ないようにしているけど。
王子様は私が手を引っ込めるとなぜか舌打ちした。ゼクセンは嗜虐心をそそるタイプなのかもしれない。それよりも、この人たちは何をしに来たのだろうか?
奥の部屋から声がしたと思ったら、姫様が出てきた。何か作業をしていたのか長い髪を縛っているため、火傷の痕が露わになり、とても不気味である。しかし彼女はそれでも、私には大人になっても絶対に手に入れられそうにもない物を持っている。生まれ持った美貌とか、この距離でもはっきりと分かる二つの大きな胸の膨らみとか。
「動きたいのなら庭でも走るといいわ。おしゃべりをしたいなら自分の部屋でなさい」
ぎろりと睨み付けるその迫力と来たら、金色の瞳の威力もあってぞくぞくする。まだ若いのにこれ程の威厳を身につけるなど、さぞ苦労して育ったのだろう。
「ルー、よく来たね」
姫様の後ろから、背の高い男性が現れた。二十代半ばの、落ち着いた雰囲気の彼。
「ホーンっ」
共に育った『兄』の顔を見て、一瞬だけ私の気がゆるみそうになった。少し疲れているように見えるが、彼が疲れているのはいつもの事。いつも子供たちの事を考え、王宮に仕えてからは毎月こちらが心配になるほどの寄付をしてくれる人だ。
「君が来るとおばあちゃんから聞いた時は驚いたけど、立派になって……」
そりゃあ貴族に扮しているのだから。
「後で私の部屋に来なさい。久しぶりに話をしようか」
それは有り難い。久しぶりに、周りの目を気にせずに話をしたい。それに彼ならゼクセンの教育も手伝ってくれるだろう。教材になりそうな本も持っているはずだ。
「再会の邪魔をして悪いけど、先にこっちの用を済ませて。落とした模型のパーツを拾って欲しいの」
姫様が口を挟んで奥の部屋を指さした。
「模型? いいのですか、私は部外者なのに」
「ちょっと見られただけで理解されるような研究なら、とっくに誰かがやってるから、そんなもの機密ではないわ」
「なるほど。畏まりました」
私は姫様に続いて奥の部屋に入る。大きな机の上に、設計図と模型と大量のパーツが置かれていた。模型と呼ぶが、立体で作る魔法陣の一種で、パーツに呪力を込めながら組み立てる魔導具だ。これは針金のようなものを溶接して組み立てている。私は前に木製の物を作ったのだが、もう二度とやらないと心に誓った程、設計も組立も難しい。しかもこれは、覗き込んでも向こう側がほとんど見えない程細かい。私が作った物の比ではない程高度で、頭が痛くなりそうだ。確かに見ただけで理解出来る物ではない。
「下手に弄ると壊れそうだから昨日から困ってたのよ。触れずに取れるなら有り難いわ。来月使うのに、もしも崩れたりしたら間に合わないもの」
私は目をこらす。
「ど、どこに?」
「そこ」
姫君は焼けただれた指でそこそこと示すが、同色の金属は見分けにくく、見つけられなかった。悩みに悩んで、全体を少し持ち上げるように力を入れると、わずかに動く気配でようやく見つけられた。まだ出来上がっていないこれは仕上げ処理の保護加工もされていないので、脆く崩れやすい。冷や汗をかきながら引きずり出し、姫君の手に乗せた。
「極めると便利そうね。一人適合者がいるからやらせようかしら。何かコツはあるの?」
「常に使う事ですよ。食事も着替えも手を使わずに行うと慣れてきます。字を書く時に便利ですよ。腱鞘炎知らずです」
こう言ってしまうと怠けたい一心で上達したようにも取れる。悪いのは幼い頃に痛めた左足だけだから、ここまで上達する必要はなかったのだ。強迫観念に囚われて必死で能力を伸ばしていたような気がする。まあ、おかげで生きていくのに困らないだろうからいいけど。
「そういえば、あなた、なんて名前だったかしら」
「……ルーフェス・オブゼークです。ルーフェス・デュサ・オブゼーク」
家位は省略する事が多いが、王族の方になら言った方が良いのだろう。私には分からないが、貴族は名乗る時にその場の空気を読んで、家位を入れるか入れないか、つまり正式な名乗りをするかしないかを決めるそうだ。上官に名乗る時は必ず入れればとりあえず問題ないらしい。
「オブゼーク?」
しかし姫様は別の事に引っかかったらしく、家名を聞いて眉根を寄せた。
「何か?」
「いえ、ちょっと聞いた事があったから。えっと、名はなんといったかしら」
「ルーフェスですよ、姫様」
部屋の入り口に控えていたホーンが口を挟んだ。
「ルーフェス……ルーフェス」
ぶつぶつと何度も口にする。呪われているようで居心地が悪い。
「ルー、たぶん何度か名前を聞かれるけど、この方はそういう方だから気を悪くする事はないよ。あと姫様、この子も他人の名前を覚えない子だから、間違っても気になさる必要はありません」
人の名前を覚えない姫君がうちの家名を知っていた。どうやら領主様の汚点はそれ程印象深いようである。
「ルー? ルー……」
グランディナ姫はホーンが口にした私の愛称を繰り返し呟く。そういえばゼクセンも誰かが口にしたそれを聞いて、「るーちゃん」などと今の甘ったるい呼び方をするようになったのだ。
「覚えたわ」
そりゃそうだ。それを忘れられたら……さすがに悲しいかも知れない。
「ルー、私はおばあちゃんに頼まれたゼクセン用の教材を取ってくるから、しばらく姫様を手伝って差し上げてくれないか。ゼクセン、詳しく話をしたいから一緒に来てほしい」
おばあちゃんは私が頼むまでもなく、すでにゼクセンのことを頼んでいたらしい。
「あら、まだ貸してくれるの。有り難いわ」
私は別にいいんだけど、他の連中は『男』と『お姫様』が二人っきりってのはいいわけ? いいんだろうなぁ、この雰囲気だと。私はともかく姫様は信頼されてるんだろう。
姫様は見た目も趣味も不気味だが、作業を手伝いながら話してみると、とても勉強熱心で真面目だった。彼女にとっても年下でこれだけ話が通じるのは珍しいらしく、細かくて厄介なパーツの取り付けの補助をしながらも私たちは色々と話をした。
「騎士どもの中にいるのはもったいないわよ。こちらに来ればよいのに」
「申し訳ありませんが、騎士になるのは幼い頃からの夢でしたから」
本当はお姫様になりたかった、などとはまさか言えない。彼女を見ていると、お姫様でも条件によっては大変なのだと思う。火傷については聞けないから想像するしかないけど、きっと色々な苦労をしているのだろう。王族なら政略結婚をしなければならないし、まあ騎士でいいかとも思う。どうせ不可能な夢である。
でも私が言った言葉は半分嘘ではない。騎士になりたかったのはルーフェス様だ。私はルーフェス様でもあるから、完全な嘘ではない。この大胆な話を領主様が進めたのは、そんな息子の願いを叶える意味もあったのだろう。私はルーフェス様と視界を共有し、この世界を見せられる。そのためには色々と高価な魔導具を身につける必要もあるし、私の魔力も大量に消費するのであまり長くは出来ないが、彼にとっては一番の楽しみになっているらしい。
火傷をしていない方の横顔を、ルーフェス様が起きたら見せてあげたいと思う。きっとルーフェス様だって、美貌のお姫様には興味がある。
「理解出来ないわ。なぜ騎士などに」
「あまり長く生きられないと言われている身体ですので、やりたい事をやるんです」
「……生きられない?」
「身体は魔術で動かせても、病気の進行を止める事は出来ませんからね」
このように周知しておけば、突然病状が悪化して実家に帰るとなった時もそれ程疑われないだろう。姫様にとっては、目の前にいる人間が数年後には死んでいると聞かされてかなり嫌な気分だろうけど、ルーフェス様と子供たちのためだ。やり遂げなければならない。
「ここにはいい医者がいるわ」
「色々と呼びましたが、どうしようもないそうです。だから親は好きにしていいと」
「そう」
姫様はそう言うと、先程と変わらぬ作業に戻る。ペースも変わらない。
「好きな事をしているの?」
「ええ。姫様は?」
「この目と傷のおかげで、好きな事をしているわね」
「だから治さないんですか、それ」
「そうよ。どうせ完全には治らないだろうし、道具としても使われない」
完全には治らなくても、薄い化粧で誤魔化せるだろう。もしかしたら完全に治す事も出来るかも知れない。
道具とは、政略結婚の、という事だろうか。お姫様は大変だ。私なんて女としては何の価値もないから、そんな事をする必要もないのだ。
「しかし、どうしてそんな奇妙な火傷になったんですか。火の中に手を突っ込んだようにしか見えないのですが」
話の流れで、普通ならとても聞けないような事を聞いてしまった。
「本を燃やされてその中に手を入れたの。顔は髪が燃えて。本は結局半分以上ダメになって悲しかったわ。でも、偶然ホーンがいた孤児院に同じ物があったから、写しをもらったのよ。ありがたいわ」
「……そういえば以前、頼まれて写した記憶が」
ホーンが出世してここに出入りするようになったのは一年程前だから時期が合う。あの時の本か。
「へぇ、達筆なのね」
「傀儡術で書いたんですよ。手で書くよりも上手く書けます」
「そう。便利ね」
そう言って姫様は魔導具を組み立て続ける。手作業でこれだけ気の遠くなるような事が出来るのだから、この人もよほど好きなのだろう。毎日では身が持たないが、たまにこんな風に趣味に没頭する余暇を過ごすのもいい気がする。まともな趣味がある人は羨ましい。
「ルー、怪我人だ! 東に走れ!」
ある日、騎士らしさを磨くために、使いもしない、なんちゃって剣術を習得しようと奮闘していた私に、アスラル様が怒鳴りつけた。怒鳴らなくてもいいだろうに。しかも私は医者ではないのになぜ派遣されねばならないのだ。
「なぜ私に?」
「下手に動かせないから、運びながら応急手当をして欲しいそうだ」
「一体何をしたらそんな状態になるって言うんですか」
「いいから行け」
仕方なく剣をゼクセンに預け、自身を宙に浮かす。飛ぶのは魔力を消耗して疲れるから嫌いなのだが、緊急ならやっておかないと後で知られた時に責められるだろう。本当なら、風に関係する魔導具を持っていたら移動しやすいんだけど、訓練では必要がないから今は身につけていない。
私は身体を浮かせ、壁沿いに空へと駆け上がるように舞い、壁や建物の屋根を飛び越えて、おおよその方向しか分からない目的の場所を目指す。宮殿は高い建物が多いため、飛び越えるのに苦労する。中で働く人も階段の昇り降りが大変だろう。高く飛んでぐるりと見回し、それらしい場所を発見して滑空する。
「どいてくださぁい」
人が群がる上から声を掛け、空けてくれた場所に降り立ち、件の怪我人を目視して顔をしかめた。
頭からだくだくと血が流れている。口から泡を吐き、様子が明らかにおかしい。これはなかなか動かす勇気はないだろうし、治癒術の使える魔術師が来る方が正解だ。すぐに動けるのが私だったから呼ばれたのだろう。各練兵場は、いつでも連絡を取り合えるよう出来ている。上官には傀儡術と治癒術が得意だと報告してあるから、腰の重い月弓棟の魔術師や、位置的に遠く体力のない医者たちよりも、私の方が早い。きっと早く駆けつけてくれれば助かる可能性が高くなる、程度の認識で呼んだのだ。これはどう見ても命に関わる。
「誰がこんな事を……手加減知らずな」
傷を確認する。艶のない髪に、荒れた肌。手もごつごつしているから、新しく入った平民騎士だろう。
「誰か、頭部を持って傷を私の手に向けて下さい」
「こうか?」
「はい」
近くにいた青盾の騎士が固定してくれる。どんな立場の人かは分からずに手伝わせてしまったが、まあ、私は相手に関係なく、怪我人をここから担架で動かせる程度にすればいいのだ。頭に障害が残らなければいいが、しかしそうなっても私の責任ではない。
「……よし」
一番危険な部位を癒すと、念のために術で腹の中などを探って、出血している傷を癒し、残りは後で治療すれば問題ないと確信するまで続けた。
「よし。これで命に別状はありません。しかし頭だけではなく腹の中も傷ついていましたが、訓練中にどうしてこのような事になるのですか? もう、こんな重体患者の治療なんて神経削られる事はしませんからね」
念を押しておかないと、また頼られるから嫌だ。親切心で最後まで付き合っては、また利用される。こんな所には長居は無用。速やかに去るべし。
しかし立ち上がろうとしたところ、足から力が抜けてがくりと膝が落ち、そのまま尻もちをついた。
こういう作業の後は神経が過敏になり傀儡術の方の感覚が狂うため、自分の身体の操作が効かなくなる時がある。出来ない人には理解してもらえないが、本当にああいう作業はきっついのだ。私には向いていないのだ。ほんと術を使わなければ動けない人間に何をさせてくれるんだと文句を言いたい。
「そこの」
どうしようか悩みながらうずくまっていると、声を掛けられた。たぶん私の事だ。首を持ち上げ逆光に目を細める。太陽から目を逸らし、その人物を足下からゆっくりと見上げた。何と言うべきか……私の目がおかしいのか。
目をこすってから、もう一度よく見た。よく見ても、それは変わらない。
「姫様?」
思わず呟く程グランディナ姫に似た、青盾の制服を着た黒髪の男が立っていた。年頃も同じくらい。似ているが、傷は無い。美人の姫様の男版だから、とんでもない美男子。血のつながりがあるのは一目瞭然で、それはつまり、彼が王子様である可能性が高い事を意味している。美形の王子様だ。すごい、美形の王子様なんて初めて見た。王子様自体を初めて見たんだけど。
私の好きな金髪じゃない事だけが惜しいが、世の中には本の中の住人が実在するもんだ。どうしようか。ここは女らしくときめき、胸をきゅんきゅんさせるべきだろうか。いやぁ、いいみやげ話が出来た。失礼かも知れないけど、姫様じゃ、あんまり自慢話にはならないから。
「治癒術師がなぜ鎧をつけている」
その王子様が尋ねてくる。高度な治癒術が使える騎士はほぼいない。かじった程度で身につくものではないし、教えてくれるのも神殿か医療系の学校なので、騎士になるような貴族や平民は比較的身につけやすい、攻性魔術を覚えるのだ。
「先月騎士の称号を賜りました、ルーフェス・デュサ・オブゼークと申します」
昔は騎士とは王から直接頂く尊い称号だったらしいが、今ではただの職業の名前でしかなく、誰がなってもおかしくないが、慣例的にこう言う。
「オブゼーク?」
なぜか王子様まで、姫様と同じ反応をした。
「何か」
「いや、何でもない。立て」
「申し訳ありませんが、先程の術の影響でしばし動けません」
彼はむっとしたようで、力任せに私を立たせようとする。体重が軽いので簡単に持ち上げられるが、杖もないのでバランスを崩して、先程手伝ってくれた青盾の騎士に支えられた。
「殿下、この者は足を悪くしています。回復するまでしばしお待ち下さい。オブゼーク、大丈夫か? 日陰に移動しよう」
彼の肩を借り、木陰に連れられていく。そこで人目を気にしながら青盾の騎士は言った。
「あれはギルネスト殿下。あの方が犯人だ」
「まじっすか」
「さっきの奴が体力のない魔術騎士を馬鹿にしたせいだ。殿下がお怒りになるのはごもっともだが、それにしても躊躇なく殴られた。これは事故のようなものだが、お前も気をつけろ」
教育的指導であの傷とか、一瞬でもときめいた自分が愚かしい。確かに魔術師を馬鹿にして人のやる気を削ぐような体力馬鹿は使えないと私も思うし、頭を打ったのは本当に事故なんだろうけど、さすがにやり過ぎだ。自分より弱い相手に手加減できなければ、本当の強者ではない。
しかし、私はさっき何かいらん口答えをしてしまったような気がする。ああ、どうしようか。
悩んでいる間にも感覚が戻ってきて、気分も安定する。座り続けているわけにもいかないから、ゆっくりと立ち上がる。
さて、どうしようか。挨拶をすべきか、ささっと逃げるか。
思い悩んでいると、件の王子様ではなく、不吉で傷物の不気味姫ことグランディナ姫様がこちらに走ってきた。どうやら誰かが知らせてくれたらしい。親切な人有り難う。偶然耳に入っただけかも知れないけど。
「ルー、大丈夫? もう動けるの?」
「歩く程度なら」
「ギルにひどい事をされたの? 怪我はない?」
……身内から、このような評価をされる王子様か。ああ、残念な王子様。
「いえ、治癒をして、傀儡術の方が狂って身体を動かせなくなっただけです。もう大丈夫です」
「傀儡術は繊細なのね」
「さすがに頭やら腹やら癒した後では」
簡単に見えるだろうが、私本人は必死でやっていたのだ。簡単そうに見えるから、かなり損をしていると思う。
「それもそうね。動けるならついてきなさい。薬を作ったの」
「新薬の実験台は勘弁して下さい」
「試しにホーンたちにも飲んでもらったけど経過は良好よ。美味しいって言ってたわ」
人の兄に何を飲ませているんですか。こういう実験好きなところは、いかにも魔術師だ。今後は出される物には気をつけよう。
「グラ、まて」
王子様の声だ。姫様は足を止め、思い切り見下げた感じの目を向ける。
二人は似ていても何か違和感があると思ったら、瞳だ。王子様の方は瞳の色が濃いため、金色には見えない。
黒髪と、琥珀色の瞳。その目尻から少し下に、泣き黒子があり、男性なのにとてつもなくセクシーだ。姫様にもし火傷がなかったら、これを越える色気を身に纏った絶世の美女になっていた事だろう。
「兄に対して挨拶もなしか」
「声など掛けては不吉が付きまとうのでしょう」
不吉という事は、二人はどうやら双子のようだ。男女の双子というのは不吉なものだと言われている。女が男の出世を阻むとか、殺すとか言われているのだ。迷信深い家だと、今でも片方──ほとんどの場合は女の方を養子に出す。最悪の場合は殺してしまうこともある。ましてや凶兆の金の瞳を持つ双子の妹など、兄の方にとってはこの上なく不吉なモノである。仲良く育つ方が奇跡的だ。特に王族ともなると何かと陰口も囁かれただろう。最も近しいはずなのに、近くあればある程双方にとって不幸になる。
「お前がなぜそれを回収に来た」
「近くを通ったからよ」
「なぜそんな新人の騎士などと親しげに?」
彼女が楽しげにしているのが気にくわないのだろうか。やはり彼女は彼にとって汚点だと、周囲に吹き込まれているのかもしれない。
「気の合う人間とは楽しく語り合えるわ。そうでしょう」
月弓棟の人間以外で、姫様と楽しげに語り合う相手など私も今のところ見た事がないから、身内からしてもかなり珍しいのだろう。先程の私との会話だって珍しい。それが彼を不機嫌にさせていそうだ。
「新人いびりに精を出すお兄様とは、趣味が合わないから楽しい会話になりませんけれど。だいたい、サディストコンビが帰ってくるとなぜか私に苦情が来るのよ。怪我人を出さないでちょうだい」
コンビという言葉を聞いて、王子の背後に人がいるのに気付いた。こっちは金髪で、年齢は二十歳くらい、少し鋭い目つきだが、長身の美男子である。ミーハーな女性たちが小躍りしそうな二人組だ。見た目だけなら、彼らに夢中になる女性がいたとしても、何となく理解出来る。だがその実体は、妹に言われる程のサディストなのだ。気をつけよう。
「誰がサディストだ」
王子様の反発を姫様は鼻で笑う。
「部下を鞭で打つ男が何を言ってるの。遠く離れた私の所まで噂が聞こえてきたのよ。帰ってきたと思えば新人を殺しかけるし、まったくどこまで暴力的なの? ルーに何かしたら許さないわよ。この子は身体が弱いから、ギルの嗜虐心を満たすには向かないわ。どうぞ他を当たって」
姫様に手を引かれた。足の動きが悪いのでゆっくりと足を進める。
今私は、確実に睨まれてる。背中に視線が突き刺さっている。まさか、実の妹からサディストと呼ばれるような男に目を付けられる事になろうとは。一応私には傀儡術を応用した結界もあるのだけど。
自衛してもいいのだろうか? 生意気だと言われないだろうか?
「姫様、常に結界を張っている人間に、相手が勝手に手を出して怪我した場合、結界を張っていた人間は罪になりましょうか?」
結界というのは防御のための魔術だが、使い方によっては相手が傷つく事もある。壁を殴って拳を痛めるようなものだ。
「大丈夫よ。ギルは月持ちの騎士だもの。自分から結界につっこんでいったなんて他人に知られたら笑いものだわ」
「月持ち?」
「魔術が使える優れた騎士は、『月』の称号をもらうの。たまに三日月の紋章を付けている騎士がいるでしょう。魔術関係の紋章は、月が付くのよ。だから魔術師は月弓。医者は月船の紋章なの」
なるほど。つまりは、血筋だけでなく才能にも恵まれた家系って事ですか。サドがそんな能力を持っているなんて恐ろしいが、それはそれとしてさすがは姫様の兄と言える。
「でも、兄は強いから気をつけて。攻性魔術の威力だけを見れば、この国で一番って言われてるわ」
「……気をつけます」
なんて嫌な男だ。彼がどれだけ世の男たちに妬まれているか想像も付かない。それでもいい人だったら認められるのに、性格が残念だなんて最悪だ。
「一緒にいた馬鹿も他人をネチネチ虐めるから気をつけて。若手の中では一番の剣の腕を持っているらしいから」
私は少し振り返り、斜め前にいる王子様よりも背の高い、金髪の男を見た。
サディストコンビか……
「都会は怖い所ですね」
「あの二人が特殊なのよ。もうあそこまでの怪我人は出ないと思うけど、さっさと地方に行って欲しいものね。何を企んでいるかと思うと、ぞっとするわ」
防御を重要視する青盾で地方に行くという事は、第一線でバリバリ働くタイプなのだろう。ちゃんと仕事をする騎士だ。私の住んでいた地方にはほとんどいなかった。昔はいたのだけれど。
私の主である領主様は、何に代えても守らなければならなかった存在を魔物に奪われてしまったため、その後あの地方にはそれまでいたようなまともな騎士は派遣されなくなった。その事件が、領主様が落ちぶれた原因であり、私の足が悪くなった原因であり、さらにルーフェス様の病が治らなかった原因でもある。
私の足の事を知った時、領主様は謝罪してくれた。
あの方が一人の孤児に謝罪出来るような人であった事も、騎士になる事を引き受けた理由の一つだ。見下されていても引き受けただろうが、ほとんどやる気は出なかっただろう。
一ヶ月の様子見期間が終わり、私たちは白鎧の騎士団に配属される事になった。どうやらアスラル様や姫様が私の身体の事を心配して上に掛け合ってくれたらしい。おかげでゼクセンと引き離される事なく、これからも彼を守ってやる事が出来るようになった。
今日から白鎧の制服で訓練という晴れやかな朝、練兵場に行くと、嫌な男たちが待ち構えていた。
あの王子様と金髪の馬鹿……もといお供の、サディストコンビである。
例の新人半殺しの件の噂が広まっているらしく、皆はかなり警戒していた。問題の二人は、私の隣で姫様そっくりだぁと驚いているゼクセンに目を向けた。ゼクセンはあの王子様を見るのは初めてで驚くのも無理はないが、せめて声を潜めて欲しかった。
「なぜ女がいる!?」
「男ですが脱がせますか?」
いつもの反応にいつもの答えだったが。
「よし、脱がせろ」
初めての反応に、私は戸惑った。今まではすぐに止められていたのに、さすがはサディスト。
男の子の服を無理矢理脱がせる。しかも、金髪で女の子のように可愛い、私の大好きなタイプの男の子の服を脱がせる。よくよく考えてみればこのような事を体験する機会など、もう二度と無いのではないだろうか。顔を引きつらせて後ずさるゼクセンがまた可愛い。
ああ、はりきってしまう。腕が鳴る。
「こらこらこら、居たたまれないからやめなさい」
腕を振り回して怯えるゼクセンを捕まえようとする私を、白鎧の騎士団長のホーニス様が止めに入った。この方はうちの地方にも名前が聞こえてきており、さすがの私も覚えているくらいに有名な騎士様だ。野生の巨大な竜を生け捕りにして従えたという武勇伝もある。騎馬ならぬ騎竜用として育てられた竜でさえ乗りこなすのは難しく、さらには高所での恐怖が付きまとうため、竜に乗って闘う『竜騎士』は魔術騎士の『月』と同じく特別な称号であり、特別に手当てももらえるらしい。さらに野生の竜ともなれば力も強く凶暴で、それを倒した彼が有名なのは当然だ。
「殿下、彼は男の子ですよ。なあ、皆」
ホーニス様の穏やかな問いに、こくこくこくと頷く一同。シャワールームでゼクセンは全裸になるから、当然皆知っている。私が目を向けるとゼクセンは挙動不審に隠してしまうから、私は見ないようにしているけど。
王子様は私が手を引っ込めるとなぜか舌打ちした。ゼクセンは嗜虐心をそそるタイプなのかもしれない。それよりも、この人たちは何をしに来たのだろうか?
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