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詐騎士特別編 恋の扇動者は腹黒少女
特別編-3
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するとティタンも口を挟んでくる。
「とりあえず、厨房ではゼノンが働くはずだよな。あいつ大人しい性格だけど、傀儡術師としてはけっこう実力があるはずだから、急場はしのげると思う」
そういえばカルパは元々、料理人志望の傀儡術師、ゼノンを雇う予定だったな。ゼノンに見込みがあるとはいえ、親切はしておくものだ。
「まさか、ゼノンやラスルシャにこんな負担をかけてしまうなんて……」
「そもそも、自分が急成長企業の代表だってこと、忘れちゃダメだよ。普通に身代金目的で誘拐されても不思議ではないからね」
ゼクセンの指摘を聞いて、ギル様も頷いた。一方エフィは、ジオちゃんの頭を撫でて言う。
「ジオちゃんもカルパさんと一緒にいれば安心ね」
「任せておけ」
なぜか胸を張るジオちゃんに、おまえも誘拐される側だとは誰も突っ込まなかった。
「まさかあの小娘達も今日来てすぐに誘拐などということはしないだろうが、緑鎖にも相談した方がいいな。巡回ぐらいは増やしてもらえるかもしれないから、ベナンドに相談しよう。僕も一緒に行って説明する」
これは街の犯罪を取り締まる緑鎖の管轄だろう。ギル様の友人であるベナンドが、そこの重職に就いている。
「ついでにカリンも連れていくか。たまには兄妹を会わせてやらないとな」
ここには来ていないが、エリネ様の侍女であるカリンはベナンドの妹だ。ベナンドが忙しくて、なかなか兄妹で会うことができないでいるらしい。
「そうですね。ではギル様、お願いします」
カルパは頭を下げた。
ギル様とベナンドが話し合えば、最良の答えが出るだろう。ベナンドはカルパと親しくしている分、他の人より真摯に対応してくれそうだし、カルパの顧客は富裕層が多いから、緑鎖としても何らかの対策はしてくれるはずだ。権力者の後ろ楯というのは、こういう時にも役に立つ。
それに私が辛い時に一緒にいてくれたギル様にも、たまには友人に会って息抜きしてきてほしい。
カリンがいたら、息抜きにならないかもしれないけど。
第二話 悪魔が来た ~ニースと魔術師達の場合~
空が青い。雲一つない澄み切った空が、私の心とは対照的で憎らしかった。空を飛ぶ鳥がのびのびとしているのすら憎らしい。
私の名はエディアニース・ユーゼ・ロスト。王族にも繋がるロスト家の長男として、恵まれた人生を歩んでいるはずの私の人生は、半分自己嫌悪でできている。
実力がないわけではない。私の祖父は最強の騎士と呼ばれ数々の伝説を残した男だが、私もそんな祖父に恥ずかしくないほど強くなり、世間もそれを認めてくれている。
顔だってルゼが褒めてくれるほどだから、問題ないだろう。顔だけならギルよりも私の方が好みだと言っていたぐらいだ。あの〝王子様〟好きの面食いが。
それでも自己嫌悪の材料は後から後から湧いて出た。つまりはそれ以外の――中身の問題なのだ。
私はため息をついて、神殿の庭のベンチで空を見上げる。この空が今すぐ雨雲でいっぱいになってしまえばいいのにと呪ってみるが、雲一つない晴れ模様は変わらない。この重苦しい思いを雨に洗い流してもらいたいのに、現実は残酷だ。
「はぁ……」
何も進展がないのだ。
十五歳の頃は、二十歳になればどうにかなっているだろうと楽観視していた。今では、何年経っても告白すらできないのではという気になっている。
「うう……」
「ニース、何を呻いている?」
私は正面に向き直り、声の主を見た。親友ギルネストと同じ癖のある黒髪に、琥珀色の瞳。ギルのような匂い立つ色気はないが、代わりにその顔は優しげな雰囲気をたたえている。
「セレイン様……」
この国の第二王子――ギルの同母兄であり、私が少しばかり苦手としている男だ。
苦手な理由は、理解できないからというのが一番大きい。彼には想い人がいるのだが、その求愛方法がほぼ付きまとい行為なのだ。どれだけ相手に邪険にされても、嫌われていないと思い込んでいる。その精神構造には、弟であるギルすら引いているほどである。
「元気がないな。またグラにひどいことを言ったのか? それとも言われたのか? 何もなかったのか?」
「……もう少し、遠慮して下さい」
的確に指摘されて、心を抉られた。彼は本当に容赦がない。そして察しがいい。その察しの良さは、なぜか彼の想い人、セクにだけは発揮されないが。
「おまえは相変わらず空回りしてるな。昔からそうだ。セクにグラの火傷を治すよう頼みに行くほどの想いがあるなら、その分グラのところに行けば良かったものを」
「放っといて下さい」
好きな女に付きまといすぎて迷惑がられている男に言われたくはなかった。
確かに私は二年ほど前、グラの火傷の痕の治療を、女医であるセクに頼みに行った。彼女は魔族交じりであるせいか、魔力と知能の高い優れた医者だ。彼女のおかげで、グラの火傷の痕は今やほとんど目立たないくらいになっている。
グラの耳に届かないようこっそり頼んだつもりなのだが、この男はセクに話しかけた男を全て把握しているので、知られていても不思議ではない。
「一緒に育ったギルは一度決めたら積極的になるのに、君はいつまでも臆病だ」
「まずは先に、セレイン様がセクに告白すべきでは?」
彼がセクに夢中なのは周知の事実だ。が、それを面と向かって言わずに付きまとっている。
「私達には身分差と種族の問題がある。しかし君達にはそれがないどころか、婚約しているだろう。幸せは目の前にあるのに、何年縮こまっているんだ? 私が君の立場なら、毎日だって愛を語りに行くだろう」
私は正論に言葉を詰まらせた。他の人間ならともかく、セレイン様に言われると悔しくて堪らない。
「まったく、ギルの相手の方がよほど手強そうだったのに」
確かに、ギルは素直にすごいと思う。相手はグラに劣らぬ難しい女だ。
「グラなど、ちょっと真剣に口説いたらいくらでも揺らぐぞ」
「そんな馬鹿な」
「口説かれ慣れていない女が、おまえのような見映えも良く優秀な男に本気で口説かれれば、揺らぐのは当然だぞ? それに比べて、私のセクは口説かれるのに慣れているから厄介だ」
彼は、付きまとい行為で常にセクの仕事の邪魔をしているせいで、彼女から鬱陶しがられている。そのため、あれこれ理由をつけて面会を断られたり、たまに食事に行っても奢らされてそのままさようならと帰られたりしているが、それでも懲りずに彼女の尻を追い続けられるこの人は、ある意味すごいと思う。私にはとてもできない。理解もできないが。
「私は……駄目な男です」
「そう落ち込むな。あそこにおまえよりもはるかに不利な条件の男がいる。君と違い、求愛されている方だがね」
示された方を見れば、神殿の壁に頭を押しつけて呻いているティタンと、それを慰めるゼクセンとレイドの姿があった。ギルの従騎士をしている三人組だ。
「どうしたんだ、あいつ……というか、なぜあの三人がここに?」
三人一緒にいるのは珍しくないが、彼らは従騎士の制服ではなく私服を身につけている。
ここ最近ティタンが悩む原因は、ウィシュニアの必死な求愛行動であることが多い。
ティタンも彼女を嫌っているわけではない。身分の差がなければむしろ受け入れていたことだろう。
だが二人の間には、孤児院育ちの庶民と大貴族の令嬢という身分差がある。だからティタンは返事を保留にしつつも、誘われれば買い物に付き合う程度の曖昧な関係を続けることしかできない。それでも諦めないウィシュニアの心意気は、私が最も見習わなければならないものだった。
「実は私がギルから彼らを貸してもらったんだ。ちょっと噂を聞いて、ぜひ連れ歩いてみたいと思ってな。それで今日一日は私の手伝いをしてもらっている」
セレイン殿下は財務官だ。セクへの付きまといの方が有名になっているのであまり知られていないが、付きまといをするために仕事を手早く終わらせるという、実は超有能な男だ。付きまといさえしなければギルと並び称されそうな大した人物なのだが、本当にもったいない。
そんな男が興味を持つのは、あの中ではティタンしかいないだろう。
あいつは、行く先々で騒動を起こす。特に他人の隠したいものを無意識のうちに見つけ、暴きたててしまう力があるらしい。私室には決して近付かれたくない、恐ろしい男である。
だが財務官にとっては、この上なく有用な人材に違いない。裏帳簿や隠し財産など、後ろ暗いところのある者は多い。
「それで殿下、私に何の用です?」
あの三人を連れているということは、仕事中のはずだ。
「うむ。ニース、そんなところでうじうじしているなら、私を手伝え」
「手伝うって、何を?」
「これからグラのところに行くんだ」
グラのところというと、月弓棟か。どうやら彼なりの親切心らしい。
「これから鍛練があるのですが」
「そんなものはいつでもできるだろう。ひょっとしたら私の方でも肉体労働が必要になるかもしれない」
セレイン様は強引に私の腕を取り、立ち上がらせた。
「大丈夫だ。私は二人のことを昔から応援している。可愛い妹には、ちゃんと愛してくれる立派な男を選んでほしいからな。ぐずぐずしていると、ルーフェスが戻ってきたら今度こそ取られてしまうぞ。あいつも身体の具合がだいぶ良くなって、そのうち遊びに来るとか来ないとかいう話が出ているそうじゃないか」
セレイン様の知るルーフェスは、男装して兄のふりをしていたルゼのことだが、まったく気付いていないようだ。もちろん私もギルに聞かされるまでは気付かなかった一人だから、他人のことは言えない。
時折、ギルはあんな男のような女でいいのだろうかと疑問に思う。私ならとても恋愛対象としては見られない。まあ、女らしくない体格の女が好きなのだから、いいんだろうが……
「ニース様、まあ次が最後なので、大人しく行きましょう」
真面目なレイドが、珍しく疲れた様子で腑抜けた言葉をかけてきた。
彼らは既にセレイン様にあちこち連れ回された後のようだ。だからティタンが落ち込んでいるのだろう。きっと見つけたくないものを散々見つけさせられたのだ。
そしてゼクセンは、のほほんと笑みを浮かべていた。
「ニース様、すっごく楽しかったですよ。うちでもやってもらいたいぐらいです」
ゼクセンが心底楽しげに言う。ゼクセンの家は、ゼルバ商会という大きな商店だ。規模が大きい分、横領などの不正も起こりやすいから、常に目を光らせているのだろう。
「おまえ達、下手すると恨まれるぞ?」
「うーん、でも分かるように不正する方が悪いんですよ。父さんも、黒になりかねないことは灰色でもやっちゃ駄目だってよく言ってました。やるならせめて白に近い灰色の範疇にしろって。姫様ならきっと上手くやってるから大丈夫ですよ」
気楽に言うゼクセンを見て、私は額を押さえる。
「セレイン様、いいのですか、この発言」
「灰色でも違法でなければいいだろう。そういうのは節税とか企業努力と言われるんだ。さあ、グラのところに行こう。どうせなら夕食にでも誘えばいい」
――それができるなら、もうとっくにやっている。
私は心の中でそう言った。
グラの勤務先である月弓棟は、魔術師達の研究施設だ。国家機密が多々詰め込まれている場所なので、警備は厳しく建物も頑丈だ。しかしその頑丈さは侵入者を防ぐためではなく、中で爆発があっても外に被害を及ぼさないためだとも言われている。そのようなことは滅多にないだろうが、なんにしても私には理解できない、少し苦手な場所である。
グラがいると思われる研究室に足を踏み入れた時、中にいた数人の研究者達はセレイン様を見て、次にティタンを見て、そして叫んだ。
「あ、悪魔が来たぁぁあっ!」
分厚い眼鏡をかけた魔術師の女が悲鳴を上げる。ティタンは壁に額をこすりつけて、絶望を全身で表現した。そんな彼の肩に、セレイン様が手をかける。
「ティタン、そんなに落ち込むな。ところでおまえが右手を置いている瓶は何だ」
「だめぇぇぇっ」
魔術師の女が再び叫ぶ。一見何の変哲もない瓶に興味を示しただけで、この反応。
ティタンは渋々瓶の口の重しを外し、蓋を開ける。さらなる悲鳴が上がったが、セレイン様や従騎士達は慣れているのか、誰も気にしない。
瓶の中にいたのは、小さな生き物だった。
「トカゲ?」
「噛まれたら死んじゃう!」
女の声に、ティタンは迷わず蓋を閉める。
「ちょっと待て。なぜ噛まれたら死ぬような生き物がこんなところにいるのか、説明してもらいたいな」
常識外の思考を持つセレイン様も、さすがに顔を引きつらせて研究者の女を睨みつけた。
「その子の毒に用があるんです」
「で、なぜ瓶? 入れるにしても他にあるだろう。もう少し安全な飼育容器がっ!」
「あはははは、申し訳ありません。壊れちゃって、でもお金がなくて、そこらへんにあった瓶にとりあえず」
「月弓棟にはどれだけの予算を回していると思っているんだ!? 何に注ぎ込んでいるのか知らないが、金の使い方が間違っているだろうっ! 安全を優先しろ!」
女は笑って誤魔化そうとしたが、それが通じる相手ではない。色恋さえ絡まなければ有能で、容赦など微塵も見せない男だ。そんなところはギルとよく似ている。
「で、これはどこで手に入れた?」
セレイン様は、ギルより柔和な顔つきをしている。それなのに糾弾する場面になると、不思議とカエルを睨む蛇のように見えるのだ。
「えっと……どこだっけ?」
「業者に頼んだから、よく分からねーな」
女が周りを見回すと、近くにいた無精髭の魔術士が答えた。
「王宮の許可は? 危険生物の飼育には手続きがいるだろう。こんな管理の仕方で許可が下りるはずがない」
「えと……ホーンさんがやってると思います」
「ちなみに、調べればすぐに分かる」
魔術師の女の顔が引きつった。この中では信頼の置けるホーンの名を出して誤魔化そうとしたが、無駄な努力だったようだ。
「安全な飼育容器がないなら、これは処分だな」
セレイン様は懐から人の指よりも少し長い程度の杖を取り出した。それで瓶の蓋を叩く。
どん、と瓶の中で爆音が響き、セレイン様が中を確認して満足そうに頷く。中には、消し炭になった何かがあった。
「…………ああ、私のアルステルト」
消し炭トカゲには、ずいぶんと大層な名前が付けられていたらしい。
「実験動物に名前を付けると情が移るぞ。まあいい。引き続き調べさせてもらうぞ。不安になってきた」
ここに来る前に予想していた〝不正〟とは違うが、それ以外のろくでもない事実がぽこぽこ出てきそうだ。
「これ以上一体何をなさるんですかっ!?」
魔術師達の間にさらに動揺が走る。
「ちょっと調べるだけだ。やましいことがなければいいだろう。まさか他にも危険生物の飼育をしているんじゃないだろうな。財務官の管轄ではないが、王族として、いや人として見過ごせない」
「危険生物など、滅相もございません。実験用の鼠がいるだけです」
「変な病気にかかっていたりしないだろうな」
その言葉を聞いて、一般人である私達は後ずさった。こいつらのことだ。ないとは言い切れない。
「それがあるとすれば、セクの管轄よ。セクのところには行ったの? お兄様」
奥の部屋から、私の婚約者であるグランディナと魔術師のホーンが姿を見せた。だがセレイン様は淡々と続ける。
「もちろん平等に視察したぞ。一人、薬の横流しをしていたのを見つけた」
セクの管轄であろうが、仕事に関してはやはり容赦しないらしい。
「そう。それはそうと、なぜだかセクのところは資金が潤沢なようだけど」
「あれでも要請の半分だ。こちらも彼らの要請を全て呑んでいるわけではない」
「どこまで要請してるのよあいつらっ!? 控え目にしている私達が馬鹿みたいじゃない!」
「確かにあちらは極端な要請をしているが、だからといっておまえ達が控え目なわけではない」
グラはセレイン様を睨みつけ、その間にホーンがティタンのもとへと近付いた。
「やあ、訳の分からないことに巻き込まれてるみたいで大変だね。ああ、そうだ。さっきエリネ聖下から果物をお裾分けしていただいたんだ。ちょうど食べようと思っていたところだから、一緒にどうかな」
ホーンはいかにも裏表のない柔和な笑みを浮かべ、ティタンの肩を抱いた。ルゼやティタンにとって兄のような男だから自然な態度とも言えるが、今の状況ではとても怪しく見える。
「残念だが、ティタニスは今日一日私の部下だ。勝手に休憩を与えないでほしいな、魔術師。行くぞ、ティタニス」
セレイン様が問答無用でティタンを奪い返すと、ホーンが小さくため息をついた。
それからセレイン様はティタンに命じ、色々な場所を探させた。
「なぜこんなところに、こんな高級な砂糖が三袋も……」
「お裾分けよ。エリネ様とカリンが太ったからって、貢ぎ物を分けて下さったの」
「それで最近よく散歩をされているのか。女性も大変だ。ところで、先日おまえのところから経費として申請された砂糖代がやたらと高かったのを記憶してるんだが」
「これをもらったのはついこの前よ。申請したのはその前」
「その割には一袋目がほとんど残っていないが?」
「お裾分けだったから一袋目は使いかけだったのよ。それに月弓棟は、お茶に歯が痛くなりそうなぐらい砂糖を入れる甘党が多いのよ。たまのお裾分けなんだから多めに使ってもいいじゃない」
「これだけもらっているなら、来月分の砂糖はもちろん必要ないな」
「これだけで足りるわけないでしょ」
「あと二袋あるぞ?」
現在研究室では、ティタンとは関係のないところで、チマチマとした兄妹の攻防戦が繰り広げられていた。
「だからセレイン兄様は嫌いなのよっ。いいじゃない、少しぐらい。頭を使う者にとって、甘いものは活力剤なのよ。ないと効率が落ちるの!」
「各部署でその『少し』を繰り返すから、膨大な無駄ができるんだろう。小さなことからコツコツと節約しろ」
「とても王族の言葉とは思えないわ」
「これだけ子だくさんだと、王族など大してありがたみもないだろう。何しろ男が五人、女が二人だ。親に可愛がられた記憶もない」
「それは兄様が、近付いてはいけないと親に思わせるほどの変人だからでしょう」
そこまで言い終えたグラは突然、キッと私を睨みつけた。
「わ、私に八つ当たりするな。私はさっきそこでセレイン様に会って無理やり連れてこられた被害者だ」
兄の性格からそれが事実だと納得したのだろう、グラもため息をついて視線を逸らした。
うう、なぜ私がこんなことに。余計に印象が悪くなるだけじゃないか。こんなことなら、何の理由もなく一人で来た方がマシだ。それができた試しなどないのだが。
「ところでティタニス、おまえの横にある花瓶、中に何もないか? こんな花など愛でそうにない集団のもとで、当たり前のように花を生けてあるのが逆に怪しい」
セレイン様に命じられると、ティタンは渋々花瓶の花を引き抜き、窓から水を捨てる。
すると中から小さな袋が出てきた。ティタンはそれを手に載せ、封を開けて中を確認する。
「白い粉の固まり……まさか秘蔵の高級な砂糖!?」
「そんなものを入れてあったら、逆に引くぞ」
ティタンが斜め上の発言をしてセレイン様を呆れさせている。まあ、知り合い達が隠しているものを変な薬とは言いにくいから、あえてそんなことを言ったのだろうが。
彼が袋の中に指を入れようとすると、後ろからホーンに止められる。
「危ないから」
ティタンは黙って袋の封を閉じ、テーブルの上にそっと置いた。
「グラ、だからなぜ危険なものを杜撰に管理する。隠すにしても、もう少し安全な場所があるだろう。な?」
「あそこなら間違っても誰か舐めたりしないでしょ。別に死ぬわけじゃないわ。魔術師が舐めると、ちょっと魔力が暴走して熱が出るだけよ」
「これはセクに成分を調べさせるからな」
「ダメよっ! そんなことしたら盗られちゃうじゃないっ! あの女、珍しくて治療関係に使えそうなものがあると、平気でパクるんだから! お金は絡まない代物なんだから放っといてちょうだい! ああもう、お金が絡むことだけ調べなさいよっ! 最悪! だから兄様は嫌いなのよっ!」
不正購入ではなくとも、知られてはまずいものが山のように眠っているらしい。
グラは兄を罵るが、セレイン様はどこ吹く風でティタンらを引き連れ、月弓棟の中を歩く。私やグラ、ホーンもそれに続いた。
「ティタン、かわいそうに……」
「さすがに知り合いだとキツそうだ」
今まで黙って見ていたゼクセンとレイドが呟いた。
「昔っからああいう損な役回りでしたからね、あの子は」
ホーンは弟を救うこともできずに、頭を抱えていた。
「まあ、ここにさらなる問題を引き起こしそうな女達がいないことだけが救い……げ、ルゼ」
私がそう言って後ろを振り返ると、その女達――ルゼとウィシュニアが騒がしい研究室内を覗き込んでいた。取り込み中なので、入るに入れないといった様子だ。ルゼの手にはバスケットが抱えられているので、貢ぎ物のお裾分けでも持ってきたのだろう。ウィシュニアが付いてきたのは、ここにティタンがいると知ったからなんだろうが……
「ああ、さらに燃料が……。ティタン、なんて哀れな子」
ホーンは額を押さえて、悲しげに呟いた。この女達は、良くも悪くもティタン絡みでたびたび騒ぎを起こすのだから、この反応も仕方がない。
彼の予感した通り、グラは二人を見るや否やこの騒ぎに引き込んだ。
今日のルゼは私服で、ウィシュニアと並んでも違和感のない女らしい格好だった。先々月に女児を産んだばかりで、まだ騎士の仕事に復帰していないからだろう。
よく見たら、足元には赤ん坊を抱えるラントもいた。いい子守になるだろうとは思っていたが、思った以上に本格的に子守をさせられている。乳母もいるはずなのに、赤ん坊――リゼはラントがお気に入りらしい。
「子供をこんな場所に……」
「こんな場所って、姫様の職場なのに」
ルゼはじとっと私を睨みつけた。
そうだった。異様なものを異様な方法で隠していたりするので、すっかり頭から抜けていた。
「そうでしょう。ルゼ、あなたも言ってやって。こんなところ調べても無駄だって! 普通にやり繰りしてても足りないのに、横領なんてしようがないって!」
「……」
ルゼはちらりとティタンとセレイン様を見た。
「……まあ、横領はできませんよねぇ。実験道具だって買えばいいものを、経費削減のために手作りしてますもんねぇ」
「でしょう。もっと言ってやって!」
「私だって手伝うんですよ。最近なんて、身内だからタダでいいわよねって言われて。セレインお義兄様、ここは調べるだけ無駄です。いらぬ恨みを買うだけですよ」
そういえば、たまに彼女の趣味ではなさそうな奇妙なものを作っているのを見たが、グラからの頼まれごとだったようだ。
「ほら、ニース様も、こういう時こそ姫様の味方をしなきゃ!」
「いや、専門的すぎて無理だ。薬と砂糖の見分けも付かない私が口を挟むと、余計にややこしくなるだけだぞ。自分でもなぜここにいるのか分からないぐらいだから」
ルゼに巻き込まれそうになり、私は慌てて首を横に振る。
「それではダメなんですよ。騎士なら迷わず女性の味方にならないと!」
「横領はなくても、明らかにそれ以外の不正がありそうなのに、どう庇うんだ」
金は使っていなくとも、飼育許可のない危険生物や隠さなければならない薬品が眠っているのは問題だ。セレイン様に人として見過ごせないからと言われれば、庇うのも馬鹿らしい。
「とりあえず、厨房ではゼノンが働くはずだよな。あいつ大人しい性格だけど、傀儡術師としてはけっこう実力があるはずだから、急場はしのげると思う」
そういえばカルパは元々、料理人志望の傀儡術師、ゼノンを雇う予定だったな。ゼノンに見込みがあるとはいえ、親切はしておくものだ。
「まさか、ゼノンやラスルシャにこんな負担をかけてしまうなんて……」
「そもそも、自分が急成長企業の代表だってこと、忘れちゃダメだよ。普通に身代金目的で誘拐されても不思議ではないからね」
ゼクセンの指摘を聞いて、ギル様も頷いた。一方エフィは、ジオちゃんの頭を撫でて言う。
「ジオちゃんもカルパさんと一緒にいれば安心ね」
「任せておけ」
なぜか胸を張るジオちゃんに、おまえも誘拐される側だとは誰も突っ込まなかった。
「まさかあの小娘達も今日来てすぐに誘拐などということはしないだろうが、緑鎖にも相談した方がいいな。巡回ぐらいは増やしてもらえるかもしれないから、ベナンドに相談しよう。僕も一緒に行って説明する」
これは街の犯罪を取り締まる緑鎖の管轄だろう。ギル様の友人であるベナンドが、そこの重職に就いている。
「ついでにカリンも連れていくか。たまには兄妹を会わせてやらないとな」
ここには来ていないが、エリネ様の侍女であるカリンはベナンドの妹だ。ベナンドが忙しくて、なかなか兄妹で会うことができないでいるらしい。
「そうですね。ではギル様、お願いします」
カルパは頭を下げた。
ギル様とベナンドが話し合えば、最良の答えが出るだろう。ベナンドはカルパと親しくしている分、他の人より真摯に対応してくれそうだし、カルパの顧客は富裕層が多いから、緑鎖としても何らかの対策はしてくれるはずだ。権力者の後ろ楯というのは、こういう時にも役に立つ。
それに私が辛い時に一緒にいてくれたギル様にも、たまには友人に会って息抜きしてきてほしい。
カリンがいたら、息抜きにならないかもしれないけど。
第二話 悪魔が来た ~ニースと魔術師達の場合~
空が青い。雲一つない澄み切った空が、私の心とは対照的で憎らしかった。空を飛ぶ鳥がのびのびとしているのすら憎らしい。
私の名はエディアニース・ユーゼ・ロスト。王族にも繋がるロスト家の長男として、恵まれた人生を歩んでいるはずの私の人生は、半分自己嫌悪でできている。
実力がないわけではない。私の祖父は最強の騎士と呼ばれ数々の伝説を残した男だが、私もそんな祖父に恥ずかしくないほど強くなり、世間もそれを認めてくれている。
顔だってルゼが褒めてくれるほどだから、問題ないだろう。顔だけならギルよりも私の方が好みだと言っていたぐらいだ。あの〝王子様〟好きの面食いが。
それでも自己嫌悪の材料は後から後から湧いて出た。つまりはそれ以外の――中身の問題なのだ。
私はため息をついて、神殿の庭のベンチで空を見上げる。この空が今すぐ雨雲でいっぱいになってしまえばいいのにと呪ってみるが、雲一つない晴れ模様は変わらない。この重苦しい思いを雨に洗い流してもらいたいのに、現実は残酷だ。
「はぁ……」
何も進展がないのだ。
十五歳の頃は、二十歳になればどうにかなっているだろうと楽観視していた。今では、何年経っても告白すらできないのではという気になっている。
「うう……」
「ニース、何を呻いている?」
私は正面に向き直り、声の主を見た。親友ギルネストと同じ癖のある黒髪に、琥珀色の瞳。ギルのような匂い立つ色気はないが、代わりにその顔は優しげな雰囲気をたたえている。
「セレイン様……」
この国の第二王子――ギルの同母兄であり、私が少しばかり苦手としている男だ。
苦手な理由は、理解できないからというのが一番大きい。彼には想い人がいるのだが、その求愛方法がほぼ付きまとい行為なのだ。どれだけ相手に邪険にされても、嫌われていないと思い込んでいる。その精神構造には、弟であるギルすら引いているほどである。
「元気がないな。またグラにひどいことを言ったのか? それとも言われたのか? 何もなかったのか?」
「……もう少し、遠慮して下さい」
的確に指摘されて、心を抉られた。彼は本当に容赦がない。そして察しがいい。その察しの良さは、なぜか彼の想い人、セクにだけは発揮されないが。
「おまえは相変わらず空回りしてるな。昔からそうだ。セクにグラの火傷を治すよう頼みに行くほどの想いがあるなら、その分グラのところに行けば良かったものを」
「放っといて下さい」
好きな女に付きまといすぎて迷惑がられている男に言われたくはなかった。
確かに私は二年ほど前、グラの火傷の痕の治療を、女医であるセクに頼みに行った。彼女は魔族交じりであるせいか、魔力と知能の高い優れた医者だ。彼女のおかげで、グラの火傷の痕は今やほとんど目立たないくらいになっている。
グラの耳に届かないようこっそり頼んだつもりなのだが、この男はセクに話しかけた男を全て把握しているので、知られていても不思議ではない。
「一緒に育ったギルは一度決めたら積極的になるのに、君はいつまでも臆病だ」
「まずは先に、セレイン様がセクに告白すべきでは?」
彼がセクに夢中なのは周知の事実だ。が、それを面と向かって言わずに付きまとっている。
「私達には身分差と種族の問題がある。しかし君達にはそれがないどころか、婚約しているだろう。幸せは目の前にあるのに、何年縮こまっているんだ? 私が君の立場なら、毎日だって愛を語りに行くだろう」
私は正論に言葉を詰まらせた。他の人間ならともかく、セレイン様に言われると悔しくて堪らない。
「まったく、ギルの相手の方がよほど手強そうだったのに」
確かに、ギルは素直にすごいと思う。相手はグラに劣らぬ難しい女だ。
「グラなど、ちょっと真剣に口説いたらいくらでも揺らぐぞ」
「そんな馬鹿な」
「口説かれ慣れていない女が、おまえのような見映えも良く優秀な男に本気で口説かれれば、揺らぐのは当然だぞ? それに比べて、私のセクは口説かれるのに慣れているから厄介だ」
彼は、付きまとい行為で常にセクの仕事の邪魔をしているせいで、彼女から鬱陶しがられている。そのため、あれこれ理由をつけて面会を断られたり、たまに食事に行っても奢らされてそのままさようならと帰られたりしているが、それでも懲りずに彼女の尻を追い続けられるこの人は、ある意味すごいと思う。私にはとてもできない。理解もできないが。
「私は……駄目な男です」
「そう落ち込むな。あそこにおまえよりもはるかに不利な条件の男がいる。君と違い、求愛されている方だがね」
示された方を見れば、神殿の壁に頭を押しつけて呻いているティタンと、それを慰めるゼクセンとレイドの姿があった。ギルの従騎士をしている三人組だ。
「どうしたんだ、あいつ……というか、なぜあの三人がここに?」
三人一緒にいるのは珍しくないが、彼らは従騎士の制服ではなく私服を身につけている。
ここ最近ティタンが悩む原因は、ウィシュニアの必死な求愛行動であることが多い。
ティタンも彼女を嫌っているわけではない。身分の差がなければむしろ受け入れていたことだろう。
だが二人の間には、孤児院育ちの庶民と大貴族の令嬢という身分差がある。だからティタンは返事を保留にしつつも、誘われれば買い物に付き合う程度の曖昧な関係を続けることしかできない。それでも諦めないウィシュニアの心意気は、私が最も見習わなければならないものだった。
「実は私がギルから彼らを貸してもらったんだ。ちょっと噂を聞いて、ぜひ連れ歩いてみたいと思ってな。それで今日一日は私の手伝いをしてもらっている」
セレイン殿下は財務官だ。セクへの付きまといの方が有名になっているのであまり知られていないが、付きまといをするために仕事を手早く終わらせるという、実は超有能な男だ。付きまといさえしなければギルと並び称されそうな大した人物なのだが、本当にもったいない。
そんな男が興味を持つのは、あの中ではティタンしかいないだろう。
あいつは、行く先々で騒動を起こす。特に他人の隠したいものを無意識のうちに見つけ、暴きたててしまう力があるらしい。私室には決して近付かれたくない、恐ろしい男である。
だが財務官にとっては、この上なく有用な人材に違いない。裏帳簿や隠し財産など、後ろ暗いところのある者は多い。
「それで殿下、私に何の用です?」
あの三人を連れているということは、仕事中のはずだ。
「うむ。ニース、そんなところでうじうじしているなら、私を手伝え」
「手伝うって、何を?」
「これからグラのところに行くんだ」
グラのところというと、月弓棟か。どうやら彼なりの親切心らしい。
「これから鍛練があるのですが」
「そんなものはいつでもできるだろう。ひょっとしたら私の方でも肉体労働が必要になるかもしれない」
セレイン様は強引に私の腕を取り、立ち上がらせた。
「大丈夫だ。私は二人のことを昔から応援している。可愛い妹には、ちゃんと愛してくれる立派な男を選んでほしいからな。ぐずぐずしていると、ルーフェスが戻ってきたら今度こそ取られてしまうぞ。あいつも身体の具合がだいぶ良くなって、そのうち遊びに来るとか来ないとかいう話が出ているそうじゃないか」
セレイン様の知るルーフェスは、男装して兄のふりをしていたルゼのことだが、まったく気付いていないようだ。もちろん私もギルに聞かされるまでは気付かなかった一人だから、他人のことは言えない。
時折、ギルはあんな男のような女でいいのだろうかと疑問に思う。私ならとても恋愛対象としては見られない。まあ、女らしくない体格の女が好きなのだから、いいんだろうが……
「ニース様、まあ次が最後なので、大人しく行きましょう」
真面目なレイドが、珍しく疲れた様子で腑抜けた言葉をかけてきた。
彼らは既にセレイン様にあちこち連れ回された後のようだ。だからティタンが落ち込んでいるのだろう。きっと見つけたくないものを散々見つけさせられたのだ。
そしてゼクセンは、のほほんと笑みを浮かべていた。
「ニース様、すっごく楽しかったですよ。うちでもやってもらいたいぐらいです」
ゼクセンが心底楽しげに言う。ゼクセンの家は、ゼルバ商会という大きな商店だ。規模が大きい分、横領などの不正も起こりやすいから、常に目を光らせているのだろう。
「おまえ達、下手すると恨まれるぞ?」
「うーん、でも分かるように不正する方が悪いんですよ。父さんも、黒になりかねないことは灰色でもやっちゃ駄目だってよく言ってました。やるならせめて白に近い灰色の範疇にしろって。姫様ならきっと上手くやってるから大丈夫ですよ」
気楽に言うゼクセンを見て、私は額を押さえる。
「セレイン様、いいのですか、この発言」
「灰色でも違法でなければいいだろう。そういうのは節税とか企業努力と言われるんだ。さあ、グラのところに行こう。どうせなら夕食にでも誘えばいい」
――それができるなら、もうとっくにやっている。
私は心の中でそう言った。
グラの勤務先である月弓棟は、魔術師達の研究施設だ。国家機密が多々詰め込まれている場所なので、警備は厳しく建物も頑丈だ。しかしその頑丈さは侵入者を防ぐためではなく、中で爆発があっても外に被害を及ぼさないためだとも言われている。そのようなことは滅多にないだろうが、なんにしても私には理解できない、少し苦手な場所である。
グラがいると思われる研究室に足を踏み入れた時、中にいた数人の研究者達はセレイン様を見て、次にティタンを見て、そして叫んだ。
「あ、悪魔が来たぁぁあっ!」
分厚い眼鏡をかけた魔術師の女が悲鳴を上げる。ティタンは壁に額をこすりつけて、絶望を全身で表現した。そんな彼の肩に、セレイン様が手をかける。
「ティタン、そんなに落ち込むな。ところでおまえが右手を置いている瓶は何だ」
「だめぇぇぇっ」
魔術師の女が再び叫ぶ。一見何の変哲もない瓶に興味を示しただけで、この反応。
ティタンは渋々瓶の口の重しを外し、蓋を開ける。さらなる悲鳴が上がったが、セレイン様や従騎士達は慣れているのか、誰も気にしない。
瓶の中にいたのは、小さな生き物だった。
「トカゲ?」
「噛まれたら死んじゃう!」
女の声に、ティタンは迷わず蓋を閉める。
「ちょっと待て。なぜ噛まれたら死ぬような生き物がこんなところにいるのか、説明してもらいたいな」
常識外の思考を持つセレイン様も、さすがに顔を引きつらせて研究者の女を睨みつけた。
「その子の毒に用があるんです」
「で、なぜ瓶? 入れるにしても他にあるだろう。もう少し安全な飼育容器がっ!」
「あはははは、申し訳ありません。壊れちゃって、でもお金がなくて、そこらへんにあった瓶にとりあえず」
「月弓棟にはどれだけの予算を回していると思っているんだ!? 何に注ぎ込んでいるのか知らないが、金の使い方が間違っているだろうっ! 安全を優先しろ!」
女は笑って誤魔化そうとしたが、それが通じる相手ではない。色恋さえ絡まなければ有能で、容赦など微塵も見せない男だ。そんなところはギルとよく似ている。
「で、これはどこで手に入れた?」
セレイン様は、ギルより柔和な顔つきをしている。それなのに糾弾する場面になると、不思議とカエルを睨む蛇のように見えるのだ。
「えっと……どこだっけ?」
「業者に頼んだから、よく分からねーな」
女が周りを見回すと、近くにいた無精髭の魔術士が答えた。
「王宮の許可は? 危険生物の飼育には手続きがいるだろう。こんな管理の仕方で許可が下りるはずがない」
「えと……ホーンさんがやってると思います」
「ちなみに、調べればすぐに分かる」
魔術師の女の顔が引きつった。この中では信頼の置けるホーンの名を出して誤魔化そうとしたが、無駄な努力だったようだ。
「安全な飼育容器がないなら、これは処分だな」
セレイン様は懐から人の指よりも少し長い程度の杖を取り出した。それで瓶の蓋を叩く。
どん、と瓶の中で爆音が響き、セレイン様が中を確認して満足そうに頷く。中には、消し炭になった何かがあった。
「…………ああ、私のアルステルト」
消し炭トカゲには、ずいぶんと大層な名前が付けられていたらしい。
「実験動物に名前を付けると情が移るぞ。まあいい。引き続き調べさせてもらうぞ。不安になってきた」
ここに来る前に予想していた〝不正〟とは違うが、それ以外のろくでもない事実がぽこぽこ出てきそうだ。
「これ以上一体何をなさるんですかっ!?」
魔術師達の間にさらに動揺が走る。
「ちょっと調べるだけだ。やましいことがなければいいだろう。まさか他にも危険生物の飼育をしているんじゃないだろうな。財務官の管轄ではないが、王族として、いや人として見過ごせない」
「危険生物など、滅相もございません。実験用の鼠がいるだけです」
「変な病気にかかっていたりしないだろうな」
その言葉を聞いて、一般人である私達は後ずさった。こいつらのことだ。ないとは言い切れない。
「それがあるとすれば、セクの管轄よ。セクのところには行ったの? お兄様」
奥の部屋から、私の婚約者であるグランディナと魔術師のホーンが姿を見せた。だがセレイン様は淡々と続ける。
「もちろん平等に視察したぞ。一人、薬の横流しをしていたのを見つけた」
セクの管轄であろうが、仕事に関してはやはり容赦しないらしい。
「そう。それはそうと、なぜだかセクのところは資金が潤沢なようだけど」
「あれでも要請の半分だ。こちらも彼らの要請を全て呑んでいるわけではない」
「どこまで要請してるのよあいつらっ!? 控え目にしている私達が馬鹿みたいじゃない!」
「確かにあちらは極端な要請をしているが、だからといっておまえ達が控え目なわけではない」
グラはセレイン様を睨みつけ、その間にホーンがティタンのもとへと近付いた。
「やあ、訳の分からないことに巻き込まれてるみたいで大変だね。ああ、そうだ。さっきエリネ聖下から果物をお裾分けしていただいたんだ。ちょうど食べようと思っていたところだから、一緒にどうかな」
ホーンはいかにも裏表のない柔和な笑みを浮かべ、ティタンの肩を抱いた。ルゼやティタンにとって兄のような男だから自然な態度とも言えるが、今の状況ではとても怪しく見える。
「残念だが、ティタニスは今日一日私の部下だ。勝手に休憩を与えないでほしいな、魔術師。行くぞ、ティタニス」
セレイン様が問答無用でティタンを奪い返すと、ホーンが小さくため息をついた。
それからセレイン様はティタンに命じ、色々な場所を探させた。
「なぜこんなところに、こんな高級な砂糖が三袋も……」
「お裾分けよ。エリネ様とカリンが太ったからって、貢ぎ物を分けて下さったの」
「それで最近よく散歩をされているのか。女性も大変だ。ところで、先日おまえのところから経費として申請された砂糖代がやたらと高かったのを記憶してるんだが」
「これをもらったのはついこの前よ。申請したのはその前」
「その割には一袋目がほとんど残っていないが?」
「お裾分けだったから一袋目は使いかけだったのよ。それに月弓棟は、お茶に歯が痛くなりそうなぐらい砂糖を入れる甘党が多いのよ。たまのお裾分けなんだから多めに使ってもいいじゃない」
「これだけもらっているなら、来月分の砂糖はもちろん必要ないな」
「これだけで足りるわけないでしょ」
「あと二袋あるぞ?」
現在研究室では、ティタンとは関係のないところで、チマチマとした兄妹の攻防戦が繰り広げられていた。
「だからセレイン兄様は嫌いなのよっ。いいじゃない、少しぐらい。頭を使う者にとって、甘いものは活力剤なのよ。ないと効率が落ちるの!」
「各部署でその『少し』を繰り返すから、膨大な無駄ができるんだろう。小さなことからコツコツと節約しろ」
「とても王族の言葉とは思えないわ」
「これだけ子だくさんだと、王族など大してありがたみもないだろう。何しろ男が五人、女が二人だ。親に可愛がられた記憶もない」
「それは兄様が、近付いてはいけないと親に思わせるほどの変人だからでしょう」
そこまで言い終えたグラは突然、キッと私を睨みつけた。
「わ、私に八つ当たりするな。私はさっきそこでセレイン様に会って無理やり連れてこられた被害者だ」
兄の性格からそれが事実だと納得したのだろう、グラもため息をついて視線を逸らした。
うう、なぜ私がこんなことに。余計に印象が悪くなるだけじゃないか。こんなことなら、何の理由もなく一人で来た方がマシだ。それができた試しなどないのだが。
「ところでティタニス、おまえの横にある花瓶、中に何もないか? こんな花など愛でそうにない集団のもとで、当たり前のように花を生けてあるのが逆に怪しい」
セレイン様に命じられると、ティタンは渋々花瓶の花を引き抜き、窓から水を捨てる。
すると中から小さな袋が出てきた。ティタンはそれを手に載せ、封を開けて中を確認する。
「白い粉の固まり……まさか秘蔵の高級な砂糖!?」
「そんなものを入れてあったら、逆に引くぞ」
ティタンが斜め上の発言をしてセレイン様を呆れさせている。まあ、知り合い達が隠しているものを変な薬とは言いにくいから、あえてそんなことを言ったのだろうが。
彼が袋の中に指を入れようとすると、後ろからホーンに止められる。
「危ないから」
ティタンは黙って袋の封を閉じ、テーブルの上にそっと置いた。
「グラ、だからなぜ危険なものを杜撰に管理する。隠すにしても、もう少し安全な場所があるだろう。な?」
「あそこなら間違っても誰か舐めたりしないでしょ。別に死ぬわけじゃないわ。魔術師が舐めると、ちょっと魔力が暴走して熱が出るだけよ」
「これはセクに成分を調べさせるからな」
「ダメよっ! そんなことしたら盗られちゃうじゃないっ! あの女、珍しくて治療関係に使えそうなものがあると、平気でパクるんだから! お金は絡まない代物なんだから放っといてちょうだい! ああもう、お金が絡むことだけ調べなさいよっ! 最悪! だから兄様は嫌いなのよっ!」
不正購入ではなくとも、知られてはまずいものが山のように眠っているらしい。
グラは兄を罵るが、セレイン様はどこ吹く風でティタンらを引き連れ、月弓棟の中を歩く。私やグラ、ホーンもそれに続いた。
「ティタン、かわいそうに……」
「さすがに知り合いだとキツそうだ」
今まで黙って見ていたゼクセンとレイドが呟いた。
「昔っからああいう損な役回りでしたからね、あの子は」
ホーンは弟を救うこともできずに、頭を抱えていた。
「まあ、ここにさらなる問題を引き起こしそうな女達がいないことだけが救い……げ、ルゼ」
私がそう言って後ろを振り返ると、その女達――ルゼとウィシュニアが騒がしい研究室内を覗き込んでいた。取り込み中なので、入るに入れないといった様子だ。ルゼの手にはバスケットが抱えられているので、貢ぎ物のお裾分けでも持ってきたのだろう。ウィシュニアが付いてきたのは、ここにティタンがいると知ったからなんだろうが……
「ああ、さらに燃料が……。ティタン、なんて哀れな子」
ホーンは額を押さえて、悲しげに呟いた。この女達は、良くも悪くもティタン絡みでたびたび騒ぎを起こすのだから、この反応も仕方がない。
彼の予感した通り、グラは二人を見るや否やこの騒ぎに引き込んだ。
今日のルゼは私服で、ウィシュニアと並んでも違和感のない女らしい格好だった。先々月に女児を産んだばかりで、まだ騎士の仕事に復帰していないからだろう。
よく見たら、足元には赤ん坊を抱えるラントもいた。いい子守になるだろうとは思っていたが、思った以上に本格的に子守をさせられている。乳母もいるはずなのに、赤ん坊――リゼはラントがお気に入りらしい。
「子供をこんな場所に……」
「こんな場所って、姫様の職場なのに」
ルゼはじとっと私を睨みつけた。
そうだった。異様なものを異様な方法で隠していたりするので、すっかり頭から抜けていた。
「そうでしょう。ルゼ、あなたも言ってやって。こんなところ調べても無駄だって! 普通にやり繰りしてても足りないのに、横領なんてしようがないって!」
「……」
ルゼはちらりとティタンとセレイン様を見た。
「……まあ、横領はできませんよねぇ。実験道具だって買えばいいものを、経費削減のために手作りしてますもんねぇ」
「でしょう。もっと言ってやって!」
「私だって手伝うんですよ。最近なんて、身内だからタダでいいわよねって言われて。セレインお義兄様、ここは調べるだけ無駄です。いらぬ恨みを買うだけですよ」
そういえば、たまに彼女の趣味ではなさそうな奇妙なものを作っているのを見たが、グラからの頼まれごとだったようだ。
「ほら、ニース様も、こういう時こそ姫様の味方をしなきゃ!」
「いや、専門的すぎて無理だ。薬と砂糖の見分けも付かない私が口を挟むと、余計にややこしくなるだけだぞ。自分でもなぜここにいるのか分からないぐらいだから」
ルゼに巻き込まれそうになり、私は慌てて首を横に振る。
「それではダメなんですよ。騎士なら迷わず女性の味方にならないと!」
「横領はなくても、明らかにそれ以外の不正がありそうなのに、どう庇うんだ」
金は使っていなくとも、飼育許可のない危険生物や隠さなければならない薬品が眠っているのは問題だ。セレイン様に人として見過ごせないからと言われれば、庇うのも馬鹿らしい。
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