斯波良久BL短編集

斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中

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壁越しの二人(現代)

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「おはようございます」

「お、おはよう、ございます……」

 毎週月曜日の朝のゴミ出しの時間。そこで必ずお隣に住む、神田さんとすれ違う。それは俺が一番緊張する時間だ。
 俺は神田さんとお隣さん以上の関係は持っていない。持ちたいという願望だけはあるが、その願望は一生願望で終わりそうである。

 だから下の名前は知らない。
 苗字だって引っ越しの挨拶にとそばを持っていったときにチラリと見た表札に書いてあったから知っているだけだ。
 今日も神田さんはスーツの中によく育った筋肉をしまい込んでは会社へと行く。


 そんな神田さんはきっと俺が好意を寄せていることに気付いていないのだろう。
 だからそんなに平然としながら挨拶できるんだ。

 その声に身体にどれだけ欲情しているか彼は知らない。

 休日になる度に俺の身体は熱くなって、その熱を神田さんで放出している。

 夜になると聞こえてくる声に耳をそばだてて、口にタオルを加えながら放っていく。
 何度やっても罪悪感は消えないくせにやめることすらできずにいる。

『おはようございます』の一言の会話くらいしかしないのに俺はあの人の他の声を知っている。

 あの人が誰かを求める声に反応してしまうのだ。



 水曜日になると例の日はやってくる。

 6時から8時の間らへんに帰宅する神田さんは9時になると決まって自慰をする。

 決して薄いわけではない、壁に耳をそばだてると神田さんの大層情熱的な声が漏れ聞こえてくるのだ。


 俺がそのことに気付いたのは本当にたまたま。
 大学の友人から
『明日テストあるから忘れんなよ!』
 とメールが送られてきたのがきっかけだった。

 俺はそのころ、10年上のバリバリのサラリーマンと付き合っていて、翌日は三カ月ぶりに彼と会う約束をしていたのだ。

 俺は真面目な方ではなく、テストなんて休んだ日には落単確定だ。
 よりによってその教科は必修科目の外国語。決して難易度の高いわけではないそれは落としたら即留年が確定となる。

「ほんとマジでないわー」
 留年だけは避けなくてはいけないと恋人に連絡を取ると電話は出ないくせして、送ったメールにはわずか2分で「なら別れよう」と短文のメールが返された。

 ああ、これは他に恋人がいるな……。

 男にしか興味がないと自覚し、はや8年。
 付き合ってきたのは彼だけではない。
 そうそうに別れを告げて、壁にもたれかかった。

 ここでバーやクラブにでも繰り出して、他の男を捕まえられればいいのだが生憎テストのあるらしい外国語の授業は一限目。
 遅刻していったら何のために先ほどまで恋人で会った男に連絡したのかわかったもんじゃない。

 仕方ない……寝るか……。
 手に持った携帯で6時にアラームをセットすると、耳元からは囁き声のようなものが聞こえる。
「ん……ぁぁ…………んゃぁ」
 とっさに確認したのは携帯だった。
 変なところにつないでないよな?
 その手の無料ダウンロードサイトがあるのは、同じく男しか愛せない友人から耳にしていたものの、まだ一度もアクセスしたことがない。

 俺の視線の先の携帯はアラームセット画面のままだし、画面切り替えをしてもやはりそれにしか接続していない。
 ならばどこから?

 考えている間も声は切れ切れに聞こえてくる。

 早く止めないと……。
 すっかりその気になってしまった俺のモノは一度や二度抜いたほどでは収まってくれそうもない。
 ただでさえ寝ようと思っていたのに、この声が一日中続くと思うと興奮して眠れそうもない。
 ズボンのチャックを下げ、荒ぶるそれを軽くしごくと簡単にイった。
 今までで最速じゃね?
 声だけなのに、今まで挿れた穴よりも気持ちがいい。

 いつしか俺はその声に耳をそばだてて気持ち良くなることだけを考えていた。
 手には精液がべっとりついて、ズボンもぐっしょりしている。せめてティッシュでも用意していれば話は別だったかもしれないが、ベストポジションと思わしきその場所を動いてまで用意するものでもない。

「ん……はぁ……………ぁぁん」
 フィニッシュを迎えた様子のその声に連動して俺のフィニッシュも同時に迎えた。


 それから週に一度、水曜日の同じころ合いにその場にしゃがみこむことが日課ならぬ週課となった。

 早速ティッシュもゴミ箱も、オナホも用意していざ! と気合を入れたものの声が聞こえない場合もある。
 そんな日の翌日は決まって朝早くに出勤するのだ。どうやら神田さんが自慰をする日は翌日が休みの日らしい。
 知り合いでも何でもない俺が神田さんの出勤日なんて知るわけもなく、毎週毎週、決まった時間になるとハーフパンツを下して、壁に耳をそばだてるのだ。


 ◇◆◇
 大手の証券企業に勤め、はや5年。
 両親や兄弟にはそろそろ奥さんとまではいかなくとも彼女でも……と言われ始めた俺だが、家族や友人、その誰には言えない秘密がある。

「ん……ぁぁ…………ダメ……んん」

 それはもう俺は女性を愛すことはできないということだった。
 俺は女性を抱くことはできない。俺は抱くよりも抱かれたいのだ。
 今だってお隣の大学生の男の子に抱かれる妄想をしては自分で後ろの穴をいじる始末。

 俺も初めから男性が好きだったわけではない。
 大学時代、多くはないものの、それなりには女のことも交際した。
 その中にはゆくゆくは……と考えた子もいたのだ。……けれど俺はその子に裏切られた。簡単に言ってしまえば浮気をされたのだ。
 純情に見えたその子は服装を変え、メイクを変え、そして性格までをも別人のように変えながら同時に5人もの相手と交際をしていた。その中で俺の立ち位置は彼氏ですらなかった。彼女に言わせてみれば俺は都合のいいセフレだったらしい。

 それから俺は女性というものが信じられなくなった。
 ちょうどそれが発覚した日から一週間も経たないうちに、俺の就職先での研修が始まった。
 その就職先は大手の証券会社だけあって完全実力主義。彼女を忘れて打ち込むにはちょうど良かった。
 それから仕事だけを生きがいにして3年が経ったころ、長らく空室だった隣部屋にとある男の子がやってきた。
 薄っぺらい身体が印象的な彼を見たときはひとり暮らしを始めた高校生か?なんて思いもしたが、その予想は一か月と持たないうちに敗れ去った。

 それは会社帰り、大きな取引先との交渉を終え、上司につき合わされて遅くまで飲まされていた時のことだった。
 最寄り駅から10は離れたその駅の繁華街で見覚えのある少年を見つけた。その少年が毎朝律儀に挨拶をくれる隣室の彼だとわかるまで、そう時間はかからなかった。
 酔いが回っているようで、千鳥足のその少年は隣の顔の作りのいい男に寄りかかって甘えていた。赤ら顔を近づけられた相手の男に厭らしい笑みを浮かべて、そっと耳打ちをした。すると相手の男の顔は一気に真っ赤に染まっていった。
 その様子を彼は意地の悪い顔で見守る。すると仕返しのように相手の男が彼のか細い腰を強引に奪うようにして近づけ、そして近くのホテルへと連れ込んだ。


 そのたった数分にも満たない光景が家に帰ってからも頭から消えてはくれなかった。
 それからいつぶりか、だいぶご無沙汰であった自分のモノをしごいた。我を忘れてサルのように盛ったのはその行為を初めて知った中学の時以来かもしれない。得られる快感に溺れて、けれどそれだけでは足りなくて。一晩中求め続けた。

 それからというもの、俺は彼を見かけた水曜日になると必ず身体が疼くようになってしまった。
 朝から身体が疼いて仕方がない。会社で発散したいと何度思ったことか。けれどそれはわずかに残った理性が押しとどめた。
 決して少なくはない仕事を、性欲を発散したいという欲に任して処理していく。
 そして部屋に帰るとすっかりご褒美となったそれが待っているのだ。

 ……けれどすぐにそれだけでは物足りなくなった。
 過去に何度か女性と身体を重ねていたせいか、一人では何かが足りないと思ってしまうのだ。
 けれど彼女を作ろうとは思えなったし、都合のいいセフレを作るのはどうしてもできなかった。

 せめて音だけでも……とパソコンで無料の動画を漁った。昔よりもずっと種類も本数も豊富でどれにするか目移りしてしまう。そんな中で見つけたのが、男同士で繋がっている動画だった。
 はっきり言ってそれは未知の世界で、少し前の俺だったら嫌悪してしまってしただろう。けれど今の俺には男女のものよりもずっと引き込まれた。
 繋がっている二人のうちの『男側』に立っている男性が隣室の彼に似ていたこともあったのだろう。

 たった一本の動画で彼のモノが挿れられている男に俺に憧れてしまった。その位置に自分は立ちたいと思ってしまったのだ。
 自然と後ろの穴に指が伸びた。
 彼の、細く白い指ではなく、自分の太くごつい指なのに興奮できた。
 前から出てくる液体で指を濡らして、その穴を広げていく。視覚と聴覚で責め立てられ、そしてイった。

 前を擦っているときの何倍もの達成感が俺の中で満ちた。
 それからというもの、彼に似た少年が出る動画を見ながら後ろを弄るようになった。


 今日は土曜日。
 まだあの日から3日しか経過していないけれど身体はもう指を欲している。
 朝の挨拶だけで身体が反応してくるようになってしまった。

 そろそろ隣室の彼に欲情していることがバレてしまうかもしれない。
 それでもいいと思ってしまっている俺はもうとっくにあの妖艶な笑みに嵌ってしまっているのだ。

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