斯波良久BL短編集

斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中

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茨の鳥かご(現代オメガバース)

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 男女の他に、バース性というものが加わってから世界は変わってしまった。
 男女格差が騒がれていたらしい時期に発見された新たな性別は、一世紀と経たずに世界の常識を書き換えた。

 飯田 怜治はたった二つの性別しかなかった頃の世界について、教科書に書かれている以上のことは知らない。

 ただたまに思うのだ。
 その頃に産まれていれば自分と弟はただの兄弟でいられたのではないか、と。

 怜治と弟の裕太は双子である。
 一卵性で第一性は同じ男でありながら、第二性、通称バース性は違った。
 兄の怜治はβで、弟の裕太はΩだった。
 バース性が確定するのは産まれた瞬間、そして第二次性徴期を迎えるタイミングと言われている。産まれた瞬間に決まるケースが9割以上を占めるが、ごくまれに成長過程で身体が変化する場合があるのだ。
 だから日本は人生で2回、バース性を調べる機会を設けている。
 対象はβだけ。
 αやΩは一度確定してしまえば性別が変わることはないのだと言う。

 裕太のバース性は産まれた瞬間に確定し、怜治のバース性は中学生になってほどなくして決まった。

 同じ双子でも性別が違えば対応は全く異なる。
 元よりβの怜治への関心が薄かった両親は、二回目の診断でも結果が変わらぬ長男への関心を失った。
 唯一、他の人間と変わらず接してくれるのは弟の裕太だけ。

 弟を優しいと表される度、怜治の心はすさんでいった。

 ただ性別が違うだけなのに……。
 唇を噛みしめる度に裕太への憎しみが募っていく。
 けれどすぐに自己嫌悪に陥るのだ。

 二年生へ上がる頃には、3畳ほどの物置部屋のような自室へこもりっきりになることが増えた。裕太の声を聞かないように、ヘッドホンをして部屋の端で身体を丸める。食事も用意されないことが増え、残りものを食らうようになった。
 高校からは寮がある県外の学校へ行かせてくれるらしい。
 たまたま通りがかった際に耳にした祖母と母の会話だけが救いだった。


 けれど高校入学を一週間後に控え、寮生活に心を踊らせていた怜治に転機が訪れた。
 αの名家として有名な金城家の嫡男が裕太と番い契約を結びたいと申し出たのだ。たまたま学園通学の際に見かけた裕太を気に入ったのだという。怜治の両親はすぐに金城家の申し出に頷いた。
 申し出からわずか数日後、金城の嫡男・八代はおつきの人間を複数人連れて飯田家を訪れた。普段は怜治に興味がない母もその日ばかりは朝一番に怜治の元へとやってきて、大量の荷物を押しつけた。

「この中に食事と簡易トイレが入っているから。私が声をかけるまでに絶対に出てこないで」

 金城家との縁談を必ずものにしたいのだろう。
 できの悪い兄の存在が知られれば、話がなかったことにされてしまうかもしれない。
 来客の情報を耳にしていた怜治はこくりと頷いて、荷物の入ったリュックを受け取る。

 どうせ自分は後数日でこの家を出て行くのだ。
 いつものようにドアも窓も締め切り、耳はヘッドホンで塞いだ。リュックは胸元で抱えて、まぶたを閉じる。
 もう何度となく繰り返し聞いた曲は元より音楽プレイヤーに録音されていたものだ。ヘッドホンが装着されていたそれは怜治がこの部屋に来るよりも前から置かれていた。元の持ち主も分からなければ曲名すら分からない。けれど女性の優しい声が、自分に向けられる母のものとは対照的で、ほんの少しの間だけ惨めな自分を忘れることが出来るのだ。

 裕太はαと番に、俺は県外の寮へ。
 双子で、顔もよく似ているというのにこれから別の道を歩み出す。
 それがなんだかおかしくて、怜治の口からふっと声が漏れた。

 それがいけなかったのだろう。

「見つけた」
 見知らぬ男がガラリと戸を開いた。
 いきなり差し込む光と侵入者に怜治は思わずビクリと肩を震わせた。けれど男はにやりと笑って、怜治の手を引いて無理矢理立ち上がらせる。胸に抱えていたリュックサックと音楽プレイヤーは落ち、ヘッドホンはぶちりと音を立てて音を出すのを止めた。そのまま何が起きたか分からぬ怜治の手を引き、部屋を出て、客間へと向かった。そして両親と祖父母、黒服が何人もいる部屋で怜治の腰を抱きしめた。

「裕太が高校を卒業するまで、この男を性処理として使うが構わないな?」
 性処理?
 いきなりこの男は何を言い出すのだろうか?

 ますます現状への理解が追いつかない怜治は思わず裕太へと視線を向けるが、彼も彼で今起きている事象が理解出来ていないようだった。けれどそれは両親と祖父母も同じこと。

 この場で慌てていないのは怜治の隣の男と、金城家の人間だけ。

「断るようであればこの一件、白紙に戻させて貰うが」
 その言葉に一瞬、時が止まった。

 祖父は次期町会長を狙っているらしい。
 父は幹部入りを夢見て、祖母は金城家から入る婚約金でブランドバックを買う予定らしい。母は世界一周クルーズ船に行きましょうよ、と父を誘っていた。
 それぞれ計画があるのだ。
 残された裕太とて、Ωなら優れたαと番を結ぶのは本望というものだろう。
 金城家が動くほどだから『運命の番』というものなのかもしれない。

 自分さえ関わり合いがなければ、怜治とて弟に祝いの言葉くらい投げてやっただろう。けれど自分が巻き込まれるというなら話は別だ。

「ちょっと待ってください!」
 怜治は自分よりも頭一つ分以上背の高い男を見上げ、抗議の声を出す。けれどそれはすぐにかき消された。

「こんな子でよければどうぞ使ってやってください」
「Ωの裕太には到底及ばないと思いますが。怜治、ちゃんと金城様に尽くすのよ?」

 全く関心など持たなかったはずの両親が簡単に怜治をどん底に突き落とす。

『βなんてなんの役にも立たない』
 そう告げたのと同じ口で、役に立てと笑った。
 祖父母はそれがいい、と深く頷き、八代と番契約を結ぶ裕太は何一つとして口を出さなかった。

 優秀な番が手に入るのならば、無能な兄は差し出しても構わないというのか。

 βなんて捨て駒にすぎないのだ。



 その日のうちに怜治の県外行きは取り消された。
 母は追加募集をしていた高校に成績表を送り、県内の入学を決めてしまった。
 金城 八代の性処理役となったことによって、ちゃんとした部屋も用意された。せんべい布団からベッドに変わり、家族は数年ぶりに怜治の名前を呼ぶようになった。スマートフォンも持たされ、早速いくつかの連絡先が登録される。
 表面的には人並みの生活を手に入れたように見えるその場所は怜治にとっては地獄だった。
 時間など関係なく八代から呼び出され、連絡を無視すれば今度は家族から連絡が入る。
 家での会話はほとんどが八代を気遣うもので、たまに怜治自身の話になったかと思えば、大抵が定期検診へ行けとの話に繋がった。怜治が病気に罹ることで、八代にうつることを恐れているのだろう。結局は八代を気遣うものなのだ。
 自分の息子よりも有能なα、か。
 今日も今日とて授業の途中で呼び出され、高校から離れた場所に止められた黒塗りの車へと足を踏み入れる。

「尻を出せ」
 偉そうに告げる八代に文句の一つも言える訳もなく、ベルトを抜き、スラックスを下げる。ポケットからは常備している携帯ローションを取り出し、慣れた手つきでアナルを解していく。こんなことに慣れてしまった自分が惨めでならないが、それでも終わりがあるから頑張れる。
 この関係のタイムリミットは裕太の卒業だ。裕太が高校を卒業すれば二人は今のような仮契約ではなく正式な番契約を結ぶ。平常時に首を噛むだけでは拘束力は薄く、怜治達の両親はすぐにでも本契約を! と願ったが、八代が断ったのだ。
 本契約を果たすには発情したΩの中にαの性を注ぎながら首筋を噛む必要がある。もちろん中に直接出すとなれば子を孕む確立が高い。飯田家側としてはさっさと子どもなりなんなり作って金城家との関係を密にしたかったのだが、強く主張することは出来なかった。
 怜治が性処理役に抜擢されたのも、裕太が卒業するまで彼の純潔を守り抜く、と八代が言い出したから。
 今思い出しても馬鹿みたいな話だ。
 アナルが広がったのを指で確認してから怜治は八代に跨がる。αのそれは随分と立派で、八代のペニスは怜治の細腕と同じくらいの太さがある。凶器のようなそれを、怜治は少しずつ飲み込んでいく。
 性処理役になってからというもの、八代からは定期的に大人のおもちゃが送られてくる。
 これで解しておけとばかりに家に送りつけてくるのだ。次に顔を合わせた時に使用感を告げられなければ、家族に確認しろと連絡を入れるのだから、怜治はそれらを使うしかなかった。
 1時間稼働しつづける電動式のオナニーホールなどはまだいいもので、ディルドが付属した貞操ベルトなんて最悪だった。装着した際にカチリと音が鳴り、そこでやっとロックがかかるものだったことに気づいた。その鍵は当たり前のように八代が所持しており、外してくれと訴えの電話は通じることはなかった。
 タイミング悪く出張中だったのだ。
 金城家の嫡男だけあって、すでにいくつかの事業を任されているらしく、怜治はそこからまる一日、ディルドに尻の穴を責められ続けることとなった。尿意を感じてトイレに行っても隙間からちょろちょろと出すのがやっと。時間ばかりかかって、それが余計に羞恥心を増していく原因となった。出張帰りに鍵を持参した八代は性格の歪みを表しているかのような笑みで笑い、惨めな怜治を存分に鑑賞した。犬のように匂いを嗅ぎまわり、そして怜治のペニス付近でピタリと止まる。そしてにんまりと笑った。トイレットペーパーで濡れた部分を拭ったはずなのに匂いがついてしまったのか、目の前で八代はそれに舌を這わせた。まるでそこにまだ汁が垂れているように、ぺちゃりと音を立てて拭い取るのだ。存分に変態行為を繰り広げられ、金城 八代という男は変態であることを改めて思い知らされた怜治は、一日ぶりに貞操ベルトから解放され、ガバガバになった穴を責められた。ディルドが八代のペニスよりもやや小さく設計されていたらしく、肉壁に擦れるのだから時間差の二重苦を味わっているような感覚に陥った。
 あんなものはもう二度とごめんだ。
 けれどどんなに繰り返された所で怜治の身体は一向に与えられる刺激に慣れることはなかった。いっそΩのようによがれれば良かったのだが、β男性の尻は排泄にのみ特化しているのだ。いくら拡張したところでΩのように勝手に濡れることはない。
 顔を歪ませながらゆっくりと腰を降ろせば、八代は楽しそうに口角を上げた。

「時間がねえんだ。早くしろ」
 そう告げると怜治の腰を掴み、一気に根元まで引き下ろした。

「っ」
 押し寄せる激痛に思わず声を失う。
 それすらも八代は面白いものを見たかのようにクツクツと笑うのだ。

「ほら早く動けよ」
 呼びつけておいて時間がないから急げと、満足させろとは酷い言い草だ。けれど怜治は痛む身体に鞭を打ち、身体を上下させる。
 痛みを紛らわせるように歯を立てれば、すぐに八代の手が頬へと伸びる。

「怪我すんぞ。ほら口開けろ」
 怪我をさせたくないのなら、さっさと尻から凶器を引き抜いてくれないか。
 怜治の文句言いたげな視線を華麗にスルーし、口内へと舌を滑り込ませる。逃げる怜治の舌を探すように彷徨って、見つければ最後、唾液をすべて搾取するかのように絡みつくのだ。一気に怜治の酸素濃度は薄くなり、酸素を求めて大きく口を開けば、八代はそれすらも禁じるように怜治の口内をむさぼる。頭をがっちりとホールドされては下で奉仕することさえも出来やしない。動かなければ身体は少しだけ楽だ。けれど代わりに頭を垂れていたペニスは嬉しそうに勃ちあがる。オナニーホール代わりの性処理係の癖によだれのようにカウパー液をダラダラと垂らす。
 それが可笑しいのか、八代は亀頭に爪を立てた。

「あっ」
 ろくに世話もされておらず、こらえ性のない怜治のペニスは簡単に白濁を吐き出した。八代の真っ黒なスーツに飛んだソレが恥ずかしくて、同時に彼の機嫌を損ねた自分は何されるのだろうと恐怖で震えた。
 けれど八代はその反応さえも楽しんで「もっと出せよ」と怜治の耳元で囁き、ビクビクと震えるペニスをゆっくりとしごいた。出せよと言う割に、怜治が達しそうになれば根元をぎゅっと掴む。怜治は今度は痛みではなく、達せない苦しみで目を潤ませる。
 結局、時間がないはずの八代から解放されたのは彼のスマートフォンが震えたからだった。会議の時間を知らせるアラームに舌打ちをした八代はそのまま車を走らせ、とあるマンションへと向かった。

「休んだら勝手に帰れ」
 それだけを残して、キングサイズのベッドに怜治を落とした。オートロックなのだろうか。鍵のことは一切告げずに部屋から立ち去っていった。すっかり八代のスーツは汚れており、着替えるために所有している一室に立ち寄ったのだろう。たかが性処理役を入れるということは彼にとって大したものが置かれていないに違いない。
 休んだら、という言葉を休んでいいという許可だろうと判断した怜治はまぶたを閉じた。
 痛みに加えて、初めての快楽に怜治の身体は限界を迎えていたのだ。


 再びまぶたを開けば、随分と身体は楽になっており、そこからベッドサイドに置かれていた指示書を元に家へと戻った。

 それからというもの、マンションに連れ込まれることが増えた。今まで通り車の中で性処理を済ませることも多いが、そのまま車を走らせてマンションでも、というケースもある。大抵が週末。八代の時間と性欲が余っている時なのだろう。ベッドで貫かれることは少なく、ガラス張りのテーブルや窓に身体を張り付けられて掘られることがほとんどだった。車もマジックミラー製であるのをいいことに、様々な場所に移動させて行為に浸る。

 シチュエーションにこだわるタイプのようだ。
 なら相手にもこだわればいいのに。
 変な病気にかかることを危惧して性処理役を定めたのだろうが、金城の名に釣られる者はもちろん、一度でもいいから八代に抱かれたいと願う者も多いだろう。
 それこそ性別なんて関係なく。

 そんな相手に見初められた裕太は選ばれし者なのだろう。
 それが双子の兄の犠牲によって成り立っているものとはいえ、少しの犠牲で安定した地位が買えるなら安いものだ。

 八代に股を開く度、怜治の中から裕太に対する恨みや羨望が消えていた。代わりに劣等感だけが沸々と沸き上がる。けれどそれも高校を卒業するまでだ。卒業と同時に結婚してくれるなら劣等感ともおさらば。この状態からも解放される。
 そうなれば今度こそ自由だ。
 金城家と関わりを持ててから機嫌の良い両親は都内の大学に通わせてくれると言っている。都内のマンションの家賃と仕送りまでしてくれるのだという。大判振る舞いだ。大方、性処理役を追われた怜治を厄介払いしたいからだろう。大学に入学したら帰ってくるなという意味かもしれない。けれどそんなの高校入学時にそうなる予定だったのだ。元より家に残るつもりもない。

 今度こそ家を出るのだ。

 そう決めて我慢し続けたのにーー。

「俺、大学行くから」
 高校三年の夏、突如として弟がそんな言葉を口にした。
 今まで一度たりとも進学したいと告げたことはなかったはずだ。それに番の決まったΩが大学に通うことはほぼない。
 学歴よりも出産歴が美徳とされるΩには必要がないからだ。三年も八代との子どもをお預けにされている両親と祖父母は裕太の説得に務めた。けれど当の八代は付き人を複数人付けるという条件は付けたものの、すんなりと承諾してしまったのだ。

『通うのなら俺の番に恥じないだけの教養を身につけろ』

 金城からの承諾に両親は反論をぐっとこらえ、そして付け加えられていた『性処理役続行』に胸をなで下ろした。
 怜治が性処理を続けていれば、金城は飯田家との契約を白紙にはしないと思ってのことだろう。

「怜治、出来るわよね?」
 か細い指を食い込ませるように怜治の肩を掴んだ母に、逃げ出しそうになった。けれど退路はすでに祖父母と父によって塞がれている。そしてラスボスは笑うのだ。

「頼むよ」
 手を合わせる裕太の笑みは軽やかで、目の前の弟はいつの間にか悪魔になったかのように思えた。


 志望校を変える必要がないこと。
 そして都内の一人暮らしと仕送りが撤回されないことだけが救いだった。

 4年間しっかりと経済学を学べばいい会社に就職出来るはずだ。もちろんバース性がβの時点で一定以上の出世は望めないだろうが、慎ましやかでも『普通』の生活が送れればそれで構わなかった。


 高校を卒業し、東京へと出てきた怜治は案外『普通』のキャンパスライフを送ることが出来ていた。
 高校時代に引き続き、唐突に呼び出される怜治だが、大学の授業を途中で抜けたところでさほど怪しまれることもない。大学で出来た友人はブラックなバイト先から頻繁に電話があるのだと勘違いしてくれたことも都合が良かった。まさか友人が男に股を開いているなんて想像もしていないのだろう。そんな彼は怜治に一度も彼女が出来たことがないと知ると合コンを開催してくれた。怜治は合コンに参加していた、大人しそうな女子と連絡先を交換し、何度か連絡を交わす度に親しくなり、恋人になった。

 初めての恋人に浮かれて、時間に余裕があればデートスポットや彼女が喜びそうな店を探した。
 彼女にプレゼントを贈るためにバイトも始めた。週に二回だけだが、深夜のため給料は良かった。
 デート中に八代に呼び出されることもあったが、ブラックなバイト先に務めているらしいと聞いていた彼女は大丈夫だと笑って見送ってくれた。
 だから、何もかも上手くいっているつもりでいた。

 ーー八代が大学に乗り込んでくるまでは。

「誰だその女」
「私、怜治君の彼女で」
「馬鹿言うな。こいつは俺の性処理役だ。彼女なんているはずがないだろう?」
「え?」
「あんたいきなり来て何言ってんだよ」
「偉そうな口を聞くな、下民が」
「へ?」

 俺の友人と彼女を散々罵り、そして去り際に『こいつに手を出せば潰すぞ』と脅す。残された彼らがどんな表情をしていたか怜治には確認することは出来なかった。けれど翌日から彼女と連絡は取れなくなり、友人は目を合わせてくれなくなった。教室でぽつんと座っていれば「あそこに座っている男子、αの性処理をしているんでしょう?」と噂が耳に入ってきた。

 普通のキャンパスライフは簡単に崩れ落ち、残されたのは地獄のような大学生活と、酔っ払いばかりがやってくる深夜のコンビニバイトだけだった。それでも何も気にする必要のないバイトは心の支えとなり、俺には就職が残っている! と怜治は前向きに考えることにした。ぼっち生活も極めれば苦ではなく、誰よりも早く就活を始めた。

 けれど結果は惨敗。
 就職氷河期であることは理解していたが、まさか卒業するまでにブラック企業ですら決まらぬとは思わなかった。

 自分の無能さに肩を落とした怜治だが、まぁβなんてこんなものだと気持ちを切り替える。
 無職の称号は性処理よりもずっとマシなのだ。
 本当はバイトをしながら就活を続けたかったのだが、残念ながら4年間続けていたコンビニは4月を以て閉店が決まってしまった。同系列店で働くのもいいが、いっそ長く続けられる仕事に切り替えるのもいいかもしれない。スマートフォンの画面をタップしながらバイトの求人を探す。

 けれどどんな求人に申し込もうと結果はいつも同じ。
 同じ系列店で働いていたコンビニも不採用だった。店の外には急募の赤字があり、週一勤務からOKと書かれたところには週5勤務で書類を提出したのに、ごめんなさいの一言で終えられてしまった。

 同時に進めていた就職活動も思うようにいかず、書類審査さえも通らないことが増えた。
 なぜか両親が家賃と水道光熱費、スマホ代を払い続けてくれていたため、ここまで生活を続けられたが、通帳への入金は数カ月間0のまま。元よりささやかでしかなかった貯金も底は見えてきている。

 大都会に借りたマンションの片隅で全財産580円を握りしめ、今後どうやって暮らそうかと空を仰いだ時だった。
 すると何もない部屋にメールの受信を告げる音が響いた。


 どうせ不採用のお知らせだろう。
 ポケットからスマホを取り出し、新着メールをタップする。
 けれどメールの送り主は書類を送った会社でも、面接をしたバイト先でもなかった。


『金城 八代』――弟の番だった。

 嫌な予感を抱きつつ、読まなければ大変なことが起こりそうな予感がして、怜治は心を決めてメールを開いた。

 そして絶望した。

 両親から怜治がニート生活を送っていると聞いたらしい八代は、再び怜治に性処理役になることを望んでいたのだ。

 裕太と番になってまで性処理を務めろなんて狂ってやがる……。
 もしや裕太が子を孕んでいる間の性のはけ口として使うつもりだろうか?
 番には変態行為を求めることが出来なかったのかもしれない。さすがにあの変態も番の前では猫をかぶろうというのか。呆れつつも下へとスクロールしていけば、そこには裕太が海外の大学院に入学して数年は帰ってくる予定がないことが書かれていた。


 大学に続いて院まで通うとは。
 求められているのをいいことに好き放題する裕太に怒りが沸々と湧き上がった。
 けれどそれもすぐに収まってしまう。

「わざわざ移動するのも時間が勿体ないから一緒に住め。今から迎えに行く」
 その言葉通り、玄関からはカチャリと鍵が開く音が響いた。

 いくらなんでも早すぎる。
 けれど足音と共に登場したのは見覚えのある男で。
 八代は数カ月前と変わらぬ黒いスーツに身を包んで、笑った。

「行くぞ」
 初めて会ったその日にしたのと同じように強引に怜治の腕を掴んで立ち上がらせる。
 必死の抵抗もむなしく、俵のように横に抱えられ、黒塗りの車へと乗せられた。

 行き先はあのマンションではなく、とある一軒家だった。
 移動にあまり時間がかかっていないため都内だとは思うが、正確な場所は分からない。

 ただ赤い屋根のどこにでもありそうな外観の家だと感じた。
 車の中から荷物のように運び出され、地下室へと連れ込まれる。
 真ん中にポツンと置かれたベッドの上に放り投げられ、身ぐるみをはがされる。

 八代はどこからか用意したローションをまるまる一本、怜治の尻に垂らし、もみ込んでいく。もちろん穴を責めるのも忘れない。数カ月間、何の侵入も許さなかった怜治の穴はぴっちりと閉まっている。そう簡単にβの尻が緩む訳がない。

 ――そのはずなのに、八代の指は二本、三本と次々に増えていく。しかも根元までずっぽりと挿れられたそれは縦横無尽にゆらゆらと動いているのだ。


 久々なのに痛みは感じなかった。
 代わりに身体中に微量の電流が流れるような快感が怜治を襲った。
 ペニスをしごかれた時よりも弱いが、それ故に怜治の身体はより大きい刺激を求めてビクビクと揺れる。けれど一向にそれ以上は与えられることはない。緩く勃起したペニスからはダラダラとよだれが垂れ、少しでも刺激を求めようと無意識にシーツへと身体を擦りつける。けれどそれもすぐに八代にバレ、腹を持ち上げられてしまう。ギリギリ届かないと分かっていても、腰を振ることを止められなかった。
 快感を求め、意識を支配され出した怜治に八代はポツリと言葉を漏らす。

「効いてきたか」
 その言葉を聞けば、八代が何か薬を盛ったことなど明らかだった。
 けれど怜治の脳内はすでに平たんに続く快楽に支配されている。

 決定打となる快楽を求め、地獄を彷徨い続けている。
 身体を大きく揺らせば自分の腹に当たると気付いてからは発情期の犬のように大きく腰を振るった。けれど一向に八代は己のスラックスをくつろげようとはしなかった。それどころかどこかに設置したアラームを聞きつけ、怜治から手を離すと部屋の外へと出て行ってしまった。ご丁寧に鍵までかけて、配膳用にと開けられたわずかな穴から水と少しばかりの食糧をスライドさせた。

 これでも食っておけということだろう。
 けれど怜治が求めるのは食事ではなく、快楽だった。
 すぐさまペットボトルを回収し、小さな口元に自分のペニスをあてがった。
 勃起したペニスが中に入るはずもなく、激しく揺らすたびに中身だけがこぼれ出る。けれど水が当たる感触さえも怜治には快楽へと変わり、ひたすらにしごき続けた。

 怜治が正気を取り戻したのはそれから数時間が経ってのことだった。
 薬が切れたのだろう。
 やっと理解できた怜治は現実から目を背けるため、汚れたベッドから毛布をはぎとり、部屋の横で丸まった。

「これは裕太が帰ってくるまで。これは裕太が帰ってくるまで」
 嫌悪感を拭うため、何度もそう呟く。
 けれど快楽を感じてしまった自分の汚さはそう簡単には落ちてくれなかった。


 それから時間を問わず、怜治は犯されるようになった。
 時に快楽で、時に痛みで。
 指で済ませる日もあれば、以前のようにおもちゃを持ち込むこともある。
 機嫌の悪い日は慣らさずに怜治の穴を犯し続けるだけのこともある。

 時間どころかその日の天気すらも分からぬまま犯される生活に、怜治の心は壊れていった。

「これは裕太が帰ってくるまで。これは裕太が帰ってくるまで」
 部屋の隅で呟く言葉はもはや何の支えにもならなかった。
 それでも呟き続けるのは、そうしなければ金城 八代という名の狂気に飲み込まれてしまいそうな気がしてならないから。

 怜治は心が壊れてもなお、飲み込まれないようにもがき続けていたのだ。





 八代はドア越しに聞こえてくる怜治の呟きに頬を緩ませる。
 もう少しで完全に怜治が手に入ると思うとにやけずにはいられなかったのだ。

 八代にとって怜治は運命だ。
 車内から見かけた俯きがちに歩く少年に一目で恋に落ちた。
 胸の高鳴りこそ、運命だと疑わなかった。
 きっと彼こそが自分の運命の番に違いないと、すぐさま人を使って調べさせ――絶望した。


 彼は、飯田 怜治はΩではなかったのだ。
 怜治はβでありながら、双子の弟がΩ性を持っていることが許せなかった。
 弟を殺せば怜治にバース性が移るというのなら、八代は一瞬たりとも迷わずに飯田 裕太をこの世から抹消しただろう。

 けれど現在の技術ではバース性譲渡は叶わぬ夢だった。だから利用することにした。

 飯田 裕太を番に迎え入れたいと持ちかけ、彼が高校を卒業するまでの性処理係として怜治を獲得した。

 怜治への興味がないのか、両親と祖父母は簡単に頷いた。
 だが裕太だけが初めから八代が怜治を狙っていることに気付いたのだ。仮契約を済ませた際、裕太は八代をキッと睨んだ。


「怜治に何をするつもりだ!」
「何ってセックスだ。βは孕まない。お前には高校を卒業してもらわねばならないからな、孕んでもらっては困るんだ」
「金城家ともなれば、避妊方法くらいいくらでも知っているだろう」
「ああ。だが身体に負担がかかる」
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「…………だったらなんだ? お前は俺の番になれるんだ。βくらい差し出せよ」
「βくらいって!」
「お前や他の人間にとってはそうだろう」
「っ……」

 裕太には散々蔑まれていた怜治を無視し続けていた自覚があった。もっと手を伸ばせば救えていただろう。気付いているからこそ、裕太はそれ以上の言葉を紡ぐことが出来なかった。

「怜治は俺の運命だ」
 裕太は恍惚と呟く男の暴走を止めることすら出来なかった。

 裕太に大学に通うようにと指示を出したのは八代だった。
 そして怜治の普通の生活を壊していったのも。

 八代は大勢の前で怜治は自分の性処理役だと宣言した後で、彼女に関係を解消するように金を積んだ。その上で他の男達に金を積み、無理矢理襲わせた。一度や二度ではない。彼女が外へと出る度に、男を仕向けた。一緒にいる人間も巻き込んで、怜治に関わったことを後悔するまで追い詰めた。怜治にその女を紹介した男は見せしめになるように、家族をとことん追い込んだ。親戚の元へと逃げれば、そちらをターゲットに加えて。怜治の卒業と共に手を引いたが、その後、彼らがどうなったかなど興味もなかった。

 αのみが参加を許される社交界で培ったコネを使い、怜治の就活を妨害したのも八代だ。怜治を採用すれば金城家を敵に回すことになる、と宣言すれば誰もが怜治を要注意人物として触れ回った。唯一、八代が手を出さなかったのは古びたコンビニエンスストアだけ。酔っ払いばかりで客層は悪かったが、怜治に深く介入する者はおらず、経営者がかなりの高齢であったことも都合が良かった。少しばかりの自由を謳歌する怜治は愛らしく、仕事帰りの彼の歪む顔はいつも以上に興奮を覚えた。痛みを感じながらも、きゅっと尻をすぼめる怜治が可愛くて可愛くてたまらず、八代は怜治に少しばかりの自由を与えた。

 数カ月間監視だけで抑えるのには苦労したが、その甲斐あって裕太の院行きを告げた時の怜治は想像以上に歪んでいた。

 ああ、絶望した顔もまたいい。
 イきかける息子を宥めつつ、怜治の尻に媚薬を塗り込んだ。

 学生時代は他に走られる恐怖から快楽は最低限しか与えてやれなかったが、監禁してしまえば関係ない。

 どうせ裕太が海外から戻ってくることはないのだ。
 他のΩや娘をあてがわれないためにも、裕太とは本契約を結び、子を成す予定だ。
 けれどそれだけならわざわざ日本に帰ってくる必要もない。飯田家側はまた騒ぐだろうが、金を積めば口をつぐむ。簡単に怜治を手放してくれる血縁者は八代には都合が良かった。

 唯一邪魔をする可能性があった裕太は、番になると同時に画家としてのパトロンになってやることを約束した。初めは納得できないと騒いでいたが、すぐにαには勝てないと悟ったのか抵抗することを諦めた。

 今では監視の元、海外で絵を描いている。
 裕太が描く絵はどれも独特で、八代はそれを気に入っていた。

 以前、顔を見せた際に描いていたのは茨の檻に入れられた鳥の絵だった。
 薄汚れた身体にいくつもの傷を刻み、絶望した目でこちらを向くその鳥はどこか怜治によく似ていた。
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✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

【完結】抱っこからはじまる恋

  *  ゆるゆ
BL
満員電車で、立ったまま寄りかかるように寝てしまった高校生の愛希を抱っこしてくれたのは、かっこいい社会人の真紀でした。接点なんて、まるでないふたりの、抱っこからはじまる、しあわせな恋のお話です。 ふたりの動画をつくりました! インスタ @yuruyu0 絵もあがります。 YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。 プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら! 完結しました! おまけのお話を時々更新しています。 BLoveさまのコンテストに応募するお話に、真紀ちゃん(攻)視点を追加して、倍以上の字数増量でお送りする、アルファポリスさま限定版です! 名前が  *   ゆるゆ  になりましたー! 中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!

木陰

のらねことすていぬ
BL
貴族の子息のセーレは、庭師のベレトを誘惑して物置に引きずり込んでいた。本当だったらこんなことはいけないことだと分かっている。でも、もうじき家を離れないといけないセーレは最後の思い出が欲しくて……。 庭師(?)×貴族の息子

【BL】声にできない恋

のらねことすていぬ
BL
<年上アルファ×オメガ> オメガの浅葱(あさぎ)は、アルファである樋沼(ひぬま)の番で共に暮らしている。だけどそれは決して彼に愛されているからではなくて、彼の前の恋人を忘れるために番ったのだ。だけど浅葱は樋沼を好きになってしまっていて……。不器用な両片想いのお話。

手切れ金

のらねことすていぬ
BL
貧乏貴族の息子、ジゼルはある日恋人であるアルバートに振られてしまう。手切れ金を渡されて完全に捨てられたと思っていたが、なぜかアルバートは彼のもとを再び訪れてきて……。 貴族×貧乏貴族

無聊

のらねことすていぬ
BL
一兵卒であるエリオスは、遠征中のある日、突然王子の閨へと呼ばれた。まさか自分みたいなゴツイ男を抱く気かと思いながら天幕へ向かうと、王子に「隠れ蓑」になってほしいと頼まれて……。 ※攻め視点 兵士×王子

【BL】こんな恋、したくなかった

のらねことすていぬ
BL
【貴族×貴族。明るい人気者×暗め引っ込み思案。】  人付き合いの苦手なルース(受け)は、貴族学校に居た頃からずっと人気者のギルバート(攻め)に恋をしていた。だけど彼はきらきらと輝く人気者で、この恋心はそっと己の中で葬り去るつもりだった。  ある日、彼が成り上がりの令嬢に恋をしていると聞く。苦しい気持ちを抑えつつ、二人の恋を応援しようとするルースだが……。 ※ご都合主義、ハッピーエンド

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