ドワーフと花飾り

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「ブランドーラから俺の記憶を消して欲しい」
 アルベリルクは遠慮なく、魔法使いに願いを告げた。

「いいのかい?」
「ああ。あいつにとって俺の記憶なんて忘れたい記憶だろうからな」
「そう……」

 魔法使いはかつての自分と同じ同じ選択をしたアルベリルクに悲しげな笑みを送る。けれどこれもまた、一つの選択肢なのだ。魔法使いもかつての判断を間違っていたとは思わない。自分とはまるで寿命の違う友がそれを選ぶというのなら止める権利はないのだ。
 ローブの中から杖を取り出し、クルッと一振りした。
 王都から離れた地に暮らすブランドーラの記憶も、魔法使いにかかればこれですっかり消えてしまう。

「終わったよ」
「早いな」
「魔法使いは有能なんだ。そして有能な友達からプレゼントをあげよう」
「プレゼント?」
「一方的なものだから対価はいらないよ」
 そう告げるとまた杖を一振り。
 するとアルベリルクの首元に小さな石の付いたネックレスがぶら下がった。ネックレスといっても穴の空いた石を麻紐で通しただけのひどくシンプルなものだ。多くの鉱石を見てきたアルベリルクでもこんな石見たことがない。青黒く輝くその石を回転させながら観察する。

「僕が作った連絡用の魔石だよ。何かあったらぎゅっと握ればいつでも飛んできてあげる」
「それはなんとも大サービスだな」
「僕って友達には甘い魔法使いなんだ」
 へへへっと笑って、今度こそ魔法使いは外へと飛び出した。そしてその日を境に魔法使いは城から姿を消した。去り際、多くの者から自身の記憶も消していったらしい。彼の存在を覚えているのは城の中でもアルベリルクとウィーベルドだけとなった。ウィーベルドは魔法使いと仲が良かったはずの子ども達からも記憶を消したことに驚いていたが、同時に小さな秘密を知った子どものように笑った。

「俺も魔石もらったんだ」
 わざわざ貰った魔石を見せつけて「祝い事には呼ばなきゃな~」とはしゃいだ。

 魔法使いが居なくなってから一ヶ月が経った頃、ウィーベルドは王都の一等地に小さな店を建てた。

「ここで商売するといい」
 アルベリルクの背を叩き「こんなに腕のいい鍛冶師、そう簡単に逃がさないからな」とほくそ笑む。おそらく魔法使いから何か聞いているのだろう。城の敷地内にそのまま残っている店を退かせと言い出すこともなく、むしろ城から店に毎日通えばいいと提案してきた。

「もちろん王家の仕事が最優先だからな!」
「また姫さん方の依頼を受けるのか……面倒くさそうだな」
「そう言ってやるな。みんな嬉しそうにして、お披露目パーティーを開こうと予定しているんだぞ?」
「そりゃあ凄い」
「もちろんアルベリルクも参加することになっている」
「そんな話初めて聞いたが?」
「そりゃあ今初めて言ったからな」

 ドワーフであるアルベリルクが店を開けば、すぐさま冒険者達が店に殺到し、並べた武器は飛ぶように売れた。調整してくれ! と武器を置いていく者も多い。素材は持ち込みも受け入れているが、質の低い素材は全てお断り。いいもん持ってこいと突き返せば、自然と質の高い素材を持ち込める冒険者ばかりが残った。高ランク冒険者と、丁寧な仕事を行う冒険者。どちらも対応がしっかりとしており、細かい調整を行うのにもストレスはない。慣れてきたらまた自分で素材を採りに行こうとも考えている。王都にも質のいい材料を取り扱う店があり、今はそこから買い取っているが、自分の足で採掘場に向かえば周りの状態もこの目で確認出来る。同じ鉱石でも埋まっている場所によって高度や内包するものに若干の差があるのだ。

 今日も早々に店を閉め、城へと向かう。
 預かった物は全て調整を済ませ、店のマジックボックスの中へと収納した。店と共にウィーベルドから贈られた品で、所有者にしか空けることは出来ない。盗難対策としてこれ以上のものはない。
 アルベリルクは使用人に声をかけ、鍛冶場へと向かう。かまどの前の小さな椅子に腰掛けて、カンカンと鉄を打つ。
 最近毎日のように店のウィンドウにへばりついている子ども用に小さめのナイフを作る予定だ。金はあまり持っていないのだろう。値札とにらめっこしては、むむむと眉をしかめている。店の中に入ってきたことは一度もない。けれどアルベリルクは毎日やってくるその子どもが気に入っていた。真っ直ぐとしたその目は幼い頃のブランドーラとよく似ていたからだ。
 アルベリルクが醜い感情を抱くまで、ブランドーラはいつだってキラキラとした瞳を向けてくれていた。森の中にある小屋まで足を運び、熱い釜の前で凄い凄いと手を叩くのだ。かつて領主様だった父が体調を崩してからはピタリと来なくなったが、特別な知り合いなどほとんどいないアルベリルクにとって彼との交流は幸せな時間だった。
 魔法使いがいなくなってから、アルベリルクの中でブランドーラとの記憶は少しずつ過去のものへと変わりつつある。相手が忘れてしまっていることも、終わりへ近づくためのきっかけとなっていた。少年に少しサービスしてやろうという気になったのも、平穏だった日々を思い出したから。
 すでに冒険者になっているのか、はたまたこれからなのか。名前すらも知らない少年のためにカンカンと鉄を打つ。いつも朝一番にやって来る少年のために値札も作り、値段の下には赤字で調整承りますと付け足した。


 アルベリルクの王都での生活は平穏そのものだった。
 もう自分の胸をかき乱すことは起きないだろう、とどこか安心さえしていた。



 ーーパーティーが始まるまでは。
 それはアルベリルクの作った宝飾品のお披露目会パーティーでのこと。国中の貴族や領主を集めた夜会で、女性陣は各々が希望した形の宝飾品を、男性陣はタイピンを身につけた。そこにアルベリルクも引っ張りだそうというのだ。もちろん断った。出席者名簿にはしっかりとアルベリルクの生まれ故郷も含まれていたからだ。王家からの招待ともなればよほどの理由がなければ断ることは出来ず、領主であるブランドーラも当然出席することだろう。いくら相手から自分の記憶がなくなっていようとも、折角終わりにした感情が吹き出すかもしれないことなどしたくはない。嫌だ! と子どものように駄々をこね、なんとか『鍛冶師紹介』だけは取り消させることに成功した。けれど夜会自体には出席してくれと。他国の王族には紹介したいと頭を下げられ、渋々首を縦に振った。それからすぐに城お抱えの針子に囲まれ、正装まで仕立てられた。まん丸とした身体と無精髭を生やしたアルベリルクには似合いもしない燕尾服。真っ赤な蝶ネクタイで首を閉められ、髪もしっかりと後ろで結ばれた。いつもとは全く違う装いに、姫様達は興味津々と言った様子でアルベリルクの周りをくるくると回った。

 宝飾品作りですっかりと懐かれてしまったらしい。

「犬か! 散れ散れ」
 綺麗に着飾った女性陣にシッシッと手を振れば、彼女達は何が楽しいのかカラカラと笑い、それぞれ婚約者の元へと去って行った。
 けれどたった一人、エルザだけは去り際「似合っているわ」と言葉を残した。

「似合うもんかよ」
 残されたアルベリルクは仏頂面なまま顔を赤らめて声を漏らした。


 それからしばらくして、会場に人が集まりだした。
 アルベリルクも使用人達に呼ばれ、会場入りを果たす。王族以外に知り合いもいないので、真っ先に会場の端を陣取る。美人だったら壁の花だが、今のアルベリルクは壁にひっついた岩のようだ。遠巻きに眺めるばかりで、誰一人として話しかけては来ない。それも興味をもたれるのも初めだけ。すぐに興味を失ったように散っていく。そんな中、すっかり顔見知りの使用人達だけがアルベリルクの元へとやってきて酒を差し出してくれる。
 洒落た祝いの場に木のジョッキが置かれているはずもなく、あるのは白と赤のワインだけ。それでも気を使ってか、なみなみと注がれたグラスがいくつか乗せられている。明らかにアルベリルク用だ。遠慮なく手にとり、グイッと煽って空にしていく。最後の一つだけ手元に残し、使用人を見送った。さすがに参加者の波を縫って軽食を取りに行く勇気はないが、参加者達を見ているだけで十分つまみになる。人形みたいな笑みを顔に張り付けて、互いの腹を探り合う。明らかなるイレギュラーなドワーフがいくら酒をかっくらっていようが眉を潜める程度で済むが、相手もそこそこの地位があると分かれば、引き落とそうと足元を狙う。他人の足を引っ張った所で自分に変化などないだろうに、喜々として足を引く。
 アルベリルクの近くのご令嬢達のターゲットは、とある少女だった。赤茶の髪は貴族には珍しく、化粧でも隠し切れていないそばかすは平民のようだった。愛人の子だろうか。ある程度育ってから貴族の家に迎えられる子どもも珍しくはない。そんな子ども達は必ず洗礼を受けることとなる。少女にとってその洗礼が今日だったのだろう。何も王家主催の夜会ですることないだろうに……とアルベリルクは可哀想な少女を眺めた。けれど少女の正面顔が見えた途端、一気に酒が抜けていった。
 夜会用に着飾っていたため気づくのが遅れたが、その少女はあの日、ブランドーラの屋敷にいた少女だったのだ。どこかの貴族の養子になったか、ブランドーラと結婚したのか。どちらでも良かった。スッと血の気が引いた顔でアルベリルクは逃げ道を探った。
 これ以上視界に少女を入れないように、何よりブランドーラの幸せな顔など見ないで済むように。
 彷徨った視線の先で、こちらに向かってくるウィーベルドを捉えホッとしたのもつかの間、聞き覚えのある声が耳に届いた。

「私の妻が何か?」
 背後から聞こえた声に思わず振り返る。そして目を疑った。少女の肩を抱いていたのはこの場にいるはずもない、ブランドーラの兄だったのだから。
 王都から近い場所に住まう貴族ならいざ知らず、離れた土地の領で療養している者が呼ばれるはずがない。なのになぜ彼がこの場にいるのだろう。療養生活が終わり、ブランドーラは兄に領主の座を譲ったというのか。本来、領主はブランドーラの兄がなるべきだった。ただ身体が弱いため、ブランドーラがその場所に立ったのだ。真面目なブランドーラのことだ。元気になった兄が帰ってきたのならば喜んでその場所を差し出すことだろう。だが確かに彼は少女を『妻』と呼んだ。

 ブランドーラと共に笑い合っていた少女を。
 どうやらアルベリルクは重大な勘違いをしていたらしい。あの日ブランドーラは兄の妻となる少女と対峙していたのだ。いや、あれから幾月も過ぎている。様々な過程を経て兄嫁になったのかもしれない。

 けれど過程などどうでも良かった。
 後悔だけが胸を締め付けた。
 逃げなければ、まだあの関係を続けられたのではないか。

 今さら領に戻った所でブランドーラにはアルベリルクに関する記憶がない。
 はじめまして、から始めなければならないのだ。
 こんなおっさんがいきなりやってきて仲良くしましょうなんて言える訳がない。

 なぜ記憶を消してくれと頼んでしまったのか。
 埋まり欠けていた穴からかさぶたが剥がれ、ぴゅうっと冷たい風が吹き付ける。

「アルベリルク!」
 ウィーベルドがそのまま直進して、声をかけてくれなかったらアルベリルクはずっとその場で立ち尽くしていたことだろう。祝いの場に相応しくない絶望を顔面に張り付けながら。ウィーベルドから隣国の王族を紹介され、簡単な挨拶を済ます。そして流れるように会場を後にした。少しはマシになった頭で、ブランドーラはきっと他の女を妻にしたのだ。そうに違いないと繰り返す。
 少女が居なくなった所で、ブランドーラの隣にいるのはアルベリルクではないのだ。
 冷え切った頭で住居へと戻り、そしてベッドにダイブした。翌朝、心配してやってきた王子の一人にあそこの領主は変わったのかと尋ねた。するとすんなりと「数ヶ月前に変わったみたいだよ」と教えてくれた。アルベリルクの出身地だと知ってのことだろう。
「少し前まで療養してたみたいだけど、最近体調が良くなったらしいよ」と付け足して笑った。

 前の領主がどうなったかなど、聞く勇気はなかった。
 かさぶたの剥がれた穴と付き合いながら、アルベリルクは剣を打った。カンカンと音を響かせながら、鉄とだけ向き合う。ナイフを購入した少年が店先に現れることはなく、アルベリルクはただただ店と家との往復をするだけの日々を送った。
 新しい仕事を受けるのも面倒になり、顔見知りの仕事だけ受け、並べた武器が売れればすぐに看板を下げた。
 元気のなくなったアルベリルクを心配してか、エルザは頻繁に鍛冶場へと足を運んできた。けれど何か口を出してくる訳ではなく、ただただ椅子に座りながらアルベリルクを眺めているのだ。楽しいことなんて何もないだろうに。まるで変な気でも起こさないかと監視するように居座り続ける。

「なぁ、姫さんよ。いつまで居るつもりだ」
「素敵なものを見るまで」
「ここは劇場じゃねえんだぞ」
 迷いなく飛び出した言葉に、深いため息が出る。
 アルベリルクは見た者を楽しませるような作業をしている訳ではない。ただ優れた剣を打つために金槌を振り下ろしているのだ。宝飾品でも作れば喜ばせることが出来るかもしれないが、それだって作業中は地味の一言に尽きる。楽しみたいなら、エンターテインメントを売りにするサーカスや劇場にでも足を運べばいい。こんな汗と鉄の匂いが混じった鍛冶場よりもずっと楽しい時間を与えてくれるはずだ。

「私にとっては劇場よりもずっと楽しいわ。この前あなたが楽しそうに外へ出てきたのを見かけたから、次は見逃さないようにって頻繁に来ているのに、最近はつまらないものばかり」
「喧嘩売ってんのか?」
「良いものを見せてくれるのならいくらでも売るわ」

 真っ直ぐと見つめ返すエルザに、そういえばこの姫さんは変わり者だったなと頭を抱える。忘れていた訳ではないのだが「何回売ればいいのかしら?」と本気で尋ねる彼女を相手していると頭が痛くなる。馬鹿ではないのだろう。社交界では上手く立ち回っているようだ。
 ただ剣を見るとタガが外れてしまう性格なのだろう。
 男なら間違いなく一日中剣を振って過ごしたことだろう。女に生まれ、剣を与えなかったことが正しかったのか。はたまた与えられなかったからこんな少女になってしまったのか。

「自分の剣が欲しいのか?」
 ため息交じりにそう問えば、エルザは胸元の剣を握りしめて笑った。

「私の剣はもうあるわ。あなたが作った剣が。だから私の剣は十分。でもあなたの作る剣には興味があるの。私達の装飾品を作った時みたいに材料を取りに行ったりはしないの?」
「ああ、最近してねえな」
「なら気分転換に行ってくればいいんじゃないかしら?」
「気分転換ってな……」
「元気、ないんでしょう?」
 エルザは大きな目でアルベリルクを見つめた。
 今嘘を吐いた所でその瞳は見逃してはくれないだろう。よく澄んだ青い瞳が、なんだか恐ろしく見える。

「……ああ」
 正直に頷けば、青の瞳は形を変える。

「あなたが留守の間、換気しといてあげるわ」
 平坦な胸をドンと叩く姫様。
 この娘は将来、大物になりそうだ。兄弟姉妹の中で一番ウィーベルドと性格が似ているかもしれない。
 主に図々しさの面で。
 ボリボリと頭を掻いたアルベリルクは冒険用の道具を一式用意し、店へと向かった。看板を外し、代わりにドアには『本日休業』と書いた紙を張り付ける。その足でいくつか食料品を買いだめ、馬車へと乗り込む。
 姫さんへ何か作ってやろうと考えながら、馬車に揺られた。
 ミノタウロスが発生する洞窟とは違う場所だが、ここもやはり人が少ない。ちらほらとドワーフが何人かいる程度で、彼らも材料を取りに来たのだろう。冒険者どころか人族は0で、採掘場をむやみに荒らす者もいない。アルベリルクもハンマーを振り下ろし、使えそうな材料を採掘していく。店用に鉄鉱石と銀を、エルザのために白金を多めに採取し、荷物をまとめる。
 一度食事を挟んだ程度で、案外時間はかからなかったが良い気分転換にはなった。

 帰って姫さんとあーだこーだと話すうちにすっかり暗い気分も晴れてしまうことだろう。鉱物でたんまりと満たされたマジックバックを背負って、採掘場を後にした。
 馬車を降り、城へと戻る途中で通りがかった鍛冶屋に人影があるのを見つけた。自分の店だ。じいっと紙を見つめる男は客だろうか。見た限り、冒険者ではないだろう。武器も持たず、服は綺麗なものだ。商売道具を持っているようにも見えない。今のところ武器と防具の依頼しか受けていないアルベリルクだが、王族の宝飾品を作ったという噂をどこからか聞きつけた貴族が使用人を送ってきたのかもしれない。

「うちに何か用か?」
 後ろ姿しか見えぬ男に声をかけた。

「ここはアルベリルクの店か」
「そうだ、が……」
 振り向いた男の顔を見て、思わず声を失った。
 髪はぼっさりとしており、頬はこけてすっかりとやつれてしまっているが、間違いなくブランドーラ本人だったからだ。背中も丸くなってしまっており、後ろ姿では気づかなかったが見間違える訳がない。

 なぜこんな所にいるのだろう。
 いや、それより顔を見ない間に一体何が起きたのか。
 病気でも患っているのか。

 聞きたいことはいくらでもあった。
 だが今のブランドーラにとって、アルベリルクは初対面の鍛冶師にすぎないのだ。
 カタカタと小さく身を震わせるアルベリルクを前に、眉間に細かい皺を浮かべるが、心配する様子はない。

「休業中とあるが、明日には空くのか?」
「明日も、休みだ」
 思いも寄らぬ客に、思わず嘘を吐いた。
「なら明後日は空くのか」
 眉間の皺をそのままに尋ねるブランドーラから目を逸らし、嘘を重ねた。

「しばらく休む予定でね」
「しばらくとはいつまでだ」
「納得いく剣が打てるまでだな」

 今の精神状態で剣を打った所でエルザは納得してくれないだろう。だが誰かに期間を委ねることが出来るのは、今のアルベリルクには都合が良かった。
 納得いかないとばかりに顔を歪めるブランドーラに「悪いが他を当たってくれよ」とひらひらと手を振る。
 どこでアルベリルクの名前を聞きつけたかは知らないが、腕の良い鍛冶師など、この王都だけでも数人はいる。けれどアルベリルクにとってブランドーラほど厄介な客はいないのだ。1ヶ月は店を閉めておこうと心に決め、大量の材料が入ったバッグを撫でる。もちろん現在依頼を受けている分は引き渡しを行うが、その時間だけ鍵を開けておけばいい。その間にブランドーラがやってきたら面倒だが、ドアにでも「引き渡しのみ」とでも書いた紙を張っておけば良いだろう。
 そそくさとその場を後にしようと背を向ける。けれどアルベリルクの肩をブランドーラが掴んだ。

 すっかりと痩せこけてしまった彼からは想像も出来ないほどの力が指先に込められている。痛くはないが、その力には思わず顔をしかめてしまう。

「あなたでなければ駄目なんだ」
 苦しげに告げられたその言葉に特別な意味ではないと分かっているからこそ、胸がぎゅっと締め付けられる。

「俺以外にも鍛冶師なんていくらでもいるだろう」
「魔法使いが認める鍛冶師はあなただけです。お願いします。金ならいくらでも払います。だから依頼を受けてください」

 振り返ったアルベリルクに、願いを乞うようにブランドーラは金の入った袋を差し出した。アルベリルクが金を借りに行った際に渡されていたのと同じ袋だ。けれど膨らみはあの時以上で、相当な金額が入っていることは中身を見ずとも分かった。
 ブランドーラを汚してしまった事実は消えることはない。
 彼が魔法使いに何を願うのかは分からない。けれど記憶を消し、彼の願いを叶える手伝いをすれば罪は軽くなるのではないか。

 所詮自己満足にすぎない。
 それでもアルベリルクは袋に手を伸ばした。

「仕方ない。作ってやるよ。何がいいんだ?」
「花びらが一枚欠けた赤いアネモネの髪飾りです」
「……………………っ」

 そんな指定をする魔法使いをアルベリルクは一人しか知らない。そもそも彼以外の魔法使いとは出会ったことすらないのだが、ブランドーラの指す『魔法使い』がアルベリルクの知る『魔法使い』と同一人物だろうと確証を持っていた。
 記憶を消しているくらいだから、あの魔法使いがブランドーラを知らずに要求したという可能性は極めて低い。その上でアルベリルクを名指しし、魔法使いの正体が分かるような要求を出してきたのだ。

 一体何を考えているのか。

「材料の指定はあるのか?」
「ミノタウロスの角以外ならなんでもいいと」

 もう一つ髪飾りが欲しかっただけなら、アルベリルクに直接言いに来ればいい。
 金には困っていないだろうし、困っていたら困っているで、知らない仲でもないのだから材料になりそうな物を持ち込むなり方法はいくらでもある。

「一週間後にまた来い」とだけ告げて、ブランドーラを追い返すとすぐに鍵を閉め、首から提げた魔石を握りしめた。


「やぁ、アルベリルク。久しぶりだね」
 あの日の言葉通り、すぐに飛んできた魔法使いは訳知り気にカラカラと笑った。髪はアルベリルクの作った髪飾りでまとめてあり、壊れた様子もない。鍛冶師が手入れするほどの汚れや傷もなく、大事に使われているのが見て取れる。たいそう気に入っていたそれの代わりをすぐに欲するとも考えづらい。


「一体何を考えている」
「うーん、君のためになることかなぁ?」
「なんだと?」
「ほら、僕、友達思いだからさ。ちゃんとブランドーラの依頼は受けてあげた?」
「ああ」
「そう。良かった」
「良かったって何がだよ」
「魔法使いは対価がないと人のために魔法を使うことが出来ないんだ」
「わざわざあいつを寄越した訳を教えろ」
「だから君のためだって。どうなるかは僕も分からないけれど、でもまぁ良いように転がればいいなって思ってるよ」
「はぁ?」

 意味が分からない。
 顔を歪めるアルベリルクににっこりと笑顔を向けた魔法使いは「材料はこれ使ってね~」とだけ告げてさっさと箒に乗って旅立ってしまった。

 一体なんだと言うのだ。
 残された上物のガーネットを手に取りながら、アルベリルクは首を傾げた。



 訳も分からぬまま、鍛冶場へと戻り、依頼の品の製作に取りかった。

「あら、今度は苦しそうね」
 アルベリルクの横からひょっこりと首を出したエルザは言葉とは裏腹にケラケラと笑った。

「それが終わったら私にも髪飾りを作って」
「苦しそうだと言った直後に言うか?」
「だって私も欲しくなっちゃったんだもの」
「モチーフはまた剣にするのか?」
「今度は花に見える盾でもいいかもしれないわね」
「そこは花って言っとけよ」
「それじゃあつまらないでしょう? それに、花は大切な人から貰いたいもの」
「ロマンチストなんだな」
「意外?」
「お姫様らしくていいんじゃねえか」

 投げやりに返すと、ふふふと笑い声だけ残して鍛冶場を後にした。
 彼女もまた魔法使いと同じく読めない相手だ。
 けれど何気ない会話は少しだけ心を軽くしてくれた。
 彼女の言うように、息苦しさを感じていたのかもしれない。たいそうな理由を掲げて、勝手に苦しさを感じて。
 ブランドーラにとっちゃただの依頼でしかないのにな。
 ハッと鼻で笑って、買い置きのビールを樽ごと飲み干した。

 酒に強いドワーフのアルベリルクは簡単に酔うことは出来ない。けれど気持ちを切り替えることくらいは出来る。
 樽を3つほど空にしてから、髪飾りと対峙する。
 ブランドーラが再び店に足を運ぶのは1週間後。それまでに最高の品を、魔法使いがどちらを付けようかと毎朝悩んでしまうような品を作りあげてみせよう。

「鍛冶師の腕が鳴るぜ!」
 ゴキゴキと肩を鳴らした。
 同じアネモネの髪飾りとはいえ、全く同じにするつもりは毛頭ない。細かい所にツタの細工を施していく。花びらもガーネットの艶を生かしつつ仕上げていき、満足の出来る品が仕上がったのはブランドーラがやって来る日の朝だった。


 スタミナには自信のあるアルベリルクも、徹夜が続けば疲労も現れる。風呂もろくに入れておらず、髪も髭もボサボサ。それでも眠い目を擦りながらやっと店へと辿りつき、入り口をくぐってやってきたブランドーラに髪飾りと金の入った袋を渡した。

「これはあなたに渡したものです」
「料金だけ抜いといたから後はいらん」
「欲がないんですね」
「もういい年なもんでね。ほら、帰った帰った」

 手元に袋があっても困るのはアルベリルクだ。
 追い返すように入り口まで背中を押して、バタンと勢いよくドアを閉めた。なんとか鍵を閉め、そして床に倒れ込むように意識を手放した。


 どれくらい眠っていたのだろうか。
 外はすっかりと暗くなっており、床はアルベリルクの熱ですっかりぬるくなっていた。
 腹の虫は騒ぎまくり、喉もカラカラだ。
 睡眠も取れたからか、汗でべたつく髪に気持ち悪さを覚える。腕に鼻を近づけて嗅げば、自分の体臭ながらなかなかに臭い。これでは姫さんがやってこなかったのも頷ける。物を受け取るためとはいえ、よくもまぁブランドーラは文句を言い出さなかったものだ。
 ふわぁとあくびを漏らしながら鍛冶屋を出て、王都の裏道を歩く。城の裏門からこっそりと入って風呂を目指す。途中ですれ違った使用人に「風呂使うぞ」と合図を送れば、ブンブンと凄まじい早さで首を縦に振った。

 よほど匂いがキツかったらしい。
 食事を運んできてくれる使用人には悪いことをしたものだ。帰ったら換気をしようと心に決めて、入念に頭と身体を洗う。一度目も二度目もろくに泡が立たず、お湯で流せば色の変わった水が足下に流れた。ようやく色が変わらなくなってから、ふうっと息を吐き出して湯船に浸かる。風呂なんてごく一部の貴族が手にできるものだが、贅沢品だけあってお湯で身体を包み込まれる感覚は一度慣れてしまえば抜け出せそうもない。おまけに毎日気候に合わせて薬師が風呂に入れる薬を調合しているというのだ。溜まった疲労感が抜けていき、すうっと身体が軽くなっていく。

「あああぎもぢいいい」
 一人きりの浴場に声が響く。
 けれど指摘する者も邪魔する者もいない。
 じっくりと温まった後でるんるんと城を歩く。久々の食堂に足を運べば、アルベリルクが仕事を終えた話をどこからか聞きつけた調理長がご馳走と大量の酒を用意してくれていた。

「好きなだけ食べてください」
 その言葉に遠慮を投げ捨て、膨らんだ腹を撫でながら小屋へと戻った。

 すっかりと篭った空気がなくなったベッドで寝転び、天井を見上げる。
 明日からまた平穏な日常に戻るのか。
 そう思うと嬉しいような、寂しいような、正反対な感情が混ざり合う。どっちつかずな感情と、睡魔に包まれたアルベリルクはまぶたを閉じた。


 ぱっちりと目が開き、身体を思い切り天井に伸ばすとバキバキっと骨がはまるような音が響く。薬湯の効果か、身体はすっきりとしていた。大きな仕事を終えたという達成感もあり、精神的にも晴れやかだ。
 軽い足取りで鍛冶場へと降りれば、お客様が一名。といっても金を払う客ではない。見る専門の常連様だ。

「やっと起きた」
 膝の上に乗せた本をパタリと閉じ、お姫様はトトトとアルベリルクの目の前へとやってきた。そしてぐるりと体中を見回し、満足気に息を吐き出した。


「お祖父様は起こすなって言ってたけど、あんまり起きないから心配だったのだけど……元気そうね」
「そんなに寝てたか?」
「6日と半分。ほら、お水」
「気が利くな」
「折角起きたのに、倒れられたら困るもの」
「早く作れってか?」
「ええ。楽しみにしてるんだから」

 いっぱいの水にも下心、か。
 ふわりと笑う少女は年齢の割にしたたかだ。
 これが女性というものなのか。女は怖いなぁと冗談交じりに呟けば、エルザは猫のようにニヤニヤと笑う。

「精々頑張らせてもらいますよ、お姫様」
 頭に手を乗せ、ポンポンと叩けば今度は頬を緩ませる。
 表情がよく動く可愛らしい娘だ。
 こんな女を嫁にする男は生涯振り回されることだろう。その代わり、飽きとは無縁の生活を送れそうだ。
 今さら妻を取るつもりも、ましてやエルザを妻候補にいれるつもりもないアルベリルクだが、勇ましくもしたたかで、可愛らしい少女の婚約者が少しだけ羨ましく思えた。


「あ、そうだ。あなたが起きたら話そうと思ってたのだけど、使用人達から聞いた変な話があってね」
「変な話?」
「そう。一昨日の夜に飲みに出かけた兵士がね、あなたのお店の前で変な男を見つけたっていうの。休業中の張り紙の前で花束を抱えて微動だにしないんですって。だから休みだって声をかけたのに、構わないの一点張りで動こうとしない。おかしな男だと帰ったらしいんだけど、昨日は朝市に出かけた使用人がやっぱり同じ男を見つけたんですって。そして今日の朝も。服装は少し違うみたいだから帰っているんだとは思うのだけど、鍛冶屋の前に花束を持ってくるなんておかしいでしょう? しかも赤いアネモネの花束なんて、プロポーズみたいよね」
「赤い、アネモネ……」

 そう聞いて思い出すのは魔法使いだ。
 今度は花束を持ってきたのか?
 けれど彼がアルベリルクに花を贈る理由もない。素材を持ってきたから何かを作れというのなら、直接小屋へとやって来ればいいだけだ。鍛冶屋の前で待ちぼうけを食らう理由がない。それに彼の服装は黒いローブ一択だ。本人曰く、同じデザインの別物を着回しているとのことだが、よほどじっくりと見なければ、見分けることは難しいだろう。
 首を捻って考え込めば、エルザはあからさまに大きなため息を吐いた。

「言っておくけど、さみしがり屋でオバカな魔法使いじゃないわよ。細身のイケメンらしいわ」
「魔法使いって姫さん、あんた記憶消されたんじゃ……」
 なぜ記憶があるんだ?
 魔法使いはアルベリルクとウィーベルドの二人の記憶のみを残して立ち去ったはずだ。他の王族達はすっかり忘れてしまったようで、目の前の姫様だって今の今まで『魔法使い』という言葉を口に出しては来なかった。アルベリルクがもらった魔石だって首から下げてはいない。

 ネックレス以外の形で渡されたのだろうか?
 だが魔法使いがエルザと特別親しくしているようには見えなかったのだが。別の疑問が湧き上がり、アルベリルクの頭上にはいくつものクエスチョンマークが浮かぶ。

「前に何度もかけられたせいで、私に魔法は効かないのよ。性別も変えて生まれ変わったっていうのに、私が成人して迎えに行くまで待たずにどこかに言っちゃうんだからオバカよ! って今は魔法使いよりもイケメンよ、イケメン。もう何日も待っているんだから迎えにいってあげれば?」

 エルザは魔法使いが愛した人間の生まれ変わりだったのか。
 苛立たしげにパタパタと足を上下させ、頬を膨らませる。


「いや、だが……」
 そして戸惑いを隠せないアルベリルクに一喝した。

「早く行きなさいよ! それで、そっちの用件が終わったらあの馬鹿を呼んで。勝手に消えたことを後悔するくらいお説教してあげるんだから……」
 ヒステリックな声をあげたかと思えば、一転して瞳を潤ませる。
 彼女もまた、想いを秘めていたのだろう。
 秘めた思いを打ち明ける前に相手が消えてしまったなんて、悲劇でしかない。

 アルベリルクは首元からネックレスを抜き取り、エルザへと突き出した。

「これ使え」
「なにこれ?」
「魔法使いを呼ぶ魔石。今のあんたには必要だろ」
「………………」
 エルザはじとっとした目をアルベリルクに向ける。
 とてもではないが、一国の姫がするような目ではない。


「な、なんだよ。臭いとか言うなよ!?」
 エルザの視線に思わず、胸をえぐられる。
 ずっと首から提げていたため、鼻に寄せれば少し匂うが、性能に問題はないはずだ。
 これを首から下げろとは言うつもりはない。
 ただ魔法使いを呼び寄せるのに使えと親切心で渡しただけ。けれどせめて紐くらい変えておくべきだったかもしれない。今からでも紐を取り替えるべきか? ときょろきょろと視線を彷徨わせれば、エルザはアルベリルクの手の中からひょいっと魔石をさらった。

「匂いなんて気にしていないわ。ただ、数日は『用事』を終えないつもりなんだなぁって思って」
「なっ!」
「仲良きことは美しきかなって言うし、当人同士のことだから深くは聞かないけれど」
「ひ、姫さんあんたな」
「材料を取りにいったとでも言っておくから存分にどうぞ」

「そんなんじゃねえ!」
 背中を押して鍛冶場から追い出された後に叫んだところでエルザからの返事はない。
 けれど窓からは魔石を胸に抱えて膝をつく姫様の姿があった。あちらもあちらで『用事』があるはずだ。今、戻るのも野暮ってものだろう。それに長い長いお説教に巻き込まれたくはない。財布も何もかも部屋に置きっぱなしなのだが、仕方ない。ぽいっと鍵を投げ出してくれたのは優しさなのだろう。

 彼女が言うような用事などないのだが、こうなったら鍛冶屋に足を運ばねばなるまい。
 プロポーズみたいな花束だって魔法使いの入れ知恵か何かだろう。
 魔法使いに何を願ったかは知らないが、ブランドーラの記憶の中のアルベリルクはただのドワーフだ。花飾りの仕事を請け負っただけの鍛冶師。

 良いことがあったから礼にでも来たのだろう。
 生真面目なブランドーラのことだ。早くお礼を済ませたくて、待ち続けていたのだろう。寝ていたとはいえ、悪いことをしてしまったものだ。これ以上無駄な時間を過ごさせないように、さっさと花束でも何でも受け取ってしまおう。アルベリルクは頭をぽりぽりと掻きながら、店へと向かった。


 そしてエルザの聞いた話通り、店の前で大きな花束を抱える男を発見した。遠くからでも一発で分かってしまうほど目立つ。閉じた鍛冶屋の前に佇むブランドーラは間違いなく不審者だ。
 いくら持っているのが花束とはいえ、数日も居座っていてよくもまぁ憲兵を呼ばれなかったな、と関心してしまう。
 だが他の店にも迷惑がかかっていることは確か。過ぎゆく通行人はチラチラと不審者を窺い、二階から見下ろす者もいる。
 さっさとお帰り願うことにしよう。

「休業中なんだが、急ぎの用か?」
 二歩分ほど距離を空けて立ち止まり、店を見に来た体で背中に声をかける。するとゆっくりとブランドーラは振り向いた。アルベリルクの姿を捉えると、目を見開き、そして視線を泳がせた。

 用事があったのではないのだろうか?
 いくら閉まっているとはいえ、鍛冶屋の前なんて女との待ち合わせ場所に適していない。

 指定場所が悪いせいで約束を放棄されたのだろうか?
 一向に口を開く様子のないブランドーラに、アルベリルクは困ったように頭を掻いた。

「あー、とりあえず中入るか? 茶くらい出すぞ」
 ほぼ吹っ切れているとはいえ、長年の片思い相手。
 好んで二人きりになりたくはないが、アルベリルクも周りからの好奇の視線には勝てなかった。
 鍵を差し込み、数日ぶりの店を空ける。
 空気はこもっていたが、構わずにずんずんと先へ進んでいく。奥にある狭い台所でやかんを火にかけ、お湯を沸かす。棚の下にしまい込んだ茶葉は姫様からの贈り物だ。お茶を楽しむ習慣のないアルベリルクはいらないと断ったのだが、ポットとカップのセットと共に押しつけてきたのだ。まさか使う機会があるとは思わなかった。簡単にサッと洗って水気を拭き取る。正しい入れ方など分からないため、適当な量の茶葉をポットに入れ、上からお湯を注いだ。蓋をして、くるくると回してからカップに注ぐ。やや色が濃いように見えるが、茶葉がいいからだろう。細かいことは気にせずに、二人分のカップをカウンターに置いた。

「座れよ」
 自分の腰を下ろしてから、相手にも椅子を勧める。
 ブランドーラはこくりと頷いて、客用の椅子へと腰を下ろす。客用とはいえ、ブランドーラの屋敷や王城にあるような高価なものではない。試着する際に必要なら勝手に使えとばかりに店の端っこに置かれた木製の椅子だ。開店して数日経った頃に「椅子はないのか?」と聞かれたので、アルベリルクが適当にあり合わせの木で作ったのだ。見た目は悪くないが、座り心地がいいかと聞かれれば微妙だ。せめてクッションでも置けば良いのかもしれないが、そもそも長時間座ることを想定していない。

 ブランドーラの尻も痛くなる前に帰って欲しいものだ。
 お茶をずいっと差し出しながら「用件は?」と話を急かす。
「依頼に、来たんです」
「依頼か。なら、その花束は材料か? あいにくとうちでは生花を使うような代物は引き受けてないんだがな」
「いえ、これはあなたに」
「花が似合うように見えるか? 好きな女にでもやれ」
「好きな男性に、花を渡してはいけないんですか?」

 好きも何もブランドーラとの付き合いは二回だけ。
 それも依頼を引き受ける時と、引き渡しの時。たったそれだけ。いくらなんでも髭面で恰幅の良い男に一目惚れはないだろう。

「あんた、頭でもイかれたか?」
「ブランドーラです」
「名前なんてどうでもいいだろ」
「よくないです」
「ああ、分かった分かった。花も引き取ろう。それで、ブランドーラ。依頼はなんだ」
 アルベリルクが適当に受け流せば、ブランドーラは傷ついたように目尻を下げた。手元の花束はぐしゃりと音を立て、紙に皺が出来る。

 好きな男に渡すというのはやはり冗談だったのだろう。
 アルベリルクにとっては花の行方などどうでもいいのだが、依頼でも何でも聞いて早く店を閉めたかった。
 再び口を噤むブランドーラに大きなため息を向け、頭を掻く。

「はぁ……俺は向こうで仕事してっから、言いたくなったら声かけろ」

 重たい空気に耐えきれず、腰をあげる。
 奥に入れば、仕事なんていくらでもあるのだ。
 いつもは面倒だと後回しにする帳簿の整理だが、今は時間ばかりがかかる作業もちょうど良かった。
 カウンターの引き出しから売れた物の一覧と、朝晩の合計金額を記したノートを抜き出し、胸に抱いた。のれんをくぐって奥へ足を進めようとした所で腕を掴まれた。

「待ってください!」
「なんだ、言う気になったか」
「はい。あなたにはその……私を鍛えて欲しいのです」
「は?」

 意味が分からない。
 からかいに来たのなら帰れ、と店から追い出そうと振り向けば、ずいっと身体を寄せたブランドーラと密着する。

「ここ、使って」
 堅くなった下半身を押しつけながら、アルベリルクの尻を掴む。

「一体どういうつもりだ」
 からかうにしても程度が過ぎている。
 アルベリルクの知っているブランドーラはこんなことをするような男ではなかったはずだ。キッと睨みつければ、今にも泣きそうなブランドーラと視線が交差した。

「あなたには消したい記憶でも、私にとっては大事な記憶だったんです。好きなんです。ずっとずっとあなたが好きだった。認めて欲しくて。あなたに見て欲しくて。ずるい方法でも、金で繋がった身体でもあなたを求めずにはいられなかった……」
 涙をぽろぽろと零しながら、ブランドーラは吐き出した。
 尻から離れた手は、縋りつくように、許しを乞うようにアルベリルクの胸へと伸びた。そして全てを手放すように、腰を落とした。

 記憶が戻ったのは十中八九、魔法使いの仕業だろう。
 ブランドーラがやってきた直後の彼は意味ありげに笑っていたのだから。
 今もブランドーラの想いを知ったアルベリルクをどこかで眺めているかもしれない。いや、眺める予定だったのかもしれない。今頃、かの魔法使いは少女にこっぴどくお叱りを受けているだろうから。

 長年の片思い相手の気持ちを知り、割り切ったはずの気持ちは沸騰したように一気に溢れ出す。
 子どものように涙と鼻水で顔を汚した男を、アルベリルクは抱き寄せた。

「俺も、ずっと好きだった」
 身体を包み込み、頭を撫でればブランドーラは「本当、ですか?」と鼻を啜る。アルベリルクは潤んだ瞳でこわごわと見上げるブランドーラの顔を掴んで、自分の顔の正面で固定する。

「俺が嘘言ってるように見えるか?」
「見えない」
「ならもう一回言ってやる。好きだぜ、ブランドーラ」

 真っ直ぐと見つめてそう告げれば、ブランドーラは嬉しそうに飛びついた。

「好きだ。愛してる。僕のアルベリルク」
 倒れたアルベリルクの上に飛び乗り、キスの雨を降り注ぐ。社交界のブランドーラを知るご令嬢方は、まさか彼が髭を蓄えたおっさんを押し倒して喜んでいるとは想像もしていないだろう。
 気の良くなったブランドーラは、リップ音を立てながら顔をなで回すブランドーラの股間を撫でた。

「キスだけでいいのか?」
 立派な剣はすっかりと臨戦態勢に入っている。
 顔を赤らめて、キスの雨を止めたブランドーラを一度自分の身体の上から降ろし、店の奥へと足を進める。突如として離れていったアルベリルクに、ブランドーラは寂しげな声を漏らす。けれどアルベリルクはすぐにお目当てのものを手に戻ってくる。下穿きを降ろし、椅子に上半身を預ける。仕事用の油で指を濡らしていき、隠すことなく晒した穴に指を入れた。

「鍛えて欲しいんだろ?」
 きゅぽっと音を立てて指を抜き出し、卑猥な穴を見せつけるように尻を広げた。けれど穴に吹き込むのは冷たい風ばかり。一向に熱くなった昂ぶりで貫かれることはない。
 尻を弄るのはご無沙汰で、少し時間がかかってしまったが、萎えていないだろうかと少し不安になる。やはりおっさんの身体は無理だと言われるのだろうか。こわごわと首だけ後ろを向けば、口元を手で押さえ、身体を震わせるブランドーラが立っていた。顔は先ほどの比にならないほどに赤いが、同時に彼の雄もギンギンに立ち上がっていた。目が合えば、苦しげな竿を解放するように下穿きを勢いよく降ろし、アルベリルクの腰を思い切り掴んだ。
 求められていることに胸をなで下ろし、アルベリルクはさらなる煽りの言葉を投げつける。

「俺を壊す覚悟で来いよ」
 ブランドーラは卑猥に濡れた穴にごくりと喉を鳴らす。そしてアルベリルクの言葉で理性を手放した。
 長く太い竿を一気に奥まで差し込み、盛った犬のように腰を振る。パンパンと高い音を響かせて、ナカに種を付けていく。漏らさないようにと蓋をしたまま擦るのだ。アルベリルクもやっと手に入れたソレを逃さないように、必死でナカを締め付ける。子どもを産むことは出来ないと頭で理解していても、身体がブランドーラの精子を求めるのだ。もっともっとと欲して、吸い尽くすつもりで、くぱくぱと肉壁を動かす。



 獣の交尾のような行為は、二人の精が尽きるまで続いた。
 汗と精子にまみれた身体をタオルで入念に拭き、小屋へと戻るとそこで待っていたエルザは呆れたように笑った。

「やっぱり数日かかったじゃない」

 アルベリルクは恥ずかしさで顔を染め、ブランドーラは意味も分からず首を捻った。
 後ろ手に隠した花束をめざとく見つけたエルザは「まぁ良かったんじゃない?」と言葉を吐いて立ち去った。風に揺れた彼女の髪にはガーネットで作られたアネモネの花飾りが輝いていた。
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