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8.
「ジャック! ジャック!」
背後からは兄の声が聞こえてくる。
足が早いことは知っていて、だからこそ捕まってなるものかと足の回転を早めた。
けれどただでさえ少ない運動量がここ数ヶ月でさらに減ったためか、ジャックの息はすぐにあがってしまう。それでもようやく玄関、というところまでたどり着いた。玄関さえ抜けてしまえば隠れる場所はいくらでもある。
身を隠しながら進めば!――ジャックに一筋の光が見えたその時だった。
「フランシスカに会わせてくれ!」
「お嬢様は誰にもお会いになりません。どうかお帰りください」
「他の令嬢達の手紙には返信していることは知っているんだ! なぜ私にだけ返信がないのかだけでも教えて欲しいんだ」
「それはお嬢様が男性をおそれているからで」
「フランシスカ!」
執事長と言い争うウィリアム王子と目が合った。
よりによって玄関とは……。相手は王子なのだから応接室にでも通せばいいものを。
何かしらの思惑があるとは思っていたが、まさかこのタイミングで顔をみることとは思わなかった。
逃走開始から数分で行く手を阻まれるとはついてない。
だがこのまま逃走を続けようとするほど、ジャックは自分勝手にはなれなかった。
「階段の上から失礼致します。王子、本日はいかがなさいましたか?」
額には汗がじんわりと浮き上がっているし、息だってまだ整っていない。頬はヒキツっているかもしれない。
それでもジャックは貴族として、シザー家の一員として取り繕うことを選んだ。
もちろん執事長の『男性をおそれている』という設定を壊さずに。
――というのに。
「フランシス「ジャック!」
空気を読まない兄がウィリアム王子の声を遮って、背後から抱きついてきたのである。
まさかの光景に王子は目を見開いたまま制止してしまっている。ジャックは前を向いたまま、兄の身体をぽんぽんと叩く。
今は引き下がってくれ、と。
けれどその思いは伝わらなかったようで、兄は「ジャック。お願いだ。兄さんのことを嫌わないでくれ」とジャックを抱く力を強める一方だ。痛くはないのだが、動きづらい。手を動かしたところで兄に伝わる力は先ほどよりもウンと弱い。仕方なく、ジャックは首を捻って、小さく告げる。
「兄さん、許しますから離れてください。今、王子がいらっしゃってますので」
「は? 王子?」
「はい。なので離れてください」
「あ、ああ……」
兄が離れたのを確認してからわざとらしく「コホン」と咳払いをする。そして階段の下の王子に視線を落とす。
「王子、本日はどうなさいました?」
ちなみに男性をおそれている設定から兄は除外されているという設定だ。兄がやらかした以上、突き通すしかあるまい。ここで「ジャック」という名前もスルーして欲しかったのだが……。
「今、ジャック、と。私の空耳か?」
どうやら物事はそこまで上手くいかないらしい。……というか察してほしかった。
それとも今日の訪問は身代わりの一件に終止符を打ちにきたというのだろうか。先ほど『手紙』と聞こえたが、それは建前だろう。なにせそんなものが一通も届いていないのは、他でもないジャック本人が一番よく知っているのだから。
ならば早く終止符を打って、解放してくれないだろうか。
YESともNOとも答えることの出来ないジャックはただ王子を見つめ返すだけ。
階下の王子はどこかに迷い込んだように視線を彷徨わせる。ずっと気づいていたクセに、何を今更戸惑うというのか。笑みも悲しみもない、真っ白な表情でジャックは王子が言葉を紡ぐのをただただ待つだけ。兄も執事長も口を開くことはない。王子が次に踏み出さなければこの場は止まったまま。それを理解したらしい王子はおずおずと口を開いた。
「もしかして君は……フランシスカの弟の、ジャック、なのか」
やっと、暴いてくれた。
「……はい」
ここまで長かったが、これで本当に終わりなのだ。
シザー家の地位も落ちてゆくことだろう。少なくとも王子の婚約者や姫の降嫁先として認められることは今後ないはずだ。
父には迷惑をかけてしまうが、近く訪れるはずだったものが『イマ』になっただけなのだ。それを彼も理解してくれることだろう。
階段を一段一段、踏みしめるように降り、王子の前に立つ。そして深く、深く頭を下げた。
「あなた様を騙してしまい、申し訳ありませんでした」
「いつ、からだ……?」
「学園入学時からです」
「ということはいなくなったのは、弟ではなく姉だったという訳か」
「はい……」
気づいていなかったのだろうか。
どうやら胃痛はジャックの杞憂が引き起こしたものだったらしい。
ならあの言葉は全てとは言わずとも、本当の気持ちも含まれていたのかもしれない。
距離を詰めようと、本気で思ってくれていたのかもしれない。
けれどそれらにどんな意味が込められていようとも関係のない話だ。すでにもうネタばらしは済んでしまったのだ。
取り返しなど――つく訳もない。
「そう、だよな。そんな簡単に人が変わるはずがない、よな……」
下げたままの頭に苦しげな王子の言葉が降る。
それでもジャックは頭を下げ続けた。
謝罪をすることしか出来ないのだ。
裸足のままの足はガラスの靴が脱げたシンデレラのようだった。
だがジャックにはハナから魔法などかかっていない。
解けたのは魔法使いによってかけられた『魔法』ではなく、取り繕っていた『嘘』
ダンスも踊っていないし、恋にだって落ちていない。
なのにジャックの胸は何かに捕まれたように苦しくなる。
「今日のところは失礼する……」
弱弱しい声に続いた足音は、すぐに音を消した。
背後からは兄の声が聞こえてくる。
足が早いことは知っていて、だからこそ捕まってなるものかと足の回転を早めた。
けれどただでさえ少ない運動量がここ数ヶ月でさらに減ったためか、ジャックの息はすぐにあがってしまう。それでもようやく玄関、というところまでたどり着いた。玄関さえ抜けてしまえば隠れる場所はいくらでもある。
身を隠しながら進めば!――ジャックに一筋の光が見えたその時だった。
「フランシスカに会わせてくれ!」
「お嬢様は誰にもお会いになりません。どうかお帰りください」
「他の令嬢達の手紙には返信していることは知っているんだ! なぜ私にだけ返信がないのかだけでも教えて欲しいんだ」
「それはお嬢様が男性をおそれているからで」
「フランシスカ!」
執事長と言い争うウィリアム王子と目が合った。
よりによって玄関とは……。相手は王子なのだから応接室にでも通せばいいものを。
何かしらの思惑があるとは思っていたが、まさかこのタイミングで顔をみることとは思わなかった。
逃走開始から数分で行く手を阻まれるとはついてない。
だがこのまま逃走を続けようとするほど、ジャックは自分勝手にはなれなかった。
「階段の上から失礼致します。王子、本日はいかがなさいましたか?」
額には汗がじんわりと浮き上がっているし、息だってまだ整っていない。頬はヒキツっているかもしれない。
それでもジャックは貴族として、シザー家の一員として取り繕うことを選んだ。
もちろん執事長の『男性をおそれている』という設定を壊さずに。
――というのに。
「フランシス「ジャック!」
空気を読まない兄がウィリアム王子の声を遮って、背後から抱きついてきたのである。
まさかの光景に王子は目を見開いたまま制止してしまっている。ジャックは前を向いたまま、兄の身体をぽんぽんと叩く。
今は引き下がってくれ、と。
けれどその思いは伝わらなかったようで、兄は「ジャック。お願いだ。兄さんのことを嫌わないでくれ」とジャックを抱く力を強める一方だ。痛くはないのだが、動きづらい。手を動かしたところで兄に伝わる力は先ほどよりもウンと弱い。仕方なく、ジャックは首を捻って、小さく告げる。
「兄さん、許しますから離れてください。今、王子がいらっしゃってますので」
「は? 王子?」
「はい。なので離れてください」
「あ、ああ……」
兄が離れたのを確認してからわざとらしく「コホン」と咳払いをする。そして階段の下の王子に視線を落とす。
「王子、本日はどうなさいました?」
ちなみに男性をおそれている設定から兄は除外されているという設定だ。兄がやらかした以上、突き通すしかあるまい。ここで「ジャック」という名前もスルーして欲しかったのだが……。
「今、ジャック、と。私の空耳か?」
どうやら物事はそこまで上手くいかないらしい。……というか察してほしかった。
それとも今日の訪問は身代わりの一件に終止符を打ちにきたというのだろうか。先ほど『手紙』と聞こえたが、それは建前だろう。なにせそんなものが一通も届いていないのは、他でもないジャック本人が一番よく知っているのだから。
ならば早く終止符を打って、解放してくれないだろうか。
YESともNOとも答えることの出来ないジャックはただ王子を見つめ返すだけ。
階下の王子はどこかに迷い込んだように視線を彷徨わせる。ずっと気づいていたクセに、何を今更戸惑うというのか。笑みも悲しみもない、真っ白な表情でジャックは王子が言葉を紡ぐのをただただ待つだけ。兄も執事長も口を開くことはない。王子が次に踏み出さなければこの場は止まったまま。それを理解したらしい王子はおずおずと口を開いた。
「もしかして君は……フランシスカの弟の、ジャック、なのか」
やっと、暴いてくれた。
「……はい」
ここまで長かったが、これで本当に終わりなのだ。
シザー家の地位も落ちてゆくことだろう。少なくとも王子の婚約者や姫の降嫁先として認められることは今後ないはずだ。
父には迷惑をかけてしまうが、近く訪れるはずだったものが『イマ』になっただけなのだ。それを彼も理解してくれることだろう。
階段を一段一段、踏みしめるように降り、王子の前に立つ。そして深く、深く頭を下げた。
「あなた様を騙してしまい、申し訳ありませんでした」
「いつ、からだ……?」
「学園入学時からです」
「ということはいなくなったのは、弟ではなく姉だったという訳か」
「はい……」
気づいていなかったのだろうか。
どうやら胃痛はジャックの杞憂が引き起こしたものだったらしい。
ならあの言葉は全てとは言わずとも、本当の気持ちも含まれていたのかもしれない。
距離を詰めようと、本気で思ってくれていたのかもしれない。
けれどそれらにどんな意味が込められていようとも関係のない話だ。すでにもうネタばらしは済んでしまったのだ。
取り返しなど――つく訳もない。
「そう、だよな。そんな簡単に人が変わるはずがない、よな……」
下げたままの頭に苦しげな王子の言葉が降る。
それでもジャックは頭を下げ続けた。
謝罪をすることしか出来ないのだ。
裸足のままの足はガラスの靴が脱げたシンデレラのようだった。
だがジャックにはハナから魔法などかかっていない。
解けたのは魔法使いによってかけられた『魔法』ではなく、取り繕っていた『嘘』
ダンスも踊っていないし、恋にだって落ちていない。
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「今日のところは失礼する……」
弱弱しい声に続いた足音は、すぐに音を消した。
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