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本編
これからは一緒に……5
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*
午後7時ちょうどに『雨上がり珈琲店』の勝手口を開け、亮輔と2人で中に入ると……
「いらっしゃい」
カウンターから香り高いコーヒーの香りが立ち込めており、仕事着に身を包んだ夕紀が待っていた。
朝香が名を呼ぶ前に夕紀が口を開き
「朝香ちゃんと……それから、亮輔……さん」
「上原くん」ではない名で彼を呼ぶと、こちらへ歩み寄り
「長い間、貴方を苦しませてしまい……申し訳ありませんでした」
と、亮輔に向かって深々と頭を下げたのだ。
「えっ」
「夕紀さん?!」
謝るのは自分達の方だと思っていた朝香と亮輔は、そんな夕紀の姿にアワアワとしてしまう。
「亮輔さんも……勿論、朝香ちゃんも悪くない。悪いのは全部私……。
あの時私が身勝手に感情をぶつけてしまったから亮輔さんは今までずっと苦しんでしまったし……朝香ちゃんも長年辛い恋を寄せてしまっていたでしょう?
私、ずっと前から自覚してたの。分かっていたのにずっとずっと謝れなかったの」
夕紀はそれでも姿勢を崩す事なく……
「これで許してもらおうとは思っていません。亮輔さんの心の傷は私が謝っただけで癒えるものではないと自覚しています。
けれど、これだけは言わせて下さい……我が妹が不躾な態度を取り続けてしまい申し訳ありませんでした。私も事態を把握出来ていないまま酷い言葉を投げ付け長年放置してしまい申し訳ありません」
謝罪の言葉を述べ続ける。
「とおの……ゆうき、さん」
亮輔も頭を下げた。
「こちらこそ、大変申し訳ありませんでした。不甲斐ないばかりに、大切なご家族の命を守る事が叶いませんでした。
あの時の言葉に対し恨みや反発心を持った事はありません。ご家族がそのように思ってしまうのはご尤もだと思います」
2人の謝る姿に朝香は泣きそうになる。
「夕紀さん……あの」
言葉を続けようとしたその時
「はいっ、2人共。頭を下げるのはそこまでにしようよ」
いつから店内に居たのか、健人が夕紀の背中をポンッと叩いて上半身を起こさせる。
「えっ? 健人さん?!」
健人の明るい声にビックリした亮輔は自発的に体を起こし朝香と目を見合わせいる。
(なんでここに……?)
朝香も健人の登場に驚きを隠せなかったが
「実はうちも内緒にしてた事があるんだよ……これは主に嫁さん関連の話で、麻酔解けてすぐに頼まれたの。生まれて来た子よりもサンちゃんが気掛かりで……なぁんて、うちの嫁さんらしいんだけどね」
出産したばかりの奥さんから言伝があるらしい。
「取り敢えずね、座ろ! 遠野もさ。
淹れてくれたコーヒーくらいは俺も運べるし」
健人は明るい口調のまま朝香達をテーブル席に座らせ、店員さながらにコーヒーカップを配っていき……それから
「まずは飲もうよ。皐月ちゃんが遠野の為に居場所を作るキッカケになった……このコーヒーを、みんなで」
健人はそう呼び掛けて、いの一番にコーヒーカップを持ち上げる。
「えっ……? 居場所を作るって、何よ?」
健人が漏らしたその内容は夕紀にとって初耳だったようだが
「そうね……まずは温かいうちに飲みましょう」
気を落ち着けカップを持ち上げる。
「「「「いただきます……」」」」
(わぁ……やっぱり美味しい)
朝香もこの豆はネルで丁寧にドリップしたものを好むし、毎月夕紀が焙煎した豆を自ら購入しストックしているくらいなのだが、やはり自分が抽出するよりも滑らかで余韻が長い。
(オムライスは真似出来ても、このコーヒーの再現力は夕紀さんの方が勝ってるなぁ)
グアテマラ産のコーヒーは『森のカフェ・むらかわ』で長年愛されてきた商品であるが、朝香はこの焙煎方法も抽出方法も直接教わっておらず知るのはネルでドリップするという点のみ。『このコーヒーの味を決める秘訣を教えるのは1人だけ』と朝香の母が決めていたからだ。よって朝香がこの味になるべく焙煎・抽出するには夕紀から教わらなければならない。
この味の決め手は、この街では夕紀しか知り得ない情報なのだ。
亮輔も味の微妙な違いを感じ取ったのだろう。一口飲んですぐ、朝香の方を向く。
そして……カップを見つめ
「先生……いえ、遠野皐月さんはこのコーヒーを家族揃って飲むのが大好きだったんですね」
そう、夕紀に言った。
「そう。この味が好きだから、皐月は願ったのよ……『大好きなこの街で、このコーヒーをお姉ちゃんと一緒に飲み続けたい』って。だから私は働いてお金を貯めて、朝香ちゃんのご両親に技術を教わりに行ってたの。その結果皐月をあのような運命にさせてしまったんだけどね。
中学生の亮輔さんはただそれらに巻き込まれてしまっただけ」
「「……」」
「悪いのは全部、姉の私……」
夕紀は目を閉じ……「皐月の未来を終わらせたのは自分だ」と自戒した。
だが、健人は首を左右に振って
「皐月ちゃんの本心はね、それとはちょっとだけ違ったみたいだよ」
と、話し始める。
「うちの嫁さんは、俺と結婚する前から『フラワーショップ田上』で働いていたんだ。俺も遠野も高校行ってて、遠野姉妹のお父さんお母さんも元気にしてる時代から。
皐月ちゃんはその頃からの常連でね、夕方のバケツ売りを毎回楽しみにしてるくらい花が好きな女の子だったそうだよ。嫁さん……結婚前だから奥園さんだね、毎回バケツ売りの時間に花を買いに来る皐月ちゃんと会話をよくしてたみたい。
『家で飲むコーヒーは心がホワホワとして、香りが良くて、家族の中でお姉ちゃんが一番好きなコーヒーなんだ』とか『お姉ちゃんはいつも頑張っているけどお母さんと仲がそんなに良くないからこのコーヒーがいつでも飲めたらいいのにって思う』とか。皐月ちゃんが大人になっていくにつれて『ここの商店街に珈琲専門店が出来たらみんな嬉しいかな』って訊く日もあったみたい」
「えっ……?」
健人の話に最も驚いていたのは夕紀だ。
「皐月ちゃんは俺から見ても、長年接してきた嫁さんから見ても……精神的に弱い部分はあった。尚且つ、自分が姉に願った自覚はあるのに『お姉ちゃんが居なくて寂しい』って他の男に擦り寄る強かさも兼ね備えていた。それは20歳そこそこの年齢からしたら仕方ない面はあるだろうね……自分の言動に責任が取れなくて周りを振り回してしまうなんて、人間生きてたらそういう失敗の一つや二つやらかしてしまうものだから。
でも、皐月ちゃんの中で一番重要視していたのは『お姉ちゃんがこの街に居る』っていう理由付けで『珈琲専門店を開く夢』を語ったんだってさ。
それをね……嫁さんにだけ、打ち明けていたみたい」
「私が……この街に居る、理由付け……」
健人の話に、夕紀は呟き……
その事情を深く知る朝香の胸はチクリと痛んだ。
午後7時ちょうどに『雨上がり珈琲店』の勝手口を開け、亮輔と2人で中に入ると……
「いらっしゃい」
カウンターから香り高いコーヒーの香りが立ち込めており、仕事着に身を包んだ夕紀が待っていた。
朝香が名を呼ぶ前に夕紀が口を開き
「朝香ちゃんと……それから、亮輔……さん」
「上原くん」ではない名で彼を呼ぶと、こちらへ歩み寄り
「長い間、貴方を苦しませてしまい……申し訳ありませんでした」
と、亮輔に向かって深々と頭を下げたのだ。
「えっ」
「夕紀さん?!」
謝るのは自分達の方だと思っていた朝香と亮輔は、そんな夕紀の姿にアワアワとしてしまう。
「亮輔さんも……勿論、朝香ちゃんも悪くない。悪いのは全部私……。
あの時私が身勝手に感情をぶつけてしまったから亮輔さんは今までずっと苦しんでしまったし……朝香ちゃんも長年辛い恋を寄せてしまっていたでしょう?
私、ずっと前から自覚してたの。分かっていたのにずっとずっと謝れなかったの」
夕紀はそれでも姿勢を崩す事なく……
「これで許してもらおうとは思っていません。亮輔さんの心の傷は私が謝っただけで癒えるものではないと自覚しています。
けれど、これだけは言わせて下さい……我が妹が不躾な態度を取り続けてしまい申し訳ありませんでした。私も事態を把握出来ていないまま酷い言葉を投げ付け長年放置してしまい申し訳ありません」
謝罪の言葉を述べ続ける。
「とおの……ゆうき、さん」
亮輔も頭を下げた。
「こちらこそ、大変申し訳ありませんでした。不甲斐ないばかりに、大切なご家族の命を守る事が叶いませんでした。
あの時の言葉に対し恨みや反発心を持った事はありません。ご家族がそのように思ってしまうのはご尤もだと思います」
2人の謝る姿に朝香は泣きそうになる。
「夕紀さん……あの」
言葉を続けようとしたその時
「はいっ、2人共。頭を下げるのはそこまでにしようよ」
いつから店内に居たのか、健人が夕紀の背中をポンッと叩いて上半身を起こさせる。
「えっ? 健人さん?!」
健人の明るい声にビックリした亮輔は自発的に体を起こし朝香と目を見合わせいる。
(なんでここに……?)
朝香も健人の登場に驚きを隠せなかったが
「実はうちも内緒にしてた事があるんだよ……これは主に嫁さん関連の話で、麻酔解けてすぐに頼まれたの。生まれて来た子よりもサンちゃんが気掛かりで……なぁんて、うちの嫁さんらしいんだけどね」
出産したばかりの奥さんから言伝があるらしい。
「取り敢えずね、座ろ! 遠野もさ。
淹れてくれたコーヒーくらいは俺も運べるし」
健人は明るい口調のまま朝香達をテーブル席に座らせ、店員さながらにコーヒーカップを配っていき……それから
「まずは飲もうよ。皐月ちゃんが遠野の為に居場所を作るキッカケになった……このコーヒーを、みんなで」
健人はそう呼び掛けて、いの一番にコーヒーカップを持ち上げる。
「えっ……? 居場所を作るって、何よ?」
健人が漏らしたその内容は夕紀にとって初耳だったようだが
「そうね……まずは温かいうちに飲みましょう」
気を落ち着けカップを持ち上げる。
「「「「いただきます……」」」」
(わぁ……やっぱり美味しい)
朝香もこの豆はネルで丁寧にドリップしたものを好むし、毎月夕紀が焙煎した豆を自ら購入しストックしているくらいなのだが、やはり自分が抽出するよりも滑らかで余韻が長い。
(オムライスは真似出来ても、このコーヒーの再現力は夕紀さんの方が勝ってるなぁ)
グアテマラ産のコーヒーは『森のカフェ・むらかわ』で長年愛されてきた商品であるが、朝香はこの焙煎方法も抽出方法も直接教わっておらず知るのはネルでドリップするという点のみ。『このコーヒーの味を決める秘訣を教えるのは1人だけ』と朝香の母が決めていたからだ。よって朝香がこの味になるべく焙煎・抽出するには夕紀から教わらなければならない。
この味の決め手は、この街では夕紀しか知り得ない情報なのだ。
亮輔も味の微妙な違いを感じ取ったのだろう。一口飲んですぐ、朝香の方を向く。
そして……カップを見つめ
「先生……いえ、遠野皐月さんはこのコーヒーを家族揃って飲むのが大好きだったんですね」
そう、夕紀に言った。
「そう。この味が好きだから、皐月は願ったのよ……『大好きなこの街で、このコーヒーをお姉ちゃんと一緒に飲み続けたい』って。だから私は働いてお金を貯めて、朝香ちゃんのご両親に技術を教わりに行ってたの。その結果皐月をあのような運命にさせてしまったんだけどね。
中学生の亮輔さんはただそれらに巻き込まれてしまっただけ」
「「……」」
「悪いのは全部、姉の私……」
夕紀は目を閉じ……「皐月の未来を終わらせたのは自分だ」と自戒した。
だが、健人は首を左右に振って
「皐月ちゃんの本心はね、それとはちょっとだけ違ったみたいだよ」
と、話し始める。
「うちの嫁さんは、俺と結婚する前から『フラワーショップ田上』で働いていたんだ。俺も遠野も高校行ってて、遠野姉妹のお父さんお母さんも元気にしてる時代から。
皐月ちゃんはその頃からの常連でね、夕方のバケツ売りを毎回楽しみにしてるくらい花が好きな女の子だったそうだよ。嫁さん……結婚前だから奥園さんだね、毎回バケツ売りの時間に花を買いに来る皐月ちゃんと会話をよくしてたみたい。
『家で飲むコーヒーは心がホワホワとして、香りが良くて、家族の中でお姉ちゃんが一番好きなコーヒーなんだ』とか『お姉ちゃんはいつも頑張っているけどお母さんと仲がそんなに良くないからこのコーヒーがいつでも飲めたらいいのにって思う』とか。皐月ちゃんが大人になっていくにつれて『ここの商店街に珈琲専門店が出来たらみんな嬉しいかな』って訊く日もあったみたい」
「えっ……?」
健人の話に最も驚いていたのは夕紀だ。
「皐月ちゃんは俺から見ても、長年接してきた嫁さんから見ても……精神的に弱い部分はあった。尚且つ、自分が姉に願った自覚はあるのに『お姉ちゃんが居なくて寂しい』って他の男に擦り寄る強かさも兼ね備えていた。それは20歳そこそこの年齢からしたら仕方ない面はあるだろうね……自分の言動に責任が取れなくて周りを振り回してしまうなんて、人間生きてたらそういう失敗の一つや二つやらかしてしまうものだから。
でも、皐月ちゃんの中で一番重要視していたのは『お姉ちゃんがこの街に居る』っていう理由付けで『珈琲専門店を開く夢』を語ったんだってさ。
それをね……嫁さんにだけ、打ち明けていたみたい」
「私が……この街に居る、理由付け……」
健人の話に、夕紀は呟き……
その事情を深く知る朝香の胸はチクリと痛んだ。
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