【R18本編完結&番外編更新中】この雨が上がったら一緒にコーヒーを飲みませんか?

silverchaff

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本編

田上の奥さん1

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 日が明けて、月曜日。

「おはようございます」

 朝香は髪をいつもの簡素なポニーテールに結い、制服代わりの襟付きシャツやいつものデニムパンツとスニーカーを身につけて『雨上がり珈琲店』の勝手口を開けると

「おっはよ! 朝香ちゃん!!」

 いつもより少し早めに『フラワーショップ田上』の店長田上健人たがみけんとさんがカウンター席に座っていてこちらへ大きく右腕を振りながら朝の挨拶をしてくれた。

(まだ朝の9時なのにお花が生けられてる……)

 健人が店主マスターの夕紀の元へミニブーケ2つを手にしながら来店するのは午前9時半と以前から決まっていて、今日はイレギュラーだ。

 健人はすぐに、カウンターの内側に立つ夕紀へと向き直り

「んでね、昨夜相談した募集チラシ作りなんだけどさ。デザインはこんな感じにしたくて……どう思う?」

 と、一枚の紙を夕紀に見せて説明している。

「まぁ、バイト募集だもんね。要項が分かりやすく提示されていたら良いとは思うんだけど」

 夕紀は紙を持ち上げて内容に目を通している。

「そうそう! 時給の相場は遠野の意見を尊重するとして……あとどんな事書いときゃいいのか分かんなくて」
「うーん……チラシだもん最低限の情報でいいのよ。時給、勤務の時間帯、業務内容、履歴書持参の記載があれば充分で『詳細は面接時に説明します』って書いとけば」
「なるほどね! さっすが事務経験者っ!!」

 健人の声が大きいので、会話内容はスタッフルームにも漏れてしまっている。

「事務関係ないでしょ、こんなの」
「だぁってさぁ~商店街のみんな、ここ何年もバイト募集してねーんだもんっ! 若い従業員ってこの辺じゃ朝香ちゃんくらいだろ?」

 ……と、ここまで聞いてようやく「『フラワーショップ田上』がバイトを募集しようとしている」という事に気付いた。

(そっかぁ……おくさんのお腹、大きくなってきたもんなぁ)

 本当は健人がミニブーケを持ってくる前に昨夜の件を夕紀に相談出来たらいいな。と、淡い期待を寄せていたのだが

(募集要項の相談してるんじゃ諦めるしかないし……そもそもこんな事夕紀さんに相談していいものか分かんないし)

 健人の「事務経験者」で、朝香は思い出したのである。
 よわい31の夕紀はずっと恋愛をする暇がなく働き通しであった事に……そして今も夕紀は仕事以外の会話をしたがらず勤務時間外は『もりやま青果店』の2階に引きこもっており、唯一心を許している人物が彼———夕紀と同い年であり中学時代同級生だった田上健人くらいなのだという事を。

(ダメだやっぱり……話しちゃ、ダメ)

 夕紀と朝香は「姉妹のように仲が良い」と商店街の人達から言われている。だが、本物の血の繋がった姉妹ではなく正確には珈琲店の店主と従業員であり師弟関係なのだ。会話はよく交わすが、内容はほとんど店の業務連絡でたまに世間話をする程度。プライベートの話は滅多にしないのだ。
 だから朝香に向日葵さんという存在が居ることも昨日は彼とドライブデートした事も知らない筈である。朝香の頭の中が昨夜の件でパンパンに詰まっていても、相談して良い相手ではないしかといって夕紀が持ち場を離れた隙に健人に近付いて話すにはかなりの勇気を要する。

(健人さんは既婚者だしもうすぐ二児のパパになるけど、男性にこの話をするのはちょっと……いや、かなり恥ずかしい)

 が、しかしそうなってくると相談出来る人物は『長岡金物店』店主のむねじい、『もりやま青果店』ご夫妻、『源』の源さんといった50~70代の面々となる。19歳の朝香の話を快く聞いてくれるかもしれないが、もしかしたら色んな感情が沸き起こってドン引きされてしまうだろう。特に森山夫妻と源さんは毎日新鮮な食材を分けてくれている。一緒に食事する人物が昨夜恥辱行為を朝香にしてきたと知られれば今後はその取り引きがゼロになってしまう可能性が大いにあった。

(私よりも人生経験があって……でも、年齢が私とそんなに離れてないような人…………うーん)

 ちなみにあれから向日葵さんからメッセージも通話もない。部屋を置き去りにされたと気付いてすぐに朝香は203号室に戻りシャワーを浴びて何も口にすることなく眠ったのだが、その間向日葵さんがアパートに戻った様子もなく朝に駐輪場を覗いてみてもバイクは置かれていなかった。

(向日葵さんが居ないのも心配だし、モヤモヤは晴れないし、お腹もあんまり空かないし……)

 このまま相談出来ないのなら自己解決するしかないのだろうが、朝香は本当に困っていた。




 そうしているうちに午後4時がやってきてしまった。英美学院大学へ配達する焙煎豆を持って商店街アーケードを通過して駅へと向かっていった……ちょうどその時。

「あ、奥さん」

 『フラワーショップ田上』の店先で腰を屈めている奥さんと顔を合わせたのだった。

「あら朝香ちゃん、今から電車乗って大学への配達?」

 「おく」は「健人の奥さん」の意味合いも含んでいるが、商店街の面々は「旧姓奥園茉莉おくぞのまりさんのニックネーム」の意味で呼んでいる事が多い。
 夕紀と健人は中学からの仲で、3歳上の奥園茉莉さんはその頃からこの店でバイトをしていたのもあって珍しくで「奥さん」と呼んでいる。
 朝香にとってはまだ1年強の付き合いな為、夕紀にならって同様に呼んでいるが「健人さんの奥様」という認識でいる。

「はい! 奥さんは『バケツ売り』の時間ですよね。運ぶの手伝いましょうか?」

 『フラワーショップ田上』は奥がバイトしてる時代からずっと「バケツ売り」の名を冠した花のセールを行っている。早朝に仕入れ水揚げしながら販売していた商品の残りをバケツの中にランダムに入れ店先に置いておき格安販売するのだ。
 午後4時過ぎに大きなバケツを2~3個置いておく動作は大人1人くらいならなんてことないものであるが、妊娠中期の奥にとってはしんどい作業であるに違いない……そう思った朝香は手伝おうと体を動かす。
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