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手中の花を生かすも殺すも、人間(ひと)次第

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「ただいま!」

 時刻は23時前。
 頑張って急ごうと思ったらだいぶ早く帰って来れるんだなと実感する。

「どうしたの? 早いね!」

 30分以上早い帰宅に花ちゃんは驚きの声を上げて僕を出迎えてくれた。

「うん、事情を話したら店長が『早く上がっていい』って言ってくれたからね」

 僕はすぐに洗面所へ行きいつもの手洗いと消毒をしながら帰宅が早まった理由を花ちゃんに告げても

「事情って?」

 と、当然の事ながら花ちゃんがそう聞き返してくる。

「花ちゃんどうだった? 初めてのバイトでしかも長時間労働だったから思ったよりも疲れたんじゃない?」

 僕は紙コップに水を溜めて早口で喋り、ガラガラとうがいをする。

「うん……思ったよりも疲れちゃった。ふくらはぎもパンパンだし足の裏も結構ヤバい」
「でしょ? だからいつもより早く帰って花ちゃんの身体をほぐしてあげようって思ったんだ」

 花ちゃんの返答に僕は頷いて使用済み紙コップをポイっとゴミ箱に捨て、彼女の方に身体や顔をしっかりと向けてからニッと笑顔を見せてあげた。

「それって、えっと……太ちゃんがバイトしてる、マッサージ屋さんみたいな感じ?」
「マッサージ屋じゃなくて、ほぐし屋さんね。僕は資格を持ってないから」

「細かいなぁ、同じようなもんでしょ?」
「まぁそうだけど、厳密には違うらしいよ。
 一旦部屋に戻ってオイル持ってくるから、花ちゃんはバスタオル2枚をラグの上に敷いてその上に寝転んで待っててね」

 花ちゃんにそう指示して僕は自室に入り、アウターとカバンを雑にベッドの上へガサッと置くと高揚した気分で棚の上に並べたアロマオイルコレクションの中から花ちゃんの好きそうな香りを選んで持って降りる。

 花ちゃんに皮膚のアレルギーがない事は一昨日の買い物の最中で把握済みだ。
 洗面器やタオルも取りに行ってリビングに入ると、花ちゃんは僕の言う通りバスタオル2枚を敷いた上に部屋着のままうつ伏せに寝転んで顔をこちらに向け、様子を伺っていた。

「そういえば太ちゃんの使ってるバスタオルって大きめだよね? 厚みっていうかボリュームもあるし」
「業務用のバスタオルだからね。店長に個人的に買えないかって前に聞いたら、扱ってる店を教えてくれたんだ。タオルもそうだよ」

 電気ケトルのスイッチをオンにしてから花ちゃんの質問に答えてあげて、洗面器をシンクに置くとその中に熱めの湯を作って自分の手を温める。
 僕は指先から肘まで熱くし、トレイにオイルとタオルを乗せて花ちゃんの寝転ぶ位置まで近付いた。

「お風呂はもう入ってるよね?」
「時間も時間だし、それはまぁ……」
「じゃあオイルは脚だけにしておく。首から腰にかけてはタオルかけてほぐしてあげて、それから脚と足の裏にオイルを使うね」

 花ちゃんが怖がらないよう、優しく説明をして、まずはうなじにタオルをかけ、指で押さえていく。

「んっ」
「痛かったり、くすぐったかったり……後は、好みの強さとか、心地よさとか。
 僕も探りながらやっていくから、花ちゃんは遠慮なく言ってね」

 顔の見えない花ちゃんを不安がらせないように、仕事の時よりも優しくゆっくりとした口調で声かけする僕に

「ん~……」

 花ちゃんは辛そうな感じと心地よさそうな感じが混ざりあった声を聞かせてくる。

「思った通りだ。花ちゃん、偏頭痛とかするでしょ? 首のところ結構かたい……」
「んん……」
「今日は初めてだから弱めに揉んでおくけど、ゆっくり日にちや時間をかけたら、肩も頭もすごく軽くなると思うよ」
「ん」

「肩甲骨やばいね。なんか鉄板入ってるみたい♪」
「笑わないでよぉ~」
「いや、笑うし、こんなの」

 花ちゃんとゆるい会話やり取りをしながら、凝り固まっている部分を指で順に押さえていく。

「私、そんなに凝ってるんだ?」
「凝ってる自覚はないの?」
「自覚はめちゃくちゃある! でも太ちゃんのお客さんよりも凝ってるのかなぁなんて、太ちゃんの笑い声聞いたらなんか恥ずかしくなっちゃった」
「リラクゼーション店にお金払ってこういう事を望むんだから、お客さんはみんなこんな感じだよ。恥ずかしい事でもないんじゃないかな」
「じゃあなんで笑ったの?」
「それはまぁ……姉、だから?」
「ムカつく」
「ふふっ♪」

 花ちゃんと同じくらい凝り固まった背中を持つお客さんはたくさん居る。でもそれは花ちゃんよりももっとずっと歳上で、家庭間や労働でのストレスを多大に抱えている人達の事を指す。あのカスミさんだってここまでガチガチになっていない。
 
(離婚直後に加えていきなり8時間も立ち仕事をしたんだから、花ちゃんがこうなってしまうのも仕方ないよね……)

 素直にそう感じたし、この程度のほぐしなら再会した日の夜から度々こうしてあげても良かったかもしれないと、肩甲骨に優しく手を置きながら僕は反省した。



「……そろそろふくらはぎにしようか?」

 腰から手を離して花ちゃんに呼びかけてみたけど返事が無い。

「寝ちゃった?」

 顔を覗いてみると花ちゃんは顔を斜めに向けてスースーと心地よい寝息を立てて眠っているのが確認出来た。
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