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階段を一つ昇る、その先に見える景色
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しおりを挟む「僕の童貞を奪って」と、自分の要求を告げた日から……既に1週間以上経過していた。
「太ちゃん、アイス買う?」
「えっ?」
「梅雨っていったって実質夏だし、今日めちゃくちゃ暑いし」
「あ……うん……そうだね、お昼ご飯の後で食べようかな」
土曜日の午前中はこうして食料品の買い出しに花ちゃんと出かけているんだけど、今日は特に会話の数が少ない気がする。
(いつもならどちらからと問わず世間話をダラダラとしながらスーパーをくまなくうろつくのに)
「ミントチョコのアイスバーにしとくね」
「うん」
僕にどんなアイスが良いか訊くことなく、花ちゃんが勝手に手を取りカゴの中に入れた。
(いつもならこういう時、僕に好みのものを選ばせてくれるんだけどな……)
少しの寂しさを感じつつも
(まぁ、こうなったのは僕のあの発言が原因なんだから……仕方ないか)
そう思い直し、花ちゃんに文句が言えなくなった。
「一旦帰って冷蔵庫に買ったもの詰めたらさぁ、DVDレンタルしに行かない?」
買い物袋を車に積み、運転席に座り直しながら隣の花ちゃんに僕はそう提案してみる。
「DVD?」
「今日も一日中雨でしょ? 花ちゃんの観たかった映画とか観て過ごすのもいいんじゃないかと思って」
「太ちゃんも観たいのあるんじゃない?」
「僕はエンタメ系弱いから花ちゃんの方が詳しいでしょ」
「それはまぁ……そうかもしれないけど」
花ちゃんが僕の提案に乗っかってくれそうな声を出したからそこでエンジンをかけ、僕達の住うアパートへひとまず戻る事にした。
「あそこの店って、隣に石窯パンの店があったよね。帰りはそこで昼ご飯買わない?」
「……作んなくてもいいの?」
「たまには食事作り休んでいいんだよ、花ちゃんのお休み日でもあるんだから」
「……ありがと」
「どういたしまして」
会話はそこで途切れ、帰宅まで無言で車を運転する。
「雨が強くなってきたから花ちゃんはこのまま待っててね」
「ん……」
「すぐに戻ってくるから」
アパートに着いたら雨音が一層酷くなってきたので花ちゃんを車内に残して僕だけが食料品を冷蔵庫の中へ詰める作業を行った。
「はぁああぁ」
買い物袋をいくつも抱えて冷蔵庫の前に立ち、真っ先にアイスを箱ごと冷凍庫の中に仕舞った後で深い溜め息を僕はつく。
「ずっと気まずいんだよなぁ……まぁ僕の所為なんだけど」
花ちゃんが僕にあまり話しかけてこなくなった理由は明らかにあの発言の所為だ。
「なんかもっと……良い言い方しときゃ良かった」
確かにあの日はカスミさんの事でご主人様から叱られたり色々あって僕のテンションもおかしかったし、眠そうな花ちゃんの唇を濃厚に攻めた事で更に暴発してしまった感がある。
(あの発言はそもそも、ワードのチョイスがまずかったんだよ……せめて「太地」としてじゃなくて「タイチ」のつもりでお願いしたら違ったんじゃ……?)
(いや、1週間が過ぎても花ちゃんから返答がないんだ……ワードのチョイスどうこういうレベルではなくって、童貞を奪ってなんてお願い自体すべきじゃなかったんだ)
色んな考えが脳内を駆け巡り、僕はまた大きな溜め息をついた。
「お待たせ」
僕が車の運転席を開けると
「あっ、冷蔵庫に全部詰めてくれてありがとう太ちゃん」
花ちゃんはスマホ画面を見ていたらしく、僕が運転席に座ろうとドアを開けるなりパッと手元のスマホを鞄の中に入れ、代わりにタオルハンカチを差し出してくれた。
「大雨になってきちゃったし、花ちゃん濡れたら可哀想だから」
僕に見られたくないようなものだったのかスマホを隠すように鞄に仕舞った点だけ気になったけど、タオルハンカチを貸してくれた彼女らしい優しさに心がほんのりと温かくなる。
「優しすぎるよ、太ちゃんだって濡れたら風邪ひいちゃうのに」
「男は丈夫に出来てるんだよ」
心配そうに見つめてくる花ちゃんに僕はそう言い返してみた。
「もうっ」
すると花ちゃんは小さく呟きながらも僕が濡らしたタオルハンカチを優しく受け取ってくれる。
なんて事ないその優しい手つきや行動が、また目の前の彼女を魅力的に感じられて……
(やっぱり、あんな発言しなきゃ良かった)
再び後悔の念に苛まれた。
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