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元の世界であれば、間違いなく世界遺産に登録されているだろう規模の教会。その大聖堂の中心で、未来は膝を折る。
皺ひとつない、絹で作られ装束を身に着け、日課となってしまった祈りをささげる。
何に祈っているかわからない信仰心の欠片すらない聖女の祈りでも、天は聞き届けてくれるのかしばらく考えていたが、習慣になるにつれ疑問すら持たなくなった。
けれども朝の祈りを大聖堂でささげた後には体の力が抜けたようになるので、おそらくなんらかの魔力的な効果はあるのだろう。
最初、同じ姿勢を長時間取ることによって体の節々が痛みを上げた弊害かと思ったけれどもそれならば脱力感はないはずだ。
妙だと思うことはほかにもたくさんある。未来の世話をするために常に誰か側に付き従っているし、寝室ですら一人になれない。貴人扱い故の待遇なのだと自分を納得させようとしたが、やはり違和感はぬぐえなかった。
大切にされている、というよりは監視されているのだろう。
「聖女様」
朝の祈りを終えると、神官の女が手ぬぐいを持ってやってくる。それを受け取って額の汗を拭き、差し出された水を飲む。
「ありがとう」
未来の日課はこうだ。朝は例外なく祈りを済ませ、そこからわずかな自由時間がある。昼は祭事の打ち合わせや戦勝祈願をする。ときに教会の寺院を視察することもある。行事がない時は、自由にしていい。ただし完璧に一人になることはできない。
そして夜は毎日のように訪ねてくるレオンとの食事だ。
召喚されたあの日、未来を出迎えたあの青年、レオンはこの国の王子だった。人当たりがいい青年だが、未来は心を許す気にはなれなかった。あの完璧すぎる微笑みはどこか胡散臭く、嘘っぽい。母と対峙しているときのように体が強張っていく。彼女も他人と接するときは、善良で上品な婦人の顔を崩さなかった。
しかし未来はそれを態度に出したことは一度もなかった。権力者の不興を買うとどうなるかは骨身に染みている。この国に王はなく、いまだ正式に即位してはいないが彼がこの国の王になるのは明白だった。
「……あれ、今日はいつもの方ではないのですね」
顔を上げて、はじめて世話役の女性が見慣れない顔だということに気が付いた。
「キュッテル様はご家族にご不幸があったため、新参者ですがしばらくわたくしめがお世話を仰せつかりますわ、聖女様」
いつも世話役をしてくれるキュッテルは初老の女性だった。そしてこの大聖堂でも古参らしい。それ故にか、権力者への礼儀というのをよくわきまえていた。必要なこと以外は喋らず、ただ側に控えていた。世代の差というのもあるかもしれない。
こちらの人間、特に年配の者にとっては、上の立場の者から何も聞かれずに先に口を開く、ということは無礼にあたるそうなのだ。
「そう、ありがとう。あなたの名前を教えていただいても?」
「せ、聖女様に名乗るなどお、おこがましい。私はただの一時的な世話役ですのに……、自分はリートケと申します」
「そうリートケ、楽にしてください。見る限り年のころは私とあまり変わらない様子。仲良くしてくれたらうれしいのですが」
聖女として習得したたおやかな笑みを向けると、リートケは頬を紅潮させる。善良で信心深い民は、自分が微笑むだけで喜ぶが、教会の人間、少なくとも未来が話す人々は聖女慣れしている。だからこういった反応は新鮮だ。
「今日の予定は何もありませんから、私は屋敷に戻ります」
ここでふと考える。キュッテルはこのまだあどけなさが残る女性にちゃんと引継ぎをしたのだろうか。
「はい、任せてください!聖女様がお好みの紅茶の淹れ方も教わってまいりました!愛飲している銘柄、お好みの温度、すべて完璧です」
はきはきと受け答えするリートケに、未来はよからぬ考えが浮かんだ。
聖女の私邸は、王宮内にある。先代のものをそのまま譲り受けたのだが、すでに亡くなった国王と先代の聖女が婚姻していた。だから聖女の住んでいる場所も王宮の離宮だったのだ。
大聖堂も王宮からさほど離れていない場所にある。徒歩で二十分くらいだろうか。
そのわずかな距離でも馬車を呼んで移動するのは無駄の極みだが、その無駄を惜しみなくできるのが特権階級ということなのだろう。
リートケが手配した馬車におとなしく乗ろうとした未来はすぐに気づいた。いつも迎えに来る御者ではない。リートケが間違えたのか、なにか手違いがあったのか。おそらく前者だろうが、未来はその不手際に感謝していた。
どうやらリートケは、キュッテルから肝心なことを聞いていない。何より重要なその命令を伝え忘れたのだろう。
--未来を常に監視し、その一挙一動を漏れなく報告せよ。
直接聞いたわけではないがそれでないと限られた人間としか接触をさせず、常に人を側におかれる理由が見つからない。
レオンがそうさせているのだそうが、聖女を手中にすることで権力闘争に有利になるくらいの理由ではないだろうか、と未来は考えている。
「リートケ、お願いがあるのですが」
未来はこの国の一般的な貴族女性が身に着ける衣服一式を用意してほしいと頼んだ。
リートケには、聖女の服だけではなく、年頃の女性がしているおしゃれを自分も楽しみたい、こっそり一人で楽しむだけでいいのだと涙ながらに訴えると、リートケは真に受けたようだった。
「まあ聖女様、そんなことならばお安い御用ですとも」
「本当ですかリートケ、ああでも、皆にバレたらなんといわれるか」
「大丈夫です、人目を忍んでこっそり持っていきますとも。聖女様のひそかな楽しみを奪うなんて、誰にも許されるはずがないのですから」
上手くいきすぎて拍子抜けしたが未来はその純粋なる厚意をありがたく受け取ることにした。翌日、約束通りにリートケは服を用意してくれた。
「ありがとうございますリートケ、これで私も年頃の娘らしくなれるかしら」
リートケは嬉しそうにしきりに頷いている。未来もさすがにその姿を見て胸が痛んだ。この人のいい娘を今自分は欺こうとしている。
皺ひとつない、絹で作られ装束を身に着け、日課となってしまった祈りをささげる。
何に祈っているかわからない信仰心の欠片すらない聖女の祈りでも、天は聞き届けてくれるのかしばらく考えていたが、習慣になるにつれ疑問すら持たなくなった。
けれども朝の祈りを大聖堂でささげた後には体の力が抜けたようになるので、おそらくなんらかの魔力的な効果はあるのだろう。
最初、同じ姿勢を長時間取ることによって体の節々が痛みを上げた弊害かと思ったけれどもそれならば脱力感はないはずだ。
妙だと思うことはほかにもたくさんある。未来の世話をするために常に誰か側に付き従っているし、寝室ですら一人になれない。貴人扱い故の待遇なのだと自分を納得させようとしたが、やはり違和感はぬぐえなかった。
大切にされている、というよりは監視されているのだろう。
「聖女様」
朝の祈りを終えると、神官の女が手ぬぐいを持ってやってくる。それを受け取って額の汗を拭き、差し出された水を飲む。
「ありがとう」
未来の日課はこうだ。朝は例外なく祈りを済ませ、そこからわずかな自由時間がある。昼は祭事の打ち合わせや戦勝祈願をする。ときに教会の寺院を視察することもある。行事がない時は、自由にしていい。ただし完璧に一人になることはできない。
そして夜は毎日のように訪ねてくるレオンとの食事だ。
召喚されたあの日、未来を出迎えたあの青年、レオンはこの国の王子だった。人当たりがいい青年だが、未来は心を許す気にはなれなかった。あの完璧すぎる微笑みはどこか胡散臭く、嘘っぽい。母と対峙しているときのように体が強張っていく。彼女も他人と接するときは、善良で上品な婦人の顔を崩さなかった。
しかし未来はそれを態度に出したことは一度もなかった。権力者の不興を買うとどうなるかは骨身に染みている。この国に王はなく、いまだ正式に即位してはいないが彼がこの国の王になるのは明白だった。
「……あれ、今日はいつもの方ではないのですね」
顔を上げて、はじめて世話役の女性が見慣れない顔だということに気が付いた。
「キュッテル様はご家族にご不幸があったため、新参者ですがしばらくわたくしめがお世話を仰せつかりますわ、聖女様」
いつも世話役をしてくれるキュッテルは初老の女性だった。そしてこの大聖堂でも古参らしい。それ故にか、権力者への礼儀というのをよくわきまえていた。必要なこと以外は喋らず、ただ側に控えていた。世代の差というのもあるかもしれない。
こちらの人間、特に年配の者にとっては、上の立場の者から何も聞かれずに先に口を開く、ということは無礼にあたるそうなのだ。
「そう、ありがとう。あなたの名前を教えていただいても?」
「せ、聖女様に名乗るなどお、おこがましい。私はただの一時的な世話役ですのに……、自分はリートケと申します」
「そうリートケ、楽にしてください。見る限り年のころは私とあまり変わらない様子。仲良くしてくれたらうれしいのですが」
聖女として習得したたおやかな笑みを向けると、リートケは頬を紅潮させる。善良で信心深い民は、自分が微笑むだけで喜ぶが、教会の人間、少なくとも未来が話す人々は聖女慣れしている。だからこういった反応は新鮮だ。
「今日の予定は何もありませんから、私は屋敷に戻ります」
ここでふと考える。キュッテルはこのまだあどけなさが残る女性にちゃんと引継ぎをしたのだろうか。
「はい、任せてください!聖女様がお好みの紅茶の淹れ方も教わってまいりました!愛飲している銘柄、お好みの温度、すべて完璧です」
はきはきと受け答えするリートケに、未来はよからぬ考えが浮かんだ。
聖女の私邸は、王宮内にある。先代のものをそのまま譲り受けたのだが、すでに亡くなった国王と先代の聖女が婚姻していた。だから聖女の住んでいる場所も王宮の離宮だったのだ。
大聖堂も王宮からさほど離れていない場所にある。徒歩で二十分くらいだろうか。
そのわずかな距離でも馬車を呼んで移動するのは無駄の極みだが、その無駄を惜しみなくできるのが特権階級ということなのだろう。
リートケが手配した馬車におとなしく乗ろうとした未来はすぐに気づいた。いつも迎えに来る御者ではない。リートケが間違えたのか、なにか手違いがあったのか。おそらく前者だろうが、未来はその不手際に感謝していた。
どうやらリートケは、キュッテルから肝心なことを聞いていない。何より重要なその命令を伝え忘れたのだろう。
--未来を常に監視し、その一挙一動を漏れなく報告せよ。
直接聞いたわけではないがそれでないと限られた人間としか接触をさせず、常に人を側におかれる理由が見つからない。
レオンがそうさせているのだそうが、聖女を手中にすることで権力闘争に有利になるくらいの理由ではないだろうか、と未来は考えている。
「リートケ、お願いがあるのですが」
未来はこの国の一般的な貴族女性が身に着ける衣服一式を用意してほしいと頼んだ。
リートケには、聖女の服だけではなく、年頃の女性がしているおしゃれを自分も楽しみたい、こっそり一人で楽しむだけでいいのだと涙ながらに訴えると、リートケは真に受けたようだった。
「まあ聖女様、そんなことならばお安い御用ですとも」
「本当ですかリートケ、ああでも、皆にバレたらなんといわれるか」
「大丈夫です、人目を忍んでこっそり持っていきますとも。聖女様のひそかな楽しみを奪うなんて、誰にも許されるはずがないのですから」
上手くいきすぎて拍子抜けしたが未来はその純粋なる厚意をありがたく受け取ることにした。翌日、約束通りにリートケは服を用意してくれた。
「ありがとうございますリートケ、これで私も年頃の娘らしくなれるかしら」
リートケは嬉しそうにしきりに頷いている。未来もさすがにその姿を見て胸が痛んだ。この人のいい娘を今自分は欺こうとしている。
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