人間不信の召喚聖女は第二の人生を自由に生きる

荒巻鮭子

文字の大きさ
2 / 4

しおりを挟む
 元の世界であれば、間違いなく世界遺産に登録されているだろう規模の教会。その大聖堂の中心で、未来は膝を折る。
皺ひとつない、絹で作られ装束を身に着け、日課となってしまった祈りをささげる。
 何に祈っているかわからない信仰心の欠片すらない聖女の祈りでも、天は聞き届けてくれるのかしばらく考えていたが、習慣になるにつれ疑問すら持たなくなった。
 けれども朝の祈りを大聖堂でささげた後には体の力が抜けたようになるので、おそらくなんらかの魔力的な効果はあるのだろう。
 最初、同じ姿勢を長時間取ることによって体の節々が痛みを上げた弊害かと思ったけれどもそれならば脱力感はないはずだ。

 妙だと思うことはほかにもたくさんある。未来の世話をするために常に誰か側に付き従っているし、寝室ですら一人になれない。貴人扱い故の待遇なのだと自分を納得させようとしたが、やはり違和感はぬぐえなかった。

 大切にされている、というよりは監視されているのだろう。

「聖女様」

 朝の祈りを終えると、神官の女が手ぬぐいを持ってやってくる。それを受け取って額の汗を拭き、差し出された水を飲む。

「ありがとう」

 未来の日課はこうだ。朝は例外なく祈りを済ませ、そこからわずかな自由時間がある。昼は祭事の打ち合わせや戦勝祈願をする。ときに教会の寺院を視察することもある。行事がない時は、自由にしていい。ただし完璧に一人になることはできない。

 そして夜は毎日のように訪ねてくるレオンとの食事だ。

 召喚されたあの日、未来を出迎えたあの青年、レオンはこの国の王子だった。人当たりがいい青年だが、未来は心を許す気にはなれなかった。あの完璧すぎる微笑みはどこか胡散臭く、嘘っぽい。母と対峙しているときのように体が強張っていく。彼女も他人と接するときは、善良で上品な婦人の顔を崩さなかった。

 しかし未来はそれを態度に出したことは一度もなかった。権力者の不興を買うとどうなるかは骨身に染みている。この国に王はなく、いまだ正式に即位してはいないが彼がこの国の王になるのは明白だった。

「……あれ、今日はいつもの方ではないのですね」
顔を上げて、はじめて世話役の女性が見慣れない顔だということに気が付いた。

「キュッテル様はご家族にご不幸があったため、新参者ですがしばらくわたくしめがお世話を仰せつかりますわ、聖女様」
 
 いつも世話役をしてくれるキュッテルは初老の女性だった。そしてこの大聖堂でも古参らしい。それ故にか、権力者への礼儀というのをよくわきまえていた。必要なこと以外は喋らず、ただ側に控えていた。世代の差というのもあるかもしれない。
 こちらの人間、特に年配の者にとっては、上の立場の者から何も聞かれずに先に口を開く、ということは無礼にあたるそうなのだ。

「そう、ありがとう。あなたの名前を教えていただいても?」
「せ、聖女様に名乗るなどお、おこがましい。私はただの一時的な世話役ですのに……、自分はリートケと申します」
「そうリートケ、楽にしてください。見る限り年のころは私とあまり変わらない様子。仲良くしてくれたらうれしいのですが」

 聖女として習得したたおやかな笑みを向けると、リートケは頬を紅潮させる。善良で信心深い民は、自分が微笑むだけで喜ぶが、教会の人間、少なくとも未来が話す人々は聖女慣れしている。だからこういった反応は新鮮だ。

「今日の予定は何もありませんから、私は屋敷に戻ります」

 ここでふと考える。キュッテルはこのまだあどけなさが残る女性にちゃんと引継ぎをしたのだろうか。

「はい、任せてください!聖女様がお好みの紅茶の淹れ方も教わってまいりました!愛飲している銘柄、お好みの温度、すべて完璧です」
 
 はきはきと受け答えするリートケに、未来はよからぬ考えが浮かんだ。

 聖女の私邸は、王宮内にある。先代のものをそのまま譲り受けたのだが、すでに亡くなった国王と先代の聖女が婚姻していた。だから聖女の住んでいる場所も王宮の離宮だったのだ。
 大聖堂も王宮からさほど離れていない場所にある。徒歩で二十分くらいだろうか。
そのわずかな距離でも馬車を呼んで移動するのは無駄の極みだが、その無駄を惜しみなくできるのが特権階級ということなのだろう。

 リートケが手配した馬車におとなしく乗ろうとした未来はすぐに気づいた。いつも迎えに来る御者ではない。リートケが間違えたのか、なにか手違いがあったのか。おそらく前者だろうが、未来はその不手際に感謝していた。

 どうやらリートケは、キュッテルから肝心なことを聞いていない。何より重要なその命令を伝え忘れたのだろう。
--未来を常に監視し、その一挙一動を漏れなく報告せよ。
直接聞いたわけではないがそれでないと限られた人間としか接触をさせず、常に人を側におかれる理由が見つからない。
 レオンがそうさせているのだそうが、聖女を手中にすることで権力闘争に有利になるくらいの理由ではないだろうか、と未来は考えている。


「リートケ、お願いがあるのですが」

 未来はこの国の一般的な貴族女性が身に着ける衣服一式を用意してほしいと頼んだ。
リートケには、聖女の服だけではなく、年頃の女性がしているおしゃれを自分も楽しみたい、こっそり一人で楽しむだけでいいのだと涙ながらに訴えると、リートケは真に受けたようだった。

「まあ聖女様、そんなことならばお安い御用ですとも」
「本当ですかリートケ、ああでも、皆にバレたらなんといわれるか」
「大丈夫です、人目を忍んでこっそり持っていきますとも。聖女様のひそかな楽しみを奪うなんて、誰にも許されるはずがないのですから」

 上手くいきすぎて拍子抜けしたが未来はその純粋なる厚意をありがたく受け取ることにした。翌日、約束通りにリートケは服を用意してくれた。

「ありがとうございますリートケ、これで私も年頃の娘らしくなれるかしら」
リートケは嬉しそうにしきりに頷いている。未来もさすがにその姿を見て胸が痛んだ。この人のいい娘を今自分は欺こうとしている。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

存在感のない聖女が姿を消した後 [完]

風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは 永く仕えた国を捨てた。 何故って? それは新たに現れた聖女が ヒロインだったから。 ディアターナは いつの日からか新聖女と比べられ 人々の心が離れていった事を悟った。 もう私の役目は終わったわ… 神託を受けたディアターナは 手紙を残して消えた。 残された国は天災に見舞われ てしまった。 しかし聖女は戻る事はなかった。 ディアターナは西帝国にて 初代聖女のコリーアンナに出会い 運命を切り開いて 自分自身の幸せをみつけるのだった。

【完結】召喚された2人〜大聖女様はどっち?

咲雪
恋愛
日本の大学生、神代清良(かみしろきよら)は異世界に召喚された。同時に後輩と思われる黒髪黒目の美少女の高校生津島花恋(つしまかれん)も召喚された。花恋が大聖女として扱われた。放置された清良を見放せなかった聖騎士クリスフォード・ランディックは、清良を保護することにした。 ※番外編(後日談)含め、全23話完結、予約投稿済みです。 ※ヒロインとヒーローは純然たる善人ではないです。 ※騎士の上位が聖騎士という設定です。 ※下品かも知れません。 ※甘々(当社比) ※ご都合展開あり。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

【長編版】この戦いが終わったら一緒になろうと約束していた勇者は、私の目の前で皇女様との結婚を選んだ

・めぐめぐ・
恋愛
神官アウラは、勇者で幼馴染であるダグと将来を誓い合った仲だったが、彼は魔王討伐の褒美としてイリス皇女との結婚を打診され、それをアウラの目の前で快諾する。 アウラと交わした結婚の約束は、神聖魔法の使い手である彼女を魔王討伐パーティーに引き入れるためにダグがついた嘘だったのだ。 『お前みたいな、ヤれば魔法を使えなくなる女となんて、誰が結婚するんだよ。神聖魔法を使うことしか取り柄のない役立たずのくせに』 そう書かれた手紙によって捨てらたアウラ。 傷心する彼女に、同じパーティー仲間の盾役マーヴィが、自分の故郷にやってこないかと声をかける。 アウラは心の傷を癒すため、マーヴィとともに彼の故郷へと向かうのだった。 捨てられた主人公がパーティー仲間の盾役と幸せになる、ちょいざまぁありの恋愛ファンタジー長編版。 --注意-- こちらは、以前アップした同タイトル短編作品の長編版です。 一部設定が変更になっていますが、短編版の文章を流用してる部分が多分にあります。 二人の関わりを短編版よりも増しましたので(当社比)、ご興味あれば是非♪ ※色々とガバガバです。頭空っぽにしてお読みください。 ※力があれば平民が皇帝になれるような世界観です。

森聖女エレナ〜追放先の隣国を発展させたら元婚約者が泣きついてきたので処刑します〜

けんゆう
恋愛
緑豊かなグリンタフ帝国の森聖女だったエレナは、大自然の調和を守る大魔道機関を管理し、帝国の繁栄を地道に支える存在だった。だが、「無能」と罵られ、婚約破棄され、国から追放される。  「お前など不要だ」 と嘲笑う皇太子デュボワと森聖女助手のレイカは彼女を見下し、「いなくなっても帝国は繁栄する」 と豪語した。  しかし、大魔道機関の管理を失った帝国は、作物が枯れ、国は衰退の一途を辿る。  一方、エレナは隣国のセリスタン共和国へ流れ着き、自分の持つ「森聖力」の真価 に気づく……

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

【完結】たぶん私本物の聖女じゃないと思うので王子もこの座もお任せしますね聖女様!

貝瀬汀
恋愛
ここ最近。教会に毎日のようにやってくる公爵令嬢に、いちゃもんをつけられて参っている聖女、フレイ・シャハレル。ついに彼女の我慢は限界に達し、それならばと一計を案じる……。ショートショート。※題名を少し変更いたしました。

シスコン婚約者の最愛の妹が婚約解消されました。

ねーさん
恋愛
リネットは自身の婚約者セドリックが実の妹リリアをかわいがり過ぎていて、若干引き気味。 シスコンって極めるとどうなるのかしら…? と考えていた時、王太子殿下が男爵令嬢との「真実の愛」に目覚め、公爵令嬢との婚約を破棄するという事件が勃発! リネット自身には関係のない事件と思っていたのに、リリアの婚約者である第二王子がリネットに…

処理中です...