浮気された妻は死んでも夫に復讐する

畔本グラヤノン

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疑惑

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 私は結婚したことを後悔している。

 ひとつめの理由は焦ったこと。
 身近な友達が次々と結婚して話題が合わなくなり、置いて行かれるような気がしたのだと思う。

 二つめの理由は結婚に対して安易だったこと。マッチングアプリを使って婚活する人は少なくないから、それについては安易とは言えない。でも婚活に成功した人たちはそれなりにいい相手を見極める努力をしていたはずだ。私はそうではなかった。

 三つめの理由は――悪意を持って結婚相手を探す人間がいると想定していなかったこと。





 三十歳を過ぎた頃、私は婚活アプリで知り合った男性と結婚することを決めた。相手は四十台後半で多少歳の差はあるが、きちんとした会社に勤めていてお互いの住所が近いのが決め手だった。
 一か月程度お付き合いをして、気になったのは仕事が非常に忙しいということだけ。あとはおおむね希望通りの人だった。

『とりあえず籍を入れておいて、担当している案件が一段落したら式を挙げよう』

 落ち着いた口調でそう言われ、納得してしまった私にも非はあるだろう。



 入籍して二日目の夜、彼の父親が倒れたという連絡が来た。

「すまない。いったん仕事を辞めて、介護を手伝ってくれないか」

 土下座する勢いで頭を下げて頼み込む彼の姿に衝撃を受け、私は思わずうなずいていた。


 ◇〇△


 初めて訪れた夫の実家はとんでもない田舎だった。見渡す限り田んぼと畑だけの山奥の村。
 電車もバスもない田舎の生活がどんなものか、都市部で生まれ育った私には想像できていなかった。テレビで見たことはあるけれど、どこか遠い国の話を聞いているような感覚だった。

 倒れたという夫の父――しゅうとは健康そのものだった。少なくとも私を杖で殴ることができるくらいには。

 しゅうとは段差につまづいて転び、片足を骨折して寝たきりだと聞いていた。しかし実際は骨にひびが入った程度で、杖をつけば歩行に問題がない状態だった。

 介護の必要がほとんどないとわかった時点で帰ってしまえばよかったのだが、この時の私には義理の両親に気に入られたいという欲があった。

 長年勤めていた家政婦が突然辞めて困っている、少しの間でいいから家事を手伝ってほしい、というしゅうとめの言葉に対し、いつの間にか「はい」と返事をしていたのはそのせいだと思う。

「こんなこともできんのか!」

 しゅうとは私の家事すべてに文句をつけ、癇癪かんしゃくを起こすと杖をそこかしこに叩きつけて大暴れした。

 私は物心ついた頃から体罰をされた記憶がなく、初対面でいきなり杖を振り回してくるような老人がこの世にいるなんて思わなかった。
 理不尽な暴力から身を守る術を持たない私は、ただ痛みを恐れてうずくまることしかできなかった。殴られるほど憎まれているのが怖かった。

 頭の上から降ってくる杖を避けると怒鳴られ、さらに激しく殴られる。それを理解してからはただ殴られるままになった。
 生きたサンドバッグの出来上がりだ。

 杖の下には金属の部分があり、たまにそこが当たると骨に響くような痛みが走った。左肩から腕にかけては内出血、頭にはたんこぶがいくつもできた。その状態で再び殴られるとかなり痛いので、何とか当たらないように身をよじったり縮こまらせたり、無駄な努力をしていた。

 スマホと財布は最初に取り上げられていたから、誰かに訴えることもできない。最初から私を奴隷にするつもりだったのだろう。

 朝早くから食事の支度、掃除、洗濯に追い回された。深夜になると舅のトイレの介助のために何度もブザーを鳴らされ、行くのが遅ければまた殴られる。毎日ろくに眠ることもできなくなった。

 夫の実家は村の中で一番大きな家らしい。小さな小学校くらいの敷地に和風の家屋と日本庭園。いわゆる「立派なお屋敷」だ。
 その広い庭の掃除も私がひとりでしなければならなかった。
 いくら掃いても風で落ち葉が飛んでくるたび、あの杖を振り回して怒鳴られた。掃除して戻ってくるとまた風で枯葉が飛んでくる。
 終わらない作業は私の精神をすり減らしていった。

 ゴミを出しにお屋敷を一歩出れば、村人の視線が突き刺さる。都会から来た女というだけで村の中では浮いた存在だった。興味とも監視ともつかない視線を浴びせられ、私はまるで閉鎖された空間にいるような息苦しさを感じた。

 姑は山を二つ超えた隣町の元町長の娘で、気位が非常に高かった。この村に嫁いでからも度々タクシーで二~三時間かかる隣町へ帰り、ホテルに何日も泊まり込んではどこかの団体の催し物に出席したり、マナー講師の仕事をしたりしているという。
 ですから家事はできませんの、と姑は言った。
 その上で姑は家事について感謝するどころか、たまに家にいる時には私の料理を捨てるなどの嫌がらせをした。
 この村や隣町のあらゆるところに顔が効くと豪語するだけあって、家事を私に押し付けていることを咎める村人はいない。

 肝心の夫は仕事が忙しいのか、この一か月まったく姿を見せなかった。スマホを取られているので着信の確認はできないけれど、少なくともお屋敷の固定電話に夫からの連絡はなかった。

 お花畑もいいところだ。
 この段階になって初めて、私は夫を疑ったのだから。
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