5 / 12
神社にて
しおりを挟む
お屋敷には夫がいるから戻りたくない。私は屋内用スリッパを履いたまま、パタパタと音を立てて小さな道を走った。
もうすっかり暗くなって外灯が点いていたが、森の近くにある神社の周りには明かりがなかった。
秋口の夜、山間部の空気は冷たい。
風もないのに大きな木がザワザワと葉を揺らしている。夜だといっそう不気味だった。
盛り上がった木の根にスリッパを取られ、私はその太い枝を見上げた。
……この木で首を吊ったのだろうか。
神社の掃除は早朝にする決まりだ。おそらく夫の前妻は、人目に付かない夜間にここまで来て、そして……。
こんな寂しい場所でひとり、彼女は何を思っていたのか。遺書を燃やされてどんなに無念だっただろう。
あの家で見た足は、もしかして彼女の――
ざり、ざり、と引きずるような足音が聞こえた。月の明かりでうっすら見える砂利道に、お堂へ向かって左右交互に足跡が付いていく。
全身がぶわりと粟立つのを感じた。
『神社のお堂に隠してあるから、おねーさんにあげる』
彼女の言葉を思い出し、夫の前妻がここに証拠写真があると言っているのかもしれないと思った。
そこに何があるのか確かめなければならない。でも見てはいけないような気もする。
小さなお堂に手を合わせ、そっと両開きの扉を開けた。
お札の奥にある木箱の後ろにビニール袋の端が出ている。よく見なければわからないが、隠しものを見つけるのが得意な私にはすぐにわかった。
軽く引っ張ると、ビニール袋に包まれた白い封筒が現れる。
息を切らしながら外灯の下まで戻り、震える手で湿気た封筒を開けた。薄暗いけれど、多分あの家の中で見ないほうがいいだろう。
中には数枚の写真が入っていた。
スーツを着た夫と、その横に見知らぬ女性の姿。微笑んで腕を組んでいる。
女性の派手な顔立ちと胸元の大きく開いた服に違和感を覚えた。
前妻は大人しそうな女性だったのでは……?
写真の裏には去年の日付とホテルの名前が書いてあった。私が結婚するまで住んでいたアパートの近くにある、割と有名なラブホテルだ。
夫婦でラブホテルに行くことはない……とは言えない。でもこれは、いわゆる不貞行為の証拠写真に見える。
この写真の女性は夫の前妻ではない、と直感で思った。
入籍して間もなくこちらへ来たので、私は一度も夫とそういうことをしていない。
それに先ほどの彼女が『ジイさんは介護業者に来てもらえなくなった』と話していたけれど、介護業者への手続きは認定を受けたり介護プランを作ったりしなくてはならないから、すぐにできるものではないと聞いたことがある。
……ということは、舅が倒れたのは私と結婚した後ではなく、もっと前から舅はあの状態だったのではないか。
仕事の都合で夫はずっと都市部に住んでいるはずだ。
なのに三か月前に前妻がこの村で亡くなっているのは、私と同じように舅の介護をさせていたからで。
前妻に自分の親の介護をさせて、夫はこの写真の女性と浮気をしていた。
じゃあ今の夫にとって、この女性こそが本命……?
つまり、私はただの介護要員だったと――
かぁっと体が熱くなり、写真がブルブルと震えた。
吐き気がする。
こんなことを考える人間がいるなんて。
◇〇△
注意深くあたりを見回しながら、勝手口からそうっとお屋敷の中へ入る。
姑は客間で町議員と何かを話し込んでいるようだ。
祭壇のある広間では数名の村人が寝ずの番について話し合っていたが、その中に夫はいなかった。
玄関に夫用のスリッパが脱いだまま置いてあり、かわりに夫の革靴がなくなっている。夫の荷物らしいものも見当たらない。おそらく帰ったのだろう。
私に対して怒っているのだとしても、実家で一泊もせずに帰るとは。
他でもない自分の父親が死んだというのにずいぶん薄情なことだ。
誰からも声をかけられなかったので、私も何も言わずにさっさと風呂に入って寝ることにした。
ヒタ、ヒタ……。
寝床に入ってすぐ、あの足音が聞こえてきた。
私は跳ね起き、障子を少し開けて、恐る恐る廊下へ目を向ける。
明るい広間とは対照的に暗いキッチンの前で、女性の「足」が歩いていた。
今度の「足」は膝まで見える。
細いスキニーパンツを穿いた「足」が。
姑の部屋の前まで歩いて来た瞬間――「足」は煙のように消えていった。
もうすっかり暗くなって外灯が点いていたが、森の近くにある神社の周りには明かりがなかった。
秋口の夜、山間部の空気は冷たい。
風もないのに大きな木がザワザワと葉を揺らしている。夜だといっそう不気味だった。
盛り上がった木の根にスリッパを取られ、私はその太い枝を見上げた。
……この木で首を吊ったのだろうか。
神社の掃除は早朝にする決まりだ。おそらく夫の前妻は、人目に付かない夜間にここまで来て、そして……。
こんな寂しい場所でひとり、彼女は何を思っていたのか。遺書を燃やされてどんなに無念だっただろう。
あの家で見た足は、もしかして彼女の――
ざり、ざり、と引きずるような足音が聞こえた。月の明かりでうっすら見える砂利道に、お堂へ向かって左右交互に足跡が付いていく。
全身がぶわりと粟立つのを感じた。
『神社のお堂に隠してあるから、おねーさんにあげる』
彼女の言葉を思い出し、夫の前妻がここに証拠写真があると言っているのかもしれないと思った。
そこに何があるのか確かめなければならない。でも見てはいけないような気もする。
小さなお堂に手を合わせ、そっと両開きの扉を開けた。
お札の奥にある木箱の後ろにビニール袋の端が出ている。よく見なければわからないが、隠しものを見つけるのが得意な私にはすぐにわかった。
軽く引っ張ると、ビニール袋に包まれた白い封筒が現れる。
息を切らしながら外灯の下まで戻り、震える手で湿気た封筒を開けた。薄暗いけれど、多分あの家の中で見ないほうがいいだろう。
中には数枚の写真が入っていた。
スーツを着た夫と、その横に見知らぬ女性の姿。微笑んで腕を組んでいる。
女性の派手な顔立ちと胸元の大きく開いた服に違和感を覚えた。
前妻は大人しそうな女性だったのでは……?
写真の裏には去年の日付とホテルの名前が書いてあった。私が結婚するまで住んでいたアパートの近くにある、割と有名なラブホテルだ。
夫婦でラブホテルに行くことはない……とは言えない。でもこれは、いわゆる不貞行為の証拠写真に見える。
この写真の女性は夫の前妻ではない、と直感で思った。
入籍して間もなくこちらへ来たので、私は一度も夫とそういうことをしていない。
それに先ほどの彼女が『ジイさんは介護業者に来てもらえなくなった』と話していたけれど、介護業者への手続きは認定を受けたり介護プランを作ったりしなくてはならないから、すぐにできるものではないと聞いたことがある。
……ということは、舅が倒れたのは私と結婚した後ではなく、もっと前から舅はあの状態だったのではないか。
仕事の都合で夫はずっと都市部に住んでいるはずだ。
なのに三か月前に前妻がこの村で亡くなっているのは、私と同じように舅の介護をさせていたからで。
前妻に自分の親の介護をさせて、夫はこの写真の女性と浮気をしていた。
じゃあ今の夫にとって、この女性こそが本命……?
つまり、私はただの介護要員だったと――
かぁっと体が熱くなり、写真がブルブルと震えた。
吐き気がする。
こんなことを考える人間がいるなんて。
◇〇△
注意深くあたりを見回しながら、勝手口からそうっとお屋敷の中へ入る。
姑は客間で町議員と何かを話し込んでいるようだ。
祭壇のある広間では数名の村人が寝ずの番について話し合っていたが、その中に夫はいなかった。
玄関に夫用のスリッパが脱いだまま置いてあり、かわりに夫の革靴がなくなっている。夫の荷物らしいものも見当たらない。おそらく帰ったのだろう。
私に対して怒っているのだとしても、実家で一泊もせずに帰るとは。
他でもない自分の父親が死んだというのにずいぶん薄情なことだ。
誰からも声をかけられなかったので、私も何も言わずにさっさと風呂に入って寝ることにした。
ヒタ、ヒタ……。
寝床に入ってすぐ、あの足音が聞こえてきた。
私は跳ね起き、障子を少し開けて、恐る恐る廊下へ目を向ける。
明るい広間とは対照的に暗いキッチンの前で、女性の「足」が歩いていた。
今度の「足」は膝まで見える。
細いスキニーパンツを穿いた「足」が。
姑の部屋の前まで歩いて来た瞬間――「足」は煙のように消えていった。
3
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います
こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。
※「小説家になろう」にも投稿しています
夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。
Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。
そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。
そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。
これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。
(1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
冷遇妃マリアベルの監視報告書
Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。
第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。
そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。
王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。
(小説家になろう様にも投稿しています)
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる