永遠の誓いをあなたに ~何でも欲しがる妹がすべてを失ってからわたしが溺愛されるまで~

畔本グラヤノン

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5.光

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 気分は最悪だった。空も雨が降り出しそうに黒く曇っている。
 着替えの時も髪を結う時も、申し訳なくてシェーラの顔をまともに見られなかった。

「シェーラ……ごめんなさい」

 わたしは馬車に乗り込む前にシェーラに向かって頭を下げた。もしシェーラが昨日のお父様の発言を不愉快に思っているようなら、一緒に馬車に乗ることさえできなくなりそうな気がした。

「何のことでしょうか?」

 わたしを馬車に乗せながら、シェーラは無表情のまま首を傾げている。

「あの……お父様が、帰って来るなって……」
「問題ございません」

 うまく説明できずにモタモタしていると、シェーラは事もなげに答えた。

「ジェシカ様がとがめられることはないと思っておりますし、万が一そうなったとしても、住む場所くらいはご用意いたします」

 わたしは耳を疑った。
 わたしがあの家から追い出されても見捨てない――とシェーラが言っているように聞こえる。

「で、でも……わたし、お給金、払えないのよ?」

 シェーラのことが信じられない、というわけではない。
 それでも確認せずにはいられなかった。

 シェーラは再び首を傾げる。

「問題ございません」

 彼女の口角がわずかに上がるのを見て、わたしは今度は自分の目を疑うことになった。

「……今も、それほどいただいておりませんので」



 〇▲◇



 フォークナー公爵邸はとても広かった。門を通っても一向にお屋敷に着かない。
 見渡す限りの森や庭園を通り過ぎて、ようやくお城のような大きな建物が見えてきた。

「ジェシカ・シェリーズ様ですね。こちらへどうぞ」

 馬車を降りると、黒髪の凛々しい男性がどこからか現れて案内してくれた。

 お屋敷の中には誰も見当たらず、がらんとした空間が広がっていた。高い吹き抜けに吊るされた巨大なシャンデリアが太陽の光をキラキラと反射して、その空間だけこの世のものと思えないほど美しい。
 けれどもお屋敷は不気味なほど静まり返っていて、足音どころか自分の呼吸する音さえ響いてしまいそうだった。

「侍女の方はこちらでお待ちください」

 軽く疲れるほど歩いた頃、黒髪の男性はシェーラに小さな部屋の扉を指し示してわたしをさらに奥へ案内しようとする。

 不安になって思わずシェーラを見たら、彼女はいつもの無表情のままわたしに向かって小さくうなずいてくれた。
 たったそれだけでふわりと胸が温かくなるのはどうしてなのか、わたしにはよくわからなかった。





 黒髪の男性によって通された部屋では、パーティ会場で目にした背の高い女性が長椅子に腰かけてこちらを見ていた。
 この人がフォークナー公爵夫人……わたしは緊張で震えそうになるのを抑えて昨日のことを思い出していた。

 腕をケガしていた金髪の青年にこの女性が駆け寄っていたということは、あの青年が公爵令息だった……?

「ジェシカ・シェリーズと申します。お招きいただき……」
「オーウェン、このが『ジェシカ』で間違いないのね?」

 型通りの挨拶をしようとしたら、フォークナー公爵夫人に中断させられた。

「はい……母上」

 抑揚のない弱々しい声が聞こえてくる。
 淡い金髪にみどりの瞳。左側のソファにぐったりと身を沈めているのは、まさしくパーティ会場にいたあの美形の青年だった。

「そう。ではジェシカさん、そこへおかけになって」

 公爵夫人は初めてわたしと目を合わせ、おうぎで布張りの椅子を指し示した。命令するのに慣れているというか、他人が従わないとは露ほども思っていないのだろう。
 この人の機嫌を損ねてはいけないのだ、とわたしは改めて気を引き締めた。

「……失礼いたします」
「早速なのだけれど、あなたはパーティ会場でランプが割れた時、近くにいたのよね? あなたの名を呼ぶ声をオーウェンが聞いているの」
「は、はい」

 無駄なやり取りを嫌うのか、公爵夫人は遠回しに尋ねるようなことはしなかった。

「ランプが割れる前に、あなた、何か見たのではなくて?」
「えっ、いいえ、何も……」

 何も見えなかったはず……と思い出しつつ否定すると、公爵夫人の目に失望の色が浮かんだ。

「そう……」
「あの、光が眩しくて、周りが真っ白になったものですから」

 わたしの言い訳じみた言葉を聞いた途端、公爵夫人は目をひと回り大きくして、開きかけたおうぎをパシッと閉じた。

「――それは本当?」
「はいっ」

 眼力というか迫力がとにかく凄まじい。公爵夫人と目を合わせただけで吹き飛ばされてしまいそうになる。わたしは必死に口を動かして返事をした。

「聞いたわねオーウェン」
「はい」
「やはり精霊石が使われていたのよ」

 公爵夫人は扇で口元を隠し、眉を跳ね上げて「ほほほ」と笑い声を上げる。

「すぐに王宮へ使いを出しましょう。――誰か!」

 立ち上がるなり公爵夫人が呼ぶと年配の男性が入ってきた。公爵夫人と年配の男性は口早に言葉を交わし、入ってきたのと別の扉から部屋を出ていった。

 急に嵐が去ったような感覚に、わたしはしばらく呆然としていた。

 ……わたし、何を、言ってしまったのかしら。

「驚かせてすまない」

 ソファのオーウェン様がこちらを見ているのに気付いて、急いで首を横に振った。

「いえ、お役に立てたのなら、嬉しいです」
「助かったよ。母上が暴走する寸前だったから……」

 オーウェン様はふわりと微笑む。初めて見る彼の笑顔は花が咲きこぼれるようだった。

「……王族の中には、精霊の加護を持つ者が多くいるんだ。私は特にそれが強くて、加護と相性の悪い精霊石が反発することがあってね」

 ぽつぽつと話すオーウェン様は、おそらく状況がわかっていないわたしに配慮してくれたのだろう。

 わたしたちのような普通の人間にとって精霊は身近な存在ではないけれど、初代の国王が精霊の加護を受けてこの国を作ったため、王族は精霊の力が自在に使える――と本で読んだことがある。
 精霊石とは精霊が死んだ後に残る石のことで、精霊の力を宿している貴重なものだと書かれてあった。

「ごく稀に反発した精霊石が爆発すると、白く光って霧散するんだ。ただ、誰でもその光を見られるわけじゃない。私は目を閉じていたから見てなくて……ランプが割れた原因が特定できなかった」

 オーウェン様は疲れたのか、片手で目元を覆って頭をソファの背に乗せた。

「精霊石の影響で体調を崩すことは前からあったけど、成人したら治ると聞いていたのに……」
「そうなのですか」

 貴い身分の方々にはわたしたちの知らない苦労があるようだった。共感できるはずもないので、ただ話を聞くことしかできない。

「でも加護のおかげでいいこともある。ほら、こんな風にケガが早く治るんだ」

 オーウェン様は目を開けて、ケガをした方の腕を出して見せてくれた。確かに、あの時血が出ていたところにうっすらと傷痕きずあとが残るだけになっている。二日前にケガをしたばかりとは思えなかった。

「すごい……」

 立ち上がってまじまじとオーウェン様の腕を見ていたら、さきほどの扉がバンッと開いて公爵夫人と年配の男性が足早に歩いてきた。
 慌てて元通りに座り直したけれど、何だか気まずい。

「オーウェン、思っていたよりも調査が早く終わりそうよ」
「ありがとうございます、母上」

 オーウェン様の口調がガラリと変わったような気がした。
 公爵夫人は熱のこもった瞳をわたしに向ける。

「ジェシカさんだったわね。わたくし、急いでいたものだから不躾ぶしつけに呼び出してしまったの。許してくださるかしら?」
「……はい」

 たとえここに来ることがわたしにとって不利益しかなくても、わたしに公爵夫人を許さないなどという選択肢はなかった。
 お父様のあの様子では、もう家にわたしの居場所は残されていないかもしれない。そう考えただけで気持ちがどんどん落ち込んでいく。

「しかし母上、このままだと彼女は周囲の者に誤解されるのではないでしょうか」

 項垂れているわたしを憐れに思ったのか、オーウェン様が気遣ってくださった。

「わかっているわ。……そうね、ウィルに家まで送らせましょう」

 公爵夫人は名案だとばかりにおうぎを鳴らす。どういう意味なのか分からなくて、わたしは目をまたたかせた。

「それと、母上のお茶会に彼女を招待するというのはどうですか?」
「あらあら、今日はよく喋るのね」

 オーウェン様が提案すると、公爵夫人は嬉しそうに微笑んだ。

「わたくしとしたことが、お客様にお茶を出すのを忘れていたようだわ。そのお詫びとして次のお茶会に招待しましょう。ジェシカさん、それでよろしくて?」

 公爵夫人のお茶会がどんなものかは分からないけれど、何か特別な意味があるように聞こえるのは気のせいではなさそうだった。
 わたしはそっと立ち上がり、スカートを持って礼をする。

「お気遣いいただきまして、感謝いたします」
「――ああ、それから」

 公爵夫人が次に目を細めて出した声は、これまでと違って驚くほど低かった。

「ジェシカさんのご近所にはワース子爵がお住まいね? その娘のジルダさんという方、とても噂がお好きなようなの。なんでも、お披露目パーティで起きたことを事件だと言ってあちこちに触れ回っているのだとか」
「えっ……」

 ジルダがそんなことを……?
 わたしは何かの間違いだと思いたかったけれど、心当たりがないわけではなかった。

 彼女は小さな頃から『お母様が言ってた、あの子が言ってた』と噂話をよく話していた。
 最後に会った時も『ジェシカが意地悪したのをエイミィから聞いた』と言って、少しもわたしの言うことを信じてくれなかった。
 彼女は一度こうだと決めつけると考えを変えられないのだと思う。

「ジェシカさんは……愚かな噂話など、なさらないわよね?」

 にっこりと笑う公爵夫人は、眼光鋭くこちらをを観察していた。
 わたしは蛇に睨まれたカエルのようにうなずくことしかできない。

「は、はい」
「それは良かったわ。もちろん今日のことも、他言無用にね」
「はい……」

 昨日ジルダがいきなり会いたいと言ってきた理由が、この件に関係あるのだとしたら。
 もしあの時、シェーラがいつもの時間にわたしを起こして、ジルダを部屋に通していたら――

 わたしは今、もっと青くなっていただろう。
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