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6.異変
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帰りは公爵家の馬車に先導してもらうことになった。その馬車には公爵夫人の使者であるウィルという人が乗っているという。
「ウィル様は公爵夫人付きの執事だそうです。夫人がとても信頼されている方だと」
シェーラが言うには、社交界でもその執事のことはよく知られているらしい。
「ジェシカ様のお立場を悪くすることはないでしょう」
公爵夫人の執事に送られることで彼女の客人だと周囲にも明らかになり、お父様はわたしを追い出すことができなくなるはずだとシェーラは言う。
「そう……なの。ありがとう、シェーラ」
実はシェーラの家に行ってみたい気持ちもあったのだけれど……と思いながらチラリと見ると、やはり彼女はいつもの無表情だった。
〇▲◇
先導の馬車から降りてきたのは、想像していた白髪混じりの老執事ではなく凛々しい黒髪の青年だった。あの大きな公爵家のお屋敷を案内してくれた人だ。
「ウィルと申します。ジェシカ様をお送りできて光栄に存じます」
切れ長の目を伏せて会釈をするウィル様はとても姿勢がよく、洗練されている印象を受けた。身分の高い人の周りにはこのような美形しかいないのかしら、と余計なことを考えてしまう。
「こ、こちらこそ……」
何と返事すべきか迷っていたら、ウィル様の視線がわたしの後ろへ流れていった。
「あちらは……シェリーズ家のご当主様でしょうか」
「えっ」
振り向くと険しい顔をしたお父様が家の前で仁王立ちし、わたしとウィル様と公爵家の馬車を何度も繰り返し見つめていた。わたしを追い返そうと思って出てきたところに公爵家の馬車があったので判断に迷っている――という様子だ。
家のためなら娘でも切り捨てるお父様の考えは聞いていたけれど、それでもあれは嘘だったと言ってほしい自分がいた。
なぜだか急に涙が溢れて、堪えるために視線を下げるとそこへウィル様がすっと手を差し出してきた。
「家までお送りするように言われております」
「……はい」
こんな風に差し出された手を、取らずにいられる人はいないだろう。それほど彼の動作は自然で美しかった。一緒に歩いているだけで優雅になれるような気さえしてくる。
家の前まで来ると、お父様はウィル様に気圧されるように慌てて扉を開けた。
「フォークナー公爵夫人の使いで参りました」
中に入って扉が閉まると同時にウィル様がお父様へ告げると、お父様は目を剥いて飛び上がった。
「あっ、あなたが、ウィル殿か! 何年か前に御前試合で優勝した、公爵夫人付きの……」
「いえ、ただの使用人でございます。本日はジェシカ様をお送りするためと――」
ウィル様が慇懃に上着の内ポケットから封筒を取り出した瞬間、甲高い声がロビーに反響する。
「まあ! お姉様、そちらの素敵な方はどなた?」
エイミィが奥の階段を降りてきていた。
「エイミィ! 部屋へ行っていなさい!」
お父様はハッと顔を上げ、声を荒らげた。エイミィに対してこんな声を出すお父様を見たのは初めてだった。
「どうして? ご挨拶をしてはいけないの?」
お父様の様子を気にすることなく、エイミィは微笑んでお父様の隣まで走ってくる。
「わたくし、エイミィ……」
「お話を続けさせていただいても?」
エイミィの挨拶は途中で聞こえなくなった。
ウィル様の顔からはさっきまでの柔らかさが消え失せ、凍てつくような冷たいまなざしと声色がはっきりと怒りを表していた。
「フォークナー公爵夫人より、ジェシカ様へお茶会の招待状が出ております」
「なっ……なんと……」
ウィル様がお父様に封筒を手渡し、お父様はブルブル震える手で封筒から招待状を取り出す。
「……確かに、承った」
「必ずご出席いただきますよう」
恐ろしいほど力のある目でお父様に念を押したウィル様は、わたしの方を向いて会釈した。
「ではジェシカ様、またお会いできる日を楽しみにしております。当日はお迎えに上がりますので、馬車の用意は不要です」
「あ、ありがとうございます……」
わたしはウィル様の顔をまともに見ることができなかった。彼は仕事で来ているのだから、エイミィの挨拶などで余計な時間を取られるのを嫌ったのだろう。申し訳なくてうつむかざるを得ない。
ウィル様は用事が済んだとばかりに踵を返し、一度も振り返らずに出て行った。
「……なんなの、あれ」
ボソッと聞こえてきたのはエイミィの声だ。
「お父様、どうして? どうしてあの方は、わたくしを見なかったの?」
大きな瞳からポロポロと大粒の涙を流し、エイミィは上目遣いでお父様に縋りつく。
あれをされるといつもお父様は一瞬で彼女の虜になる……はずなのだけれど。
「……エイミィ、彼は公爵夫人の使者として来ていたから、この私よりもずっと立場が上だったんだ。彼が話している時に、割り込んだりしてはいけなかったんだよ」
「わからないわ! お客様なのに、ご挨拶してはいけないの?」
お父様は大きなため息をついて首を横に振った。エイミィを見る目はいつもの慈愛に満ちたものではなく、暗い影がかかっている。
お父様が、どこかおかしい。
戸惑っていると、「今のうちにお部屋へ帰りましょう」とシェーラがそっと耳打ちをした。
〇▲◇
「良かった、ですね」
お茶を淹れながらシェーラがぽつりとつぶやく。
良かったのは公爵家へ行って無事に帰れたことなのか、まだ家に自分の部屋があったことなのか、公爵夫人のお茶会に招待されたことなのかがわからなくて、わたしは少しぼうっとしてしまった。
「……でも、シェーラの家にも、行ってみたかったわ」
「何もないところでございますよ」
相変わらず無表情のシェーラと目が合って、たぶんわたしは久々に笑うことができたのだと思う。
「シェーラがいてくれたら、それでいいの」
そう言った時、彼女の目が少し大きくなったような気がしたから。
「ウィル様は公爵夫人付きの執事だそうです。夫人がとても信頼されている方だと」
シェーラが言うには、社交界でもその執事のことはよく知られているらしい。
「ジェシカ様のお立場を悪くすることはないでしょう」
公爵夫人の執事に送られることで彼女の客人だと周囲にも明らかになり、お父様はわたしを追い出すことができなくなるはずだとシェーラは言う。
「そう……なの。ありがとう、シェーラ」
実はシェーラの家に行ってみたい気持ちもあったのだけれど……と思いながらチラリと見ると、やはり彼女はいつもの無表情だった。
〇▲◇
先導の馬車から降りてきたのは、想像していた白髪混じりの老執事ではなく凛々しい黒髪の青年だった。あの大きな公爵家のお屋敷を案内してくれた人だ。
「ウィルと申します。ジェシカ様をお送りできて光栄に存じます」
切れ長の目を伏せて会釈をするウィル様はとても姿勢がよく、洗練されている印象を受けた。身分の高い人の周りにはこのような美形しかいないのかしら、と余計なことを考えてしまう。
「こ、こちらこそ……」
何と返事すべきか迷っていたら、ウィル様の視線がわたしの後ろへ流れていった。
「あちらは……シェリーズ家のご当主様でしょうか」
「えっ」
振り向くと険しい顔をしたお父様が家の前で仁王立ちし、わたしとウィル様と公爵家の馬車を何度も繰り返し見つめていた。わたしを追い返そうと思って出てきたところに公爵家の馬車があったので判断に迷っている――という様子だ。
家のためなら娘でも切り捨てるお父様の考えは聞いていたけれど、それでもあれは嘘だったと言ってほしい自分がいた。
なぜだか急に涙が溢れて、堪えるために視線を下げるとそこへウィル様がすっと手を差し出してきた。
「家までお送りするように言われております」
「……はい」
こんな風に差し出された手を、取らずにいられる人はいないだろう。それほど彼の動作は自然で美しかった。一緒に歩いているだけで優雅になれるような気さえしてくる。
家の前まで来ると、お父様はウィル様に気圧されるように慌てて扉を開けた。
「フォークナー公爵夫人の使いで参りました」
中に入って扉が閉まると同時にウィル様がお父様へ告げると、お父様は目を剥いて飛び上がった。
「あっ、あなたが、ウィル殿か! 何年か前に御前試合で優勝した、公爵夫人付きの……」
「いえ、ただの使用人でございます。本日はジェシカ様をお送りするためと――」
ウィル様が慇懃に上着の内ポケットから封筒を取り出した瞬間、甲高い声がロビーに反響する。
「まあ! お姉様、そちらの素敵な方はどなた?」
エイミィが奥の階段を降りてきていた。
「エイミィ! 部屋へ行っていなさい!」
お父様はハッと顔を上げ、声を荒らげた。エイミィに対してこんな声を出すお父様を見たのは初めてだった。
「どうして? ご挨拶をしてはいけないの?」
お父様の様子を気にすることなく、エイミィは微笑んでお父様の隣まで走ってくる。
「わたくし、エイミィ……」
「お話を続けさせていただいても?」
エイミィの挨拶は途中で聞こえなくなった。
ウィル様の顔からはさっきまでの柔らかさが消え失せ、凍てつくような冷たいまなざしと声色がはっきりと怒りを表していた。
「フォークナー公爵夫人より、ジェシカ様へお茶会の招待状が出ております」
「なっ……なんと……」
ウィル様がお父様に封筒を手渡し、お父様はブルブル震える手で封筒から招待状を取り出す。
「……確かに、承った」
「必ずご出席いただきますよう」
恐ろしいほど力のある目でお父様に念を押したウィル様は、わたしの方を向いて会釈した。
「ではジェシカ様、またお会いできる日を楽しみにしております。当日はお迎えに上がりますので、馬車の用意は不要です」
「あ、ありがとうございます……」
わたしはウィル様の顔をまともに見ることができなかった。彼は仕事で来ているのだから、エイミィの挨拶などで余計な時間を取られるのを嫌ったのだろう。申し訳なくてうつむかざるを得ない。
ウィル様は用事が済んだとばかりに踵を返し、一度も振り返らずに出て行った。
「……なんなの、あれ」
ボソッと聞こえてきたのはエイミィの声だ。
「お父様、どうして? どうしてあの方は、わたくしを見なかったの?」
大きな瞳からポロポロと大粒の涙を流し、エイミィは上目遣いでお父様に縋りつく。
あれをされるといつもお父様は一瞬で彼女の虜になる……はずなのだけれど。
「……エイミィ、彼は公爵夫人の使者として来ていたから、この私よりもずっと立場が上だったんだ。彼が話している時に、割り込んだりしてはいけなかったんだよ」
「わからないわ! お客様なのに、ご挨拶してはいけないの?」
お父様は大きなため息をついて首を横に振った。エイミィを見る目はいつもの慈愛に満ちたものではなく、暗い影がかかっている。
お父様が、どこかおかしい。
戸惑っていると、「今のうちにお部屋へ帰りましょう」とシェーラがそっと耳打ちをした。
〇▲◇
「良かった、ですね」
お茶を淹れながらシェーラがぽつりとつぶやく。
良かったのは公爵家へ行って無事に帰れたことなのか、まだ家に自分の部屋があったことなのか、公爵夫人のお茶会に招待されたことなのかがわからなくて、わたしは少しぼうっとしてしまった。
「……でも、シェーラの家にも、行ってみたかったわ」
「何もないところでございますよ」
相変わらず無表情のシェーラと目が合って、たぶんわたしは久々に笑うことができたのだと思う。
「シェーラがいてくれたら、それでいいの」
そう言った時、彼女の目が少し大きくなったような気がしたから。
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