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ミントタブレット
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稲垣嘉人はずっと不思議に思っていた。
このビルは今勤めている才賀興産の持ちビルだが、使っているのは7階までだ。
それなのにエレベーターは8階まである。
一度先輩と呼ばれる者に聞いたことがあったが、なんだか昔社内医と言うものがいて、8階はいわば保健室のように使われていたとか…?その先輩も詳しくは知らないんだけどなーと言うほどのもので、きっと今では社内の倉庫的なものにでもなっているのだろうと漠然と思っていた。
が、日帰り出張が長引き夜の9時に帰社した稲垣は、ふとビルを見上げて最上階の一つに薄明かりが灯っているのを見つけた。
煌々と電気がついているわけではなく、なんだか薄ぼんやりとした光が窓から見える気がする…程度だが明らかに明かりがあるように見える。
「倉庫がわりのところに物品を運び入れているなら電気をつけるはずだ、と思いその日稲垣はそのままエレベーターで8階まで向かって行った。
エレベーターが開くと、真っ直ぐの廊下が目の前に伸びていた。右にも左にも展開できるが、道路側から見えたと言うことはこの真っ直ぐの廊下の一番先の部屋だと踏んで、非常灯やらで多少は明るい廊下を歩いてゆく。
誰もいない階というのはお化け的にも怖く、稲垣はスマホのライトを照らしながら目的の部屋まで進んでゆく。
誰かがいた時のために足音は極力抑えたが、革靴の性能上多少はカツカツと鳴ってしまい、気をつけながら最奥までやってきた。
右側のドアを見ると、ドアの上から半分がすりガラスになっており、そこにうっすらと灯がみえる。
なんの灯なのかは判らないか、この感じはなんとなくランタンを想像させた。
「…のか…っ…よな。……ぁ…」
小さく声が聞こえるが何を言っているかは判らない。
まさかドアを開けるわけにもいかず、稲垣はドアに耳を当てて中の声を聞き取ろうとして、瞬時にドアから離れた。
その直後に
「あっあああっ…いいっそこそこぉ…ああ~…いいっきもちいいっあっあっ」
と露骨な喘ぎ声が聞こえてくる。まるでわざと聴かせてくるかのようだ。
聞き耳を立てていた時同様、男性の声での喘ぎ声で反射的に後退りしてしまい。
「なっ…なにが…」
反動で反対側のドアに寄りかかった瞬間に、そう頑丈ではないドアが揺れてドンっという物音を立ててしまう。
途端に声が止み、明かりが見えるガラス窓に人影が近寄ってきて、稲垣は急いで後ろのドアの中に静かに滑り込んだ。
正面のドアが開いた音がして、荒い息遣いそのままに靴音が走ってエレベーターまで行き、そして戻ってくる音がした。
エレベーターは8階のままだ!としくったーと思っていたが誰かが使ったのかそこにはなかったようで戻ってきた人は元の部屋に戻りながら
「誰もいなかったぞ…逃げられたか…みられたかな」
そう言いながらカチャカチャとなっているのはベルトのバックルだろう。
稲垣はドアの中側でドアに耳を当てて外を伺っている。
「冷めちゃったから今日は終わりにしよう」
ドアは開けっぱなしなのか、今まで話していた男とは違う声がそう言っているのが聞こえた。
「ああ、そうしよう。くっそ、もう一息でイけたのに誰だよ!」
服を着る布が擦れる音や、鞄がキュッキュする音を立てながら毒づく男は、
「お前後で降りてこいよ。今日は金は無しだ。俺いけなかったしな」
と中の男にでも言ったのか、なんだか偉そうにそう捲し立てて、カツカツとエレベーターに向かって行った。
中からはーえ~ケチ~ギリまでやったくせになんだよ~ーと、半ばつぶやくような声も聞こえる。
1人男が去ったところでもう1人いるのがわかっているのに出られなくて、ドアに寄りかかって
ーなんだ今の…男同士でヤってた…か?ーなどと今起こっていたことを考えながら、いつ出ようか考えてると、背中で寄りかかっていたドアが不意に開いて、稲垣は膝を抱えたままコロンと廊下に転がってしまった。
「見つけた」
見上げた先には、シャツの前が開きっぱなしで下着もつけていない男がフルチンで見下ろしている。
「はあ?なにしてっってか、しまえ!すぐにしまえって」
女性の裸でもないのに、稲垣は目を瞑って起き上がり、両手をバタバタと動かしてあっちで着てこいとあっちいけ動作を繰り返す。
「なんだよ、男同士じゃねえか。お前だって同じものぶら下げてんだろ」
ちっと舌を鳴らして男は部屋へ戻り、言いつけ通りパンツだけを身につけて今までいた会議用の長机に腰を乗せた。
「入ってくれば?」
廊下に声をかけてくるが、たった今まで男同士てヤってた部屋にはいるのは抵抗が…
「臭くねえから来いって。ドア開けっぱなしも困るから」
男がそう言うのに、それもそうかと言われるままに部屋に入ってドアを閉めるが
「って、俺が入る必要もなくねえ?」
などと独り言のような、男に言うような口調で言っているのを、机に座っている男は笑った。
「臭くねえだろ?もっとも今日はまだ出してねえしな。あれ出しちゃうと、ちょっと臭うかもしれねえけど…」
「何をしてるんだよこんな所で」
急に沸いた正義感で、目の前でパンツ一枚でシャツだけ羽織っている男を睨みつける。
「会社だぞ。金とか言ってたけど、あんたまさかここで…」
「ん、売りやってる~」
部屋の中の明かりがなんなのか気になっていたが、やはり電気式のランタンでその明かり自体はほっこりとふんわりとしてはいたが、この状況は…
「うっ売りって!社員相手に?」
「そうそう。なんか欲求不満な人多いね~。男でも女でも見境無しなんだ。ちょっと声かけたらすぐについてくる」
自重気味に笑って、タバコある?の指を2本口元に当ててきたが、稲垣はタバコは吸わないので首を振って答えた。
「仕方ねえか…帰ろ」
男は漸くシャツの前を閉め始め、脇にあったネクタイを取り上げる。
「あんた、うちの社員なのか?」
何気なくそれを見つめてしまうが、いやいやと目を逸らして稲垣は一歩ドアがわへ下がった。
「ああ、立派なここの社員さんだよ。部署は…内緒」
そこは探られるのが怖いのか言わなかったが、勤めて8年。この顔に全く見覚えがなかった。
階や部が違う人でも、車内ですれ違ったり食堂であったりするから顔くらいはわかっている人は多いはずだが、この顔に覚えが全くない。
「本当にか?」
「疑うねえ」
男はニヤッと笑って、部署を指で隠して社員証を翳してきた。
そこには澤田千早と書かれた紛れもなく同じ会社の社員証である。
「いながき…よしと…さん。営業一課の人だね。今日は出張で帰りがこんな時間ってわけか。おつー」
事情通なことに驚き、
「なんでっ」
「まあまあ。俺の部署はそういうの知るの早いんだよ。社員全員把握してる」
どこの部署だそれは!総務か?人事か?と頭を色々駆け巡るが、それでもこの顔に見覚えはない。しかしとりあえずはそこじゃない
「社内で売りとかって…上層部に知られたら一発クビだろう。なにやって…」
「本日10時半に、インペリアルホテル、部屋番号1021号室。そこの予約者『紡木拓三』」
食い気味にいきなり言われ、一瞬は?となったが言われた名前は専務の名前だ。
「俺呼ばれてんのよ。その部屋に…。専務はお得意様」
シルク混の上着を羽織る澤田を驚いた顔で見つめて
「専務…が?」
などと短い言葉を発することしかできない。
「なあ?さっきのやつとさ中途半端なんだよ…あんた責任取れる?」
上着まで羽織っておいて下はまだ下着一枚でいる澤田は、その裾を捲ってみせたの下半身を見て目を見開く。
下着といえばボクサーやトランクスとかしか見たことない稲垣だが、澤田の履いているものは、ブツを丸く包み込んだだけで、後ろには紐のようなものしか見えない。
「それ…パンツなのか…」
その言葉に澤田は両手を広げて
「他に何に見える?」
と首を傾げてくる。
ま…そこに身につけているのだからパンツなのだろうが…見たこともない。
「専務はね、こう言うエッロ~い下着がお好みなんだよ。さっき履き替えた。流石にこれつけて日常業務は無理だからね。で、責任取れるの?」
机にお尻を乗せて、両の踵もついでに乗せる。
すると自ずとM字に足を開いた形を稲垣に披露することになる。
「おっまえ」
その格好を避けるようにまた目を瞑る。
「今なら楽に挿入るよ」
後ろに手をついて、顎を引き、上目遣いで唇を舐めてくる澤田と、一瞬見えてしまった格好になぜだか稲垣の股間も膨らんでしまった。
「その気になってるけど…稲垣さんの稲垣クン。こっちにくる?」
声までなんだか色気が加わったようで、稲垣は目が開けられない。
ーはあっー澤田はため息を吐いて、足を下ろした。
「ま、俺男だしね。その気がない人には無理か。じゃ今度から邪魔しないでね。あ、それと、誰にも言っちゃダメだよ?言っちゃうと、専務や副社長に迷惑になるからさ」
「副社長!!!」
稲垣が驚く声に、澤田が笑ったように聞こえる。
バックルの音がして漸く目を開けると、澤田はすっかり身支度を整えていて、なんとも様子のいい立ち姿だ。
「灯りで気づいちゃったんでしょ。この階のここ灯り漏れるんだよねえ。だから道路際は嫌だって言ったのになぁあの人強引でさ」
ランタンの電気も消して、廊下の非常灯の光だけの部屋になった。無論ドアは閉まっているので、ほぼ暗闇だ。
「2度とこの階に来ちゃダメだよ?イナガキサン」
通りすがりに肩をポンと叩かれるがその時に香ったのは、ミントの香り。
よく知ったタブレットの匂いだ。
暗くなった時に澤田が口に放り込みでもしたのか鮮烈に香った。
ドアを開けて出てゆく澤田の後ろ姿を見送って、稲垣はその場に座り込む。
「なんだ今の…売り?とか専務…とか…」
よくは見なかったけど、さっき帰って行った社員も声だけ聞けば聞いたことある声だ。
道路際の部屋ゆえ、ブラインド越に外の光が見える。
稲垣はしばらくそこに座り込み、ミントの香りを嗅ぎながら熱くなった中心が治るのを待ち、その場を離れていった。
朝8時45分
稲垣は会社についてエレベーターを待っていた。
朝のエレベーターは混むから、いつもなら30分には会社に着くようにしているのだが、今日は電車の遅延で間に合いはしたがギリギリだし、混むエレベーターに乗ることになりうんざりしている。
ポーンと言う音がしてエレベーターが1階に止まったが、ドアが開くと中にはすでに人がいて、よくみたら社長だった。
社員たちは一斉に
「おはようございます」
頭を下げつつモーゼの海渡りのように真ん中から割れる。
それに手を上げながら
「悪いね、今日は朝から忙しくてね」
と気さくにみんなに声をかけて社長が出てきた。
今時珍しく社員を一番に考える社長で、偉ぶらないし、普段でも普通にどこの課にでも出没するので、社員も顔なじみのようになっている。
こんな感じの社長なので、会社の福利厚生もきちんとしていて辞める人も少ない。
稲垣もそんな社長に好印象を持ってはいたし、社長が通りながらみんなに挨拶をしてくれるのに頭を下げていると、瞬間嗅いだことのある香りが鼻腔をくすぐった。
一瞬なんだっけ、と考えたが思いついたのは先日の8階での出来事。
澤田とかいう、本当に社員なのかわからない男が口にしていたタブレットと同じ匂いだ。
まあミントのタブレットなどは誰でも口にするし、エレベーターに乗る前のエチケットとして誰かが口にしているのだろうと気にもしないでいた。
が、社長の後ろに付いていたは6人ほどの人間を見送っていたら、同じ目線で目があった人物がいた。
ワックスで髪を後ろに撫で付け、前髪はふんわりと分けていて銀ぶちの細いフレームのメガネをしている男。
目があってしまったのでーああ、どうも…ーくらいな気持ちで軽く頭を下げてみたが、その人物はニコッと笑ってタブレットを稲垣の胸ポケットへ入れ込み、そして自分の首から下がっていた社員証を小さく持ち上げて振って見せた。
ポケットに急に入れられたのにも驚いたが、その社員証を見て稲垣は目を見開いた。
澤田千早…あの時の…あの際どいパンツの男だ!
今思い出すのがパンツかよ!と自分でも情けないと思ったが、あの時の何を思い出してもダメな気がしてパンツが一番まともだっただけだ。
あの時は髪も降りていて、今のようにきっちりとしていなかったからわからなかった。
挨拶が終わった社長はーじゃあね~ーくらいな勢いで手を振って、少し歩調を早めると、お付き6人もそれに倣って足を早めた。
「しゃ…社長秘書…」
周りの人間は徐々にエレベーターに乗り込んで行くが、稲垣は社長一行を見送った首のまま立ち尽くしている。
「君、乗らないのかい?」
男性が声をかけてくれて、ハッと気づいて
「乗ります!」
とエレベーターに足を踏み入れた途端にブザーがなる。
「次ので行きます…」
悪かったね、という申し訳なさそうな声をかけてくれた男性の声を背中に、稲垣はエレベーターを降りた。
その時にエントランスに横付けされた白い大きな車の助手席に澤田が乗り込むのが見えて
「まさか社長秘書だったとは…」
見たことがないわけだ…と小さく息を吐いた。
売りとか言ってたけど…社長は知っているのか?専務と関係があるとか言ってたけど、いいのか?
エレベーターの前で色々考えるが、もう始業ギリギリの時間になりエレベーターの前は再び人が集まってきた。
今度は乗り過ごさないようにしなければ。
やっときたエレベーターに乗る際気づいたが、一番奥に流し込まれてしまった。
稲垣は4階で降りる。
できるだけ迷惑かけないように降りよう…。
と思いながら、澤田のことを考え混乱した頭を振って今日の仕事に頭をシフトしていった。
このビルは今勤めている才賀興産の持ちビルだが、使っているのは7階までだ。
それなのにエレベーターは8階まである。
一度先輩と呼ばれる者に聞いたことがあったが、なんだか昔社内医と言うものがいて、8階はいわば保健室のように使われていたとか…?その先輩も詳しくは知らないんだけどなーと言うほどのもので、きっと今では社内の倉庫的なものにでもなっているのだろうと漠然と思っていた。
が、日帰り出張が長引き夜の9時に帰社した稲垣は、ふとビルを見上げて最上階の一つに薄明かりが灯っているのを見つけた。
煌々と電気がついているわけではなく、なんだか薄ぼんやりとした光が窓から見える気がする…程度だが明らかに明かりがあるように見える。
「倉庫がわりのところに物品を運び入れているなら電気をつけるはずだ、と思いその日稲垣はそのままエレベーターで8階まで向かって行った。
エレベーターが開くと、真っ直ぐの廊下が目の前に伸びていた。右にも左にも展開できるが、道路側から見えたと言うことはこの真っ直ぐの廊下の一番先の部屋だと踏んで、非常灯やらで多少は明るい廊下を歩いてゆく。
誰もいない階というのはお化け的にも怖く、稲垣はスマホのライトを照らしながら目的の部屋まで進んでゆく。
誰かがいた時のために足音は極力抑えたが、革靴の性能上多少はカツカツと鳴ってしまい、気をつけながら最奥までやってきた。
右側のドアを見ると、ドアの上から半分がすりガラスになっており、そこにうっすらと灯がみえる。
なんの灯なのかは判らないか、この感じはなんとなくランタンを想像させた。
「…のか…っ…よな。……ぁ…」
小さく声が聞こえるが何を言っているかは判らない。
まさかドアを開けるわけにもいかず、稲垣はドアに耳を当てて中の声を聞き取ろうとして、瞬時にドアから離れた。
その直後に
「あっあああっ…いいっそこそこぉ…ああ~…いいっきもちいいっあっあっ」
と露骨な喘ぎ声が聞こえてくる。まるでわざと聴かせてくるかのようだ。
聞き耳を立てていた時同様、男性の声での喘ぎ声で反射的に後退りしてしまい。
「なっ…なにが…」
反動で反対側のドアに寄りかかった瞬間に、そう頑丈ではないドアが揺れてドンっという物音を立ててしまう。
途端に声が止み、明かりが見えるガラス窓に人影が近寄ってきて、稲垣は急いで後ろのドアの中に静かに滑り込んだ。
正面のドアが開いた音がして、荒い息遣いそのままに靴音が走ってエレベーターまで行き、そして戻ってくる音がした。
エレベーターは8階のままだ!としくったーと思っていたが誰かが使ったのかそこにはなかったようで戻ってきた人は元の部屋に戻りながら
「誰もいなかったぞ…逃げられたか…みられたかな」
そう言いながらカチャカチャとなっているのはベルトのバックルだろう。
稲垣はドアの中側でドアに耳を当てて外を伺っている。
「冷めちゃったから今日は終わりにしよう」
ドアは開けっぱなしなのか、今まで話していた男とは違う声がそう言っているのが聞こえた。
「ああ、そうしよう。くっそ、もう一息でイけたのに誰だよ!」
服を着る布が擦れる音や、鞄がキュッキュする音を立てながら毒づく男は、
「お前後で降りてこいよ。今日は金は無しだ。俺いけなかったしな」
と中の男にでも言ったのか、なんだか偉そうにそう捲し立てて、カツカツとエレベーターに向かって行った。
中からはーえ~ケチ~ギリまでやったくせになんだよ~ーと、半ばつぶやくような声も聞こえる。
1人男が去ったところでもう1人いるのがわかっているのに出られなくて、ドアに寄りかかって
ーなんだ今の…男同士でヤってた…か?ーなどと今起こっていたことを考えながら、いつ出ようか考えてると、背中で寄りかかっていたドアが不意に開いて、稲垣は膝を抱えたままコロンと廊下に転がってしまった。
「見つけた」
見上げた先には、シャツの前が開きっぱなしで下着もつけていない男がフルチンで見下ろしている。
「はあ?なにしてっってか、しまえ!すぐにしまえって」
女性の裸でもないのに、稲垣は目を瞑って起き上がり、両手をバタバタと動かしてあっちで着てこいとあっちいけ動作を繰り返す。
「なんだよ、男同士じゃねえか。お前だって同じものぶら下げてんだろ」
ちっと舌を鳴らして男は部屋へ戻り、言いつけ通りパンツだけを身につけて今までいた会議用の長机に腰を乗せた。
「入ってくれば?」
廊下に声をかけてくるが、たった今まで男同士てヤってた部屋にはいるのは抵抗が…
「臭くねえから来いって。ドア開けっぱなしも困るから」
男がそう言うのに、それもそうかと言われるままに部屋に入ってドアを閉めるが
「って、俺が入る必要もなくねえ?」
などと独り言のような、男に言うような口調で言っているのを、机に座っている男は笑った。
「臭くねえだろ?もっとも今日はまだ出してねえしな。あれ出しちゃうと、ちょっと臭うかもしれねえけど…」
「何をしてるんだよこんな所で」
急に沸いた正義感で、目の前でパンツ一枚でシャツだけ羽織っている男を睨みつける。
「会社だぞ。金とか言ってたけど、あんたまさかここで…」
「ん、売りやってる~」
部屋の中の明かりがなんなのか気になっていたが、やはり電気式のランタンでその明かり自体はほっこりとふんわりとしてはいたが、この状況は…
「うっ売りって!社員相手に?」
「そうそう。なんか欲求不満な人多いね~。男でも女でも見境無しなんだ。ちょっと声かけたらすぐについてくる」
自重気味に笑って、タバコある?の指を2本口元に当ててきたが、稲垣はタバコは吸わないので首を振って答えた。
「仕方ねえか…帰ろ」
男は漸くシャツの前を閉め始め、脇にあったネクタイを取り上げる。
「あんた、うちの社員なのか?」
何気なくそれを見つめてしまうが、いやいやと目を逸らして稲垣は一歩ドアがわへ下がった。
「ああ、立派なここの社員さんだよ。部署は…内緒」
そこは探られるのが怖いのか言わなかったが、勤めて8年。この顔に全く見覚えがなかった。
階や部が違う人でも、車内ですれ違ったり食堂であったりするから顔くらいはわかっている人は多いはずだが、この顔に覚えが全くない。
「本当にか?」
「疑うねえ」
男はニヤッと笑って、部署を指で隠して社員証を翳してきた。
そこには澤田千早と書かれた紛れもなく同じ会社の社員証である。
「いながき…よしと…さん。営業一課の人だね。今日は出張で帰りがこんな時間ってわけか。おつー」
事情通なことに驚き、
「なんでっ」
「まあまあ。俺の部署はそういうの知るの早いんだよ。社員全員把握してる」
どこの部署だそれは!総務か?人事か?と頭を色々駆け巡るが、それでもこの顔に見覚えはない。しかしとりあえずはそこじゃない
「社内で売りとかって…上層部に知られたら一発クビだろう。なにやって…」
「本日10時半に、インペリアルホテル、部屋番号1021号室。そこの予約者『紡木拓三』」
食い気味にいきなり言われ、一瞬は?となったが言われた名前は専務の名前だ。
「俺呼ばれてんのよ。その部屋に…。専務はお得意様」
シルク混の上着を羽織る澤田を驚いた顔で見つめて
「専務…が?」
などと短い言葉を発することしかできない。
「なあ?さっきのやつとさ中途半端なんだよ…あんた責任取れる?」
上着まで羽織っておいて下はまだ下着一枚でいる澤田は、その裾を捲ってみせたの下半身を見て目を見開く。
下着といえばボクサーやトランクスとかしか見たことない稲垣だが、澤田の履いているものは、ブツを丸く包み込んだだけで、後ろには紐のようなものしか見えない。
「それ…パンツなのか…」
その言葉に澤田は両手を広げて
「他に何に見える?」
と首を傾げてくる。
ま…そこに身につけているのだからパンツなのだろうが…見たこともない。
「専務はね、こう言うエッロ~い下着がお好みなんだよ。さっき履き替えた。流石にこれつけて日常業務は無理だからね。で、責任取れるの?」
机にお尻を乗せて、両の踵もついでに乗せる。
すると自ずとM字に足を開いた形を稲垣に披露することになる。
「おっまえ」
その格好を避けるようにまた目を瞑る。
「今なら楽に挿入るよ」
後ろに手をついて、顎を引き、上目遣いで唇を舐めてくる澤田と、一瞬見えてしまった格好になぜだか稲垣の股間も膨らんでしまった。
「その気になってるけど…稲垣さんの稲垣クン。こっちにくる?」
声までなんだか色気が加わったようで、稲垣は目が開けられない。
ーはあっー澤田はため息を吐いて、足を下ろした。
「ま、俺男だしね。その気がない人には無理か。じゃ今度から邪魔しないでね。あ、それと、誰にも言っちゃダメだよ?言っちゃうと、専務や副社長に迷惑になるからさ」
「副社長!!!」
稲垣が驚く声に、澤田が笑ったように聞こえる。
バックルの音がして漸く目を開けると、澤田はすっかり身支度を整えていて、なんとも様子のいい立ち姿だ。
「灯りで気づいちゃったんでしょ。この階のここ灯り漏れるんだよねえ。だから道路際は嫌だって言ったのになぁあの人強引でさ」
ランタンの電気も消して、廊下の非常灯の光だけの部屋になった。無論ドアは閉まっているので、ほぼ暗闇だ。
「2度とこの階に来ちゃダメだよ?イナガキサン」
通りすがりに肩をポンと叩かれるがその時に香ったのは、ミントの香り。
よく知ったタブレットの匂いだ。
暗くなった時に澤田が口に放り込みでもしたのか鮮烈に香った。
ドアを開けて出てゆく澤田の後ろ姿を見送って、稲垣はその場に座り込む。
「なんだ今の…売り?とか専務…とか…」
よくは見なかったけど、さっき帰って行った社員も声だけ聞けば聞いたことある声だ。
道路際の部屋ゆえ、ブラインド越に外の光が見える。
稲垣はしばらくそこに座り込み、ミントの香りを嗅ぎながら熱くなった中心が治るのを待ち、その場を離れていった。
朝8時45分
稲垣は会社についてエレベーターを待っていた。
朝のエレベーターは混むから、いつもなら30分には会社に着くようにしているのだが、今日は電車の遅延で間に合いはしたがギリギリだし、混むエレベーターに乗ることになりうんざりしている。
ポーンと言う音がしてエレベーターが1階に止まったが、ドアが開くと中にはすでに人がいて、よくみたら社長だった。
社員たちは一斉に
「おはようございます」
頭を下げつつモーゼの海渡りのように真ん中から割れる。
それに手を上げながら
「悪いね、今日は朝から忙しくてね」
と気さくにみんなに声をかけて社長が出てきた。
今時珍しく社員を一番に考える社長で、偉ぶらないし、普段でも普通にどこの課にでも出没するので、社員も顔なじみのようになっている。
こんな感じの社長なので、会社の福利厚生もきちんとしていて辞める人も少ない。
稲垣もそんな社長に好印象を持ってはいたし、社長が通りながらみんなに挨拶をしてくれるのに頭を下げていると、瞬間嗅いだことのある香りが鼻腔をくすぐった。
一瞬なんだっけ、と考えたが思いついたのは先日の8階での出来事。
澤田とかいう、本当に社員なのかわからない男が口にしていたタブレットと同じ匂いだ。
まあミントのタブレットなどは誰でも口にするし、エレベーターに乗る前のエチケットとして誰かが口にしているのだろうと気にもしないでいた。
が、社長の後ろに付いていたは6人ほどの人間を見送っていたら、同じ目線で目があった人物がいた。
ワックスで髪を後ろに撫で付け、前髪はふんわりと分けていて銀ぶちの細いフレームのメガネをしている男。
目があってしまったのでーああ、どうも…ーくらいな気持ちで軽く頭を下げてみたが、その人物はニコッと笑ってタブレットを稲垣の胸ポケットへ入れ込み、そして自分の首から下がっていた社員証を小さく持ち上げて振って見せた。
ポケットに急に入れられたのにも驚いたが、その社員証を見て稲垣は目を見開いた。
澤田千早…あの時の…あの際どいパンツの男だ!
今思い出すのがパンツかよ!と自分でも情けないと思ったが、あの時の何を思い出してもダメな気がしてパンツが一番まともだっただけだ。
あの時は髪も降りていて、今のようにきっちりとしていなかったからわからなかった。
挨拶が終わった社長はーじゃあね~ーくらいな勢いで手を振って、少し歩調を早めると、お付き6人もそれに倣って足を早めた。
「しゃ…社長秘書…」
周りの人間は徐々にエレベーターに乗り込んで行くが、稲垣は社長一行を見送った首のまま立ち尽くしている。
「君、乗らないのかい?」
男性が声をかけてくれて、ハッと気づいて
「乗ります!」
とエレベーターに足を踏み入れた途端にブザーがなる。
「次ので行きます…」
悪かったね、という申し訳なさそうな声をかけてくれた男性の声を背中に、稲垣はエレベーターを降りた。
その時にエントランスに横付けされた白い大きな車の助手席に澤田が乗り込むのが見えて
「まさか社長秘書だったとは…」
見たことがないわけだ…と小さく息を吐いた。
売りとか言ってたけど…社長は知っているのか?専務と関係があるとか言ってたけど、いいのか?
エレベーターの前で色々考えるが、もう始業ギリギリの時間になりエレベーターの前は再び人が集まってきた。
今度は乗り過ごさないようにしなければ。
やっときたエレベーターに乗る際気づいたが、一番奥に流し込まれてしまった。
稲垣は4階で降りる。
できるだけ迷惑かけないように降りよう…。
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