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序章
二話
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「かずちゃん……」
一ミが熊の毛皮の背中を睨みつけながら起き上がる。遊女が手を差し伸べたが、その手に紫の紫陽花が咲いているのを見て、一ミは首を横に振って立ち上がった。
「ごめん、ごめんね、アタイ……」
遊女がぽろぽろと涙をこぼす。
「泣かんで。こっちこそごめんよう、顔に傷付けちまった」
遊女は首を振った。さらさらと黒髪が揺れた。
「サ、もう帰ろう。怖えと思うけど、俺がなんぞ言ってやるから」
一ミがそう言うと、遊女はとうとう、わ、っと声を上げて泣いた。
気づけば辻に屯していた野次馬は散り散りになっていた。一ミは泣きじゃくる遊女のを肩を柔らかく押して、できるだけ細い路地裏の道を選ぶ。
「アタイ、家に帰りてえよ、おとうとおかあに会いてえよ……」
「……うん」
確か、この子はまだ禿からあがったばかりの子だった、一ミはそう自分の記憶を探った。器量も良く、その上若いのだから、多くの男がこの遊女に飛び付いたことだろう。
しくしくと泣く遊女の手を引いて、一ミは見世の前までゆっくりと歩く。見世をぐるりと回り、一ミが裏口の戸を叩く時、遊女はもはや、悲しみも恐怖もない、能面のような顔になっていた。
どたどたと苛立たしげな足音が響き、裏口が勢いよく開く。そこには一ミが予想した通り、お冠になった置屋が鼻息荒く立っていた。
「テメエ! どこ行ってやがったこのタダ飯食らいが!」
毛の生えた手が遊女の髪を掴む。能面のようだった顔が、痛みで少しだけ歪んだ。目を剥いて再び怒鳴りつけようとする置屋と遊女の間に体を割り込ませ、一ミはそっと髪を掴む手に自分のものを重ねた。
「旦那、足抜けとはちょっと事情が違いやして」
「ああ?」
置屋の目が一ミに向く。一ミは自分の顔とを目を置屋に見えるよう顔を傾けた。長い黒髪と白い肌の奥、穴のような黒い瞳が、うっそりと置屋を見上げている。
置屋の手が緩む。その手を遊女の髪から解き、一ミはそのまま手を下げて遊女の手を握り込んだ。逃げられないためであったが、少しでも安心させてやるためでもあった。
「焔硝の頭が来てやして、そいつに乱暴されてたんでさ」
遊女の手がぴくりと跳ねる。
「ほら、顔もこんなに腫れちまって。ただでさえ怖い目にあったってのに、勘違いで折檻されちゃ仏様も目を剥くってもんでさ。今回ばっかりは大目に」
「勘違いだと?」
「足抜けじゃありやせん。そうですよね?」
ちら、と遊女の方を見れば、一瞬呆けた顔をした後、こくこくと頷いた。
「ね、冷やしてやってください」
そう言って一ミは遊女の背中を押し、置屋の前へ押し出した。まだ多少怪訝そうな顔はしているが、呼吸が落ち着いた置屋が見世の中に向かって声をかける。遊女が髪の隙間から一ミの顔をちらと見た。
その二人に軽く会釈をして、一ミは足早に見世の裏手から滑り出た。ふと背負ったままの藤の着物を思い出したが、明日また返しに行こうと、そのまま帰路に就いた。
風が強い。星が瞬いて、その下を風に流される雲が早く動いている。この街は檻だと、そう泣く遊女を幾度となく見守って来た。彼女たちがあの雲のようであればと、一ミはそう思いかけてその考えを飲み込んだ。
この街の朝は遅い。日もすっかり登ってしばらくしてからようやく遊女も置屋も働き始める。今はその少し前、ちょうど皆が起床し始める頃合いだった。
一ミは昨晩渡し損ねた藤の着物を抱え、昨日と同じ見世の裏口の前に立っていた。戸を叩けばガラリと開き、遣手の婆さんが顔を出した。
「何しに来やがった」
遣手は嗄れた声で一ミを睨みつける。一ミはため息を我慢しながら、背負っていた藤の着物を差し出した。
「昨日、あの子が来てた服でさ。忘れてましたんで」
遣手は着物と一ミの顔を訝しげに交互に見た後、引き戸をピシャリと閉じた。今度は我慢する必要もなく、一ミはため息をつき、手元に残った着物を見下ろした。
「かずちゃん」
上から声が降ってくる。名を呼ばれた一ミが見上げれば、そこには髪を結い上げた遊女がいた。光の透けない黒い髪、日に当たったこともなさそうな白い肌、滑らかで美しい脚が服の間から伸びている。彼女はこの見世で二番目に人気の遊女だった。源氏名を赤蜻蛉という。
一ミはちらと辺りを見渡して木と塀を伝って二階の突き出した瓦屋根に足を掛けた。出窓の欄干に持たれた赤蜻蛉の前まで歩き、その場に腰を落ち着けた。
「あのばばあ、もう行った?」
赤蜻蛉は花のように笑う。彼女は天下を取れそうな器量をしてたが、少し口が悪かった。
「うん。受け取ってもらえんかった」
「あ、それ藤峰の服。かずちゃんが持ってたんね」
昨晩の顔を腫らした遊女を思い出す。
「藤峰ってんだ。あの子」
「うん。良い名でしょ。アタシが付けてやったの」
「いまどうしてんの」
「休んでる。まだ寝てるよ」
アタシの禿だったからね、と赤蜻蛉は煙管の皿を燻し始めた。皿に乗ったタバコがじりじりと焦れて、朱を乗せた唇から煙が吹き出した。
春が過ぎて、梅雨が近づいていた。緑になった桜が静かに揺れている。一ミは、先程遣手に受け取ってもらえなかった着物を赤蜻蛉に差し出した。
「これ、返していい?」
「いらない。藤峰がそれ着てたら、あのばばあ怒ると思うよ」
その言葉に、一ミは落胆しながら着物を膝に戻した。
「かずちゃん、それ着てみなよ。きっと似合うよ」
「ええ? やだよ、女物なんか」
「いいじゃん、ほらこっちこっち」
欄干越しに白い腕がにょきりと生えて、逃げようとした一ミの体を捕まえる。一ミは抵抗しようとしたが、上手な力加減の自信がなく、ほとんど無抵抗のまま赤蜻蛉の隣に寝かされた。せめてもの抵抗にと腕を組んでそのまま寝そべったまま動かずにいると、赤蜻蛉が不服そうな声をあげる。一ミはそれも無視して地蔵の心持ちで腕を組み続けた。その姿にわざとらしいため息が落とされる。
「あーあ、いいのかいその態度。藤峰の例にこぉんないいものやろうと思ってたのにサ」
ちら、と横目で赤蜻蛉を見れば、和紙の小包がその手につままれていた。ふらふらと揺らされたそれから、ころころと小さな音がした。
「なんでい、そんなの。ちっとも欲しくね」
「ふぅん?」
赤蜻蛉は煙管を咥え、その小包の封を解いた。床に置かれ、広げられた和紙の中、それは小さな山を作っていた。艶々とした光沢、紫や白の彩り、そしてまるで星のような形。
それは金平糖だった。思わず飛び起きて、その小さな星屑を凝視した。金平糖は、最近西から来たばかりの最先端の菓子だった。信じられないことに、それは全て砂糖でできていると言う。
「いらねえってんならしょおがねえ、そこらの犬にでも食わせてやらァ」
赤蜻蛉はそう言いながら金平糖を一つ摘み、一ミの目の前にちらつかせた。白い指先に紫の金平糖がきらきらときらめいて、一ミの黒い瞳はその光沢を一心不乱に追いかけた。
金平糖に夢中になっている一ミの背後、白いもう一対の腕がこっそり姿を現した。赤蜻蛉はそれを見てほくそ笑んだが、一ミが気づく様子はない。遂にその白い腕が一ミの襟元を掴んだ。
「おらー!」
一ミの襟が大胆に開かれる。白い肌が顕になり、緩く結んでいた細帯が解けた。
「うわあ!?」
「いまだ行けー!」
いつのまにか一ミの後ろに大挙していた遊女たちが一ミを押さえ込む。一ミの体は再び床に倒され、遊女の人だかりから一ミの身につけていた服や帯や草鞋、襷が無造作に放り出された。
遊女たちはその手に襦袢や紅、椿油を持っていた。馬乗りになった遊女の下で一ミが藻搔くも、その脚にはほとんど力が入っていない。
「観念しな優男!」
「そうだそうだ!」
「何だいこの白粉いらず! 齧り食ってやろうかこの肌!」
「髪もあんたこんなボサボサにしやがって!」
遊女たちは悪戯っぽい笑顔を浮かべながら口々に一ミを捏ね回す。一ミは口を挟むこともできず、ただただ遊女たちのおもちゃになっていた。
「悪くないね」
赤蜻蛉が得意げに笑う。その目線の先には遊女たちに囲まれた一ミが呆然と座り込んでいる。
藤の着物、白い足袋、上げられた前髪と差された紅。中性的だった顔立ちは化粧によって女性の印象をより色濃くさせていた。
「何が楽しいんだ」
一ミが不機嫌に呟く。
「動くんじゃないよ。髷が曲がる」
曲がった一ミの背中を膝で軽く蹴りながら、一人の遊女が一ミの頭を弄っていた。その周りの遊女たちも真剣な顔をしながら一ミの顔にさらに紅を入れ、調整に勤しんでいた。
「みんな飽き飽きしてんのサ。毎日汚ねえ野郎の相手して、そんな汚ねえ奴らに触られたアタシらにも嫌気がさして」
赤蜻蛉が紫煙を吐き出す。
「男でも女でもない、そんな人間がほしいんだよ」
数人の遊女が頷いた。一ミは髪をひっぱられながら、その言葉に眉根を寄せた。
「俺、男だけど」
「知ってるよそんなこた。でもかずちゃん、あんた奴刑の女にも手出したことねんだろ」
奴刑とは罪を犯した女に課せられる刑罰の一つだった。その刑に処された女は、人別帖からその名を取り除かれる。言わば下人の身分に落とされるのだった。
そしてまた奴刑に処された女を遊郭などの街に移送するのは一ミのような長吏であった。その際に長吏は手間賃代わりに女を苛むのがほとんど常套であった。
「それだけで救われんのさ。かずちゃんが女に興味ないって、みんな知ってて、みんな安心してる。アタシらはもう、あんたしか信用できないんだ」
遊女の整えられた爪が着物越しに一ミの肩に食い込んだ。一ミは自分を見つめる女たちを見て、すぐにその目を逸らした。
不意に階段を登る足音が響く。遊女たちは顔を見合わせ、慌てて各々の部屋に逃げ帰って行く。赤蜻蛉は一ミの腕を掴み、欄干の方へと押しやりながら耳打ちした。
「ばばあだ! さっさと行きな、服は後で妓夫に返しに行かす!」
そう言い終わるや否や、赤蜻蛉は思い切り一ミを出窓の外へと突き飛ばした。一ミは軽やかな身のこなしで屋根を滑り降りる。しかし、硬い着物と帯が動きづらかったのか、少しばかり鈍臭く地面に着地した。
二階から苛立たしげな遣手の声が響く。一ミは服についた砂を払いながら立ち上がった。中途半端に結われた髪が邪魔をして頭を掻くこともできず、一ミは手を顔のあたりで彷徨わせた。一ミはしばらく自分の状況に立ち尽くしていたが、一つため息を吐いた後、その場を後にした。
一ミが熊の毛皮の背中を睨みつけながら起き上がる。遊女が手を差し伸べたが、その手に紫の紫陽花が咲いているのを見て、一ミは首を横に振って立ち上がった。
「ごめん、ごめんね、アタイ……」
遊女がぽろぽろと涙をこぼす。
「泣かんで。こっちこそごめんよう、顔に傷付けちまった」
遊女は首を振った。さらさらと黒髪が揺れた。
「サ、もう帰ろう。怖えと思うけど、俺がなんぞ言ってやるから」
一ミがそう言うと、遊女はとうとう、わ、っと声を上げて泣いた。
気づけば辻に屯していた野次馬は散り散りになっていた。一ミは泣きじゃくる遊女のを肩を柔らかく押して、できるだけ細い路地裏の道を選ぶ。
「アタイ、家に帰りてえよ、おとうとおかあに会いてえよ……」
「……うん」
確か、この子はまだ禿からあがったばかりの子だった、一ミはそう自分の記憶を探った。器量も良く、その上若いのだから、多くの男がこの遊女に飛び付いたことだろう。
しくしくと泣く遊女の手を引いて、一ミは見世の前までゆっくりと歩く。見世をぐるりと回り、一ミが裏口の戸を叩く時、遊女はもはや、悲しみも恐怖もない、能面のような顔になっていた。
どたどたと苛立たしげな足音が響き、裏口が勢いよく開く。そこには一ミが予想した通り、お冠になった置屋が鼻息荒く立っていた。
「テメエ! どこ行ってやがったこのタダ飯食らいが!」
毛の生えた手が遊女の髪を掴む。能面のようだった顔が、痛みで少しだけ歪んだ。目を剥いて再び怒鳴りつけようとする置屋と遊女の間に体を割り込ませ、一ミはそっと髪を掴む手に自分のものを重ねた。
「旦那、足抜けとはちょっと事情が違いやして」
「ああ?」
置屋の目が一ミに向く。一ミは自分の顔とを目を置屋に見えるよう顔を傾けた。長い黒髪と白い肌の奥、穴のような黒い瞳が、うっそりと置屋を見上げている。
置屋の手が緩む。その手を遊女の髪から解き、一ミはそのまま手を下げて遊女の手を握り込んだ。逃げられないためであったが、少しでも安心させてやるためでもあった。
「焔硝の頭が来てやして、そいつに乱暴されてたんでさ」
遊女の手がぴくりと跳ねる。
「ほら、顔もこんなに腫れちまって。ただでさえ怖い目にあったってのに、勘違いで折檻されちゃ仏様も目を剥くってもんでさ。今回ばっかりは大目に」
「勘違いだと?」
「足抜けじゃありやせん。そうですよね?」
ちら、と遊女の方を見れば、一瞬呆けた顔をした後、こくこくと頷いた。
「ね、冷やしてやってください」
そう言って一ミは遊女の背中を押し、置屋の前へ押し出した。まだ多少怪訝そうな顔はしているが、呼吸が落ち着いた置屋が見世の中に向かって声をかける。遊女が髪の隙間から一ミの顔をちらと見た。
その二人に軽く会釈をして、一ミは足早に見世の裏手から滑り出た。ふと背負ったままの藤の着物を思い出したが、明日また返しに行こうと、そのまま帰路に就いた。
風が強い。星が瞬いて、その下を風に流される雲が早く動いている。この街は檻だと、そう泣く遊女を幾度となく見守って来た。彼女たちがあの雲のようであればと、一ミはそう思いかけてその考えを飲み込んだ。
この街の朝は遅い。日もすっかり登ってしばらくしてからようやく遊女も置屋も働き始める。今はその少し前、ちょうど皆が起床し始める頃合いだった。
一ミは昨晩渡し損ねた藤の着物を抱え、昨日と同じ見世の裏口の前に立っていた。戸を叩けばガラリと開き、遣手の婆さんが顔を出した。
「何しに来やがった」
遣手は嗄れた声で一ミを睨みつける。一ミはため息を我慢しながら、背負っていた藤の着物を差し出した。
「昨日、あの子が来てた服でさ。忘れてましたんで」
遣手は着物と一ミの顔を訝しげに交互に見た後、引き戸をピシャリと閉じた。今度は我慢する必要もなく、一ミはため息をつき、手元に残った着物を見下ろした。
「かずちゃん」
上から声が降ってくる。名を呼ばれた一ミが見上げれば、そこには髪を結い上げた遊女がいた。光の透けない黒い髪、日に当たったこともなさそうな白い肌、滑らかで美しい脚が服の間から伸びている。彼女はこの見世で二番目に人気の遊女だった。源氏名を赤蜻蛉という。
一ミはちらと辺りを見渡して木と塀を伝って二階の突き出した瓦屋根に足を掛けた。出窓の欄干に持たれた赤蜻蛉の前まで歩き、その場に腰を落ち着けた。
「あのばばあ、もう行った?」
赤蜻蛉は花のように笑う。彼女は天下を取れそうな器量をしてたが、少し口が悪かった。
「うん。受け取ってもらえんかった」
「あ、それ藤峰の服。かずちゃんが持ってたんね」
昨晩の顔を腫らした遊女を思い出す。
「藤峰ってんだ。あの子」
「うん。良い名でしょ。アタシが付けてやったの」
「いまどうしてんの」
「休んでる。まだ寝てるよ」
アタシの禿だったからね、と赤蜻蛉は煙管の皿を燻し始めた。皿に乗ったタバコがじりじりと焦れて、朱を乗せた唇から煙が吹き出した。
春が過ぎて、梅雨が近づいていた。緑になった桜が静かに揺れている。一ミは、先程遣手に受け取ってもらえなかった着物を赤蜻蛉に差し出した。
「これ、返していい?」
「いらない。藤峰がそれ着てたら、あのばばあ怒ると思うよ」
その言葉に、一ミは落胆しながら着物を膝に戻した。
「かずちゃん、それ着てみなよ。きっと似合うよ」
「ええ? やだよ、女物なんか」
「いいじゃん、ほらこっちこっち」
欄干越しに白い腕がにょきりと生えて、逃げようとした一ミの体を捕まえる。一ミは抵抗しようとしたが、上手な力加減の自信がなく、ほとんど無抵抗のまま赤蜻蛉の隣に寝かされた。せめてもの抵抗にと腕を組んでそのまま寝そべったまま動かずにいると、赤蜻蛉が不服そうな声をあげる。一ミはそれも無視して地蔵の心持ちで腕を組み続けた。その姿にわざとらしいため息が落とされる。
「あーあ、いいのかいその態度。藤峰の例にこぉんないいものやろうと思ってたのにサ」
ちら、と横目で赤蜻蛉を見れば、和紙の小包がその手につままれていた。ふらふらと揺らされたそれから、ころころと小さな音がした。
「なんでい、そんなの。ちっとも欲しくね」
「ふぅん?」
赤蜻蛉は煙管を咥え、その小包の封を解いた。床に置かれ、広げられた和紙の中、それは小さな山を作っていた。艶々とした光沢、紫や白の彩り、そしてまるで星のような形。
それは金平糖だった。思わず飛び起きて、その小さな星屑を凝視した。金平糖は、最近西から来たばかりの最先端の菓子だった。信じられないことに、それは全て砂糖でできていると言う。
「いらねえってんならしょおがねえ、そこらの犬にでも食わせてやらァ」
赤蜻蛉はそう言いながら金平糖を一つ摘み、一ミの目の前にちらつかせた。白い指先に紫の金平糖がきらきらときらめいて、一ミの黒い瞳はその光沢を一心不乱に追いかけた。
金平糖に夢中になっている一ミの背後、白いもう一対の腕がこっそり姿を現した。赤蜻蛉はそれを見てほくそ笑んだが、一ミが気づく様子はない。遂にその白い腕が一ミの襟元を掴んだ。
「おらー!」
一ミの襟が大胆に開かれる。白い肌が顕になり、緩く結んでいた細帯が解けた。
「うわあ!?」
「いまだ行けー!」
いつのまにか一ミの後ろに大挙していた遊女たちが一ミを押さえ込む。一ミの体は再び床に倒され、遊女の人だかりから一ミの身につけていた服や帯や草鞋、襷が無造作に放り出された。
遊女たちはその手に襦袢や紅、椿油を持っていた。馬乗りになった遊女の下で一ミが藻搔くも、その脚にはほとんど力が入っていない。
「観念しな優男!」
「そうだそうだ!」
「何だいこの白粉いらず! 齧り食ってやろうかこの肌!」
「髪もあんたこんなボサボサにしやがって!」
遊女たちは悪戯っぽい笑顔を浮かべながら口々に一ミを捏ね回す。一ミは口を挟むこともできず、ただただ遊女たちのおもちゃになっていた。
「悪くないね」
赤蜻蛉が得意げに笑う。その目線の先には遊女たちに囲まれた一ミが呆然と座り込んでいる。
藤の着物、白い足袋、上げられた前髪と差された紅。中性的だった顔立ちは化粧によって女性の印象をより色濃くさせていた。
「何が楽しいんだ」
一ミが不機嫌に呟く。
「動くんじゃないよ。髷が曲がる」
曲がった一ミの背中を膝で軽く蹴りながら、一人の遊女が一ミの頭を弄っていた。その周りの遊女たちも真剣な顔をしながら一ミの顔にさらに紅を入れ、調整に勤しんでいた。
「みんな飽き飽きしてんのサ。毎日汚ねえ野郎の相手して、そんな汚ねえ奴らに触られたアタシらにも嫌気がさして」
赤蜻蛉が紫煙を吐き出す。
「男でも女でもない、そんな人間がほしいんだよ」
数人の遊女が頷いた。一ミは髪をひっぱられながら、その言葉に眉根を寄せた。
「俺、男だけど」
「知ってるよそんなこた。でもかずちゃん、あんた奴刑の女にも手出したことねんだろ」
奴刑とは罪を犯した女に課せられる刑罰の一つだった。その刑に処された女は、人別帖からその名を取り除かれる。言わば下人の身分に落とされるのだった。
そしてまた奴刑に処された女を遊郭などの街に移送するのは一ミのような長吏であった。その際に長吏は手間賃代わりに女を苛むのがほとんど常套であった。
「それだけで救われんのさ。かずちゃんが女に興味ないって、みんな知ってて、みんな安心してる。アタシらはもう、あんたしか信用できないんだ」
遊女の整えられた爪が着物越しに一ミの肩に食い込んだ。一ミは自分を見つめる女たちを見て、すぐにその目を逸らした。
不意に階段を登る足音が響く。遊女たちは顔を見合わせ、慌てて各々の部屋に逃げ帰って行く。赤蜻蛉は一ミの腕を掴み、欄干の方へと押しやりながら耳打ちした。
「ばばあだ! さっさと行きな、服は後で妓夫に返しに行かす!」
そう言い終わるや否や、赤蜻蛉は思い切り一ミを出窓の外へと突き飛ばした。一ミは軽やかな身のこなしで屋根を滑り降りる。しかし、硬い着物と帯が動きづらかったのか、少しばかり鈍臭く地面に着地した。
二階から苛立たしげな遣手の声が響く。一ミは服についた砂を払いながら立ち上がった。中途半端に結われた髪が邪魔をして頭を掻くこともできず、一ミは手を顔のあたりで彷徨わせた。一ミはしばらく自分の状況に立ち尽くしていたが、一つため息を吐いた後、その場を後にした。
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