26 / 32
#26.千鶴の想い
しおりを挟む「お詫びに伺うのが遅くなってすみません」
貴水千鶴は緊張の面持ちでタケルの病室を訪ねた。
事故の当日、彼女は一報を聞いてすぐに病院へ駆けつけていた。ERに運ばれるタケルを見届け、兄の死を確認した。悲しみに浸る暇もなく、父が倒れた。
その後も、降谷家への謝罪と説明、警察やメディアへの対応に負われるなどし、千鶴は奔走した。
グループ内に多くの優秀なスタッフを抱えているとはいえ、貴水家の当主代理として千鶴は息つく間もないほど多忙を極めていた。もはや、大学受験は絶望的だった。
十八歳の少女の肩に、様々なものが一度に大きく圧し掛かった。
しかし、だからといって、いつまでも打ちひしがれてばかりもいられなかった。
「初めまして。タケルの兄の降谷青樹です」
病室で千鶴を迎えたのは、太陽のような眩しい美貌の青年だった。
降谷家の両親とは既に対面を済ませていた千鶴だが、青樹に会うのはこの時が初めてだった。
病院関係者、特に女性職員たちから青樹の噂は耳にしていた。とにかく爽やかな素敵な好青年なのだと。
噂は本当だった。千鶴は一目逢った瞬間に魅了された。
包み込むような温かなオーラ。精神性の高さを窺わせる凛然とした精悍な顔立ち。初めて逢うタケルの兄・降谷青樹は想像以上に魅力的な美青年だった。
「青樹さん、あの……本来ならば、父が来てお詫びを申し上げるべきなのですが、あれ以来、病床に伏しており、代わりに私が参りました。兄が、とんでもない事故を起こし、降谷くんを……タケルさんを巻き添えにしてしまいました。何とお詫びを申してよいかわかりません。どのようにしても償います。どうか、お許し下さい」
千鶴は深く頭を垂れた。
「どうぞ、顔を上げて下さい。千鶴さん、あなたは気丈ですね。お兄様のご葬儀で、お父様の代理を健気にも立派に務めておられたと聞いています。それに、お気持ちは十分に伝わっています。……弟は、あなたのような素晴らしい人に好かれていたんですね。兄として誇らしく思いますよ」
「え……?」
「見たんです。ロケットの写真を」
そう言うと、青樹は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
その少年のような屈託のない表情に、千鶴は釣られて思わず笑顔になった。
「見られてしまいましたか。お恥ずかしい。これですね」
千鶴はロケットを取り出した。
あの日の朝から、ずっと身に着けていた。但し、自分の写真は外した。
「タケルは失くしたと言っていましたが、あなたの手元にあったんですね。よかった。タケルは風呂に入る時以外はいつも首に掛けていたんですよ」
それを聞いて千鶴は純粋に嬉しくなった。そして、タケルの誠実さに改めて胸を熱くした。
そのタケルは未だに意識が戻らず、昏睡状態が続いている。頭部に巻かれた包帯が痛々しい。幸い、顔は綺麗なままだ。千鶴にはそれが唯一の救いのように思えた。
「青樹さん、お話しようと思います。タケルさんと兄のことを」
千鶴は事故の全容を詳らかにするつもりでいた。タケルの家族にはそれを話す義務があると感じていたからだ。
「兄はタケルさんを拉致したんです。後でわかったことですが、兄はタケルさんのアルバイト先へ手を回すなどして周到に計画していたんです」
「拉致……!? 何故、タケルを」
不穏な言葉に、青樹から笑顔が消えた。
「兄はタケルさんに謝りたいのだと言っていました。あの暴行事件に関わることで。私が知る限りのことを、最初から包み隠さずお話します――」
今は亡き兄・彰から聞き及ぶ出逢いの経緯から、タケルの身に起こった忌まわしい出来事、自分がタケルに渡したロケットの行方、兄のタケルへの執着、そして、拉致。
「――おそらく兄も、タケルさんを好きだったのではないかと思います。しかし、自分のものにならないとわかり、タケルさんを道連れに心中を……私はそう推測しています――」
話が進むにつれて青樹の顔色が変わっていくのを、千鶴はつらい思いで目に留めていた。
きっと、彼の胸中は怒りと悲しみに溢れているに違いない。当然だ。紛れもなく兄は理不尽なことをした。しかし、許して欲しい。もう、この世にはいないのだから。本人には謝罪のしようがない。代わりに、自分が何千回も何万回も謝るから。
話を続けながら千鶴は心の中で必死に許しを請うていた。
「話してくれて、ありがとう」
千鶴が全てを語り終えた時、青樹は静かにそう言った。
その声からは怒りも恨みも感じられなかった。ただ、哀しみだけが残されていた。
「青樹さん、本当にごめんなさい。タケルさんをこんな目に遭わせてしまって」
千鶴は再び心から詫びた。
「あなたの方がつらいでしょう。大事なお兄さんを亡くされたのだから」
青樹の言葉は千鶴の胸に温かく沁みた。自然と、涙が込み上げて来た。
死を確認した時の兄の顔を今も忘れられずにいる。揺り起こせば目覚めるのではないかと錯覚しそうなほど、眠っているような安らかな顔だった。兄に対して、ずっと感じていた儚さは、この早過ぎる死を予感させるものだったのだろうか。
しかし、それは必ずしも回避できないものではなかったはずだと千鶴は後悔している。そもそも有吉英司など放っておけばよかったと。
憤りを抑えきれずに暴走している隙に、かけがえのない人を失ってしまった。
もっと、この手に彰を引き寄せて抱きしめておくべきだった。たとえどんなに疎まれようと、いつも近くにいて、とことん母親の代わりになって、降谷タケルへの執着を捨てさせていれば、このような事態は避けられたかもしれない。そう思えてならないのだ。
「兄を、許して下さいますか」
「恨んでいませんよ。タケルだって、きっとそうですよ」
笑顔に戻って青樹はそう言ってくれた。
「ありがとうございます」
千鶴の心は感謝に満たされた。青樹と会い、話ができたことで、悲しみと後悔から抜け出す一歩を踏み出せる気がした。
「お父様のご様子は、どうなんですか?」
千鶴をいたわるように青樹が訊いた。
「いつも泣いています。あんな父を見るのは初めてです。何も食べずに、今は点滴だけで生きています。父にとって、兄は身体の一部……心臓のようなものでしたから」
兄・彰への父の測り知れないほどの深い愛を目の当たりにした衝撃は、千鶴の心に言いようのない複雑な感情を生んだ。
『彰、私の彰、すまなかった。許してくれ』
病床で譫言を繰り返す父。まるで、自分に彰の死の責任があるかのように。
父が何故、兄に許しを請わねばならないのか、千鶴は知り得べくもない。ただ、自分が入り込む余地がないほどの濃密な絆でふたりが強く結ばれていたことだけはわかる。それが少なからず妬ましい。千鶴は生まれて初めて彰に嫉妬した。
「だったら、なおさら付いていてあげないと」
「はい。あ、青樹さん、もしかして、あなたが……」
タケルが言っていた『心に決めた人』なのでは? と尋ねようとして、思い止まった。
「いえ、何でもありません」
千鶴は小さく首を振った。確かめるまでもないと思えた。
彼がタケルを愛していることは明白だった。タケルの『心に決めた人』、それは、この降谷青樹に違いない。
凛として気高く、太陽のように温かく、どこまでも清らかで美しい。彼こそ、降谷タケルにふさわしい。
つづく
0
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
BL 男達の性事情
蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。
漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。
漁師の仕事は多岐にわたる。
例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。
陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、
多彩だ。
漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。
漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。
養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。
陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。
漁業の種類と言われる仕事がある。
漁師の仕事だ。
仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。
沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。
日本の漁師の多くがこの形態なのだ。
沖合(近海)漁業という仕事もある。
沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。
遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。
内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。
漁師の働き方は、さまざま。
漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。
出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。
休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。
個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。
漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。
専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。
資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。
漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。
食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。
地域との連携も必要である。
沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。
この物語の主人公は極楽翔太。18歳。
翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。
もう一人の主人公は木下英二。28歳。
地元で料理旅館を経営するオーナー。
翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。
この物語の始まりである。
この物語はフィクションです。
この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。
仮面の王子と優雅な従者
emanon
BL
国土は小さいながらも豊かな国、ライデン王国。
平和なこの国の第一王子は、人前に出る時は必ず仮面を付けている。
おまけに病弱で無能、醜男と専らの噂だ。
しかしそれは世を忍ぶ仮の姿だった──。
これは仮面の王子とその従者が暗躍する物語。
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる