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第2章
彼我の境
しおりを挟む生温い風に運ばれた雲が重く空に集まっている。
赤髪の男の言葉にアミナは信じられずルカを食い入るように見つめた。
「...ルカ......?」
いつもの明るい笑顔が見えない。初めて会った人のような顔で彼はアミナを見て、シオンを見た。
二年前の春。桜の芽が今にも溢れそうなほど実っていた。図書館の裏にある中庭でアミナは隠れるように前髪を垂らし、地面を見つめていた。ひんやりとした土で蟻が列をなして歩いている。
きゃははっ。
通りから聞こえる女の子達のはしゃぎ声から逃げるようにさらに俯いた。
「君がアミナ?」
「.....!?」
頭上から降った声に飛びはね、警戒心の強い猫のように硬直した。
前髪の間から覗き見えた青年は優しい稲穂の瞳で柔らかく笑っていた。
「今日の空の色を知ってるか?ほら、良い色だ。こんなに晴れてる空をタダで見れるって贅沢だよなぁ」
青年の明るい声に釣られて見上げた空は雲ひとつない晴れやかな天色をしていた。
「....ルカ...」
アミナがもう一度呼ぶと稲穂はまっすぐに彼女とシオンを見た。
「....もと、な。ハデスにいたのは10年前だ。......ごめんな」
最後は何に対しての謝罪だったのだろう。
シオンはくっと唇を噛むと拳を握り、眉間に力を込める。数秒の間、耐えるように沈黙すると空を仰いで一つ息を吐いた。そしてルカの胸を平手でどん、と叩き、横目で赤い男を捉えた。
「話は後や。先にコイツをぶちのめす。あの女を操ってたのはお前やろ」
ダイアナの側で地面に座り込んでいたリナリアは幼馴染みの肩をぎゅう、と抱いた。赤髪を睨み付ける。
「なんやオモロイこと探しとったんやけど調度よくええ具合に歪んどる奴を見つけられてなぁ。簡単に堕とせたで。....けど、やっぱただの人間やわ。思てた以上に弱くて期待外れやった」
その言葉にリナリアは立ち上がり、「ふざけないで!!」と怒鳴る。眼鏡の奥の瞳が怒りに燃えていた。
「あんたを...あんたを楽しませる為に、たかがそれだけの為に、ダイアナの心を蝕んだの!?」
「なに言うとんねん。俺様を楽しませるチャンスを与えてもらったんやで?名誉やろ」
唇を舌で舐めながらからかうように笑う男にリナリアは目尻を吊り上げた。怒りの表情のまま、アミナとシオン、そしてルカに人差し指を向けた。
「あんた達!!私が援護するからあいつを捕まえるのよ!!」
「ひぇ!?」
「はぁ?」
「え?」
今の今まで泣いていたリナリアの突然の剣幕にアミナは肩を跳ねさせ、シオンは怪訝に、ルカは目を丸くした。怒りに燃えるリナリアは三人の反応などおかまいなしだ。赤髪は手の甲を見せて振った。
「悪いけどまた今度や。今は目立つなって言われとるんや。ほいじゃーな。うお!?」
首を右に傾けて剣を避けた男の赤い髪がハラリと散った。男は目前に迫っていたオリビアに「いつのまにここまでっ…!」と狼狽る。
屈んで低い姿勢になったオリビアは男の足を蹴り、仰向けに転びがら空きになった胸に容赦なく片足を降ろし押さえ付けた。
「ぐえ!!」
「なんだお前。のろいな」
「お、お前なにもんや!?俺の隙をつける奴なんて...!」
「オリビア様だ。......ちっ」
オリビアが舌打ちをするのと同時に同行していた男が肩にかかる黒髪を結い上げた。煙草に火を付け咥えた男はアミナ達に顔を向けた。
「来るぞ」
空から黒い羽が一つ、地面に落ちた。
『ナイトメア・ナイトドリーム(夢に踊る)』
声と共に無数の黒い花片が教会や学舎、寮の窓から侵入したのが見えたと思ったら、少女達の驚く悲鳴が聞こえた。
「きゃあ!?なに!?花びら?」
「なんでこんなに...」
学舎の教室にいた少女達はひらひらと舞う異様な数の花びらを見上げた。花片から落ちる花粉を浴びると少女達の瞳がとろんと溶け、まるで夢を見ているようにぼんやりと顔を動かし、教室の入り口を見つめた。
シオンが大剣を握りしめ、現れた人物に憎悪の瞳を向けている。
「シオン...」
「今回はこの前みたいにはいかへんで。俺はあんたを殺す!!」
牙を剥き出しに叫ぶシオンは初めて会った頃のように怒りに支配されていた。駆け出す背中を止めようとアミナは手を伸ばすが、虚しく空を切っただけだった。
「シオン!!」
復讐に捕らわれた竜族の少年にアミナの制止など聞こえるはずもなく。
「死ねぇぇ!!」
ボリスラフへ大きく剣を振りかぶったシオンの姿になぜかアミナの頬を涙が伝った。
遠い。どうしてこんなにも遠いの。
近づけたと思ったら離れていく。
根本的な、なにかの違いが、いつも完璧に線を引く。
それでも側にいたいのだ、と涙を拭いて走り出そうとする彼女の腕をルカが取った。
「今は、危ない。俺の後ろにいて。.......信用できないと思うけど」
自分の言葉に苦笑するルカにアミナは勢いよく振り向いた。
「そんなこと、ない!」
「アミナ....」
「どうしてそんなこと言うの…!」
唇を突きだして拗ねたような、怒ったような表情をするアミナにルカは目を丸くする。
「いや、だってさ...えぇ...?」
てっきり軽蔑されているものだと思っていたルカは予想外なアミナの反応に珍しく狼狽える。額を手のひらで抑えて彼女の意図を読み取ろうとするが、訳が分からなくて思考がまとまらない。そんなルカの横からリナリアが腕を組んでひょっこり顔を出した。
「今は!その話は後!最優先課題はあの赤い奴を取っ捕まえることよ!!」
眼鏡の奥で緑の瞳が勝ち気に燃えていた。
「泣いたり、落ち込んだり、もう結構よ!あのままうじうじしていたらあんな勝手な奴に自分の人生を狂わされるところだったわ!」
リナリアはアミナの手をとって、「お願い」と眉を寄せて懇願した。
「....一緒に戦って、くれる?」
私はこの子の思いを踏みにじってきた。
なんの見返りも求めないこの子を一方的に傷つけたわ。
勝手だってわかってる。
だけど、この子となら頑張れる気がするの…。
リナリアの手は震えていた。緊張で冷えきった指先は固まって、白い。柔らかい指がきゅっと優しく握り返した。
「もちろん」
迷わず頷く少女にリナリアは瞳を滲ませた。震える瞼で瞬きをして浮かんだ涙を落とさないように堪える。今は泣いている時じゃないのだ、と。
ふと視界の端に映った人物に眉をひそめる。
「ルーシー…先生?」
『ダーク・セバー』
ボリスラフの鞭から黒い刃が飛び出す。剣を振ってすべて打ち落とし、シオンは敵の首目掛けて刃を横に振った。鞭を短く持ち刃をずらすとボリスラフは後ろに跳び、再び真っ赤な唇を開いた。言わせまいと力強い声が彼女の言望葉を遮る。
『トワイライト・ムーン(日の出の月)』
仄白い光が三日月の形を成してボリスラフの鞭を狙う。鞭を振って光を砕き、波打つ艶やかな黒髪を首を傾げて横に流す闇の使い手はやはり妖艶だ。
妖しく艶やかな美しさを持つ女はさながら夜を統べる女王のように微笑みを浮かべた。
それとは対極の月の女神のように透き通る美しさをもつオリビアが身に付けていた純白のマントをバサリと払うと細く引き締まった脚が姿を表した。
「うむ。美脚」
「隊長...こんな時に...」
「はーなーせーやー!!!」
ディーノに隊長と呼ばれた男は大きな手で赤髪の頭を押さえつけ、その背中に全体重を乗せて座っている。
木の根に座り込んでいるアイザックはリナリアに「しっかり守っときなさい!」と胸に抱かせられたダイアナをおっかなびっくり支えていた。
顔を上げた瞬間、なよりとした彼の目がびくり、と硬直した。
「....え、...ええ?」
教会や宿舎からぞろぞろと列をなしてこちらに向かってくる大勢の女達を目にして彼の手や足はガクガクと震え始める。
異様なのだ。目はとろんとしてどこか遠くを見ているようで、手足は糸で引かれた操り人形のように意思が感じられない。
ずりっ...ずりっ...とぬかるんだ土で靴が汚れようと、気にするそぶりもなく引きずられているかのように歩いてくる。
彼の腕に鳥肌がぷつりと沸いた。
「ひ、ひ、ひえぇっ」
ついにアイザックの腰は完全に抜けてしまった。
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