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第2章
想い出の貴方は悲しく頬笑むだけ
しおりを挟む「な、なにっ...!?」
「メアリー?ベル!?....なにして...」
学舎や教会から引き摺られるように出てきた女生徒や修道女達にぐるりと周りを囲まれたアミナとリナリアは異様な雰囲気を感じていた。
同じく囲まれてしまったルカは二人に「操られてる」と伝えた。
「こんなに大勢を操るなんて...なんて心力だよ」
取り囲む女達が同時にそれぞれの言身を手にした。そのどれもが真っ黒に染められている。
ルカが舌打ちをして槍を振るうのと同時に闇の言望葉の合唱が空気を震わせた。
『ダーク・セバー』
『エイトサンダー・ゴッズバリケード!!(八雷神の守護)』
バリバリッと激しい雷粒を纏った巨大な腕が空から伸び手首をぐるりと回すと、方々から飛んでくる闇の言望葉を壁になって防いだ。
「すごい…」
ルカって、こんなに強かったの…!?
いつも朗らかに図書館で働いているルカの姿しか知らないアミナは彼の隠されていた力に驚きと頼もしさを感じた。間髪入れずに再び言望葉の合唱が起きた。
『ダーク・セバー』
「うおりゃあぁぁあ!!『ドラゴンズ・スケイル!!(火竜の鱗)』
竜へと形を成した炎が大剣から放たれ、上から地面へと勢いよく闇の言望葉を弾いて突き刺さった。
土に含まれていた水が蒸発して空気に白が混ざる。闇の呪いにかけられた女達が大量の水蒸気で阻まれてしまいよく見えない。
いつのまにかアミナの前には見慣れた背中があった。
「シオン...」
来てくれたの?
「ゆーせんじゅういや。あいつはいつか俺が殺す。やけど今は...」
振り向いた紫の瞳に胸がきゅうっと締め付けられた。涙が出そうになるけれど、シオンに見られたくなくて彼の背中に額を押し付けた。湧いてくる感情を抑えながら、なんとか声をふりしぼった。
「優先順位、だよ...」
「あ?そうや!ゆーせんじゅんい、やな!」
明るく復唱する彼の声でなぜこんなにも安心できるのだろう。
こっちを見てくれた。
それだけで、どうしてこんなに...。
名前の分からない感情を抑えてアミナはシオンに顔を向けた。
「みんな、操られてるの!なんとかしないと」
「分かっとる。俺とルカで奴らの言望葉を防ぐで!」
「ああ」
ルカが頷く。シオンはぐるりと見回して面倒そうに頭を掻いた。
「ほんまは当てた方が効率ええんやけどな」
仕方なさそうに呟かれた言葉にアミナの口許がつい緩んだ。
初めて出会った頃のシオンだったら、きっと迷わず殺すために剣を振るっていただろう。
次々と休みなく唱えられる闇の言望葉を炎を操って打ち消すシオンの背中が今は近くにある。それが何よりも心強い。アミナは弓を構え、赤いカミツレに矢を放った。
一人、一人と呪いから解き放っていく。一体何人を解放できただろう。闇の呪いを解かれた女生徒は地面にしゃがみこみ、ぼうっと空中を眺めている。
闇の言望葉を使った彼女達は心力を蝕まれ、自我を起こす気力を失っているのだ。
弓を引くアミナの息が上がっている。
心力を言望葉に使うって、こういう感じなんだ...。たしかに体のエネルギー源が消費されているのを感じる...。
心の力が不足していくと体全体がずっしりと重くなる。指で矢をはさんで後ろに引くだけ。これだけのことなのに回数を重ねるごとに重く、硬くなってく...。シオンとルカ...本当にすごい。
アミナの視線の先には大勢の闇の言望葉を効果範囲の広い言望葉で防ぐルカとシオンがいる。
効果の範囲が広いということは、それだけ心力を消費しているということだ。
身のこなしもすごいけど、力を維持できる心の強さと器が私とはまるで比べ物にならないんだ...。聖の言望葉使いと違って、言望葉を使う心力の消費だけじゃないはずなのに...。
闇の言望葉を防ぐだけでも、心力が削られていくって、前にシオンに教えてもらった。
「....っは、...」
幾度も闇の言望葉を防いでいくうちに、徐々にシオンの息づかいが荒くなっていた。
彼と背中合わせに防御し続けていたルカも険しい表情になっている。
「....やっぱ長引くときついな。癒し手がいればマシなんだけどな」
「だから、私も一緒に戦うって言ったでしょう!」
おさげを邪魔そうに振り払ったリナリアは、細身の杖を掲げた。銀の杖に巻き付いた小さな星型の水晶達がキラリと躍り輝く。
『ヒーリング・ハート!!』
銀と緑の柔らかな光がシオンとルカに降り注ぐ。
リナリアの力で心力を少し回復したシオンは目を丸くしてリナリアを見た。
「これっぽっちなん?」
「え?」
首を傾げるリナリアにシオンが不満そうに唇を曲げた。
「ちょーっとしか回復せんやんけ。こんなんすぐ元通りや」
「......じ、実践の授業をこの前初めてやったばかりだもの!仕方ないじゃない!」
「まぁまぁ。ちょっとでも有り難いよ」
真っ赤な顔で反論するリナリアをルカが宥める。
「君達......心配して来てみれば...。囲まれてるというのにずいぶんと余裕ですね」
女の群れの向こう側からディーノが呆れたようにこちらを見ていた。彼は身長よりも長い十字架を片手でくるんと回した。
『ヒーリング・ハート』
「お」
「おー!」
ディーノの癒しの言望葉で心力をたっぷり回復したシオンは「よっしゃ!まだまだいけるで!」と勇ましく片腕を回した。ルカの表情も和らぎ、「さ、もうひと踏ん張り」と両手に携えている槍を構えた。
「すごい!楽になった...!」
心力が回復したことによってアミナの体もぐんと軽くなる。その横でリナリアは悔しそうに唸った。
「本業の癒し手の力...やっぱり凄いわ......」
悔しい。でも。
ディーノを視界に写すリナリアの緑の瞳が明るくきらめく。胸が逸ってときときと弾んだ。
失っていたと思っていた夢が、今度ははっきりとした形で思い描ける。
「.....私も、なりたい...癒し手に。...なれるかしら」
「なれるよ。リナリアなら」
熱に浮かされたように呟いた言葉に間髪入れずにアミナが答えた。まっすぐな空色の瞳が、澄んだ声が彼女の背中を優しく押す。
矢を構え狙いを定める横顔にリナリアは小さく唇を震えさせた。
「....どうして」
どうして、あなたはそんなにも...。
揺れる感情を首を振って払い、リナリアはディーノを注意深く観察した。実戦に勝るものはない。
一挙手一投足も見逃すまいと目をこらすリナリアのそれは夢を追うことを決意した少女の顔だった。
「速攻だったな」
女達の群れの中で剣を振るうシオンにオリビアは片頬を上げた。
アミナ達が囲まれたと気づいた途端、矢のごとく走り出したシオンを思い出し、くくっと喉で笑うと聖の言望葉使いは片手を腰に当てて余裕の表情で佇む女に向けて口を開いた。
「やはり聖の言望葉使いが闇に墜ちると桁違いに強いな」
ボリスラフは赤い唇で弧を描く。
「あなたもこちら側に来たらいいのに。ボスは怖いけど、結構気楽よ?アストライアなんかより、ずうっと」
「そうか?こっちもかなり自由だがな」
赤髪の男を抑えつけている長身の男が煙草を咥えながら苦虫を噛み潰したような顔をした。
「そりゃお前だけだ」
「....あいつ、聖の言望葉使いだったんか...!?」
驚いている様子の赤髪に男は「知らなかったのか?」と意外そうに返した。ボリスラフをまじまじと見つめるだけ見つめると、赤髪は「お気に入りなわけやな」と呟いた。
「なあ」
長身の男が煙草の煙を細く吹き赤髪の横顔を見下ろした。
「お前ら『ハデス』はなんの為に作られたんだ?」
赤髪は牙を見せて笑う。
「取られたもん、全部取り返す為や」
「.......お前らのボスは?」
「けけけ」
一つ笑ったきり口を閉ざした赤髪の赤い瞳は捕らえられているというのにぎらぎらと燃えていた。
嫌な笑いだ。目を細める。
「ここ最近になってお前ら闇の言望葉使いがこの国に侵入している報告が数多く上がり始めた。......それに伴い、スターチス家の悪い噂もな。王家に何か仕掛けるつもりか?」
「今さら遅い」
風を切って黒羽を舞い散らせながら大烏が男に体当たりした。充分な助走をもって当たる力は烏の体重と相まって物凄い衝撃だった。
上から退いた男の体重がなくなると赤髪はにやりと笑い、素早く立ち上がる。そしてボリスラフに向かって走り始めた。
「ボリスラフ!ずらかるでぇ!」
「あなたが竜になれればもっと楽だったのに」
「は!誰があんなもんになるかぁ!そんなもん、こっちから捨てたったわ!」
鼻で笑った赤髪は片頬を持ち上げた。どうでもよさそうにボリスラフは濡れているような美しい黒髪を細い指で撫で、大烏が旋回して迎えに来るのを待った。
「行かせるか!」
『トワイラント・ムーンライト!(月の光網)』
『ウオーリアー・ハンド!(戦士拳)』
金の光が闇の言望葉使い達を捕らえようと幾筋もの扇状に広がり、男が右の拳を振るうと人差し指と中指に嵌められた指輪から巨大な手が出現した。
「うげ!?」
赤髪が顔を青くするのを尻目にボリスラフはなんでもないことのように笑った。
「正しい道には限界があるのよ。....だからこっちに来たらって言っているのに」
『ダーク・マター(消滅星)』
黒い花片が集まり、巨大な球体になる。ぐるぐると回転すると聖の力をあっけなく吸い込んでしまった。
「ちっ」
渾身の言望葉を簡単に崩されオリビアは苦く舌打ちをした。烏の足を掴み空に昇るボリスラフを見上げ、苛立ちを隠さず声を上げた。
「お前がこんなことをしているのを、ユリ様が望むと思うのか!!」
「..........」
ボリスラフは何も返さず、つい、と顔を上げ、軽々と烏の背に移った。
翼に手をうずめ懐かしい人の面影をもつ少女の姿を探した。ふと少女が顔を上げると、唇を「あ」の形にしてボリスラフを目を大きく開いて見つめた。
想い人より丸みを帯びた少女の空の瞳。金の弓。
赤い唇をふ、と和ませた女の眼差しは少女の姿が豆粒ほどになると途端に暗く変わった。
湿気った生ぬるい風に黒髪を任せ、彼女は長い睫毛で縁取られた瞼を閉じ、ゆっくりと開いた。
どこまでも続きそうな曇天の先を暗い瞳で眺めていた。
「.......死者は語らないのよ」
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