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第2章
日々を越えて
しおりを挟む街灯が仄かに灯る暗くなった道を歩く五人の右側を向かいから走る車のランプが照らした。
アミナは隣を歩くルカを見上げ、そしてシオンに視線を移した。彼は静かにルカの話を聞いていた。
「......それから、俺は[騎士育成機関]に入り、十七の年に卒業して騎士見習いになった。俺はてっきり、騎士になれば城に行くことができると思っていたが、違ったらしい。孤児で家族のいない俺は数ある任務地の中でも最悪の場所、北の国と東の国の海境に行くことになった。....生まれというものは、どこまでもつきまとうものなのだと、思い知ったよ」
アミナはルカの話に小さく頷いた。
自分がかつてこの国の姫だったという事実は決して変えることができない。
彼女が望んでも、望まなくても、消えることはないのだ。
オリビアがアミナの母親と何かしらの関わりがあり、アミナがその娘だと気がついたように。
生まれというものは、彼女の一部としてそこにあり続ける。
そして、それはシオンも同じなのだ。
「海境では、たくさんの仲間が海の底に沈んでいった。俺と同じような戸籍の奴らが」
ルカの横顔がわずかに翳った。
「.....三年の任務を終えて、陸に戻った時、俺はその時初めてアイリスさんとリーフさんが城を解雇されていたことを知った。国中を探し回ったよ。北から南まで。でも見つからなかった。騎士仲間に聞いても、二人がいなくなったのは何年も前のことで、なんの手がかりも得られなかった。……途方に暮れるって、ああいうことを言うんだろうな」
任務で行く先々で二人のことを調べ回った。でも、見つからなかった。
二人のことは俺が作り出した幻想だったんじゃないか、なんて考えたりした時もあった。
でもそんなわけないって、それだけははっきりと否定できた。
俺が生きていること、それが証拠なんだって。
セゾニエールに戻り、次はどこを探そうかと考えながら街を歩いていたら見覚えのある煉瓦造りの円形の建物が目に入った。ずいぶんと古いな、と眺めていた時に、ふと思い出したんだ。
「ここはかつて図書館だったんじゃよ」
.....そうだ。昔じいさんが言っていた。
幼い兄妹がトートバックを手に提げて建物の中に入っていった。
へえ、図書館再開したんだ。じいさん知ったら喜ぶぞ。なんとなく年季の入った壁のヒビを眺めながら裏に回ると中庭を見つけた。
木々の間から中を覗く。そこに空色を見つけた。
「アミナがいたんだ」
ルカは懐かしそうに目を細め、アミナを見た。
ひと目見て、すぐに分かった。
"アミナ様"だ。
地面を見つめている姿はじいさんが言っていたように"幸せをつめこんだ花のように笑うお姫様"ではなかったけど、分かったよ。
膝を抱いてしゃがむ背中はつついたら崩れてしまいそうに神経が張りつめていて、小さな手はぎゅう、と何かに耐えるように握りしめられていた。
ああ、彼女は戦っているんだ、と思った。
じいさんが言っていた通りだった。
"臆病で、弱い。けれど思慮深く、強い"
つらいのは、諦めていないから。
すっきりと晴れた今日の空と同じ清澄な空色がまさか自分にあるとは気づいてもいないように、彼女はじっと下を向いていた。
「君がアミナ?」
思うよりも先に声をかけていた。君は猫のように跳ね、尻餅をついた。丸い瞳をきょどきょどと揺らし、申し訳なくなるほど萎縮していたね。
「今日の空の色を知ってるか?ほら、良い色だ。こんなに晴れてる空をタダで見れるって贅沢だよなぁ」
君の髪と瞳の色だよ。
俺が空を見上げると、アミナもつられるように顔を上げた。顎まで覆っていた髪が頬に流れ、可愛らしい横顔が表れた。
こういう顔をしていたんだな、と眺めていたら耳に懐かしい声がとびこんできた。
固まった瞳で中庭に続く図書館の裏扉を信じられない思いで見つめた。
「リーフさん、アミナはどこです?」
「中庭じゃろう。ほほ。今日のランチはあそこのバゲットサンドか」
「はい。クーポンを頂いていたので」
息を呑んだ。指の先が痺れ、頭が真っ白になった。衝動的にその場を離れ、走った。街の路地裏の壁に手をついたところでようやく止まることができた。
....いた...。
「.....いた...ここに、いた......!.....アイリス、さん...!」
なんということだろう。灯台もと暗しだ。彼女はずっとこの街にいたんだ。歓喜で震える指を片方の手で握りしめた。
信じられないことに、彼女はたったひと声で俺の七年間溜まり続けた鬱屈とした黒い感情を綺麗に洗い流してしまった。
彼女の声を脳で何度も繰り返す。
甘やかな痺れが脳に広がり、心臓が馬鹿になってしまったように大きく速く鳴り続ける。
この時、俺は初めて気がついた。
アイリスさんが好きだ。
女性として、あなたが好きなんだ。
暗い路地裏から抜け出し、日の光が降り注ぐ表通りへ歩を進め、空を見上げた。
一切の迷いはなかった。
「その後、俺は任務中に死んだように見せる為に工作し、成功させた。こうして、"騎士のルカ"は死んだんだ。それから図書館で働くようになって、今こうしてここにいる」
ルカの話に耳を傾けながら、アミナは恋の不思議を思った。
恋とは、人をこんなにも一途に行動させるものなのかと。
その人の傍に行く為ならばと通常では考えられないようなことも実行してしまう、強い引力。
アミナの心の端の方で、光の粒がぱち、とはじけた。
私は、ルカの想いが分かるような気がする。
その人の傍に行きたくて、どうしようもなくて、衝動を抑えられずについ走ってしまう。
私はその感覚を知っている。
どこかで、そう。どこかで…。
深く潜ろうとするアミナの思考を、ルカの声が止めた。
「こうして日々を過ごしていると、より実感する。どんなに表面上は優しく見せていようと、生きるために犠牲にしてきた人達がいなかったことにはならないように、俺の行いもなくなったことにはならない。救えたはずの命から逃げた事も、決してなくならないんだ」
ルカはシオンに視線を向けた。竜族の少年は真っ直ぐに彼を見ていた。
「……ここにひどい傷を負ってぼろぼろのお前が来た時に…分かったんだ。逃げた過去は、絶対に再び巡ってくるんだって。俺のやったことは、ずっと俺が背負い続けなくちゃならないことなんだって。……でも、ごめんな」
「俺はこの国に来て、大切なものができた。あの頃の俺には想像することさえできなかった。絶対に守りたい、かけがえのないもの。.......俺はここを離れることはできない」
シオンは瞼を閉じ、沈黙した。長いようでいて、短いような静寂が辺りを包んでいた。
彼は許せない。竜族を狩りの対象とする人間達を。
ボリスラフに捕まり、コロシアムで仮面をつけて管理されていた。『ハデス』の名を聞くだけで怒りで体が震える。
アミナは何も言えなかった。
ルカのこれまでが正しかったとも、過ちだったとも。
ただ、隣に立つルカを見ると、これだけは言えた。
「ルカが生きていてくれてよかった」
「あんたが生きててよかった」
同時に声を発したアミナとシオンは驚きで見つめあった。その間にいるルカは目を開いて固まっていた。
シオンは猫のような大きな目でルカを捉え、そして言った。
「……あんたが昔、逃げたとしても。……俺からは逃げなかったやろ。......俺はもう、それでええ」
シオンは唇の端を上げて笑った。
全て許せるわけがない。胸を燻るものがきっとあるだろう。
けれど、彼はルカの為に笑った。
この国に来て変わったのはルカだけではなかった。
「だいたい、万年人手不足やっちゅーのにあんたが抜けられると思っとるん?じじい過労死するで。なはは!」
頭の後ろで腕を組み明るく笑う彼の紫の瞳は星のように輝いていた。
「……今のあんたが、俺の知っているあんたや。それでええやん」
シオンはルカを横目で見て、片頬を上げた。
少年の横顔を見つめていたアミナは、彼の温かい強さにまた一つ、惹かれる。胸が熱く高鳴るのに戸惑い下げた視界に入ったものにアミナは小さく息を呑んだ。
今更ながら、彼女はルカの手が震えていたことに気がついた。
見られたくない、というように手のひらで顔を覆う指の間から稲穂の瞳がわずかに潤んでいるように見えた。
「...何を言われても仕方がないと思っていた。...でも、……怖かった…。....お前らに、軽蔑されるかと思うと。………、ありがとう」
噛み締めるように言ったルカの声はアミナの胸を締め付けた。
いつも支えてくれる強い人だと思っていたルカにも弱いところや、触れられたくない場所があるのだ。
アミナは知った。
きっと最初から強くて優しい人などいない。
悲しみや屈辱、後悔をすべて抱えて。パンパンに膨れた重たい荷物の日もあっただろう。それでも捨てずに今日まで歩いてきた。
優しいのは、"つらい"を知っているから。
だから人に優しくなれる。強くなれた。
これまでがあるから、今のルカがある。
前を歩いていたリーフが独り言のように呟いた。
「……辛い状況下で、どうやって生きようと思うことができるか。自分の命を守ろうと思えるか…。本当に辛い時に、ただ"生きろ"と言われても、虚しく響く時がある。死んでしまいたい。この世から消えれば楽になれる……。そう考えてしまう状況は、現実にあるのじゃ。……人間の世界に生きていると、命が平等でないと思う出来事があったりする。しかし、命は平等じゃ。優劣などない」
「……では、どうしたら生きようと思えるのか?……それには希望が必要なんじゃと、儂は思う。そう、希望がなければ人は生きられない。生きていれば、という漠然としたものではなく、明確な」
「それは人に必要とされることなんじゃ。その人がいるから、明日も生きてみようと思える。……自分を必要とする人間などいない、と思う事もあるじゃろう。今はそうかもしれない。そういう時もある。じゃが、いつか必ず、誰にでも自分を必要だと言ってくれる人が現れる。必ず。絶対に、現れる」
「生きよう。絶望を知った人間は誰よりも強く生きてゆける」
リーフの夜に溶けるような優しく、けれど心のこもった言葉に、ルカは小さく頷いた。
リーフの隣でアイリスがずっと自分を見ていたことにルカはようやく気がついた。ずっと見守っていたのか、と彼は照れたような微笑みを浮かべた。
生きていても仕方ないと諦めた時があった。
けれど、揺れて、救われて、
今こうして安堵する。
しみじみと温かいものが心に染みていくのを感じ る。
生きるということを感じる。
しみじみと。
しみじみと。
図書館に着き、リーフが振り返り腹を撫でた。
「さあ、晩飯にしよう」
ルカは片眉を下げて吹き出した。
この人、いつも俺に飯の話ばかりするよな。
サンズロイヤル城の自室で食事をとるビオラ王女のテーブルに見慣れないものがコトリ、と置かれた。
「……これは?」
表情を変えずにビオラは前に立つ騎士を見た。鷹のような鋭い瞳をもつ騎士は「俺が昔よく行っていた洋食屋のプリンです。……懐かしくなったもので」と簡潔に唇を結んだ。
普段は無口なこの騎士が自分のことを話すなど珍しい、とビオラはテーブルにちょこんと載せられたプリンを眺める。
海色の瞳がほんのわずかに笑んだような気がした。
バゲットを小さく千切り、口に含むビオラの様子を騎士は見守り、祈り続ける。
どうか今だけでも、この人の心が休まれますように。
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