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第3章
いってらっしゃい
しおりを挟む「いよいよ今日じゃのう。何時に教会じゃったか」
朝食の時間、いつもは開いている新聞を閉じてリーフはアミナに尋ねた。
目の前に座る少女は自分と同じく甘くしたカフェオレを飲もうとして、止まった。ピンクのマグカップを持つ手が震えている。
「じ、10時くらいって、いひ、い、言ってた....」
「そうか。気を付けていってくるんじゃぞ」
本当にアストライアに入れるのか、いざその時が来たら急に不安に駆られてしまったのだろう。焦点の合わない瞳はきょどきょどとテーブルの上をさまよい、サンドイッチに目を止めると彼女は、はっはっと息を荒くしながらそれを手に取り強く握った。
「う、うん」
「あー!あー!こぼしとるこぼしとる!」
シオンの慌てた声でアミナは「ああっ」と声を上擦らせ、緊張でガチガチになった手でテーブルの上に溢してしまったサンドイッチの具のスクランブルエッグやらレタスやらを取ろうとする。しかし、震えた手ではうまく掴めず、それらは彼女の太股に落ち、キュロットを汚した。
「うあっ!ああ!お気に入りなのにっ。ど、どうしよ、えと、えと…!ぅあ」
「落ち着け!!」
「んぐ!」
目を回し両手で頭を抱えるアミナの口めがけてシオンは自分のサンドイッチを無理矢理詰め込んだ。
「俺が作ったんやで!あんたが使いもんにならんかったからな!ちゃんと食え!」
アミナは目をぱちくりとさせながら、口内を占領したサンドイッチを咀嚼する。もぐもぐと顎を動かし大人しくなった彼女にシオンは得意気に「うまいやろ?」と笑った。
「そう言われたらまずくても言えないじゃないの」
「なにをー!俺様が一生懸命作ったんやで!まずいわけないやろがい!それともまずいってのかババア!あーん!?」
「美味しいわ」
「やろ!ほれみろ!!」
アイリスに向かってビシィッと人差し指を突きだし胸を張るシオンにアミナは目元を緩ませた。
この騒がしい人の傍にいると、緊張などしている暇もないな、と彼女は眉を下げて呆れたように笑った。
その二人の様子を見守っていたリーフは目尻の皺をそっと深めた。
図書館の門まで見送りに来てくれたリーフとアイリスにアミナはもじもじと指を絡ませ、「....えと」と口ごもった。
なかなか続きを言わないので、ついにシオンが痺れを切らし、「なんやねん!言いたいことあんならはよ言え!」と荒々しく彼女の背中を押した。
「わ、分かってるもん!」
アミナは唇を尖らし、シオンに「せっかち!」と一言文句を言うと(シオンは「なんやとっ」と彼女に噛みつこうとしたがアイリスが羽交い締めにして止めた)、ぎゅっとキュロットパンツを握り、リーフとアイリスに顔を向けた。その顔はひどく不安そうだった。
「....が、がんばれって、言って....」
短い眉を下げて今にも泣き出しそうな少女の様子にリーフとアイリスは目配せをし微笑んだ。
二人はそれぞれの手を彼女の肩に乗せ、心を込めて言葉を伝えた。
「頑張れ!」
ほっと肩の力を抜き笑ったアミナは「いってきます!」と教会へ続く道へ足を向けた。
小さくなっていくアミナの後ろ姿をリーフとアイリスはじっと見守っていた。
「.....行ってしまいましたね」
アイリスの瞳は少し寂しげだった。
ずっと近くで守ってきた小さな少女は成長し、自分の意思で新たな場所へと歩き始めた。
今までなら何かあればすぐに駆けつけることができた。
けれど、少女は外へ。
もう、すぐに助けてあげられない。
自分達の手が届かない場所へと。
「ああ」
リーフは眩しそうに目を細め、少女の背中を見つめていた。
初夏のからっとした青い空の下。少女はうつ向かずに前を向いている。
「頑張れ。....頑張れ。」
リーフは言葉が風に乗って少女の力になるように祈りながら何度も「頑張れ」と繰り返した。
子供の門出を見送る親と同じ眼差しで。
アミナは角を曲がった瞬間、自分の頬を涙が伝っていたことに気がついた。
「.....え、なんで...」
「おわ!?なに泣いとるん!」
ボタボタと滝のように涙を流しているアミナにシオンはぎょっとして自分の服の裾を持ち上げ彼女の涙を拭こうとした。
「わか、んない。なんか、ここがぎゅうって」
苦し気に胸をおさえ、眉を寄せるアミナにシオンは困惑する。
「....でも、悲しいとかじゃないの。.......寂しくて、....心細くて、....それで、それでね、私、」
アミナは角の向こうに視線を向ける。
「私、幸せだったんだぁ、って、....たくさん、たくさん、貰っていたんだなぁって...。変だね、今日、帰ったらすぐに会えるのに」
開く扉の色が今までと変わった。
もう二度と同じ扉は開けないのだ。
くっと彼女は顔を上げた。その横顔をシオンは何も言わずに見つめていた。
「頑張れは、期待の言葉。私は、今、期待されたいんだ…」
うつ向き、怯えながらも自分を奮い立たせる。
シオンは彼女のこの姿を何度も見てきた。
進んだかと思えば、一歩下がり、そしてまた涙を拭いて進むこの姿を。
「....いつも、弱くてごめんね。シオンも、呆れるよね」
恥じたように頬を掻き、苦笑するアミナに彼は「まあ、そうやな」とそっけなく返した。
申し訳なさそうに唇を一文字に結んだ彼女に、彼は続けて口を開いた。
「そんなあんたやから、俺は一緒にいたい思うんやろうな」
臆病で、自信がなくて、後ろ向きだか前向きなんだか分からなくて。
たったの一歩にどんだけ時間かけるんやって、苛立つこともあるけれど。
頬を染めてはにかむ少女の歩き始めた背中にシオンは片頬を上げ、彼もゆっくりとスニーカーを履いた足を前に踏み出した。
その一歩が、どれだけ確かなものかも、知っとるから。
隣に並んだシオンにアミナは微笑み、街で一番高い灯台である[導きの灯台]を見上げた。シオンもつられるように見上げたが、ふと眉を寄せた。
「.....ひとつ、気に入らんことがある」
低く唸るようなシオンの声にアミナは「な、なに?」とおそるおそる彼を見上げた。
「心細いって、なんやねん」
「.....え?」
どういうこと?首を傾げるアミナにシオンは憮然とした表情で「俺がおるのに」と続けた。
彼の言葉にアミナは驚いて違う、と首を振る。
「ちがうよっ!そういう意味じゃなくて...!」
ぎゅうっとアミナの左手を握り、シオンは歩きだした。
アミナが繋がれた手に驚き言葉を失っていると、肩越しにシオンが振り返った。
「俺がおること忘れんように、つないどいたるわ!」
名案だとでも言うように、彼はにんまり笑った。
「っわ、忘れない!忘れたこと、ないから!」
な、なんでシオンって、こんな突拍子もないこと思いつくの!?
必死で手を振り、ほどこうとするがシオンの手はアミナの手を握りこみ離さない。
竜族のシオンにとってはほとんど力を入れていないと言えるのだが、それでもアミナの小さな手を捕まえておくのには十分だった。
「は、放してよ!これじゃ、迷子にならないように手をつないでる親子みたいだよー...!恥ずかしいよう……」
「嫌だったら振りほどいてええんやでー」
「シ、シオンの馬鹿力!」
「ぶははははー!」
羞恥心で真っ赤に頬を染め、涙目になるアミナと上機嫌に彼女を引っ張るシオンを街の住民達が「付き合いたてのカップルかな?」「可愛いわね」と微笑ましく見守っていた。
「あんた達....なに、朝からイチャついてるのよ」
「リ、リナリア!?」
導きの灯台に着くと、箒を持ち、パフスリーブの半袖シャツの上に黒のジャンパースカートを身に付けたリナリアが今にも砂を吐きそうな表情でこちらを見ていた。
修道院にいるはずのリナリアの登場にアミナは驚き、声を上げた。
「こっちは真面目に修行中だっていうのに......やんなっちゃうわよまったく」
リナリアはじとりとアミナとシオンを冷めた瞳で見つめ溜め息を吐き「さ、入るんでしょ?」と背を向けて教会の扉へ向かった。
ぽかんとしたままのアミナの顔が面白かったのか、リナリアは「ふふ!」と笑い声を漏らし、片目を閉じてウィンクをした。
「修道院は辞めたの。癒し手になるのが目標なら、ここで修行するのが一番近道だからね!アストライアにも見習いとして登録してもらえたわ!.....見習いだから、まだまだなんだけど、一緒に頑張りましょ!」
リナリアの話を聞いていくうちにみるみる笑顔になっていったアミナは「うん!」と力強く頷いた。
その様子をつまらなそうに眺めていたシオンは「この前うちでわんわん泣いて営業妨害しよった奴やんけ。なんやもう元気なったんか」と嫌みを言った。
一音もこぼさずに拾い上げたリナリアは、シオンに向き直り「なによ!嫌みな男ね!」と吠えた。
「へぼの癒し手なんか足引っ張るだけや。すっこんどれ」
「な!うるっさいわねえ!あれから必死に特訓してるのよ!それに、これから成長すればいいでしょ!あなたが助けてって言っても、助けてあげないから!」
「いらんわ!ええか、あんた勘違いするんやないで」
目元を険しくして凄むシオンは迫力がある。リナリアはごくりと喉を鳴らした。
その横ではアミナも息を呑んでシオンの言葉を待っていた。
どうしてシオンはリナリアに噛みつくのだろう?
「な、なによ!」
「アミナの一番の友達は、俺やからな!俺俺俺ー!!!」
くわっと歯をむき出しにして自身を親指で指したシオンは街中に宣言するかのように大きな声を出した。思わずアミナとリナリアは耳をふさぐ。
一拍おいてリナリアが「はあ?」と呆れたように顔をしかめた。
「なに。あなたやきもち妬いてるの?」
「なんで今餅やくねん」
「いやこっちがなんでだわ」
リナリアは「くっだらない」と吐き捨てるとアミナの肩に手を添え、教会の中へと促した。
「入りましょ」
「う、うん」
「こら待てぃ!」
シオンを気にするアミナにリナリアは「友達だって。あいつ素直じゃないのねぇ」と苦笑すると、アミナは「……え?」と首を傾げた。
アミナのきょとんとした瞳に映るリナリアは驚愕に目を見開いていた。
「……嘘でしょ。あなた達、どっちも鈍感…なの?」
「へ?なに?」
頭にハテナマークを何個も浮かべるアミナと後ろでこちらを睨み付けるシオンにリナリアは「信じられない…!」と口を手で覆った。
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