泣き虫少女と無神経少年

柳 晴日

文字の大きさ
上 下
55 / 76
第3章

小さな祈り

しおりを挟む



「ようこそオリジンへ!」

 小柄な男がそう叫ぶと、重低音を響かせるコンポーネントを脇や肩に抱えた男達がわらわらと木々の間から現れた。
 男達は一様にジャケットの前を開け、褐色の肌を露出させている。
 ガムをくちゃくちゃと噛み、にやにやと耳元のピアスを光らせて笑う男達にアミナとリナリアは「ひっ」と小声で悲鳴を上げ、お互いの手を握りあった。

 柄の悪い男達に怯えた様子のアミナとリナリアとは反対に、シオンは「お!良い筋肉しとるやんけ!」などと呑気に眺めていたが、脳を揺さぶる低い音がいつまでも鳴り止まないのに苛立ち、両手の人差し指を自身の耳に突っ込んだ。

「うるっさ!うるさいわ!!」

 アミナ達四人をぐるりと囲むようにコンポーネントが地面に置かれると、聖樹の枝に乗っていた小柄な男がくるりと重力を感じさせない身軽さで地面に降り立った。
 小麦色に焼けた腕を振り上げ、「歓迎会だー!!」と叫ぶと、他の男達も「うおおおおお!!いらっしゃーい!!」と野太い声で盛り上がる。

「ラップバトル開始だぜ!俺の後に続け!」

 小柄な男に人差し指を突きつけられたアミナは慌てる。

「え!?ら、らっぷばとるって!?なに!?」
「アストライアに新しい団員が入った時、なぜかここでは新人とのラップバトルを開催するのが伝統になっている。常に緊張を強いられる防衛戦線を守る彼らなりの息抜きだろう」
「な、なるほど....!?レ、レオさん葉っぱがすごい付いてますけど…!?」
「いつものことだ」

 顔や身体中に聖樹の葉が張り付いたレオの顔は口元しか見えない。

「ヘイらっしゃい!アストライア!俺はここ、オリジンを守るガーディアン!この強者共をまとめあげるリーダー!名をアルバ!歓迎するぜよろしくな!」
「イエーイ!!」
「次はお前だ!」

 生き生きとラップを歌い上げた男はアミナをマイクで指名した。
 視界の端でシオンが男達と肩を組んでリズムに乗っているのが見え、アミナは少しいらっとしながら、「ええと....っ」と頭を働かせる。
 断るタイミングはとっくに過ぎてしまっていた。

 ここに訪れる度に誘われるラップバトルを避けてきたレオはアミナにやらなくていい、と言おうと緊張で上がっているその肩に手を伸ばした。

「は、っはじめまして!私はアミナ!歓迎されてとても嬉しい、です!ぇえと、聖の使い手まだ新人!ご指導よろしく、お願いしますっ」

 らっぷ(?)って、こんな感じでいいのかな!?とアミナは震える拳を両脇で握りしめ、歌いきった。
 人前の恥ずかしさと、不安から下向きかけた顔を男達の陽気な歓声が止めた。

「イエーイ!!アミナ最高!」
「大体の奴は鼻で笑うか、何もしないで固まるかなのに、あんた度胸あるな!」
「やるじゃねぇか!」
「よろしくなー!!」

 アミナ!アミナ!と野太い声で合唱をする男達にアミナは「....は、はい...。よかった...死ぬほど恥ずかしいけど……」と胸を撫で下ろし、震えていた足を抱えて座り込んだ。

「次俺!俺やる!」

 馬が合うのか、いつの間にか男達に馴染んでいたシオンは手を挙げ、アルバと向き合った。
 アルバは「いいねぇ!ノリの良い奴は大歓迎!」と満面の笑みを浮かべ、「おい音楽!次はテンポ上げてこーぜ!」と指示を出した。

 地面に音が振動する。しゃがみこんでいたアミナは屈強な男達に囲まれても物怖じせず、初めての事でも全力で楽しめるシオンに凄いなぁ...と感心する。   
 草にそっと指を滑らせた。
 森の地面は湿り気を帯びている。
 少し冷えた地面に生えた草に細い足を乗せた蝶々が羽をゆったりと動かし、呼吸している。

 透けるほど薄い繊細な羽を眺めていると蝶がふっと羽ばたいた。
 いつの間にか目前に来ていた黒いブーツを下から上に辿ると、レオが「あんなことなど、無理してやらなくて良かったんだ。今回の指令には入っていない」と、淡々と伝えた。
 アミナは眉を下げ、へらりと笑った。

「....はい。....でも、やったことないし、知らないことだったから。やってみないと、自分にとって無理なことかどうかも、分からないです」

 レオは瞳を瞬かせた。

「....やってみないと?」
「はい。もしかしたら、案外できることかもしれないから」

 アミナは男達に混ざって笑っているシオンに視線を移し、小さく笑った。

「それで、どうだったんだ?」
「苦手です。もうやりたくない、かなぁ」

 ふにゃりと困ったように感想を溢したアミナにレオはさりげない柔らかな笑みを浮かべた。

「ふっ。.....そうか。それが分かっただけでも、やってみた意味はあるということか」
「ふふ。はい」

 アミナの話をレオは自分の中で咀嚼して考えてくれた。レオという人間がアミナの中で少しずつ輪郭を持ち始め、彼への印象は柔らかくほぐれていった。

「あんたにはでけへんやろ。これはごいりょくと頭の回転の速さの勝負やで!」
「語彙力の漢字さえ理解してないあなたに言われたくないわ!やってやろうじゃないの!」

 シオンに挑発されたリナリアが威勢良く音楽の鳴り響く中心で胸を張っている。
 木の葉を抜けた涼しい風がアミナの顎より下の辺りでゆるく二つに結ばれた、ふわりと波打つ癖っ毛をすくった。

 木に背を預け、腕を組んだレオの眼差しは、なんとなく柔らかそうな空色を追っていた。







「......まさか夜まで続くなんて」

 ラップバトルは大いに盛り上がり、アミナはげっそりと星の散りばめられた空を見上げた。

「おーい!ちょっと来い」

 ジャケットの袖を腹の下で結び、腰に巻いたアルバがアミナ達四人を集めると、「ロターリオ!ルドヴィーコ!」と呼び掛けた。
 屈強な男達の中でも、一際身体の造りが厚い二人が「おーう」とアルバの横に来る。

「ロターリオ、頼むわ」
「任せて!」

 ロターリオと呼ばれた男は金髪のオールバックをさっと撫でると、巻き尺を取り出し、素早い動きでアミナ、シオン、リナリアの身体を計っていく。

「オーケー。十分よ、ボス」

 しゅるん、と巻き尺を巻き直しながら言うロターリオにアルバは頷き、アミナ達に顔を戻した。
 小柄なアルバはシオンよりも少し背が低いが、目を合わせれば射ぬかれてしまう様な鋭く力の籠った瞳を持っていた。

「ロターリオが明日までにお前らの制服を用意する。そんで、こっちのルドヴィーコが護身用の武器を拵える」
「武器って....?言身がありますけど....」

 リナリアが首を傾げると、アルバは先ほどまで騒ぎの中心にいたとは思えないほど、真剣な表情で声を落とした。

「俺達言望葉使いは、言葉を力に代えられる。それはとても便利だし、一見すると言望葉を使えない奴らよりも強く見えるかもしれない。でも、言望葉の力は、完璧じゃない」

 褐色の親指が、自身の胸を指した。

「ここが弱れば、戦うこともできねぇんだ」

 だから武器を造る必要があるのだと、アルバは力強く結んだ。



 聖樹の葉が月の光を受け、真っ暗な夜の中で淡く灯り始める。
 アミナは先ほど配られた歓迎会の食事に出されたキッシュを皿に盛り、聖樹の隣に生えた木の幹に腰かけていた。

 武具士であるロターリオが用意したという御馳走はどれも美味しく、つい食べ過ぎてしまった。
 このキッシュで最後にしようと一口頬張った時、シオンが骨付き肉を両手に持ち、アミナの隣に腰を下ろした。

「疲れとるやろ」

 おもむろに話すシオンに、アミナは小さく頷いた。

「体力ないもんな。あんたって、普段読書ばっかして全然動かんやん?そのくせ勢いで走り回って、ヘロヘロなって」
「...うう。たしかに...図書館の仕事以外で動いてない....」

 運動しないとなぁ、とアミナは怠くなった足に細くため息を吐いて反省する。

「さっきもしゃがんでた時、一瞬寝かけたやろ」

 アミナは渋く頷いた。
 シオンとリナリアがラップバトルをしているのを見守っている時、一瞬だがかく、と首が前に倒れた。
 レオが側にいたので必死に起きていたが、シオンには気づかれていたらしい。

「....よく見えたね」

 男達に囲まれて、とても楽しそうに盛り上がっていたから、まさかあの瞬間を見られていたことに驚いた。

「あんたが俺の視界に入ってくるんやろ」
「そうなの?」
「そうや」
「ふうん?」

 そうなんだ?とアミナは不思議そうに相槌を打つ。
 大きな口で肉を噛みちぎったシオンは、頬袋を膨れさせている。
 上下する頬にアミナは微笑んだ。

「シオン今日、すごく楽しそう。ラップ、気に入った?」
「おー。ほんまはな、ディスとか入れるんやって。おもろそー」
「ディ....なに?」
「ディス。相手をへこませるんや」
「へ、へー....得意そう....」
「どういう意味や」
「ふふ」

 金時計を受け取った時の事から、初めて電車に乗った事。
 でこぼこ道を走るバスにオリジン、そしてラップバトル。
 アミナはもう二度としない、と赤くなった顔を両手で隠し、シオンはそんな少女をからかう。
 爪先分広がった世界を噛み締めるように二人は話した。

 アミナの髪に留まった蝶々をシオンが指をさし微笑む。



 もう少し。もう少し、このままで。

 蛍のように淡く発光する葉を眺め、心の中で小さく祈った。
 自覚のないままに、小さく、小さく。

 
 それは一体、どちらの願いだったのだろう。
しおりを挟む

処理中です...